パリの滞在にはアパルトマンタイプのものを選びました
。
初めてのチョイスでしたが大正解。
難をいえば、もう少し長く滞在したいなぁ~という帰国拒否気分になったことくらい
。
近くのモノプリに出かければ美味しい食材や、
インスタントといえども侮れない秀逸な食品がたくさん。
おまけに見たことのないシャンパンもあれよあれよと…![]()
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ブランジェリーに行けば「何が違うの?」というバケットがあり、もちろんデザートも逸品揃い!なんて幸せな
。
翌日の行程は今回の旅で一番の「分刻み」移動。
まずはバリからノルマンディ地方をめざしルーアンへ。
ルーアンから戻ってパリからシャンパーニュ地方トロワへ。
トロワからパリに戻り、最終日に向けて荷造り…という一日。
既に書きましたが、パリには大きな鉄道駅が複数あり、行先によって駅が異なります。
メトロかバスかタクシーかで移動するしかないのですが、慣れていないこともあって、パリの交通機関って結構曲者なのです。
まずはパリ~ルーアンの行程を。
出発はサンラザール駅。
ここはノルマンディ地方への列車の出発駅。
また、モネがその作品に描いた駅でもあり、絵を見て感動した私は、過去にパリを訪れたときに駅舎を見に行きました
。
今回はそのサンラザール駅から電車旅。
窓側の席に陣取って、いざ出発。
少しすると周りの景色が穏やかに変化していきました。
曇り空だったパリから離れるにしたがい、青空がのぞき美しい緑が田園風景をより輝かせています。
車窓からの風景を見ながら、今さらながらに認識したのが「そうか、ここにモネやルノワールがいたんだ」ということ。
気付くのが遅い??
本やインターネット上で知った知識は頭にしっかりインプットされてはいるのですが、実際にその場所に自分がいると、あえて気づかないものなんですね。
何度経験しても、本当に不思議な感覚。
そしてその瞬間は突然訪れるのです。
このときは小さな小川、年輪を重ねた大木が水面に達するほどにしたたらせた枝葉、そして浮かべられた小さな小舟、流れに沿って建てられた小さな船着場付のハウス。
それはまさに印象派の画家たちが好んで描いた絵、そのものの光景でした。
感動にウンチクは要りません。
ふと涙腺が緩んでいましたから
。
今でこそ、印象派の評価は確たるものですが、その登場はあまりに衝撃的で決して好意的なものではありませんでした。
創作を続けた印象派たちは、サンラザールの駅を出て鉄道を使ってこの地、そしてノルマンディの海をめざして訪ね歩いたのでしょう。
遠くを見やるとポプラ並木が揃って飄々とした様子で並んでいます
。
これもいつか見た絵に、そのままの景色があったような…
絵を実の景色で見る、こんな贅沢、あるんですね。
ルノアールは長く患っていたリウマチの影響で、晩年には絵筆を握ることはほぼ困難でした。
それでも彼は、屈折した指の間に絵筆を挟んでキャンバスに臨み続けたといいます。
筆舌に尽くせぬ苦痛に満ちた創作のなかで、彼が描いたのは人の善き姿でした。
人の一生が決して楽しみや明るさだけで彩られるわけではなく、人の一生は苦痛や困難に満ちているものであることを自身が何より分かっていたとしても、彼は自然のやわらぎを、そして人の善き面を描き続けました
。
モネは少し違うかもしれませんが、彼もまた浮き沈みの激しい一生を送った人でした。貧困のなか、絵を描き続けますが妻はモネと子どもたちを残して若くして息を引き取ります。彼は妻が永遠の眠りについた様子をその作品に遺しています。
再婚して、作品が認められ生きる力を取り戻して精力的な創作を続け、あの「睡蓮」の連作に取り組んでいきます。
一瞬の光を愛した印象派の画家らしく、睡蓮の絵はあるときはみずみずしく、あるときは深々と、あるときは彩りを増して、季節の流れるまま、そして光のままに描かれていきます。
しかし晩年になるとその色合いはどこかうつろで、どこか沈んだ睡蓮の絵が描かれていきます。
白内障を患ったモネは、徐々に視力を失い、彼があれほど愛した「光」を判別できなくなっていたといいます
。
それでも彼は描き続けました。それも自分の生き様であり、自分の生きてきた証であることを表現するために。
絶望の闇を己自身で知った彼らの生きた証は、今も世界中の美術館で次を生きる世代の人々を魅了しています。
善きことのために。
暗闇よりは光を。
あるがままに。
そして光のままに。
さぁ、ルーアンに到着の頃のようです
。
