立命館大学All.1のブログ

立命館大学All.1のブログ

立命館大学フットサルクラブAll.1です。
日々の出来事や試合の結果等更新していきます。

引退して約半年、週5の活動が無くなった虚無感を感じています。文章だけでは書ききれないほどの想いがありますが、All.1での4年間を振り返って、拙いなりに文章にしたいと思います。

 入部のきっかけは、高校サッカー引退後、同校フットサル同好会の監督をしていた亜土さんとの繋がりで、滋賀県フットサルU18選抜に参加したことでした。色々な意味でサッカーの縮小版だと思っていたスポーツが、こんなにも奥深く魅力的なものだと知り、すぐに虜になりました。

 1回生、2回生時にはコロナ禍で活動が制限されていた中でしたが、インカレカップ、全日本選手権、インカレ関西、東京フェスタなど、フットサル人生においてかけがえのない経験をさせてもらいました。もう一度あんなアツい試合がしたい、そう思うほどにフットサルが好きになっていきました。しかし、2回生末での亜土さんの監督退任により、チーム運営、トレーニング、試合での采配などそれまで任せきりだった自分たちの現状が露呈し、全く勝てない、0からのスタートとなりました。

 昨日まで一緒に叱咤激励されていた僕が試合に出るメンバーを決め、練習メニューを考え、ミーティングで話し、采配を握る。たくさんの決定事項をチームメイトにどう説明すればいいのか、チームの目的、目標はなにか、目指すフットサルはどんなものか、体育会組織とはどうあるべきか。答えのない問いに迷い続けたまま迎えた3回生時、インカレ、全日本選手権共に滋賀県予選で敗退。全てに行き詰まり、何もかもうまくいかない。勝てていたのに、勝てない。チームも、僕自身も大きな壁にぶつかりました。

 朝起きたら昨日の練習動画を見て振り返り、移動と授業で週末のスカウティングやメンバー決め、ミーティングの資料作成、対戦相手や連盟とのやり取り、練習をしてまたチームのことを考えながら帰る。寝ている間も夢はフットサルのことばかりで、文字通り24時間費やしていたと思います。孤独感や、辛さを感じたこともありましたが、今思えば人としては大きく成長できた時期でした。時には燃え尽きてしまったこともありましたが、たくさんの方に支えられて乗り越えることができ、学生リーグ、地域CLでの優勝、関西リーグ昇格、インカレ3位と最終年にたくさんの素晴らしい瞬間を迎えることができました。




 そんな中でも特に変わった点は、チームの変化に揉まれることで組織、そして物事への取り組み方において、自分なりの考えを持てるようになった点です。
いつもミーティングでは、日本一になるためには、毎回の練習、もっといえば毎日どう取り組むかが大切という話をしてきました。目標であるインカレのその1週間前、1ヶ月前に頑張れるのは当たり前です。大会の半年前、1年前から、オフの日でも、週5練習で疲れていても、レポートがあっても、友達と遊びたくても、努力したけど結果がでなくても、フットサルに向き合い続けなければならない。それでも時間は足りません。

 そう書いた手前ですが、学生組織において大切なのは結果よりも、過程だと思っています。ですが、素晴らしい過程を得るためには、限界まで結果を求めなければなりません。言葉だけだと矛盾しているようにも感じられます。

「大切なものは 欲しいものより先に来た」

 亜土さんに教えてもらった言葉です。(詳しくはHUNTER×HUNTERを読んでください。笑)
毎日本気で欲しいもの目指すから、大切なものを見つけられます。つまり、日本一を本気で目指すからこそ、たくさんの経験や成長、大切な仲間が見つかります。
 そこに挑戦できるのがAll.1という組織だと思っていますし、そんな4年間を過ごすことができました。後輩達にも、ぜひそんな道のりを楽しんでもらいたいです。

 おかげさまで、1番の宝物は多くの思い出です。コストコで七面鳥爆食して練習したこと、くら寿司カップ、同期との下呂(ゲロ)旅行、亜土さんと2人の関東遠征と広島遠征、気付けば日が昇っていたミーティング、地域CL優勝後の飲み会、数々の試合、そしてチームとして大きな壁を乗り越えた経験、挙げ出したらきりがありません。笑



