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Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…



メモインスブルックは、ハブスブルグ家の支配下に入って後、チロルの鉱山から採れる豊富な資源を利用して栄えた街です。

ドイツ、そしてイタリアをつなぐ鉄道のちょうど真ん中にあって、古くから交通の要所としても繁栄したそうです。ウィンタースポーツの盛んな街でもありますね。


ホテルに荷物を置いて、夕暮れどきの街を歩いてみました。

土曜日ということもあってお店の営業時間は短めで、スーパー好きの私は取り急ぎ開いているスーパーで、チロル地方ならではのグッズを探してまわりました。


アルプスの山並みに囲まれた和やかで静かな、美しい水をたたえる街、これがインスブルックへの印象。

王宮や黄金の扉を見て回り、なぜかウィナーシュニッテルをここインスブルックで。

ウィーンに出かけたときには食べることのなかったウィーン名物。

旅の始まりの頃、食欲すらなかった私でしたが、ヨーロッパの空気に癒されてすっかり回復。チロル地方のローカルビアと一緒に平らげてしまいました。美味しかったなぁ~ラブラブ!


翌朝、まだ少し暗がりの残る頃、ミュンヘンに向かうために列車に乗車。アルプスの山を下りてドイツに向かいます。

暗がりはやがて去り、朝の光が力を増して真っ新の1日の始まりを告げていました。

列車は雲の間を通り抜け、ローゼンハイムを経てミュンヘンへ。

ミュンヘン中央駅に到着すると、ちょうどオクトーバーフェストが開催されていたこともあって、

民族衣装に身を包んだミュンヘン市民が同じ方向に向かって歩いていきます。

みんな楽しそう!ビールビール

電車のホームにも衣装を着こなした人たちがたくさんです。

その前の年の12月に訪れたクリスマスシーズンの賑わいとはまた違っていました。

街には街の四季あり、街の流儀あり、街の歴史ありというところでしょうか。

魔法の時間の終わりが近づいていました。

バルセロナ、リヨン、マルセイユ、エクサンプロヴァンス、マルセイユ、ニース、モナコ、ヴィンティミーリア、ミラノ、ヴェローナ、インスブルック、そしてミュンヘン。

いろんな太陽の光に、いろんな川の流れに、いろんな海の色に、そして丘に山に、空に近い場所に、さまざまに生きる人々と本物の笑顔に。

旅の終わりに、旅の神さまが私に一つ、素敵な出会いをプレゼントしてくれましたプレゼント

帰りの機内、たまたま手配違いで座席が変わり、お隣になることになった人との出会いです。

ベルギー、フランス、そしてドイツと旅してミュンヘンではオクトーバーフェストにも出かけたそう。

すっかり話が弾んで帰国後、旅ばなしをしながら食事会をすることに決定。

彼女との縁は、次なる縁につながり、食事会に集う人数も増える一方です。

愉快で実りある時間を過ごしたあとの心地良さは、本当に得難い貴重なものです。


日常に慣れ、それ以外の場所や人との関わりを遠ざけて、その小さな世界こそ全てという人たちとは根本から違います。

人に対する評価をその時々で変え、否定しながら迎合し、迎合しながら否定する。

そして聞いてもらいたいばかりで、他人の話を聞かず、同じ話を繰り返していることを自覚していない…。

輪をつなげることはせず、つなげてもらうことが当然だと思って居る…トイレ

人の輪をつなげる人たち、彼らに共通しているのは、みんな身ぎれいで、みんなとってもよく喋る、喋るだけでなく人の話を聞くのがとても上手であること、そしてみんな本当に笑っているリボン

その中にいれる自分の幸運に感謝したいと思います。


verona

ミラノ滞在を終え、いよいよ旅も終わりに近づいてきました。

ミラノ~ヴェローナと州を越え、

そしてヴェローナから国境を越えてオーストリーに入る行程。

カプチーノを片手にヴェローナまで美しい車窓からの風景を眺めて過ごしました音譜


ヴェローナといえばシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台としても有名です。

そして町の中心にあるアレーナで催される夏のオペラ公演。

駅から町の中心までは少し距離があるので、

バスの利用もアリですがせっかくなので、

世界遺産でもあるこの街を訪ね歩いてみることにしました。走る人


幾つかの門を過ぎ広場に出ると大変な賑わい。

その向こうに古代ローマ時代の屋外闘技場の遺構が見えてきました。

ここは現在、夏の屋外オペラ公演会場として使用されており、その公演は世界中のオペラ愛好家たちの憧れの的だとかプレゼント

アレーナを過ぎしばらく歩くとまた広場に出て、少しするとまた大勢の人が集まっている場所がありました。ジュリエットの家です。

(中国人のツアー団体の勢いのすさまじさ…これは世界のいずれでも見かける光景になりましたね…)

