2023年7月19日
あなたに非があったとしても、自分の機嫌くらい自分で取れない方が圧倒的に悪い。
『「自分を大切にする事」
これはなかなか難しい…。自分の感情を素直にだす事によってストレスが無くなるか?というとこれが逆にストレスの素になってしまうこともあるので。同じベクトルの人は同調してくれるから勿論ストレスフリー。違う考えの人だと反論されたり不機嫌になったりする人もいるから、それが元で人間関係がぎくしゃくしたりして、感情を出すか出さないかは中々難しい…( ̄^ ̄)ゞ
ストレスを溜めたく無いから言ったことが後にストレスになってしまうし、このタイプのストレスはズルズルとスッキリしないままモヤモヤが続く感じかなぁ。私の場合ですが相手が意に沿わない事をしたり言ったりしたら、どうしてそうしたのか聞いて自分のおもいを言うかな。まあ感情的になる時もあるけどねー😅人間関係はお互い様で成り立ってると思うので、その後の関係を考えて多少の不本意な事はあえて表に出さず流してます。
自分を大切するってなんなんでしょうね、
なんだか論点ズレズレですみません💦』
先月22日、首都圏在住の友人から(コメント)メールをいただいていた。
あとで返信するね、と言いつつ、なかなか返信出来ずにいたのだが。
返信出来なかった第一の理由は、朱鷺(shuro)にも未だ「よく分からなかった」からだ。そして第二の理由は時間がなかった。「時間」というのは、自分と向き合う時間という意味で、朝から晩まで忙しかったという意味ではない。
あまりの雨続きで、外作業があんまり出来ず、鶏たちもあんまり外に出してやれず、で過ごすこと数日。加えて、異常な睡魔が襲ってきて、家の中で何かしようとしても頭が眠くてうとうとしてしまう、という現象が起こって、参っていた。
「自分を大切にする」
って、そもそもどういうことだろう?
という俺の堂々巡りに対して、実はあっさり答えをくれたのが、身近なカウンセラーさんだったりする。
いや、いろんな方がいろんな言葉で同じことをおっしゃっていて、その言葉を何度も目にして、「ほほう、なるほど」と何度も心に刻んできた筈なのだが、腑に落ちていなかったというのか。
首都圏在住の幼馴染が連絡くれたときはまだ堂々巡りの最中で、だから、返信出来なかったのだが、「行動として出来るかどうかは別だが、少し、腑に落ちた気がする」ので、返信に替えてこちらでぐだぐだと語らせてもらっている。
友人が贈ってくれたアドラーの言葉にも、多大なヒントがあった。今改めて読み返して、ちょっと涙が出そうだ。
『露骨に不機嫌な態度を取られても、自分を責めなくて良いんですよ。
あなたに非があったとしても、自分の機嫌くらい自分で取れない方が圧倒的に悪い。』
ああ、はるほど。
そして、思い出した。論語を。
「吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ふ。
七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰えず(こえず) 。
私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった」
っていうやつだ。
これに沿って人生を歩むならば、良い大人になったなら、自分の機嫌くらい自分で取れよ、ということになる。うん、正しいよな、と思える。相手に非があるから不機嫌をあらわにする、ってどんだけガキなんじゃ。ムカついても、それを自分で収められるようになりたいよ、俺は。
『許せない人を許すことは、許せない人を幸せにしてやることではない。
許せない人を許すことを通して、自分を憎しみや悲しみから解放することなのです。』
これね、実は海外ドラマ「メンタリスト」で主人公が、義理の弟さんに言っていたんだ。主人公と結婚した彼のお姉さんは、頭のオカシナ犯罪者に殺されてしまった。それは主人公がその犯罪者に対してメディアで不用意な発言をしてしまったからだった。だから、お姉さんが大好きだった彼女の弟は主人公を恨んでいる。だけど、主人公は言ったんだよ。僕のためじゃなくて、君自身のために僕を許して欲しいと。恨み続けること、憎み続ける地獄はつらいから、と。
「感情」にフォーカスする必要があるのは、「自分」に対してだけ。
相手の感情は、相手が処理するしかない。
だから、相手の気分を害してしまったとしても、それはもう相手の問題。
そもそも、ニンゲンは、自分に同じ要素がないものに対しては心に留めない。相手がこちらの言動に寄って気分を揺らされているのは、相手の中に同じものが存在しているから。だから、その相手の中にあるものを宥めて開放すること自体、相手にしか出来ないこと。
まぁ、我が家のカウンセラーさんが言ったのはそういうことだった。
あ、なるほど。
と再び思って、今度こそ腑に落ちた。
相手の課題。
自分の課題。
それをごっちゃにして、相手の分まで苦しんであげる必要はないのだ。そんなことしたって、そもそも、相手の役にはまったく立っていないのだから。