 遅くなりましたが、この場を借りてたくさんの方に感謝を述べさせてください。立場柄多くの方々と関わりを持たせて頂き、とてもお世話になりました。特に亜土さんにはフットサル選手、そしてAll.1の代表としてどうあるべきかを教えてもらい、何かあるたびに相談していました。死ぬほど怒られたこともありましたが、本気で取り組むとはどういうことか、選手としても人としても僕が成長できたのは間違いなく亜土さんのおかげです。ありがとうございました。

 そして同期と後輩には、強行日程を組んだり、時には理不尽発言をしたり、迷惑をかけることも多々あったと思います。あれこれ指示されていらつくこともあったかもしれませんが、最後までついてきてくれました。All.1だからこそ、みんながいたからこそ、たくさんのことを成し遂げられました。僕がキャプテンをするにはもったいないくらい、最強のチームだったと思います。

 本当にたくさんの巡り合わせで幸せな4年間になりました。支えてくださった関係者の方々、素晴らしい時間には感謝の気持ちでいっぱいです。今後は1人のAll.1サポーターとして、そしていつかピッチ上でもみなさんとまた会えることを楽しみにしています。
4年間本当にありがとうございました。

14期代表 酒井裕和

桐山侑大とAll.1の4年間

初めまして、オールワン4回生の桐山侑大です。卒業ブログということでフットサルとの出会いから、引退に至るまでを綴りましたので、最後まで読んでいただけると幸いです。

フットサルとの出会いは高校1年でした。当時部活で何をするか迷っていた僕は同期の三浦糧太に誘われ、立宇治フットサル部に入部しました。この選択のきっかけをくれた彼にはとても感謝しています。右も左もわからない中、加藤亜土監督のもとで1からフットサルを教わりました。フットサルを教えていただきながら、人としても大きく成長させていただいたと思っています。本当にありがとうございました。

大学に進学した後、亜土監督の誘いもあり、All.1への入部を決めました。大学でのフットサルはとてもレベルが高く、高校の頃とはまた違う景色が広がっていました。初めはセグンドチームからのスタートでしたが、トップチームに入った時はとても嬉しかったことを今でも覚えています。4年間のフットサル生活は順調な時ばかりではありませんでしたが、普段の生活から周りの仲間に支えられてここまで続けられたと思っています。自分たちの代では、代表の酒井を中心にとても躍進できた一年になったと思います。地域フットサルチャンピオンズリーグでは優勝、インカレ全国では3位という結果で、これまで目標としてきたタイトルも獲得することができました。



4年間を通してこれらのタイトルを自分たちの代で獲れたのはこの上なく嬉しいことですが、何よりもこのメンバーと最後まで戦い抜き、賞賛し合えたということが、何にも変え難い一生の財産になったと思います。オールワンの後輩に伝えたいことは、今の仲間と一緒にプレーができて、嬉しさや悔しさを分かち合えることに感謝してほしいということです。

最後になりますが、これまで長い間指導してくださった加藤亜土監督をはじめ、チーム関係者の方々、試合のたびに足を運んでくださり、いつも支えてくださった保護者の方々、チームメイトには感謝しかありません。今まで本当にありがとうございました。

#88桐山侑大
北山涼太とAll.1の4年間
 
卒業ブログという事で、自分がAll.1に入部した経緯や活動中に思っていたことなどを綴っていこうと思います。最後まで読んでいただければ幸いです。
 
最初に、All.1に入部した経緯について書いていこうと思います。All.1の活動に初めて参加したのは1回生の春休みになります。同期の中でも二番目に遅い入部です。幼稚園からやっていたサッカーを高校の選手権までやって引退し、ふらふら大学生活を送っていたらボール蹴りたいなと思い、チームを探していたらAll.1を知りました。他のサークルなども考えましたが、どうせやるなら強く上手い人たちとプレーしたいと思い連絡をして練習参加させてもらいました。人数は決して多くはなかったけど、一人一人がしっかりとした技術を持っているなと思ったのが第一印象です。そして、楽しそうに真剣に練習しているのが印象的でした。同期の人たちも気さくに話しかけてくれたり、その日にご飯も誘ってくれてとてもいい雰囲気だなと感じました。3回目の練習参加の後に同期に「回生旅行」に誘われたのは驚きましたが、この旅行が入部の最大の要因になりました。旅行の帰りに審判員を決めることになり、まだ入部もしていないのに強制で参加させられて負けたので入部が確定しました。今思えば、この出来事にも感謝しています。そう思うようにしてます。このような経緯を経て、2回生の春からAll.1に入部しました。
 
