御嶽山の噴火から一週間以上。
いまだ見つからない方々がいるのは、本当に辛いことだ。

けれど、火山の噴火を予測するための会合に「予知連絡会」と名付けていること自体
あらぬ誤解を招きやすく適切さに欠ける、と思っているのは私だけだろうか。

地震の予知についてもそうだけれど、「確実な(絶対に当たる)予知」なんて
科学的にあり得ないからだ。

確率が非常に高い、と言うことならできるかもしれないけれど
未来に起こることである以上、常にいくらかの不確実さは存在するはずなので
要するに、100%確実な予知というのは現実には存在しない。

普段の天気予報だって、当たったり外れたりしていることを考えれば
誰でも体験的に、そういった予知を期待することはできないものだと
わかっているはずではないのだろうか。

アイスランドの火山が噴火して、ヨーロッパの航空網がめちゃくちゃになった時
空港で行き場をなくした人々にインタビューしているのを見たことがある。
意外とイライラしている人はいなくて「自然現象だから、しかたないよ」と
肩をすくめる程度の反応がほとんどだったのが印象的だった。

そう、その通りだ。
人間は、自然の力にはかなわない。

今日打ち上げられた新しい気象衛星のおかげで、これからの天気予報の精度は
さらに大幅にアップするそうだけど、それでも、自然は常に、人知を超えた大きな力を
持っていることを、決して忘れてはならない、と強く思う。

オリンピックの時も思ったけれど、今日の錦織さんフィーバーも凄かった。

日本人アスリートが世界一かも?!という時に限り、あれだけ勝て勝てと大騒ぎするマスコミって
どうなんだろうと思う。

あの食いつきっぷりには、あきれるというか、唖然というか。

本当の「応援」なら、下積みが長くてなかなか勝てず、それでも地味に努力を重ね続けるような
人こそ、大いに取り上げる価値があるんじゃないだろうか。

グランドスラムを全て制覇しても、車いすテニス部門の方は扱いがはるかに短いって、どうなんだ。
もうすぐ東京でパラリンピックをやるんじゃないの?
同じテニス大会なのに、障害者部門はこんなにも軽く見られている、ということ?

それにしても、錦織さん。アメリカで人生の長い時間を過ごしてきた方だと聞いているけれど
「トロフィーが取れなくて申し訳なかった」的な(英語だったし一語一句は覚えていない)
敗戦の弁を語られたのが、とても日本人的な感じがして、印象的だった。

勝ち負けももちろんだけれど、自分の最高の力を出し尽くせた結果ではなかったことが
ご本人にとっては、きっと何よりも悔しいことだったはず。
そこでの「申し訳ない」的な一言は、日本人の耳にはすんなりと聞こえるのだろうか。

私にはなぜかどうしても「何もそこで謝らなくてもよかったのでは?」と思えてしまった。

持っている最高の実力は出せなかったかもしれないけれど
間違いなく、「今日の自分自身にできる最高のプレー」をした結果、だったはずだから。

手術後の定期健診で、整形外科に行ってきた。
待合室にあった女性向け雑誌(週刊誌ではなく、料理や家事についての記事が中心のもの)を
何の気なしにパラパラめくっていたら、なぜか

   あなたに親友は何人いますか?

というアンケートの結果が載っていた。

「あれっ?」と思ったのが
「0人」と「1人」という回答が、それぞれ20%ほどもあったこと。
合わせれば、4割を超える。

調査対象が何人だったのかまでは、よく見なかったのでわからないけれど
予想外の少なさにびっくりした。

LINEやフェイスブックで常に、活発にたくさんの友人とつながっている人が多いように見えるのに
単なる友達ではなく、「親友」と呼べる存在となると、意外と持っていないものなのだろうか?
特に、「親友ゼロ」と答える人がこんなにいるとは思わなかった。

私は人間関係での失敗(主に相手を怒らせてしまうこと)が多く、どうにも苦手感をぬぐえないので
もっと人と関わりを持ちたいと思いながら、実際にはなかなか、活発に人と交流できていない。
知人レベルならともかく、本当に親密な友人が果たして自分にいるのかどうかにも、自信がない。
(自分としては親しいつもりの人はいるけれど、相手がどう思ってくれているのかがわからない)

