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Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…


paris13


佳き出会いのつながりの先に、また新しいつながりを確かにつなぐクローバー

それは何も異国の地であるから生まれるものではなく、世界のどこであれ、日本のどこであれ、生まれるものだと思う。

「心がけ」一つで、人はどんなつながりの中にも自分を見出すことが出来る、私はそう思っています。


たとえば…

理系とは全く縁のない私。

大学も仕事も理系とは全く関係のない仕事。

文系人に囲まれていたせいか、理系の友人すらほぼゼロでしたからべーっだ!


いつかしら、さまざまな人と会うこと、交流することが自分にとって苦ではないことに気づきました。

そして掛け目なく、魂胆なく人と向き合うことで、世界が格段に広がっていくことに気づきました。


その方と時を同じくし席を前後したのは、数年前のことでした。

不思議な縁で知遇を得た大先輩が講義をつとめる特別講座に陪席させていただき、とある分野の祖であり開拓者である人物についてとても興味深い内容に、時の立つのがあっという間だったことを覚えています。


学会や、華やかな会合や、大きな講演会というわけでもない、通常の教育施設の小さな教室で学生相手に行われた特別講義でした。

世界的研究者であるその方は開始の直前に、周囲に気遣いをさせないように静かに席につかれ、講義が終わるとまた主役は講義をした人であるというかのように、また自らの存在感を示さないように静かに席を立たれていました。

あとあと伺ったところでは、その日の講義の開催にあたって配慮が行き届いていたかを至極気にかけていらしたとか。


百科辞典のように世の中のことを何でも知り尽くした気分になり、社会とつながっていることだけに命をかけて、あいつが気に喰わぬと怒ったり、人から無視されたといって気を滅入らせ、それでいて往生際が悪く、ここ一番という引き時になっても執着を捨てられない、そういった中で何かとつながったように錯覚している人たちには決して出てくることのない言葉と感情シラー

この人とこうしていたら、こんな人と会えるかもしれない。

あの人にこうしておけば、あんなこともしてもらえるかもしれない。

・・・そんな計算やその場しのぎの魂胆から生まれるつながりも、新たなつながりもありません。


先日、有数の栄誉ある賞を受けられたとの報せを受け、そのときの記憶が鮮やかに甦ってきました。

「自分が何か偉いことをしたわけではない」

その発言を聞いて、これこそまさに取り繕うわけでも、喜びを悟られないようにするための言葉でもない、先生の心からの言葉だと思いました。

早速、お祝いを伝えるべく関係する方々に連絡を入れました。

その中で、講義の場に私を招いていただき、忘れえぬ瞬間と学びの機会を与えてくださった大先輩の言葉に、また心をとても動かされました。

自負をもって同じ分野に携わり、多くの業績を残して後進を育てていらしたその方のメールにはこうありました。

「心から誇らしく思います。」

・・・なんと美しい言葉でしょう虹

ただの祝意だけではなく、敬意に満ちたこれ以上の言葉を言える人間に自分はなれるだろうかと。


会うはずのない人々と会する機会に恵まれ、これほど美しい言葉に会することの出来ました。

ここから学ばずにいてバチがあたるというものです。

誇らしい気持ち、そういう言葉を自然に出せる、そんな人生を送っていかねば・・・。



angers

2015年、夏の旅。

滞在の最終日に訪れたのがロワール地方アンジュ。

ロワール地方、初めて訪れる私にとっては未開の地でした。

これまた縁の面白さ、恵みを存分に感じるものでして…音譜

夏が始まろうとする頃、一本の電話がかかってきました。

仕事でお世話になって以来、ご縁の続いている方からでした。

キーワードは高峰譲吉博士目

アドレナリンやタカジアスターゼの発見をはじめ、バイオテクノロジーを開拓した博士は、それによって莫大な財を築く一方で、親善活動にも熱心に取り組んだ人物でもありました。そんな博士にまつわる仕事で知遇を得たのがご縁の始まりでした。


人生の大先輩でもあり、広い人脈を築いていらっしゃって何かと取次をしていただいたり、機会を見つけてはワインをご一緒したり、またさまざまなお話を聞かせていただいて、違った視点からモノを見ることの大切さを教えていただいていましたワイン