入部してから思ったのは「フットサル難しい」ってことです。これに尽きます。戦術、セットプレーなどを覚えて頭で考えプレーで表現するのがとても大変でした。こんなん覚える必要ある?と当時は本気で思っていました。入部してすぐにトップに入れていただいたのは自分の中でとても良い経験になりました。強度の高い練習、試合はとても良い刺激になりました。戦術などを全然覚えていなくて先輩方に怒られ、チームに迷惑をかけたことを今でも覚えています。練習についていくことですら必死でしたが、関西インカレで優勝した時は、微力ながら試合に関われて嬉しかったです。
しかしそこから、フットサルに対するモチベーションが下がったのと資格の取得のために3回生から休部という形をとりました。チームの士気にも関わるし退部も考えましたが、当時の代表が参加できる時だけでも来いと言ってくれたので、All.1でフットサルを続けることができました。このようなわがままに対応していただき感謝しています。また、納得できない選手もいたと思いますが、受け入れてくれた環境に感謝しています。



 
引退してから思う事は、もっと本気でフットサルに取り組めば良かったなという“後悔”です。自分が休部している期間にチームが結果を出しているのを知ると「真剣に活動に取り組んでいれば自分もそこにいたのかな」とタラレバを考えることがありました。ただ継続することと本気で取り組み継続することは全然違い、後々結果が変わってきます。なので、頑張ったら努力は必ず報われるという綺麗事を言うつもりはありませんが、後悔しないために全力でフットサルに取り組んで欲しいなと思います。でも、楽しむことが第一です。
試合は勿論、チームの運営も学生が主体的に行わないといけないAll.1だからこそ責任が生まれやりがいがあるのだと思います。後悔があると書きましたが、All.1の一員になれてとても嬉しく思っています。良い思い出になりました。
 
最後に、All.1に入部してから関わっていただいた皆様にはとても感謝しています。監督、スタッフ、先輩、後輩、マネージャー、OBの方々、保護者の方々、各大会の運営の方々など挙げだすときりがない程に多くの方々にお世話になりました。本当にありがとうございました。All.1の益々のご活躍を期待しております。                                       
#18北山涼太
この度オールワンを卒団することとなりました加藤功誠です。このブログには僕がオールワンでどのような想いで4年間活動してきたか、後輩達に伝えたいことを書きたいと思います。インカレのブログに僕がどのような4年間を過ごしてきたか記載してしまったので多少重複してしまうかもしれませんがご容赦ください。
僕が大学に入学した時は、コロナウイルスが蔓延していてサークル活動が制限されている中でたまたま見つけたのがオールワンでした。体験に行ってみると僕が今まで経験してきた厳しい上下関係は無く、先輩後輩関係なくフランクにコミニケーションをとっているところに凄く驚きを覚えました。



正直サッカーとフットサルは同じだと思っていたのですが1回生のうちはボールの止め方、蹴り方、セットプレーの数の多さ、ローテーションの動きなど「フットサル」というスポーツの難しさに直面してしまい、さらに1回生のうちからトップチームで活躍する同期の姿をみて焦りを感じるばかりでした。



そうしている内に2回生になり、後輩が入ってきました。現3回生の後輩達は選手権に出場していたり、強豪校出身の選手が多く僕はすぐに後輩に抜かれる経験をしました。僕のサッカー人生を通して後輩に抜かれる経験はあまり無く大学のこの時期に大きな挫折経験をしました。2回生の前期は長期間セグンドチームでプレーしており、かなりオールワンの活動に対してモチベーションが落ちていた時期だと思います。中々フットサル自体も上手くなっている感覚もなく、自己嫌悪に陥り練習へのモチベーションもゼロの状態でした。そんな中、2回生の秋に当時監督であった亜土さんからトップチーム昇格へのチャンスを貰いました。トップチームに昇格してからは、練習の強度が高く、毎日着いていくのに必死でしたが前よりも格段にフットサルが楽しかったですし、自分が上手くなっている感覚がありました。初めは緊張で自分の100%のパフォーマンスを出すことができなかったのですが徐々に慣れていき、2つある僕のオールワン人生の中の転機の1つを迎えることとなります。それは、「東京フェスタ」です。コロナの影響でインカレ全国大会が中止になりその代替大会が3回生の3月に行われました。僕はメンバーに選出されることができ、オールワンに入部して初めての大舞台を経験できると思いました。1回戦は慶応大学で、もちろん強豪大学です。僕はサードセットのクワトロセットに入っていたのですが、その日はファーストセットの糧太がそのまま僕のところに入って僕はベンチで試合を観ていました。僕は今日は試合に出ることはできないのかと心の中で思ってしまいました。しかし、前半の途中に亜土さんから「功誠いくぞ」と声をかけて貰いました。僕は初めての大舞台にこれまでにない緊張を感じつつピッチに入りました。そして、ピッチの中間あたりからのセットプレーを獲得しました。前々から何回も打ち合わせして練習していたセットプレーが決まり、先制点をとることができました。この瞬間が僕のオールワン人生の中で最も嬉しい瞬間であったことは間違いないです。得点した瞬間のピッチの中の一緒に出ていた琉星や北村、ナリと抱き合いベンチにいる皆と抱き合った瞬間は本当に何物にも代えがたい感情になりました。この先あれ以上の感情は味わえないかもしれないと思うほど嬉しかったです。その試合は最終的に逆転負けして久しぶりに試合に負けて悔しいと思った試合でした。



