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Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…


five


どんよりとした灰色の空のもと、UCLに近い駅に到着した私は、

広大なキャンパスをmemorial目指してあてどもなく歩き始めましたくもり

探しまわること1時間(寒いので休憩時間が多い…)

「もしやこのあたりでは??」と目指したのが歴史ある建物の中央に配された中庭。

扉を開けると綺麗に手入れされた芝生の中に探していたメモリアルがありましたチョキ

メモ刻まれた名に覚えのある人も多いはず…

長州ファイブと呼ばれる長州五傑、伊藤博文・井上馨・井上勝・山尾庸三・遠藤慎助。

そして彼らの到着の二年後に、これまた国禁を破って日本を後にした

森有礼ら薩摩藩士の名がそこにありました。


UCLの学生名簿には五傑の名が残り、彼らが受講した講義などの記録も残されているといいます。

先日、訪英した安倍首相がこのメモリアルを訪ねたそうです。


長州五傑が、故郷を発ち大海原に挑んでいったのは1863年。

出港後上海を経由して英国に到着したのが9月のことだったそうです。

見慣れぬ日本人、そして不自由な言葉とハンディだらけの渡航に、

彼らは「水夫」として遇される羽目になったとか船


当時、日本国内で高まっていた攘夷論に志を立て、情熱を傾けていた彼らが、

あらゆる意味で閉ざされていた世界の扉を前に押したとき、

真に見えたものがどれだけの衝撃をもって受け止めることになったか、

想像に難くありません。


行き交うさまざまな人々、

飛び交うさまざまな言語、

取り交わされる物資、

海と地とそしてまた海をつなぐさまざまな運輸手段。

故郷で身を投じた攘夷思想、そして変革への理想は、

これら圧倒されるばかりの国力の差という現実の前に、

脆くも崩れて行ったことでしょう得意げ


しかし理想に燃えた若き志士たちが、受容せざるをえなかった屈辱を胸に秘めつつ、

自らが実際に見聞した西欧文明への理解を深めつつ、

理想の未来を築く原動力を養っていったことは、

その後の日本の行く末にとって大きな財産となったといえるでしょう。

そしてこのことは、彼らに続いた薩摩藩士らにも同じことがいえると思います。

UCLのキャンパスから程近いガウアー通りには、

当時、彼らが下宿生活を送ったアパートが今も残っています。

「見たことがある」や「聞いたことがある」というものの、

そのもとが書物や映像で見聞きしたことは、やはりあくまで伝聞でしかない。

数多の書物を読み漁ることで、何か知りつくしたかのように思うことは無粋という他ない。

実際に扉を前に押し、自らでその一歩を進め、

人と関わり、そこで実際に目にしたこと、感じたことは測れない自らの財産として残っていく…

これも、旅が教えてくれたことの一つです星


UCL


いつもとは異なる風景に身を置くこと。

いつもとは異なる空気の中で深呼吸すること。

いつもとは異なる言語に囲まれて聴くを改めること。

これらすべてをもたらしてくれるのが海の向こうへの旅。

理屈抜きに、ただその風景を、ただその空気を、その音を愉しむのが旅の楽しみ方の基本にひひ

でもそこに「学び」のサポートがあると旅はまた全く別の深みを帯びてきます。

旅を重ねるうち、そんなことをしかと感じるようになりました。

ガイドと地図、それに加えて一冊の本を携えた「テーマのある旅」の始まりです。

そんな旅の一つが、ロンドン・パリへの旅でした。

初の海外旅行先だったロンドンは10年以上ぶりの2度目の、パリには3度目の訪問でした。

成田を発ち、運良く手配してもらえたビジネスクラスで、スラリ快適な空の旅となりました飛行機

到着後、厳しいと聞いていた空港チェックもすんなり通過し、地下鉄でホテルに向かいました。

(年数と回数を経て、私の旅も「自分で自在に」に近づきましたチョキ)

ナイツブリッジにも程近い瀟洒なホテルの窓からの景色を見て、晴れ間にあうことは殆どなく、朝は10時過ぎにようやく明るくなり、午後3時には暗~くなる冬のロンドンを「変わってないなぁ」と旅のお伴の携帯ポットで入れた紅茶片手にまどろみのとき…コーヒー

