前回<術後当日~翌日>、今回の記事<2日目・3日目>・・・と、
内容がちょっと重複するかもしれませんが、スミマセン。
術後翌日もまだ立ち上がれなかった私。
オムツを替える事も出来ないため、
面会に誰かが来るとき以外はJr,は看護師さんにほとんど預けていました。
そんな中、母乳を初めてあげたのは産後18時間経ってから。
帝王切開の人は自然分娩の人と比べると母乳が出にくいと聞いていたし、
なんだか予感的に自分は母乳が出ないのだろうな、と思っていたので、
乳首から透明の液体が出ているのを見た時は感動してしまいました。
Jr,の小さな小さな口におっぱいを持っていくと、
目を閉じながらも必死で吸ってくれるわが子の姿に胸キュン。
何だか愛しくて、いてもたってもいられず携帯でパチリ。
すぐさまパンダ氏に送ってしまいました(笑)。
この日はまだ水分の許可が下りていなかったのですが、
死ぬ程のどが渇いていたのでガーゼを巻きつけた棒を水に浸したもので、唇や口内を濡らしてもらいました。
その程度でも十分・・・とはいえないけど、久々の水分がおいしくておいしくて・・・。
パンダ氏が帰ったあとは、3回に2回くらいは我慢して、あとの1回だけ看護師さんにお願いしていました。
忙しそうな看護師さんにお願いするのって、すごく気兼ねしてしまい。。。
私が出産した産院もやはり母乳を推奨するところでしたが、帝王切開?だからなのか、出産当日からミルクは与えてもらっていたみたいです。
その産院では出産予定の患者にはダイアリー(通称・苺日記)が渡されるのですが、出産や育児に関して産院側に要望を書く欄があり、私がそこに混合okと書いてあったから、ミルクをくれたのか?もしれません。
おまけに私、自分の乳首が弱いことは以前からわかっていたので
「出来るだけ努力はしますが、無理してまで母乳にはこだわっていません」と、はっきりキッパリ書きました。
今思うと、何を書こうがきっと絶対的に母乳を与えるように指導されていたとは思うのですが。
術後当日よりも子宮の痛みの方が強く感じられ、深夜の3時にナースコールで痛み止めを求めたところ、
看護師さんが、産後の戻りが遅くなる?という理由でくれませんでした・・・。
きっと、術後当日に痛み止めを求めなかったので、翌日のこの日は必要ないと判断されたのでしょう。
そのあと1時間後に見にきた看護師さんが、病室で眠れずに弱っている私を見かねて、痛み止め?の座薬を入れてくれました。
不思議な事に、その後瞬時に眠りにつく事が出来たのです。
後陣痛は効かないはずなのでは・・・???
もっと痛み止めを使わせてくれると思っていただけに、この体験は私にとって一番ショックでした。
2日目に水分の許可が下りた時には、水分がぶ飲みでした。
パンダ氏が病院に来るとき、何が飲みたいかリクエストを聞いてきてくれたのでカルピスウォーターをお願いしました。あの時無性にカルピスウォーターが飲みたくて仕方がなかったのはなぜだろう?(笑)
Jr,はまだまだ看護師さんに預かっていただく時間が多かったです。
点滴は相変わらず子宮収縮剤と抗生物質。
あまりの痛みに一睡もできていなかったので、体力が著しく消耗していました。
母子同室でもないのに痛みのせいで睡眠もほとんど取れなくて、食欲もまったくなくて。
これでは母乳が出るはずもない・・・。
3日目にようやく食事の許可が出ました。
まずは重湯からだったのですが、添えられていた梅干しの酸っぱさに回復を実感。
3時と8時におやつが出る産院だったのですが、やはり食欲が無くてほとんど口にすることができず。
それでも何とか頑張って穀物とか野菜だけは無理やり食べるようにしました。
食べると腸が活発になるのがわかって、便が頻繁に出るようになりそうで怖かったのです。
案の定食事を取れるようになると一日に一回はお通じがありました。
でも、最初は食べたもの(重湯とかおかゆとか)と同じくらいの固さだったので案外スムーズに。
そのうち段々歯を食いしばるような痛みへと変化。回復には常に痛みがセットで付いてくるのでした。
それに加えて、看護師さんたちの熱血な母乳指導。
時にはこちらの気持ちを無視して強めな意見をされることもしばしば。
看護師さんによって言うことが180℃違うのには困り果てました。
それについては【授乳について】のカテゴリーでいずれ詳細を書こうと思います。
日に日に良くなっていっている感覚が術後4日くらいで止まった気がします。
結局、退院後2週間くらい、まではずっと痛かった子宮の収縮。
自宅には電動ベッドがないので起き上がるときに腹筋を使う際の激痛なのなんのって。
トイレも痛い。お風呂も痛い。椅子に座って立ち上がる時も声を上げていました。
がに股でおばあさんのように腰を曲げて歩いていましたが、歩くのもまともに歩けなかったです。
振動が伝わるたびに子宮がきりきりキリキリと、縮む感覚が痛くて痛くて。。。
パンダ氏の両親やパンダ氏が本当に退院してよかったの?というくらいでした(笑)。
まあでも、退院の2日前に看護師さんが退院希望日をたずねてきて、私が本当は早くにも退院したいのですが・・・(まだ傷が痛むし・・・と続けるはずでした)、と言うと、看護師さんは当初の予定だった一週間(つまり2日後)で退院できますよと、なんだか押し切られてしまった感じで。
おまけに「まだいたかったら、もっといてもらってもいいんだよ?」なんて、
なんだか子供相手に言い聞かされているような気分にもなり。
なんとなくですが、「早く出て行って」と言われているような気がしないでもなく(笑)被害妄想?
それなら、最短でお願いしますと言わんばかりに、私は退院を決意。
どちらかというと、入院している方が私には過酷でした。
家でマイペースにやれる喜びをひたすら夢見て、退院当日に臨みました。
家の掃除とほ乳びんの消毒は、パンダ氏の母が前日・当日にしてくれていたようで。
私は私で朝からバタバタとしていました。
前日から2日にわたっての沐浴指導(この日は実地)。
退院後の注意事項の説明と私の診察。その後パンダ氏到着。
最後の最後で青い鳥柄のサマードレスをパンダJr,に着せた時の喜びは言い表す事ができません。
看護師さんに呼ばれるかと思いきや、予定の10時を過ぎても音沙汰なし。
そろそろと覗き込むように、ナースステーションを訪ねて退院を申し出たのでした。
生まれて初めてのチャイルドシートはパンダ氏が装着させていました。
なんだかぐっすりおねむ~のJr,と、車の振動で痛がる私を乗せて帰りに薬局へ。
粉ミルクを買って無事帰宅。
そして私の下手っちょ育児がスタートするのでした~
アリスの反応はというと・・・何だか微妙でした(笑)。
詳細はまた折を見て別カテで書きたいと思います
なんだかいつもにも増してとりとめのない文章でごめんなさい。
内容的にも本当に書きたかったことのいったい何パーセントだろうって感じです。
でも、とにかく素晴らしい体験ができたし、今となってはすべてに感謝と思えるし、命の尊さを身にしみて感じる事が出たのでオールOKな感じです。
この先想像を絶するような辛い時が来ても、この、人生で一番痛かった出産記を見れば絶対に活力になると思うので、やっぱりなんにでも意味はあるんだなって思います。
まだまだ睡眠不足の中、たまった家事をこなすのに精いっぱいですので(笑)、はてさて次の更新はいつになるやらですが、体力にいくらか余力があるときには必ず更新したいと思います。
長い、つたない文章を最後まで読んでくださりありがとうございました