ただ、残念なことに足の具合を悪くされて、歩行に支障がありしばらくお目にかかれていないのですが、時折メールなどで近況をお知らせいただいていました。

電話の内容は、手術後の回復ぶり、そしてフランスからの愛弟子の来日を喜ぶものでした。長く酵素研究に携わって幾つも会社を再生させてきたその方が、特に目をかけていたのがそのフランス人で、彼自身今や酵素ビジネスで会社を成功させているそうです。そしてなんと、フランス人でありながら高峰博士の大ファンという異色の人。すごいネットワークだなぁ…とつくづく感心。いつまでも思考回路が若々しい秘訣は、垣根無くさまざまな人と関われる柔軟さを持ち合わせいるからなんだなぁと電話で話をしながら感じたものです。

そのとき、たまたま渡仏計画があることを話すと、「それは素晴らしい」とあれよあれよという間に、「滞在中、どこかで都合がつくといいね」と愛弟子のフランス人に取り次いでくれました星


広く豊かな交友関係を持つ人たちに共通しているのが、この「取次ぎ」をいとも容易に、自然に、そして涼しげにしてくれるということです。そして決してその交友関係をひけらかすことをしません。ゆとりというか、余裕というか。

人と人をつなぐことでまた別の縁が生まれ、それは廻りまわって自らの輪を広げることになることを充分に分かっているのでしょう。

縁は「円」でもあるんですねクローバー

やたらと人脈を誇る割に、人と人をつなぐことは決してせず、つないでもらうことだけに傾注する人たちもいます。でも見渡してみると、視界良好なのは圧倒的に前者に多く、後者は独りよがりの堂々巡りが続くのみ。

さて、フランスの縁はいかに?はてなマーク

文明の利器を活用して、送られてきた写真で顔を確認、そして日程の詳細はメールで。

待ち合わせ場所はパリからアンジュに変わり、日程はフランス人のシカゴ出張も重なり、まさに大西洋をまたいでメールのやりとりが続きました。

パリを出発して2時間弱、アンジュに到着しました。

初めての土地、そして初めて会う人、それもここは日本ではなくフランス。

駅のホームに降り立つもそれらしき人は見当たらず、ひとまず駅舎に向かうも列車の遅延もあって大混雑…う~ん、それらしき人もいない…

と雑踏の中に見覚えのある長身のフランス人を発見!

「もしかして?」…はい、会えましたニコニコニコニコ

全くもって初めての出会いは握手と自己紹介から。

それでも打ち解けるのに時間が必要なかったのは、共通のテーマ「高峰博士」を語りだすと止まることなく会話が続いたから。まるで人と人をつなぐ天才でもあった博士が今の世に降りて来てつないでくれた新しい縁にも思えました。

その日の夜にフランスを離れるため、アンジュ滞在は短かな慌ただしいものになってしまいました。

キャッスルを一つ訪ね、アンジュを見下ろす丘の上に立ち、再訪を約束して私は空港に向かう列車に乗りました飛行機


ただ無為に日常に流されて、否定されること、指摘されることを嫌い、緩慢に居させてくれるだけの環境に身を置くと、その先に待つのは無意味で成長のない独りよがりの人生しかない。


意識をもち、有為に昨日より今日、今日より明日を見て、時に否定を受け入れ、正すべきは正しながら、貫くべきは貫く…その先には潤いに満ち、より広がる人生が待っているベル


自分に都合の良いことだけを見て、何か自分が優れた人物であるかの錯覚にとらわれ、人を肯定するのではなく否定することしか出来ない人間がいる。またそれを苦々しく思いながらも、長いものには巻かれるべしと迎合しては陰でそれを否定する人間もいる。

人の数だけ人の人生があることを理解しようと努力し、それぞれ信条、立場、趣向を持ちながらも時に穏やかに時に毅然として、人を肯定することから人と向き合う人間がいる。

ただ与えられることだけを当然として求める人がいる。

与えられないことへの不平ばかりを口にする人がいる。

与えられた分を返すことで、より与えられることを理解している人がいる。

人はいつでも意識一つで変わることが出来ると私は信じる。

その意識一つでやがて周囲が、ひいては人生は大きく変わってくる。

どんな人と出会うか、どんな人と会するか、そしてどんな輪の中に身を置くか。

私はより広がる世界の中で、与えられた分の幾分かでもお返ししながら、願わくば佳き輪の中に身を委ねたいと思う。

不思議の出会いの連続と、恵みの時間に身をおいて、そんなことを思いましたチョキ


troyes

ルーアンをあとに一路、パリへ向かうことに。

次なる目的地はシャンパーニュ地方トロワ。

サンラザール駅から東駅への移動がまず最初の関門。

メトロで迷わなければ、充分間に合うはず。

…不安は的中せずニコニコ、無事に東駅に到着。

トロワ行の列車も少し遅れているようで、駅構内でしばし休憩。

東駅はブラッセルやフランクフルト行きの国際列車なども発着する大きな駅。

いろ~んな人がいろ~んな状態で集まってきます。

よって身の回りには充分注意が必要です。

トロワという町を知ったのは、ガイドブックで「シャンパンのコルクの形をした街」と紹介されていたのを目にして本

トロワに到着して旧市街の地図を見ると、なるほど!してます、コルクの形!