そんな冬のロンドンを訪ねた目的の一つがロンドンシティカレッジを訪ねることでした走る人

メモUniversity College London(UCL)1826年に創立された世界トップレベルの大学。

ロンドン大学の最初のコレッジで、これまで多くのノーベル賞受賞者を輩出しています。

Oxbidgeなどで長く採用されていた入学要件を否定し、男女平等、人種・宗教などによる入学差別を撤廃したことでも知られています。

日本がまだ江戸時代の頃に、英国では既に大学教育の概念が形になっていたわけです。

ここに激動の幕末~明治期に多くの日本留学生が集ったことを知ったのは最近のことでした。

知識が足りず、鎖国の日本にあって留学生が居たことからして、そんな発想すらありませんでした本

学校で学ぶ歴史の教科書には出てこない、けれど少し踏み込んでみるとさまざまな「そうだったのか」という発見があるものですね。

江戸時代における留学、それも行先は英国。

厳密に言うなれば、これは留学でなく’密航’ということになります。

UCLを訪ねたのは密航というリスクを冒しても、海の向こうに理想を求めた幕末のチャレンジャーを称えたメモリアルを見るためでした。

UCL訪問のあれこれは次回に…ベル



NYphil

名匠が旅立ったという報せに接しました。


奏でられる音に躊躇いのなく刻み込まれる切り口。

それは時に正面から、時に斜めから、時に直角に。

縦横自在に、しかし計算されつくしたタクトの動きと共に音を操った、

その名匠の演奏に接したのはニューヨークでのことでした。

名匠の名はローリン・マーゼル。


メモ19303月、フランスに生まれたマーゼル。

ロシア系・ハンガリー系ユダヤ人の家系に生まれた彼は幼い頃、アメリカに移住し音楽の道を進みます。

その天才ぶりはたちまち知れ渡ることなり、なんと指揮者デビューは8歳のときだったとか。

演奏家としてはヴァイオリンを、また音楽研究家としても才覚を発揮しますが、

中でも傑出していたのが指揮者としての才能でした。

マーゼルは世界の名だたる管弦楽団の音楽監督に就任して、世界的名声を手にいれます。

そんな彼が頂の向こうに見出したのがベルリンフィルの音楽監督の座でした。

下馬評も高く、本人の意欲はそれ以上でしたが、運命の女神は微笑みませんでした。

選ばれたのはクラウディオ・アバド(アバドも20141月にこの世を去りました)

深い絶望と挫折を味わったマーゼルが、長い苦悩の末、再出発の場に選んだのがニューヨークでした。

2002年に音楽監督に就任、2008/2009のシーズンまでを率いました。

私がマーゼルの指揮を近くに見る機会に恵まれたのは、

彼のニューヨークフィルでのラストシーズン、その初日のオープニングガラの演奏でした。

今思えば何と贅沢な…にひひ


クラシック音楽は元々好きで、マーゼルの名やニューヨークフィルも知らないわけではありませんでしたが、それほど事情通でもなかった私。

この日も「opening night」を体験してみたい!とチケットを手配したのが始まりでした。

(プライスはシーズンの通常コンサートよりはお高めですが、同じopening nightでも、Met operaのチケットと比較して、安価ですクラッカー)


普段のコンサートよりは警備が重く、また華やかな出立の招待客の姿が見れたのは、

やはりオープニングならではのものでした音譜

地下鉄の駅からの雰囲気もいつものそれとは全く違いました。


定刻になり、いよいよマーゼルの登場。

この日が常の日と違うもう一つ、それが国歌斉唱。

マーゼル指揮のもと、団員も全員起立で演奏される国歌は「なんと豪華な!」と驚いたものです。

前半と後半で構成されたopening night、国歌斉唱に満ち足り、1日中マンハッタンを歩き回った疲れが心地良い音と共に訪れ、抵抗をやめた頃、前半が終わっていました。

インターミッションを終え、眠気をリセットして着席。

演目はチャイコフスキーの交響曲第4番。

私の大好きな曲目の一つでした。


…眠気???とんでもない!!!!アップ


第4楽章までの早かったこと。完全に音の世界に没頭していました。

まさに名匠たる所以か、魔術に似た「音の差配」を感じない隙はまるでありませんでした。

タクトの先からマーゼルの円熟味、優れた老獪さが音を操ります。


演奏が終わった瞬間、飛び上がらんばかりに客席を立ち、夢中で拍手を送っていたのは私だけではなかったようです。まさに音は万国共通の言語新月

名匠のラストシーズンは鳴りやまない拍手と歓声に包まれ、スタンディングオーベイションは長く長く続きました。

同じ年、ニューヨークフィルを率いたマーゼルが来日し、NHKホールで開催されたコンサートにも足を運びましたが、このときの感動は…やはりあの夜には敵わなかったようです。

もう2度と聴くことは叶わないマーゼルの音しょぼん

きっと今頃、アバドと賑やかに音楽談義を繰り広げているでしょうか。

今夜はマーゼルとアバドの音楽を聴いてシャンパンを傾けたいと思います。

尽きせぬ哀悼と、一期一会の奇跡に感謝しながら。



penn


蒸し暑さの増す苦手なこの季節あじさい

湿気を帯びた空気が空に厚いベールをまとわせ地上との距離を縮めるかのように迫り、

風は一向に吹き抜けてくれません。


それでもひとときの晴れ間、「この空は…」と思う瞬間があります。

春にも秋にも、そして冬にもない、夏に向かうこの時期に現れる濃い青の空晴れ

まとう空気も風も、遠く離れたかの地とはまるで違いますが、

思い出すのがフィラデルフィアの空です。

訪れたのは初夏のニューヨーク滞在中のこと。

まだまだ送迎付きのツアーでお世話になっていた頃の旅です。

ニューヨークもある程度まわったし、そろそろ近場に足を伸ばしたいなぁ~と

思っていたところでした。

オプショナルツアーで見かけたフィラデルフィア日帰りの旅。

いろいろ探してみますが、やはり手配の全てをお願い出来ることもあり、これが結構なお値段でして…お金

「自分で行ってみる??鉄道の旅ってどうだろう」と思い立ち、

トライしてみることにしました(チケットの購入で学んだことはまた後の方で…)


34丁目のPenn stationからフィラデルフィアまではAmtrakで約一時間半ほどの旅地下鉄

全てが「初めて」の時間、乗車から到着まで緊張しどおしでした。

座席の座り方すら分からず、車内も大混雑ショック!

