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Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…


sea


ニースの朝晴れ

町が少しずつ眠気を覚まし、新たな一日を始める頃。

朝焼けが美しい青の空に変わる、穏やかな時間の移ろいを感じながら旧市街へと向かいました。

ここは本当にゆったりとした街、身の危険を感じることはまずありません。

ハイシーズンを過ぎていたこともあり、とても静か。

余裕ある緩やかさとでもいうのでしょうか。

頑なに、固く、辛くなっていた心が旅を続ける中でようやく解かれていくのを感じました。


旧市街を通り抜けると、そこに空と同じに広がる海がありました。

地中海ですキラキラ

前に遮るものの一切ない、自然の以外何を邪魔するものの何もない堂々たる静寂。

その色は深く美しい青をして、水面は南欧の晩夏の豊かな光を称えて煌いています。

言葉を失う絶景をしばし眺めたあと、波打ち際まで歩いてみました。

「せっかくだからこの海に手を浸してみよう!にひひ


冷たい水を想像していたら何とまぁ暖かな…心にまで伝わってくるような心地の良い温もり。

じわりと伝わる「感動」は眩しいものでもなく、

大げさなものではなく、

楚々とした淡々とした、

でもこれまで感じたことのないものでした。

こんな「感動」というものもあるのですね。

ほんの一瞬、私は地中海の一部になりました星


旧市街のマルシェでクロワッサンを買ってベンチに座り、広がる青い空を見上げました。

地中海を眺め、コートダジュールの暖かな陽射しと、雲一つない空のふもと。

7時の€1のクロワッサンを頬張る、そのなんと贅沢なことか。

リヨンに滞在し、フルヴィエールの丘にしばし留まったあのときの感覚が甦ります。

私がずっと欲していた、求めていた全てがそこにありました。


列車の時間が程なくの頃、ニース駅に着いた私は列車を待つプラットホームへ。

西へ向かう大勢の人でホームは賑やかです。

何だかまだまだバカンスの雰囲気すら感じます。

装いも軽やかで、人々の笑顔も爽やかで自然で、とても素敵です虹


ここから30分ほどのモンテカルロ駅までの旅。

車窓からの景色が絶景であることは地図を見るだけで想像がつきます。

わずかな時間、その一員となった地中海を右手に眺め、少し親しみすら感じて。

過ぎ去る駅の風情を楽しみながら。

さぁ、フランス国境を越え、モナコ公国に入国です。



この冬、この世を静かに去ったある俳優の特集の中にこんな言葉がありました。

聞いたとき、私の心に浮かんだのはモナコ行きの列車に乗るこの夏の自分の姿でした。


「育ちの良い、悪いというのは

決してお金がある家に育つか、育たないかではなく

自分が与えてもらったことに対して

素直に感謝することが出来るかどうか。

それが決め手になる。

音楽でも深く感動する。

書物でも胸が高鳴る。

理由は同じである

人生を発見して、自分が深くなったような気がするからである。

それは錯覚かもしれない。

でも、自分を深めるのは学歴でも地位でもない。

どれだけ人生に感動したかである。」











nice


ニース行きの列車に乗ると、既に座席はほぼ満席ニコニコ

この旅で電車を乗り継ぐ旅をしていて、よくよく印象に残っているのが読書している人の多いこと。私も倣って読書に勤しみました本

日本ではお馴染みの電車の座席一列全員スマホに夢中…なんて光景は見かけることはなかったなぁ。

フランスの鉄道は、総じて落書きが多いのが残念でしたしょぼん

特にマルセイユ~ニース間、

翌日に乗ったニース~ヴィンティミリァ間は

右手に地中海の絶景を眺めながらの最高のルート。

落書きに遮られていない窓を探して乗車しましたが、これがなかなか難しい汗


公共交通機関の整備や清潔さを見るとやがては治安にも通じてくるもの、これは旅をしていてとてもよく感じることです。


人々が自らの暮らす環境、

またその周りの、またまたその周りの環境に心を寄せる余裕があるかどうか。

人や自然に対する配慮があるか、ないか。


手入れの行き届かない、清潔とはいえない環境は、

やはりそこに暮らす人々にも大きく作用します。

逆にいえるのはその環境をよしとする人々によって営まれているその空間は、

決して劇的な変貌を遂げることがないということ。

環境が人を作り、人が環境を作る、互いに作用しあうものなのだと思いますシラー

これは人にも通じてくることかもしれません。

