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Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…


eastriver


世界を旅するなかで、「ある瞬間」に身を置くことがあります。

それは音と共有する、旅の「ある瞬間」。

人や車の行き交う雑踏の中、また逆に無音に近い絵や、歴史に向きあっているとき。

ふと耳を澄ましたときに耳に届く偶然に流れる音楽を耳にするとき。


やがて旅が終わり、日常に戻れどもその音を聴くと、瞬時にその旅にタイムスリップ出来ますチョキ


スター島からの帰り、満天の星空を見ながら聴こえた'Wonderful Tonight'。

初めてのニューヨーク、遠くに霞むスタテン島と自由の女神を見たときに浮かんだ"Let the River run"

パリの地下鉄の中で少年が車両から車両に弾いてまわっていたバラ色の人生。

生きる力を取り戻させてもらって、JFKで搭乗待ちのときに聴いた"My one true friend"

モルガンライブラリーで圧巻のコレクションを鑑賞し、カフェでワインをオーダーしてリラックスしていたときに聴こえてきたマスカーニのカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲。

サットンプレイスの探検の中休み、ガイドにも載っていないとっておきの場所を見つけたときに私の心で聴こえてきたムーンリヴァー。


視覚で、聴覚で、味覚で、めいいっぱいアンテナを張り巡らせて。

感性を緩やかに、またときに鋭敏にして。

旅先だからこそ響いてくる、心に届く「ある瞬間」がある限り、旅から得るものは限りない。

それがなくなったとき、そのときが旅を終えるときなのかもしれません。


monet

The Metropolitan Museum of Art、言わずと知れた美と知の殿堂。

タクシーのドライバーさんに行先を告げると「ん???」と言われ

少しして「Oh!MET!車METという別名、いや通称があることを知りました。


セントラルパークをクロスし、美術館に近づくと壮麗な建物が少しずつ見えてきます。

この美の殿堂の設立計画がなされたのは19世紀後半。

アメリカの国力が勢いを増し、経済や産業も大いに活気を見せていた繁栄の時代。


富を得て、社会に立場を築き衣食足りた人々が次に渇望したのが「Art」だったのではないでしょうか。

そもそもArtとは…日々の生活に困窮し、貧しきに身を置くばかりのとき、

Artは決して身近にあって、そこから解放してくれるための大いなる助けになることは望めない。

より良い心根を育て、感性を豊かにするための大いなる助けとなるArt

まさに人々の「余裕」、そして満ち足りた故の更なる欲望が向かう先でもあるのではないかと私は思います得意げ


さて、そうこうしてMorganCarnegieをはじめとした富豪らがパトロンとなってスタートしたメトロポリタン美術館プレゼント

美術館のエントランスから続く階段の脇には、美術館の創立に寄与した人々の名が刻まれています。

続けられた、いや今も続いている恐らく半端ない額の寄付と作品の寄贈が美術館の屋台骨を支え続けています。


階段を上がって左手に進み、幾つかの展示室を抜けると主に印象派を揃えた部屋にたどり着きます。


光がもたらすその「一瞬」をカンバスに閉じ込め、その光は昼夜を問わず、

あたかもまさに目の前に広がる光景かのように思わせる...。


印象派の絵は、それまでの絵画のもつ重厚さとは無縁のもので、

それら作品の発表は、当初、大きな衝撃をもって迎えられ、

旧きを尊ぶ人々からは酷評されたといいます。

時代の変わりめでもあったのでしょう。


モネ、ルノアール、マネ、その他大画家たちの秀作がこれでもかと展示された贅沢極まりない空間で、

私が導かれるようにしてたどり着いたのがモネの「Springあし

この絵はメットに収蔵された最初のモネの作品だそうで、

時は1926年、寄贈者はMary.Livingston.Willard

もうその頃から女性が一族にとっての財産でもある美術品の行方を決定していたとは驚きです。



暖かな色彩の中から、が溢れ出るかのようなこの一作。
いかにもモネらしいこの絵のそばには、また別のいかにもモネらしい絵が続きます。
どうしてか私がたどり着いたのはこの絵。

