The Metropolitan Museum of Art、言わずと知れた美と知の殿堂。
タクシーのドライバーさんに行先を告げると「ん???」と言われ
少しして「Oh!MET!」
でMETという別名、いや通称があることを知りました。
セントラルパークをクロスし、美術館に近づくと壮麗な建物が少しずつ見えてきます。
この美の殿堂の設立計画がなされたのは19世紀後半。
アメリカの国力が勢いを増し、経済や産業も大いに活気を見せていた繁栄の時代。
富を得て、社会に立場を築き衣食足りた人々が次に渇望したのが「Art」だったのではないでしょうか。
そもそもArtとは…日々の生活に困窮し、貧しきに身を置くばかりのとき、
Artは決して身近にあって、そこから解放してくれるための大いなる助けになることは望めない。
より良い心根を育て、感性を豊かにするための大いなる助けとなるArtは
まさに人々の「余裕」、そして満ち足りた故の更なる欲望が向かう先でもあるのではないかと私は思います
。
さて、そうこうしてMorgan、Carnegieをはじめとした富豪らがパトロンとなってスタートしたメトロポリタン美術館
。
美術館のエントランスから続く階段の脇には、美術館の創立に寄与した人々の名が刻まれています。
続けられた、いや今も続いている恐らく半端ない額の寄付と作品の寄贈が美術館の屋台骨を支え続けています。
階段を上がって左手に進み、幾つかの展示室を抜けると主に印象派を揃えた部屋にたどり着きます。
光がもたらすその「一瞬」をカンバスに閉じ込め、その光は昼夜を問わず、
あたかもまさに目の前に広がる光景かのように思わせる...。
印象派の絵は、それまでの絵画のもつ重厚さとは無縁のもので、
それら作品の発表は、当初、大きな衝撃をもって迎えられ、
旧きを尊ぶ人々からは酷評されたといいます。
時代の変わりめでもあったのでしょう。
モネ、ルノアール、マネ、その他大画家たちの秀作がこれでもかと展示された贅沢極まりない空間で、
私が導かれるようにしてたどり着いたのがモネの「Spring」
。
この絵はメットに収蔵された最初のモネの作品だそうで、
時は1926年、寄贈者はMary.Livingston.Willard。
もうその頃から女性が一族にとっての財産でもある美術品の行方を決定していたとは驚きです。
暖かな色彩の中から、’光’が溢れ出るかのようなこの一作。
いかにもモネらしいこの絵のそばには、また別のいかにもモネらしい絵が続きます。
どうしてか私がたどり着いたのはこの絵。
気づけば、この絵の前に一時間近くただじーっと座って見入っていました。
ワーズワースの詩の一節が私をあの日、モネが生きたその時への招待状を運んできてくれました。
「春」と題されたものの、春というにはまだ目覚めの頃のこの絵。
まさにこの絵を象徴するがごとくの…
’草原の輝き、花美しく咲くとき
再びそれは還らずとも 嘆くなかれ
内に秘めたる力を見出すべし’