着飾って、盛って塗っていても、どこか綻びがあったり、裂けめがあったり…。

自分の過ごす机や空間にだけは気を配るけれど、水回りの使い方は見るも悲惨だったり。

正面から見ると完璧に見える人の後ろ姿が驚くほど見劣りするものだったり。

それぞれ、うまく「調和」出来ているか。

それが自然に「調和」出来ているかどうかかお

コートダジュール地方をニースに進み、

サンラファエルを越える頃には夕暮れも濃くなり、

地中海に陽が沈んでいくさまを、その刻々に眺めることが出来ました。

自然の持つ美しさを間近にして、その見事なる調和に改めて教えられました。

さぁ、カンヌをこえニースに到着です。

夢の一つ、地中海に手を浸すのも間もなくです。



france

マルセイユの駅すぐそばの宿を出ると、空はどんよりとした曇り空くもり

決して治安は良くない都市とは聞いていたので、自然に肩に力が入ります。


行き交う人々たちもフランスの他の都市とは明らかに雰囲気が異なります。

ニースに向かうための予定の列車は夕刻の発車。

注意はしながらも、それまでこの空気を楽しまずしてどうする!ということで街歩きのスタートですシラー



まずは、坂を下り、凱旋門を眺め、旧港に向かいました。

雨は降ったり止んだりで、暖をとるためにカフェに入り、


ホテルでもらった地図を広げて大体のルートを決めました。

あとは空と相談しながらのルーズな旅時間です。


何とも渋く趣きのあるエリアだったのがパニエ地区ダウン


マルセイユの漁師たちが多く暮らしたエリアのようで、

明るいカラーの壁にモチーフがついていたりして南欧情緒を感じますダウン



パニエ地区を海側に降りていくとそびえ立つのがサント・マリー・マジョール大聖堂。
19世紀末に建てられた壮麗な建築物です。
時折雨と強風が進路を邪魔してくれたので、



ここは長くマルセイユの海を見守っている聖堂に間借りして

時が過ぎるのを待つことにしました。


目まぐるしく変わる天候はまさに港町ならでは。

このあと旧港に戻る頃にはバケツをひっくり返したような雨に遭遇しました雷

ま、それなら食べるか!ということで、立ち並ぶお店の黒板をチェックしてみました。

この日のランチは薦められたゆで野菜&アリオリソース。

お伴にパスティスというマルセイユのお酒。

独特の香りを放つお酒で水を入れると白く濁ります。

決して美味しいわけではないのですが、食事によく合いましたニコニコ



昼を過ぎる頃には、分厚い雲の隙間から

陽射しも覗くようになりウィンドーショッピングしたり、

スーパーでお買いものしたり、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」誕生の地にも足を運びました。

そういえばチェロを携えた女性が、ギャルリーラファイエット前で演奏に興じていましたっけ黄色い花

美しいバッハの無伴奏チェロ組曲が港の情緒をより高めてくれました。



列車の時間も近くなり、リュックを背負い駅の大階段を息も荒目に駆け上がりました。

厚く何層にもなっていた重たな雲は軽やかとなって夕焼けの色に染まり始めていました。

次なる地へ進むため、私は雨も嵐も晴れ間も緩やかな風も日を跨がずして経験した濃密な滞在を終え、列車に乗り込みました。

不意に彼方から、あの奥深いチェロの音色が運ばれてくるような錯覚を、今ひとたびマルセイユの地を見渡しつつ感じながらお月様










プロヴァンス、イメージはセザンヌ、ラベンダーと豊かな田園風景、(いきなり)ロクシタン。にひひ

(※でもプロヴァンスの町にロクシタンはさほど見受けられず。)

プロヴァンス地方といっても広いので、いつか、バスなどを使ってより深~いプロヴァンスの町を訪ねてみたいと思います音譜

メモマルセイユからエクス・アン・プロヴァンスまでは一時間弱の鉄道の旅です。

TGV駅だと中心地からかなり離れますのでご注意を。

片道€8くらいだったかな。

ローカル線のため、切符はweb乗車券の発券できません。

自動券売機で手配を済ませ、列車の時間を待ちます。

ローカル線の楽しみは何といっても車窓のからの風景をのんびり楽しめること。

そしてその地の素の空気を直に感じられること。

もちろん、大満喫しましたニコニコ

駅に到着、小さな駅舎をあとにして町の中心を目指します。

この日は大通りで市が開かれていました。

ラベンダーのポプリや、ファブリック、オイルなど地元特産の品々も並んでいます。

(あとで立ち寄るつもりが、帰りの頃には市は終わっていました…出会ったらそのとき愉しむ!が旅の鉄則ですね)


