#17加藤功誠 と All.1 の4年間 | 立命館大学All.1のブログ

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この度オールワンを卒団することとなりました加藤功誠です。このブログには僕がオールワンでどのような想いで4年間活動してきたか、後輩達に伝えたいことを書きたいと思います。インカレのブログに僕がどのような4年間を過ごしてきたか記載してしまったので多少重複してしまうかもしれませんがご容赦ください。
僕が大学に入学した時は、コロナウイルスが蔓延していてサークル活動が制限されている中でたまたま見つけたのがオールワンでした。体験に行ってみると僕が今まで経験してきた厳しい上下関係は無く、先輩後輩関係なくフランクにコミニケーションをとっているところに凄く驚きを覚えました。



正直サッカーとフットサルは同じだと思っていたのですが1回生のうちはボールの止め方、蹴り方、セットプレーの数の多さ、ローテーションの動きなど「フットサル」というスポーツの難しさに直面してしまい、さらに1回生のうちからトップチームで活躍する同期の姿をみて焦りを感じるばかりでした。



そうしている内に2回生になり、後輩が入ってきました。現3回生の後輩達は選手権に出場していたり、強豪校出身の選手が多く僕はすぐに後輩に抜かれる経験をしました。僕のサッカー人生を通して後輩に抜かれる経験はあまり無く大学のこの時期に大きな挫折経験をしました。2回生の前期は長期間セグンドチームでプレーしており、かなりオールワンの活動に対してモチベーションが落ちていた時期だと思います。中々フットサル自体も上手くなっている感覚もなく、自己嫌悪に陥り練習へのモチベーションもゼロの状態でした。そんな中、2回生の秋に当時監督であった亜土さんからトップチーム昇格へのチャンスを貰いました。トップチームに昇格してからは、練習の強度が高く、毎日着いていくのに必死でしたが前よりも格段にフットサルが楽しかったですし、自分が上手くなっている感覚がありました。初めは緊張で自分の100%のパフォーマンスを出すことができなかったのですが徐々に慣れていき、2つある僕のオールワン人生の中の転機の1つを迎えることとなります。それは、「東京フェスタ」です。コロナの影響でインカレ全国大会が中止になりその代替大会が3回生の3月に行われました。僕はメンバーに選出されることができ、オールワンに入部して初めての大舞台を経験できると思いました。1回戦は慶応大学で、もちろん強豪大学です。僕はサードセットのクワトロセットに入っていたのですが、その日はファーストセットの糧太がそのまま僕のところに入って僕はベンチで試合を観ていました。僕は今日は試合に出ることはできないのかと心の中で思ってしまいました。しかし、前半の途中に亜土さんから「功誠いくぞ」と声をかけて貰いました。僕は初めての大舞台にこれまでにない緊張を感じつつピッチに入りました。そして、ピッチの中間あたりからのセットプレーを獲得しました。前々から何回も打ち合わせして練習していたセットプレーが決まり、先制点をとることができました。この瞬間が僕のオールワン人生の中で最も嬉しい瞬間であったことは間違いないです。得点した瞬間のピッチの中の一緒に出ていた琉星や北村、ナリと抱き合いベンチにいる皆と抱き合った瞬間は本当に何物にも代えがたい感情になりました。この先あれ以上の感情は味わえないかもしれないと思うほど嬉しかったです。その試合は最終的に逆転負けして久しぶりに試合に負けて悔しいと思った試合でした。



そこからフットサルがどんどん楽しくなっていき、オールワンでの活動のモチベーションが上がり毎日の練習はきつかったですが、とても充実した期間を過ごしていました。そんな中監督の亜土さんが退任することが決まり、代表の酒井を主体にチームを運営することが決まりました。