気づけば、この絵の前に一時間近くただじーっと座って見入っていました。

ワーズワースの詩の一節が私をあの日、モネが生きたその時への招待状を運んできてくれました。

「春」と題されたものの、春というにはまだ目覚めの頃のこの絵。

まさにこの絵を象徴するがごとくの…



草原の輝き、花美しく咲くとき

再びそれは還らずとも 嘆くなかれ

内に秘めたる力を見出すべし








metm


旅の楽しみの一つが各地で訪ねる美術館や博物館。

もともと大人数でわいわいと騒ぐよりは、心許せる人とゆったり過ごせる方がよく、

賑やかな音楽は苦痛でしかなく、静かな音に囲まれていたいという私。


1人旅の最高の時間の一つが、平日の昼下がり、

人出の落ち着いた空間でアートと対峙するときです音譜


今やあらゆるものが瞬時に、簡単に手元に記録として残せるこの社会。

はり巡らされた電波に見張られて、便利か不便かどこにいても情報に囲まれる日々。

旅はそんな日常から、しばし自分を解放出来る猶予期間でもあります。

こんなときこそ、たっぷりの芸術に囲まれる贅沢の絶好のチャンス。


日本でも時折開催される○○美術館展や□▲コレクション展に出かけてきましたが、

旅の機会が増えるに従い、好んで出かけることはなくなりました。

何しろ人が多く、絵を見ているのか人を見ているのか分かりませんからむっ


ロンドンのナショナルギャラリー、ターナー美術館。

パリではルーヴルにオランジュリーにオルセー。

ブラッセルの王立美術館、ウィーンでは市立近代美術館、

フィレンツェではウフィッツィ。

ワシントンのナショナルギャラリー、

ニューヨークのメトロポリタン美術館、MOMA、ボストン美術館にフィラデルフィア美術館。

「世界の美術館」なる連載があれば必ず登場しそうな大物美術館ばかりニコニコ


たくさんの名画を鑑賞する機会に恵まれました。
もともとルーベンスが大好きで、葉書を集めたり鑑賞に出かけたりしていました。
ヨーロッパを巡ると必ずといっていいほど感傷の機会があるのがルーベンスです。
その中でも別格だったのが、ルーヴル美術館でした。
広大な室内に歩き疲れた頃、たまたま入った部屋がルーベンスの間でした。
そのスケールと圧倒感は今も忘れません。
時間が経つのも忘れて室内一面に飾られたルーベンスの絵に見入っていました。


やがて印象派の絵にも興味を覚えるようになったきっかけが、オランジュリーでした。

モネの「睡蓮」の連画にぐるりと囲まれたあの贅沢。

展示の妙にも感服しました。

モネは晩年、眼病によってその視力を徐々に失っていったそうです。

死期が近づいていくごとにあの「光」の画家が「闇」を描くようになっていきます霧


一枚の絵を見るのに、画家の人生を少し学んでみていくと、

全く違った絵との「対峙」が出来るんだ…そんなことも学びました。

そしてかつては「どこがいいの?」と思った絵が、

歳を重ねるにつれ「…なんと素晴らしい絵なのか。」と思うようになることも。



「その絵を見るために、その絵に会うための旅」

私には三度訪れました。

その三枚の絵は、私にとってこれまで見た何百点もの絵画とは全く別の特別な絵。

その始まりになった絵はニューヨーク、メトロポリタン美術館にありましたプレゼント






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バンコクをあとにした私が向かったのが、このツアーの最終立ち寄り先の香港。