そこからフットサルがどんどん楽しくなっていき、オールワンでの活動のモチベーションが上がり毎日の練習はきつかったですが、とても充実した期間を過ごしていました。そんな中監督の亜土さんが退任することが決まり、代表の酒井を主体にチームを運営することが決まりました。

3回生になり、追いコンも終わり選手主体の練習が始まった時僕は二度目の挫折を味わうことになります。練習中にスライディングをした際に足首を捻ってしまい、足首の遠位端骨折をしてしまいました。捻った瞬間は今も鮮明に覚えていますが、完全に今までとは違う痛みと音がしました。フットサルをする上で身体は資本なので、今プレーしている選手は怪我の予防、身体のケアは絶対してください。この怪我をしたことに寄って僕のオールワンでの活動が一気に変わりました。まず手術をして歩けるようになるまで3ヶ月ほどかかり毎日バスで大学に通い松葉杖で授業に行き、帰ってきてはベッドに寝転んで一生天井を見ている時期が続きました。自分は何をしているのだろうかと虚無感を味わう日々が続く中で、医者には足にプレートをいれている影響で元通りのプレーができないかもしれないと宣告されました。このままオールワンの活動を続けて自分が満足いくプレーができない恐怖に駆られて復帰するのさえ怖くなってしまいました。3ヶ月ぶりに復帰すると今の2回生達が入部してきて僕はもう一度セグンドチームからのスタートになりました。早くトップチームに上がりたい欲と、やはり足首の痛みが強く自分の思い通りにプレーできないストレスととても悩むことが多い時期でした。そんな中酒井には怪我の状況について親身になって相談に乗ってくれましたし、2回生がフットサルの難しさに直面するもなんとかプレーしようしている姿に自分自身活気付けられなんとか活動を続けている状況でした。僕が本当に辞めそうになっていた時期も同期、家族の支えがあったからこそ辞めずに活動を続けれていたと思います。そんな中、セグンドでの全日が終わりトップチーム昇格のチャンスを貰った僕は3回生の冬からまたトップチームで活動を続けることになりました。しかし、足の痛みは中々治らず自分自身のプレーには納得いかず、もう一度プレートを抜く手術をすることを決めました。引退までプレートを抜かない選択をすることもできましたが抜いた方がプレーがしやすくなることに賭けて手術することを決意しました。手術が終わり年明けからだんだんと自分なりのプレーができるようになっていきました。そして、チームは学生リーグを優勝し、地域チャンピオンズリーグに出場し、日本一になった時は自分のフットボール人生の中でも最高に嬉しい瞬間でした。今でも誰もが経験できるわけではない「日本一」を経験させてもらったことはとても感謝しています。





それからのオールワンでの生活は言ってしまえば「あっという間」で、この時期は練習の帰り道にあと5ヶ月で引退か〜と喋っていたのにも関わらず、一瞬で滋賀予選を迎え、関西予選を迎え、全国大会を決めました。最終的には、日本一を獲ることはできませんでしたが全国3位という素晴らしい結果を得ることができました。今でも覚えていますが、最後の集合の時はあまり人前で感情を露わにすることが苦手な僕でも4年間の思い出が込み上げてきて泣かずに喋ることができませんでした。それだけ僕は、このオールワンに入部して人生が変わりましたし、どの他の学生よりも充実した4年間を過ごすことができたと今卒業を間近にして思います。そして、僕が4年間活動を続けてこれたのは紛れもなくオールワンの最高の先輩、後輩、同期がいて、遠くから応援してくれている家族がいたからこそだと思っています。この場を借りて感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。