人もまばらな駅前をテクテクと歩き、人気のする旧市街へと進みました。

重ための空模様、時折のぞく太陽。

せっかくのシャンパーニュ地方!そろそろシャンパンをいただこうかと辺りを見渡しますが、あれ??シャンパン飲んでる人いない???

カフェやレストランはあって人々が集ってはいますが、みんなビールかソフトドリンクを手にしている光景しか見当たりません。

同じシャンパーニュ地方でもランスで見かけた光景とは全く違います。

なるほど来てみないと分からないものですね得意げ

街自体は中世の街並みが今に伝えられる歴史を感じさせてくれます。

大きな聖堂も幾つかあり、しばし静寂のときに身を置いてまったり。

それもそのはず、この無謀な大移動を旅の終盤で敢行するのですから、体も疲れてきますって。

ステンドグラスを見上げ、どこかしらから聞こえる聖歌に耳を澄ませ、時のたつのを忘れて時のなかに身をおく。

思えば遠くに来たものだあし

パリに戻る途中、車窓から見たのが、なだらかに広がる畑の見事な緑の先に家がポツンと立つ風景。

今も鮮やかに心に残っています。

もしかしたらそういう何気ない一瞬が、写真を見ずとも心の中に色あせることなく残っていくものなのかもにひひ

まだまだ明るいパリに到着したのが630分を過ぎた頃。

モノプリに立ち寄り、シャンパンと夜食の食材を買い求め宿へと向かいます。

今回の旅の最後の夜。

穏やかに、ただただ穏やかに時は過ぎていきました満月


ふたたびのつぶやき…思えばほんとうに遠くに来たものだ…あし




rouen


ルーアンに到着音譜

駅を出てまっすぐにはしるのがジャンヌ・ダルク通り。

この道沿いに進めばルーアン大聖堂にたどり着くはずです。

空はあいにくの曇り空。時折雨がポツリポツリ。

でもこんなのサンマロの嵐に比べれば何てことありません!