3回生になり、追いコンも終わり選手主体の練習が始まった時僕は二度目の挫折を味わうことになります。練習中にスライディングをした際に足首を捻ってしまい、足首の遠位端骨折をしてしまいました。捻った瞬間は今も鮮明に覚えていますが、完全に今までとは違う痛みと音がしました。フットサルをする上で身体は資本なので、今プレーしている選手は怪我の予防、身体のケアは絶対してください。この怪我をしたことに寄って僕のオールワンでの活動が一気に変わりました。まず手術をして歩けるようになるまで3ヶ月ほどかかり毎日バスで大学に通い松葉杖で授業に行き、帰ってきてはベッドに寝転んで一生天井を見ている時期が続きました。自分は何をしているのだろうかと虚無感を味わう日々が続く中で、医者には足にプレートをいれている影響で元通りのプレーができないかもしれないと宣告されました。このままオールワンの活動を続けて自分が満足いくプレーができない恐怖に駆られて復帰するのさえ怖くなってしまいました。3ヶ月ぶりに復帰すると今の2回生達が入部してきて僕はもう一度セグンドチームからのスタートになりました。早くトップチームに上がりたい欲と、やはり足首の痛みが強く自分の思い通りにプレーできないストレスととても悩むことが多い時期でした。そんな中酒井には怪我の状況について親身になって相談に乗ってくれましたし、2回生がフットサルの難しさに直面するもなんとかプレーしようしている姿に自分自身活気付けられなんとか活動を続けている状況でした。僕が本当に辞めそうになっていた時期も同期、家族の支えがあったからこそ辞めずに活動を続けれていたと思います。そんな中、セグンドでの全日が終わりトップチーム昇格のチャンスを貰った僕は3回生の冬からまたトップチームで活動を続けることになりました。しかし、足の痛みは中々治らず自分自身のプレーには納得いかず、もう一度プレートを抜く手術をすることを決めました。引退までプレートを抜かない選択をすることもできましたが抜いた方がプレーがしやすくなることに賭けて手術することを決意しました。手術が終わり年明けからだんだんと自分なりのプレーができるようになっていきました。そして、チームは学生リーグを優勝し、地域チャンピオンズリーグに出場し、日本一になった時は自分のフットボール人生の中でも最高に嬉しい瞬間でした。今でも誰もが経験できるわけではない「日本一」を経験させてもらったことはとても感謝しています。





それからのオールワンでの生活は言ってしまえば「あっという間」で、この時期は練習の帰り道にあと5ヶ月で引退か〜と喋っていたのにも関わらず、一瞬で滋賀予選を迎え、関西予選を迎え、全国大会を決めました。最終的には、日本一を獲ることはできませんでしたが全国3位という素晴らしい結果を得ることができました。今でも覚えていますが、最後の集合の時はあまり人前で感情を露わにすることが苦手な僕でも4年間の思い出が込み上げてきて泣かずに喋ることができませんでした。それだけ僕は、このオールワンに入部して人生が変わりましたし、どの他の学生よりも充実した4年間を過ごすことができたと今卒業を間近にして思います。そして、僕が4年間活動を続けてこれたのは紛れもなくオールワンの最高の先輩、後輩、同期がいて、遠くから応援してくれている家族がいたからこそだと思っています。この場を借りて感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。

最後に僕が伝えたいのは、「絶対にオールワンで4年間活動を続けて欲しい」ということです。今振り返ると僕が何かチームに還元できていたかと思うと何もできていないですが、こんな僕でも4年間活動を続けてきて得られるものがたくさんありました。オールワンで活動していると誰しもが辞めたくなる瞬間、モチベーションが下がる瞬間は出てくると思います。そんな時に少しでも僕のこのブログを思い出してひと踏ん張りして欲しいと思います。それこそ今セグンドでプレーしていて中々トップに上がることができない選手や、活動自体に対してモチベーションが下がっている選手色々理由はあれどいると思います、ただ辛くても継続していれば報われる瞬間がどんな形であれ来ると思います。





長々と書きましたが、オールワンには本当にお世話になりました。これからもオールワンの飛躍を願いつつ、オールワンで培ったものをこれからの人生に活かしていきたいと思います。ありがとうございました。

#17加藤功誠