最後に僕が伝えたいのは、「絶対にオールワンで4年間活動を続けて欲しい」ということです。今振り返ると僕が何かチームに還元できていたかと思うと何もできていないですが、こんな僕でも4年間活動を続けてきて得られるものがたくさんありました。オールワンで活動していると誰しもが辞めたくなる瞬間、モチベーションが下がる瞬間は出てくると思います。そんな時に少しでも僕のこのブログを思い出してひと踏ん張りして欲しいと思います。それこそ今セグンドでプレーしていて中々トップに上がることができない選手や、活動自体に対してモチベーションが下がっている選手色々理由はあれどいると思います、ただ辛くても継続していれば報われる瞬間がどんな形であれ来ると思います。





長々と書きましたが、オールワンには本当にお世話になりました。これからもオールワンの飛躍を願いつつ、オールワンで培ったものをこれからの人生に活かしていきたいと思います。ありがとうございました。

#17加藤功誠

小林玉樹とAll.1の4年間

 

14期生で背番号14番の小林玉樹です。このたび、立命館大学体育会フットサル同好会All.1を卒団するにあたってブログを書く機会を頂きましたので、All.1での4年間について書かせて頂こうと思います。

 

僕とAll.1との出会いについて、高校3年生の終わり頃、実家が斜め向かいの幼馴染のお兄ちゃんが所属していたチーム、というきっかけでAll.1を知り、当時監督だった亜土さん(加藤亜土・現広島エフドゥ監督)に誘っていただき(しゃぶしゃぶで胃袋を掴んでいただき)入団することとなりました。



高校時代の写真

同期代表の酒井とは高校時代のチームメイトでもあります

 

 

4年間All.1の一員としてたくさんの試合に出場し、ラスト数秒で逆転され涙を呑んだインカレカップ、北海道で日本一になった後の最高の飲み会(僕は最悪の酔っ払いに)など、嬉しい思いも悔しい思いもたくさんしてきました。色々書きたい思い出はいっぱいあるのですが、一番印象に残っている大会について書きます。

 

1回生の頃出場した全日本フットサル選手権全国大会(サッカーでいう天皇杯)、

 

(大会のハイライトがJFATVにアップされています。全試合見応え十分ですので是非見てください。)

1回戦vs長岡ビルボードFChttps://www.youtube.com/watch?v=LHaJ9QlkQZc

2回戦vsミラクルスマイルhttps://www.youtube.com/watch?v=MtyBKLQjZDA

3回戦vsO-PAhttps://www.youtube.com/watch?v=otCeOYljpKg

☝︎見どころはO-PA戦の点の取り合い、ミラクルスマイル戦のダサすぎる酒井(12番)のガッツポーズです。

 

自身は3試合全てで失点に絡み、O-PA戦に至っては開始3分ほどで失点に絡み、トイレでひっそり泣きながらパワープレーユニフォームに着替えるという情けない大会となってしまったのですが、当時の1stセット(4番・8番・10番・13番のセット)の怒濤の活躍に強い衝撃を受けたのを覚えています。この1stセットは僕の目指す姿となり、この大会は4年間のモチベーションの源泉となりました。

 

色々なことがあった4年間でしたが、All.1で4年間を過ごすことには、とても価値があることだと思います。毎日のように遊んでいる友達を見て羨ましいと思うこともありました。でも普通の大学生にはできない経験がAll.1ではできます。僕は感情の昂りこそが競技スポーツの魅力であり、All.1の魅力だと思います。点をとってベンチに向かって咆える時、仲間のナイスプレーにベンチを飛び出してガッツポーズするとき、負けて最悪の気分になるとき、日常生活では経験できない感情です。週5で一緒に活動する仲間と日本一を目指した4年間はまさしく青春だったなと思います。




最高の瞬間たち

 

 

後輩たちには、この貴重な時間を全力で謳歌してほしいです。

また、大学でどうしようかなと思っている時にたまたまこのブログを見てくれたあなた。All.1で全力でフットサルをするのはいかがでしょうか?

 

最後に、4年間を一緒に過ごした同期のみんな、ありがとう。一緒に戦った先輩の皆さんや後輩たち、チームを支えてくれたマネージャーのみなみさん、かほちゃん、ゆうなちゃん、フットサルを一から教えてくれた亜土さん、ごとだいさん、草川さん、Edisonさんらスタッフの方々、ありがとうございました。

 

#14小林玉樹