さぞ挙動不審だった私に、ボックスシートに相席していた人がピーナッツを差し出してくれました。

情けないかな、’Thank you’すら出て来ず、引き攣った笑みのみのお返し…。

通過駅すらよく分からないので、アナウンスを必死に聞きながら、停車ごとに駅名を確認してました。

いやはや一時間半がこれほど長いとは…叫び

平等な時間の経過とはいえませんでしたが、

何とか無事にフィラデルフィアの30th st stationに到着。

Penn stationとは全く違う歴史の重みを感じる建物にみとれたことを憶えていますラブラブ


メモフィラデルフィアはペンシルバニア州最大の都市で、

17世紀後半、クエーカー教徒のWilliam.Pennが新天地に理想を求め、

この地に居住区を建設したことから歴史を刻み始めたそうです。

独立戦争時、ここで大陸会議、そして独立宣言の起草が行われたことでも有名で、

自由の鐘などメモリアルが多く残されています。

クラシック映画の大好きな私にとっては、フィラデルフィアはGrace.Kellyの故郷。

Graceの実家は今も現存するそうです。

到着後、幾多の旅人を抱いてきたであろう歴史の薫る木製の椅子に座り、旅のプランを確認。

美術館、ウィリアム・ペン、独立宣言、そしてキーライムパイ!ケーキ


まず向かう先はフィラデルフィア美術館です。

駅舎のドアを開け、いざフィラデルフィアの地へ。

夏の陽射しに東海岸のドライな風の歓迎を受け、Taxi standに向かうとき見上げた駅舎の前に悠然とたなびく星条旗の旗。

雲一つない、濃い青の空を従えた彼の地のその光景とその色は、

時を経過し遠く海の向こうの別の気候の此の地の中にあって、ふと浮かび上がることがあります。


Salute Viaggio!カクテルグラス



art

旅を重ねるなかで得た貴重な経験の一つが「音楽」との時間です音譜

耳は良い方ではなく、音を語れるほどの力も知識もない私。

賑やかな音楽を聴くと耳がついていかず、

耳鳴りがしばらくしてしまうほどで、

もっぱら緩やかな声色、

調和した楽器の音色が私にとっての音楽。音を楽しむです。

来日する海外フィルやオペラのチケットはやはり良いお値段。

この贅沢は海外を訪れたときに満喫することにしています。

それでもコンサートに足を運べるような度胸がついたのは、

旅を始めてかなり経ってからのことでしたが。

チケットの取り方としては基本は事前にネットからパソコン

PC普及のおかげで、今や世界のどこにいてもクリック一つで公演をチェックしたり、

チケットを手配することが出来ます。

オープニングガラや入手困難なコンサートは別に手配会社を通すしかありませんが、

この方法が大抵は一番安価で確実な入手方法です。

チケットはそれぞれ印刷して会場に直行出来ますし、

またBox Officeで預かっておいてもらうことも出来ます。

記念すべき(?)私の最初のオペラ公演デビューは、ニューヨークでした。

場所はメトロポリタン歌劇場。

演目は大好きなオペラの一つ、ロッシーニの「セビリアの理髪師」。

冬のニューヨーク旅は、その凍えそうな気候もあって、

行動の幅が極端に狭くなるのですが、その反面、アートシーズンもたけなわ王冠1

METを擁するリンカーンセンターではオペラだけでなく、フィルやバレエ、

またカーネギーホールなどでも連日、まさに垂涎もののスターたちの競演を見ることが出来ます。


開演時刻の少し前に到着した私は、贅の限りをつくしたオペラハウスを探検。

対に描かれたシャガールの絵の間を、客席へと誘う階段が優雅に続きます。

かつての公演で使用された衣装や、

またMETの舞台で輝いた歌い手の写真などの展示も見ることが出来ます。

大抵、桟敷席に陣取って、階下に集う人々の装いや空気をウォッチングするのも私の密かな楽しみにひひ

そして公演のクォリティが最高であることは当然ながら、

もう一つの楽しみが幕間のシャンパン。

何の関わりもない人々を音楽がつなぎ、

一所に集い、思い思いにただ音を愉しみ、そしてグラスを合わせる。


底から天に向かって縦にのびる細やかな泡の線が、

クリスタルグラスのシャンデリアが放つ煌びやかな光と共に、

まるで私たちにこう語りかけているかのよう…


It’s a wonderful life!

素晴らしき哉、人生。