ジュリエットの銅像の胸に触れると幸運が訪れるというジンクスがあるそうで、そこに向かう人たちの熱気のすごいこと。

幸運と言われれば私も負けていられません。

熱気の幾らかは私もjoinしてしっかりお願いしてきました。


ヴェローナでこれまた絶品のパスタをいただいて、

インスブルック行の列車に乗るため駅に戻ります。


列車はさほどの遅れもなく、順調に進んでいきます。

やがてアルプスの山間に入るとブドウ畑はリンゴ畑に変わり、

立ち並ぶ家々もイタリアのそれとは異なる景色に変わっていきました。

まさにアルプスの少女ハイジの世界ニコニコ


コンパートメントではボローニャ出身の女性とイギリスに留学中の男性が、

それぞれ自分の研究テーマを語り合い、

途中駅では登山中の女性が大きなリュックを背負って仲間入りです。

一期一会、・・・世界は広い。


アルプスの山々が夕暮れの陽に染まる頃、

列車はオーストリー・インスブルックに到着しました。

行き交う人も言葉も、そして街の景色も

これまで訪れたスペイン、フランス、イタリアとは全く異なるもの。

・・・本当に世界は広い。


ひととき交わる地、そして人。

異なる地、異なる人との交わりを通して学ぶことは本当に多い。

その学びの恵みを得るには、対する地、対する人にただ自然に接すること。

それに尽きると思います。


innsb






milan

ミラノまでの所要はおよそ5時間弱。

この旅で一番長い列車旅です。

ジェノヴァまでの道のりは地中海を右手にした美しい光景が続きます虹

パラソルと砂浜、夏の終わりを海岸で楽しむ人々の笑い声が聞こえてきそうなほどの近さでした。


列車内はといえば、まぁ賑やか!

ひっきりなしに電話で恋人に電話している男性や、感情たっぷりに会話を続けるお友達同士。

コンパートメント内は大賑わい。

彼らの陽気さに、気持ちがほころんだ楽しい時間となりました晴れ


夕刻、重厚な造りのミラノ中央駅に到着。

滞在先のホテルはすぐそばのところに予約してみました。

ミラノでは二泊。その後、早朝にヴェローナに発つこともあり駅近のホテルにしました。

ドゥオモなど観光名所のある中心地には地下鉄でアクセス出来ます。

宿泊したのは「ホテルガルーダ」

立地、スタッフの対応もとても良くて、価格も良心的な素敵なホテルでした。

窓を開け、そばに座ってミラノの空気を深く吸いこみました得意げ


またも目的もなく降り立った地、さてどこに行くか。

まずはドゥオモに向かってみることにしました。

イスラム国への警戒レベルが引き上げられていたためか、

あちこちに軍や警官の姿が見られました。

イタリアを旅するのはとても久しぶり。

ミラノにはフィレンツェ滞在の際の乗り継ぎで空港を利用しただけで、初めての訪問ですかお


イメージといえばスカラ座、ファッション、ダヴィンチ、ミラノ風リゾット。

せっかくですから、その全てに触れてみることにしました。

念願のスカラ座にたどり着き、トラムに初挑戦し、ダヴィンチゆかりの場所を訪ね歩いていると、お腹も空いてくるというもの。

北駅そばにあるバールが人で賑わっているので、私も仲間入りさせてもらいました。

店内奥に案内されリゾットをオーダー。

荷物を手前に置いた私に、隣で食事していた齢を重ねたレディが「危ないからそっちには置いちゃダメよ」と教えてくれました(多分、イタリア語でそんな意味のこと…のはず)ガーン