タイで考えさせられたさまざまの記憶を思い出しながら、どこか満ち足りた気分です。


香港に到着したのは夕刻頃。

イミグレを通過して、アライバルゲートにいるはずのガイドを探すも見当たらず。

待ちぼうけ状態で、空港施設内とはいえ湿度増す真夏の香港でイライラが芽生える…プンプン

このとき、ふと思いました。


「そろそろ自分で旅を決めて、手段をチョイスして、自分で自由に動いてみたい。」

海外に出かけること、1人で旅を出来るようになること、これが旅を始めた20代の目標でした。

その目標の次に浮かんだのが自分の責任において旅をプロデュース出来るようになること。

自分で「考える」旅への挑戦。

しばらくして別のツアーガイドがやってきて、

同じ社の迎えのガイドが来るのに暫くかかると説明してくれましたが、

さすがに長いフライトのあとで私も疲れています…

それにこの手のガイド会社の見込みや言い訳はあてにならないしなぁ。むっ


なので初めて主張してみました。

「既にかなりの時間を待っている。

フライトの乱れもないのにガイドが指定の時間に来ていないことはおかしい。

その分も費用として支払をしているはずだ。」と。

彼は「それはそのとおりだ…」と納得して、

ホテルまでのハイヤーサービスをアレンジしてくれました。

思いがけず、九龍中心地のホテルまでしばらくのリラックスタイム星空


夕刻のラッシュ時でもあり、市内へ向かう道路も混雑しています。

香港の高層ビル群の少々派手すぎる感もある照明にも明かりが点き、

重い湿度をまとった夕焼けの空の色は灰色に深まり始めていました。

その隙間を埋めるようにテールライトの競演が眼前に広がります。


ドライバーが選ばせてくれたよく冷えたドリンクを飲みながら、

旅の話、日本のこと、香港のことなどなど話題はつきず、渋滞の時間も気にならないままホテルに到着。

こんな出会いもまた旅の醍醐味チョキ


香港には二泊して、海老ワンタンにレモンいっぱいのアイスティー、スウィーツに舌鼓。

そしてスターフェリーに乗り、ショッピングにエステにとフル稼働。

間に海を挟んだこの不思議な街は、いつ訪れてもパワーに溢れています。


たくさんの「なるほど…」とたくさんの「そうか…」を感じたこの旅はこうして終わりました。


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‘dignity’

品位、気品、威厳…辞書にはそう訳されています。

本来のニュアンスが今ひとつ伝わらないなぁという気がしないでもないのですが…。


人はみな平等という理想は理想として、現実のところ、

人はさまざまな立場や事情を持って、異なる領域に生きています。


他の人間と相対するとき、知ろうとするとき、関わりを持とうとするとき、

人はまず外見を見て、そして性格、バッググラウンドやその属する世界を知ることになります。


場合によっては、まるで関わりのない世界の人と対することがあるでしょう。

そのときに最も大切なことはdignityを忘れないことだと私は思います。

相手の立場に思いを遣る、慮ることを忘れないことです。

それは自分を卑下することでも、また人を憐れむことでもありません。

人をその容姿や、外見、付随する肩書で、勝手な価値判断をせず、

まず相対して、ただ「個」の人間として、相手の立場に思いを致すということです。

(私自身、特に困った日常のなかでは苦悶に次ぐ苦悶ですが…しょぼん)


ノートに書き留めた言葉がありますメモ

「どの地にどうして生まれてきたか、どう育てられたか。それは本人が決められることではない、だから何の責めもない。

でもどんな風に生きて、どうやって死んでいくか、これは自分で決められることで、また自分の責任でもある。」



国、人種、職業、教育…その属する世界によって、人の一生は大きく分かれ、

方向づけられていき、さまざまな役割を担うことになります。

願わくば、その役割が生涯を通じて固定されるのではなく、

どのように「生きて」どのように「死んでいくか」は、

各々の適性と希望、そして意識の有無によって

「選択」の機会が与えられる社会が広がっていくことを星



世界の扉を叩いてその先に出ると、

この平和な日本では決して経験することのないシチュエーションや、

関わりの場面に遭遇する機会が稀ではありません。

そのとおり、僅かな滞在で、にわかに「人とは…」を考えさせられたこの旅。


あの微笑みの下に秘められた強さ、逞しさ。

経済発展が進む一方で、未だその恩恵が行き渡ることなく取り残される人々。

でも彼らがその恩恵に預かりたいと渇望しているかといえば決してそれだけではない。

これも人生、これも悪くない今日という一日。

かの地で感じた、あの留められ溜められた不思議な「風」は一体何だったのか。

それは決して急ぎ発したものでなく、緩く漫然と、そして長くかけられて漂い続けていました。

おそらく今日も、そして明日も、変わることなくただ悠然として。