2023年2月9日
発信するということ、記録するということ
昨日、突然、パソコン端末が画像を読み込まなくなった。画像データが壊れた訳ではないみたいなのだが、なるほど、これがデータというものだなぁ、としみじみしてしまった。
今日、りんかにちょっとパソコンを見てもらったが、原因不明。
文章にしろ画像にしろ、パソコンで作成・保存しているものはデータに過ぎない。印刷して手に取れる状態にしておかない限り、電気が使えなくなったり、こうやって端末が不具合を起こしたりした途端、幻となって消え失せる。
記録は、手書きで紙に残すべきかも知れない。
なんというか。
この混沌とした世界、いつ、別次元に移行したり、今までの常識がひっくり返ったりすることもあるかも知れないし、地震や気候変動で何もかもリセットされる可能性だってある。
発信することの必要性も実はよく分からない。
朱鷺(shuro)の場合、友達が見てくれているので、その方々への近況報告と、そもそも「書くこと」で昇華していることが多いから、そして、見ず知らずの誰かがそれで何かのヒントになってくれたり、何かを感じてくれたりしたら良いな、という程度だ。
ということで、写真テータが使えないことに対する弊害とか不便さとかを考えながら、だけどこれももしかして「何か」メッセージなのかも知れないとも思ったり。
ちゃんと原因を調べて直せば?
というのは、ごもっともなんですが、そもそも何をどう調べて良いのかさっぱり分からんのです。