そうそう、こういうアドバイスはとってもありがたいのです。


旅の途中、時差と疲れと異空間という混ぜこぜなシチュエーションが重なると、

基本的なことをついつい忘れてしまいがちになるからです。

お隣のレディが席を立つとき、改めてお礼をいうと優雅な微笑とともに「素敵な旅を」と

返してくれました。

リゾットも食後のカプチーノもとっても美味しかったなぁ。あの優雅な微笑のおかげでより一層に音譜


夕暮れ時、ドゥオモの階段を上がり、屋上に出てミラノ市内を一望してみました。

ほのかにピンク色に染まろうとする時間、見事な美術品でもある聖堂の頂で、眺める空の美しさ。


その日の夜、ヴェローナに向かう準備を整えて、スプマンテのボトルのコルクを開けました。

リヨンのグラスとミラノのパンナコッタ、そしてスプマンテ。

ホテルの部屋の窓を半分開けると、ほどよい喧噪と隣のアパートメントから生活の音が心地良く響いてきます。


旅の終わりの近づく頃、私は自分のテンポを取り戻し始めていました宝石紫















vinti

Milan行きの列車に乗るため、モンテカルロ駅からフランス鉄道の終着駅Vintimilleに向かいます。

列車の遅延も見込んで早めの列車に乗り込むことに。

プラットホームで同じくイタリアに向かう人々の会話はもちろんイタリア語。

フランス語とはここでお別れですパー

ヴィンティミッレ(ヴィンティミーリア)駅に到着。

ミラノ行列車の出発まで少し時間もあるので、地図を片手に初めての町を初めて歩きしてみることに。


そこは穏やかなのどかな、

地中海の風と太陽がたっぷりの、

よそゆきでない生活の場所。


小高い丘の上にある教会、時刻を報せる鐘の音、

柔らかな風を受けて揺らぐ洗濯物、細い路地を駆ける子供たち、木陰に集い語らう人々。

イタリア映画のワンシーンに出てきそうな、でも現実の光景。

丘から見える地中海の青の美しさを再び眺め、しばし時間を忘れましたクローバー

駅に近いバールに入り、長い列車旅に備えてランチをとることに。

イタリアといえばやっはりPizzaでしょう。

オーソドックスにマルゲリータをオーダー。

そしてこんなに満ち足りた昼にはスプマンテこそ相応しい!ニコニコ


エスプレッソの香り漂う店内。

近所のおじさんたちが外のテーブルで四方や話に花を咲かせています。

イタリアらしい光景。

と…あれ人のネガティブな声が聞こえてくる?!空耳???

いやはや、一つ向こうのテーブルで食事をとっている人の声でした。

それも店や食事への不満というわけでもなく、その人にしか見えない何か、誰かと口論しているようで…

日本でもたまにお見かけしますね、何かと、誰かと話している人。

人はいろいろな事情を抱えて生活しているわけですから、これもまた誰かの人生チューリップオレンジ

いたたまれない気分になりカウンターに目をやると、

オーダーをとってくれた女性がちょうど私のスプマンテを準備してくれているところでした。

私の視線に同意するかのように残念そうな表情をしながらも、豊かな笑顔でスプマンテをたっぷりすぎるほどついでくれました。

スプマンテと彼女の美しい笑顔ヒマワリ

ヴィンティミーリアの駅に向かう途中、食後のデザートにと駅近くのジェラテリアでリモーネジェラートを。

行き交う人もまばらな小さな町のゆるりと流れる濃い時間の貴さ。


二時間ほどのトランジットのための僅かな滞在でしかなかったこの街を思い出すとき、

快晴の空の下、降り注ぐ太陽の光の恵みと、スプマンテと笑顔が浮かびます。


彼女の笑顔がどうしてそれほど印象深かったのか。

それはおそらく、本当に自然で豊かな笑顔だったからでしょう。

人を幸せな気持ちにしてくれる笑顔。


それは過度な身振り手振りや、無理に繕った、無駄に口角を上げ、

頬の筋肉が固まっただけの虚しい笑顔ではなく、静かで深く、豊かな感情が滲み出てくるような笑み。


私はイタリアの小さな町で、そんな笑顔に出会いましたコスモス



station

まさか訪ねることが出来るとは…そんな国の一つでした。

そもそも行きのフライトで機内映画を見なかったら、出かけることはなかったですからべーっだ!