この、親しいという確信が持てない感じ、自分だけかと思っていたけれど、もしかしたら、
同じように感じている人は、意外と世の中に多いのかもしれない。

   あなたには、「親友」、何人いますか?
去年の記録的な猛暑、春の関東の大雪、今年の西日本や北海道の豪雨。
そして、去年の伊豆大島に続く、今年の広島での土砂災害。

明らかに日本の気候が変わってきているのを、ひしひしと感じる。

もろく崩れやすい土壌の斜面に、上の方まで住宅地が開発されているというのは
私の出身地・神戸も同じで、実際に神戸でも土石流が発生して大災害になった過去がある。
そんなこともあって、本当に、災害はよそごとじゃないと痛感している。

東日本大震災の後、地震も起きやすくなっているというし
「記録的」「過去に前例がない」といった激しい気象現象がこれだけ多発するようになると
いつ、どこで何が起こってもおかしくない。
豪雨+地震、といった複合的な災害が起こる可能性もある。

防災の日(関東大震災の起きた日)も、もうすぐ。

万全の備えをしたつもりでも、思いがけないことが起こるのが、災害だけれども
できる限りのことはしておきたい。

最近の災害を見ていると
行政からの指示や気象庁からの発表を待つのではなく
自分から情報を集め、周囲の状況に注意して
自分自身の判断で、いち早く身を守る行動を取ることが、どれだけ重要かがよくわかる。

「何かおかしい、いつもと違う」という感覚は、おそらく、案外正しい。

気をつけよう。



ブログを再開すると言っておきながら、大変お久しぶりの更新になってしまいました。
世間はちょうど、お盆休みですね。

早春に神経痛発症、どんどん悪化→レントゲンとMRIで異常発見→簡単な整形外科手術、と
今年もまあ見事に多難な日々が継続中で、落ち着いてパソコンに向かう余裕がありませんでした。

手術後なので今も脊椎を固定したままの生活なのですが、猛暑の中、体に補装具を巻いたまま
過ごすのは、とんでもなく暑いし、とにかく厄介。

傷口がふさがるまではお風呂にも入れない、といった問題もあるので(私の場合、丸一ヶ月)
どんな軽い手術であれ、時期が選べるなら絶対に寒い時期に限る、と改めて痛感した次第。


さて、お盆。


親が真面目に無神論者をやっていたおかげで
日本で生まれ育った日本人なのに、仏教も神道もまったく詳しくない私。
大人になるまで、仏壇と神棚の区別すらついていなかったくらい。

お盆に祖父母のところへ帰省するなんてことも、したことがなかったので
お盆は特に、謎めいた行事だと思っていた。

祖先が家に帰ってくるのをお迎えするというのに、墓参りにも行くなんて
そこからして不思議すぎる……。

けれども、いつだったか、しばらく前にTwitterで回ってきた説明が非常にわかりやすくて
最近では少し、日本の仏教徒の感覚がわかってきたような気がする。

うろ覚えだけれど、大体こんな感じの説明だった↓

  人が他界すると,49日かけていくつものイメージファイルが
  あの世というサーバに転送される。
  49日過ぎるとこの世からのログインが可能になって、こちらからアクセスすると
  あの世に送られたファイルをもとに故人のイメージが再構成される。

  お盆に戻ってくるのは、ファイルのバックアップを取るためだと考えてもいい。

  命日や回忌法要などの行事を経て転送が完了すれば、故人のイメージは仏壇・お墓・
  遺品など、この世のさまざまなアクセスポイントからつながることのできる
  クラウド対応となる。

いや、決して、人の死をちゃかしているわけではない。

亡き人の存在をおびただしい量のデータになぞらえ、自分が普段使っている情報保存システムの
枠組みを使って説明してもらうと、お墓にも仏壇にも話しかけたりお供えをしたりする、という
不思議な供養のしかたが、何だかすとんと理解できるように思えたのだ。

今年は、これに加えてもう一人、わかりやすい説明をしてくれた人がいた。
テレビのニュースで拝見した、お盆の入りにお墓参りに来ていた方が、インタビュアーに
「午前中にお墓参りをして、午後には家にお迎えします」と答えていたのだ。

なるほど!とても納得しました。

帰省した家族やご先祖さまを家に迎えて、和やかなお盆の時間を過ごされますように。