石畳の小路を進むと、旧市街エリアに。

ちょうどお昼時、レストランはたくさんの人々で大賑わいですナイフとフォーク

この日のランチにチョイスしたのが、

ヒラメのソテー・バターソースがメインのプレート。

そしてプロヴァンスのロゼワインワイン

デザートまで食べれそうだったので、ソルベは何かと聞くと

「今日はリモーネよ」というので、即「それが最高!」とオーダー。

これが絶品でした。

そう、まだまだソルベを食べたいと思う陽気だったのです晴れ

旧市街を進み、そぞろ歩くと旧くも美しい街並みが続きます。

柔らかな褐色の壁の家々が続き、

風雨を風雪を何度も耐えたしたたかさすら感じる年季の入った街並みは、

決して使い勝手が良さそうには思いませんが、

一方で「これでいいじゃない?生きていけるのよ、これで。」

プライドをもってそんなふうに我々を見おろしているようにも思いました。

そこに生活する人たちも、そして通り過ぎる人たちもどこかゆったりとした動き、悠然としています。

都市を旅するときとは全く違う目線と時間、貴重な感覚コスモス

旅を始めてから10年までの間なら、私はここに来たいとは思わなかったでしょう。

あれも見たい、これもしたい、あれも食べたい、これも買いたい!プレゼント

「ぼんやり座ってるなんて時間の無駄!損、損!!走る人自転車走る人自転車

でしたから。

歳を重ね、旅を重ね、知り得なかったたくさんの場所を訪ね、学び、教えられました。

人はさまざまな経験をそれぞれ段階で経て、納得したり反省したりすることによって

自分を深めてゆくのかもしれません。

あるときは進み、あるときは退き、

あるときは主張し、あるときはあえて身を引くことで

自らをどうにか処して人生を続けていくのかもしれません。


あれもこれも、こっちも向こうもと得たいもの、欲しいものばかり、それも必要だったのでしょう。

自分は正しい、自分を見てほしい、自分を認めてもらいたい!!心をそんな欲求が支配するとき、そんなときも必要だったのでしょう。


それらあってこそ、私は多くのことを教えられました。


それらを経ることで学べた多くのことは、悲しみや怒りに処すための「楯」となり、幸せや喜びの扉を開く「鍵」となるドアカギ

プロヴァンスの街角で、私はそんな楯に護られ、そして鍵を与えられていることに気づきました。


train

リヨンを離れ、次なる地マルセイユへと向かう朝晴れ

柔らかな朝の光の隙間をひんやりとした空気が埋め、車内の暖かさに心が緩みます。

前日、確認しておいた駅までの所要は約30分ほど。

ロワール川にかかる橋を越え、背景のフルヴィエールの丘を眺め、リヨンにしばしのお別れですしょぼん


定刻に発車した電車は順調に南に進んでいきます。車内もほぼ貸切状態。

車窓からの風景も素晴らしく、マルセイユに近づくにつれ建物の趣き、

そして流れる空気も変わっていくのがよく分かります。

マルセイユに到着したのが11時頃、列車を降りるとそこはまた初めて見る土地でした目

マルセイユには一泊の予定。

ホテルに向かう前にプロヴァンス行きの列車のチケット手配です。

発券機で往復の切符を手配し、駅のすぐそばに予約したホテルに荷物を預けることに。

駅舎を出て「おぉぉ」と唸ったのが、その地形。

駅舎は小高い丘(ほどではないか)の上にあり、街の中心に向かってなだらかな下降線を描いています。

ビックリマーク対する丘の上に鎮座するのがバジリク・ノートルダム・ド・ラ・ガルド

マルセイユのシンボルだそうです。聖堂の頂に輝く黄金のマリア像が駅舎の前からも眺めることが出来ます。


荷物から解放され、駅でプロヴァンス行きの列車を待っていると、

警官に加え、軍隊も出動して駅のパトロールをしています。

なんだ?この厳戒態勢は!ガーン

ちょうどフランスがイスラム国への空爆参加を表明し、

アルジェリアに渡航していたフランス人が処刑予告(後日殺害されてしまいました…)されていました。

ここマルセイユはもともと寄港地としても栄え、また今でも南フランスの玄関口。

肌の色、顔つき、言葉もさまざまな人々が行き交う独特の空気漂う街。

地中海の対岸にあるアルジェリアなどからの移民問題はフランスが抱える社会問題の一つにもなっています。

イメージとしては頭にあったものが、まさに「現実なのかぁ」と感覚も新たに。

旅からの「学び」ですチューリップ赤


日本人を殆ど見かけない土地に行くと若干の危険は感じながらも、
こういった場所に身をおくことで広い世界が 

まさに自分の眼前で織りなされていることを感じる瞬間があります。

来る日も来る日も同じ電車に乗り、

いつまでもいつまでも同じ仕事をして、
幾度も幾度も同じ作業をこなし、

来る季節も行く季節も同じ色の服を着て。

やがて「変化」を受け入れることの出来なくなった人生は、無自覚なまま歪みをきたし、
独善にはしり、孤独に陥る…
孤独の裏返しは焦燥となって表れ、柔軟で自由な生き方をますます困難にする。

旅は自分がいかに小さな存在かを問いかけてくれます。

一歩を踏み出すことで、近くに広がる世界の大きさを教えてくれます。

そして、それを享受するための心の余裕がとても大切であることも星


“Through travel I first became aware of the outside worldmIt was through travel that I found my own introspective way into becoming a part of it”Eudora.A.Welty