人もまばらで少々不安を感じながらも駅から徒歩で15分もすると、大きな時計が見えてきました。

石畳の路地が、趣きがあってとても素敵ですニコニコ

モネの描いた大聖堂はその時計を過ぎ少しすると、突如、威容を誇って現れました。

おぉぉ、コレが!!アップ

モネ独特の淡い色合いの重なりが描いた大聖堂、その本物がまさに目の前に。

は~、本当に贅沢ですね。

モネはここあたりに座ってデッサンをしていたんだろうか…などなど考えていると頭は完全にタイムトリップしていました。

この大聖堂ともう一つ訪れたかったのが、かのジャンヌ・ダルクが処刑された場所。

聖堂からさほど離れていない場所にあり、今はジャンヌ・ダルク教会が建てられているあたりがその悲劇の場所だったとか。

こういうとき、うろ覚えではなく、フランスの歴史をもっと勉強してきたら良かったなぁと思うことしきりガーン

だんだん冷えてきたので、カフェを見つけて立ち寄ることに。

暖かいコーヒーをいただいて、キッチンから薫るバターの香りに包まれる至福のひととき。

大きな窓から曇り空を見上げると、何だか心に流れてくるのがシェルブールの雨傘。

我ながら、単純…。

旅に出るとふとした瞬間に流れる曲が、その旅を思い出す忘れ得ぬ音となることがあります。

今回は、このシェルブールの雨傘、そしてシザーハンズのテーマ。

この曲を聴くたび、私はこの旅の時間を思い出すことでしょう。

午後のトロワ行きに間に合うように、パリに向かう列車に乗るため来た道を戻ります。

ブルターニュ地方、ノルマンディ地方と移動した旅。

残すはシャンパーニュ地方、そしてロワール地方です黄色い花




metro

パリの滞在にはアパルトマンタイプのものを選びましたチョキ

初めてのチョイスでしたが大正解。

難をいえば、もう少し長く滞在したいなぁ~という帰国拒否気分になったことくらいにひひ


近くのモノプリに出かければ美味しい食材や、

インスタントといえども侮れない秀逸な食品がたくさん。

おまけに見たことのないシャンパンもあれよあれよと…ニコニコニコニコ

ブランジェリーに行けば「何が違うの?」というバケットがあり、もちろんデザートも逸品揃い!なんて幸せな音譜

翌日の行程は今回の旅で一番の「分刻み」移動。

まずはバリからノルマンディ地方をめざしルーアンへ。

ルーアンから戻ってパリからシャンパーニュ地方トロワへ。

トロワからパリに戻り、最終日に向けて荷造り…という一日。

既に書きましたが、パリには大きな鉄道駅が複数あり、行先によって駅が異なります。

メトロかバスかタクシーかで移動するしかないのですが、慣れていないこともあって、パリの交通機関って結構曲者なのです。

まずはパリ~ルーアンの行程を。

出発はサンラザール駅。

ここはノルマンディ地方への列車の出発駅。

また、モネがその作品に描いた駅でもあり、絵を見て感動した私は、過去にパリを訪れたときに駅舎を見に行きましたあし

今回はそのサンラザール駅から電車旅。

窓側の席に陣取って、いざ出発。

少しすると周りの景色が穏やかに変化していきました。

曇り空だったパリから離れるにしたがい、青空がのぞき美しい緑が田園風景をより輝かせています。


車窓からの風景を見ながら、今さらながらに認識したのが「そうか、ここにモネやルノワールがいたんだ」ということ。

気付くのが遅い??叫び

本やインターネット上で知った知識は頭にしっかりインプットされてはいるのですが、実際にその場所に自分がいると、あえて気づかないものなんですね。

何度経験しても、本当に不思議な感覚。


そしてその瞬間は突然訪れるのです。

このときは小さな小川、年輪を重ねた大木が水面に達するほどにしたたらせた枝葉、そして浮かべられた小さな小舟、流れに沿って建てられた小さな船着場付のハウス。

それはまさに印象派の画家たちが好んで描いた絵、そのものの光景でした。

感動にウンチクは要りません。

ふと涙腺が緩んでいましたから星

今でこそ、印象派の評価は確たるものですが、その登場はあまりに衝撃的で決して好意的なものではありませんでした。

創作を続けた印象派たちは、サンラザールの駅を出て鉄道を使ってこの地、そしてノルマンディの海をめざして訪ね歩いたのでしょう。

遠くを見やるとポプラ並木が揃って飄々とした様子で並んでいます霧

これもいつか見た絵に、そのままの景色があったような…

絵を実の景色で見る、こんな贅沢、あるんですね。

メモルノアールは長く患っていたリウマチの影響で、晩年には絵筆を握ることはほぼ困難でした。

それでも彼は、屈折した指の間に絵筆を挟んでキャンバスに臨み続けたといいます。

筆舌に尽くせぬ苦痛に満ちた創作のなかで、彼が描いたのは人の善き姿でした。

人の一生が決して楽しみや明るさだけで彩られるわけではなく、人の一生は苦痛や困難に満ちているものであることを自身が何より分かっていたとしても、彼は自然のやわらぎを、そして人の善き面を描き続けましたヒマワリ

モネは少し違うかもしれませんが、彼もまた浮き沈みの激しい一生を送った人でした。貧困のなか、絵を描き続けますが妻はモネと子どもたちを残して若くして息を引き取ります。彼は妻が永遠の眠りについた様子をその作品に遺しています。

再婚して、作品が認められ生きる力を取り戻して精力的な創作を続け、あの「睡蓮」の連作に取り組んでいきます。

一瞬の光を愛した印象派の画家らしく、睡蓮の絵はあるときはみずみずしく、あるときは深々と、あるときは彩りを増して、季節の流れるまま、そして光のままに描かれていきます。

しかし晩年になるとその色合いはどこかうつろで、どこか沈んだ睡蓮の絵が描かれていきます。

白内障を患ったモネは、徐々に視力を失い、彼があれほど愛した「光」を判別できなくなっていたといいますしょぼん

それでも彼は描き続けました。それも自分の生き様であり、自分の生きてきた証であることを表現するために。

絶望の闇を己自身で知った彼らの生きた証は、今も世界中の美術館で次を生きる世代の人々を魅了しています。

善きことのために。

暗闇よりは光を。

あるがままに。

そして光のままに。

さぁ、ルーアンに到着の頃のようですベル