なんというかアバウトなチョイスでしたが、モンテカルロ駅にて下車。

ホームはご覧のとおりピカピカです。

世界で二番目に小さな国、モナコ公国に到着しましたチョキ


国民一人あたりの総所得は世界有数で、

所狭しと立ち並ぶ豪邸や高層タワー、

街の美しさ、ハーバーに停泊するヨット、

寄港する客船などどれをとってみても豪奢なものです。

治安は全く問題ありません。

この日も快晴、リュックもずいぶんと重くなっていたので(マグカップが増え、

ニースでは石を持ち帰り…シラー)

少ない平地を海と山に囲まれたこの地形、ブラブラ歩きには適していません。

というわけで、バスに飛び乗ってみました。

さすがリッチな国です、バスはピカピカ、車内も快適そのものですが

何より、F1レースの花形コースを持つモンテカルロ。

これを自在に走るバスは臨場感もたっぷりです。あの技術はものすごい!

モナコでは是非バスに乗ることをお奨めします。

モナコといえば、この人を語らずしては…そうですGrace.Kellyです。

米国フィラデルフィアで、煉瓦業で財をなしたケリー家に生まれたグレース・ケリー。

やがて女優を志し、ニューヨークに出てモデルから女優に転身。

クールビューティーと謳われ、ヒッチコック作品の常連となるなど、

たちまち人気スターとなり1955年には「喝采」でアカデミー主演女優賞を受賞。

人気絶頂の中で、その翌年、モナコ公国のレーニエ大公に見初められ、結婚。

可愛い子供たちにも恵まれ、まさにシンデレラストーリーを成就させました…

ハリウッド黄金時代が大好きだった高校時代、

私が得たグレース・ケリーのイメージはここで完結していました。

「いるんだなぁ、そういう人生を送れる人が…(タメイキ)。」得意げ

年を重ね、さまざまに物を捉える方法を得て、

全く別の視点から彼女の人生にアプローチしたとき、

それは決して「めでたしめでたし」とはいかなかったことを知りました。

アイルランド移民として一代で巨万の財をなしたケリー家は、

新興であること、アイルランド系であることなどから、

ソサエティからは疎外されていました汗

また優秀で活発な兄、姉とは違い病弱で内気だったグレースは、

「勝つこと」「称賛されること」を第一に求める両親にとって、

自慢の子ではなく家庭にあって疎外感を絶えず持っていました汗

女優を志し、ハリウッドで成功を収めオスカー女優となったグレースは

「これでようやく認められる」と喜んだものの、

それに対する父の反応は冷たいものでした汗

モナコ公国に嫁ぎ、プリンセスとなったものの、

慣習に馴染めず疎外感を強め、夫レーニエ公には愛人の存在が取りざたされ、

何度かの流産を経験し、また成長する子供たちも反抗を強めていきました。

孤独にあったグレースは実家を頼りますが、

プリンセスの実家が易々と称号の消失を認めるはずもありません汗

ここで彼女が見せた強さ…。

かつて彼女の人生の華やかさにただタメイキをついた私も、

年を重ね、共感を覚えたのは、その強さでしたグッド!

戻る場所のないことを悟ったグレースは、フランス語を習得し、

モナコの慣習に馴染むべく、国民の信頼を得るべく、

辛苦を積んでやがて「国民のプリンセス」と言われるまでになります。

小国であるモナコはフランスに吸収される危機を何度も迎えますが、

これをかわすに大きな役割を果したのもグレースでした…(映画もこんな描かれ方でした)

認められること、そして自らの居場所を求め続けた孤高の女性の姿がそこにはありました。


grave

レーニエ公との結婚式が執り行われた地中海を眼下に望む、王宮そばの大聖堂に足を運びました。

この聖堂には52歳の若さでこの世を去ったグレース妃の墓所もありました。


羨ましいばかりに思えた人生のもう一つの面に心を寄せたとき、人の一生の痛み、難しさ、複雑さを感じずにはいられません。


彼女は生前、こんな言葉を遺しています。

「落胆することも人生の糧、大切なのは悔やまずに前に進むこと。痛みのない人生に価値はないのです。」

その華やかに見えた人生に「痛み」こその必要を信じた彼女の魂の、今安らかなることを祈ります。