To the stage in the world
野球のW杯が来年3月に開催されることが決定した。
意義深いことだし、快挙だと素直に喜んでいる。大いに期待する。
安易にサッカーと比較するのもどうかとは思うが、国別対抗戦が多くの注目を集め、スポーツの枠組みを超えて成長するきっかけになるのではないかと思う。
特に、瀕死の日本プロ野球にとって大きな刺激となるだろう。
日本プロ野球の変革は野茂英雄に始まった。野茂が単身米メジャーリーグに渡り、活躍することで、これまで海の向こうの話だった「メジャーリーグ」が、私たちの目に触れる身近なものになった。
野茂に続いて、多くのスター選手が米メジャーリーグに流出し、その活躍のほどは今更言うまでもない。
日本で繰り返されるプロ野球より、イチローや松井秀喜ら個人の活躍の方がニュースバリューがある、というのが現状だ。すなわち、今すでに日本プロ野球はメジャーに駆逐されている。
サッカーが皮切りになった「世界へ」の合い言葉。
あらゆるスポーツがサッカーへならい、世界戦を目指し盛り上がる中で、野球だけが取り残されていた。「メジャー=本場」「日本=2軍」といった劣等感が生まれ、国内のみで毎年ペナントを争う「箱庭野球」にいい知れぬ閉塞感を感じていた。野球が再興するには「世界へ」という視点が必要だった。
もう日本人はメジャーが上であることを実感している。だから、日本一を決める日本シリーズなど、茶番にしか見えないのだ。真に強い相手はアメリカにいることが分かっているから、日本一を競うだけの日本プロ野球に面白さを感じることができなくなっているのだ。
そこでこのW杯開催の報、ようやく何か決定的なことが始める、そんな期待感がある。
あの中途半端なアテネオリンピックの野球日本代表でも、それなりの興奮があった。
このW杯は、米メジャーリーグ機構が開催する大会であり、現役メジャーリーガーが多数参戦する本気の大会になるのではないか、と期待するのだ。
しかし、疑問がない訳ではない。
W杯という設定自体が成立しえるのだろうか?という疑問だ。
まずアメリカは自分たちが一番強いことはよく知っているし、わざわざレベルの低い他国と国際戦を行うモチベーションがあるのかどうか、という疑問。
アメリカの思惑は「Baseball」を国際的に認知させることに尽きると考える。ヨーロッパやアフリカには「Baseball」の文化はなく、北中米、アジア・オセアニアのごく限られた地域で行われているのが現状だ。野球W杯に出場が予定されているのは16の国や地域だから、「Football」とは比べ物にならない。そのマーケットの拡大を睨み、メジャーリーグが動き出したのだろう。
よって、この疑問はとりあえずクリアということにしよう。
次に、日米野球の拡大判の意味合いしかないのではないか、という疑問。
自国内のみのプロリーグならともかく、国際戦になれば、選手の報酬(年俸)やリーグ運営費、観客動員、TV放映権料など、すなわちその国の持つマーケットの規模の差がそのまま実力に反映される。資本主義の原理である。ようするに金持ちが強いということだし、そうでなければならない。
アジア・オセアニアでも日本のレベルは一つ抜けている。歴史と経済力が違いすぎるからだ。日本の相手はアメリカしかない。ぶっちゃけ、W杯といえど、日米決戦になるのは目に見えている。
W杯では、まず1次リーグとして日本、中国、韓国、台湾の4チームでリーグ戦を行い、上位2チームがアメリカに渡り、2次リーグを行うという。ここで不覚を取るようだと目も当てられない。凄まじいプレッシャーの中で真剣勝負が行われるだろう。
最終的に日米決戦になるのは分かっていても、そこに至る過程で多くの真剣勝負が行われることは意義深い。格下のアジア諸国に胸を貸し、アジア全体のレベルアップにもつながる。
よってこの疑問もクリア。
最後に、本当にやる気があるのか、開催できるのか、という問題。(笑)
W杯が開催される3月は、各国のペナントが始まる前のキャンプ時期だ。
米メジャーリーグが、W杯より自国のリーグ戦を大切にしているということだ。
シーズンを中断したり、ワールドシリーズ終了後に行うことはできないのだろう。まぁ、当然だが。
アメリカ人にとって大切なのは、「ドリームチームの世界一」よりも「地元チームのワールドチャンピオン」だろうし、スポンサー企業も金にならないW杯に選手を出すことには大きな抵抗があるだろう。怪我でもされたらそれこそたまらない。
さらに3月に開催するとなれば、当然自主トレの開始時期は早まるし、キャンプが満足に出来ない可能性もある。選手のオフ期間は圧迫され、プレーの低レベル化、最悪故障も誘発されるかもしれない。現在行われているそれぞれの国のリーグ戦が減ることなく、新たな国別対抗戦が増える訳だから、選手の負担も心身ともに増えるだろう。
と、ここまで考えてきて、やはり結論としては「やってみなくては分からない」ということに落ち着く。
実際に開催してみて、問題点が浮上すれば対応策を作っていく、単純だがそれしかない。
一番恐れることは「1回限りのイベント」で終わってしまうことだ。W杯が不調に終わり、メジャーリーグが開催するメリットなし、と判断すれば、あっさり終了してしまうだろう。
なんとしても参加国として盛り上げ、世界に「Baseball」をアピールしたい。日本の長い歴史とすばらしい選手の活躍をアメリカ人どもに見せつけてやればいいのだ。昨今の日本人選手の活躍で、メジャーの興味は確実に日本に向けられているのだから。
W杯は2006年に第一回、2009年に第二回を行い、その後は4年おきに開催されると言う。
W杯を成功させる秘策がある。(笑)それは来年の第一回大会で日本がアメリカを敗り優勝することだ。
自分たちが世界一だと疑わない能天気なアメリカ人どもに日の丸大和魂特攻精神を食らわしてやるのだ。
さすれば、覇権国家の名にかけて、アメリカは傷ついたプライドを第二回大会で是が非でも取り戻しにくるだろう。ほら、第二回大会までは確実に開催されるでしょ(笑)
にしても、想像してみたら今からワクワクするではないか。
日本代表のスターティングメンバーを考えてみよう。
一番はもう日本どころかメジャーでもナンバーワンの彼しかいない。日本には強力な「海外組」がいるのだ。当然4番を打つ選手も決まっている。
監督は……体調が許すなら、長嶋茂雄にお願いしたい。アテネでの無念をアメリカで晴らしてほしい。
さぁ、戦いの場は世界へ。
日本代表とともに、野球の未来が、新しい夢が広がっていく。
意義深いことだし、快挙だと素直に喜んでいる。大いに期待する。
安易にサッカーと比較するのもどうかとは思うが、国別対抗戦が多くの注目を集め、スポーツの枠組みを超えて成長するきっかけになるのではないかと思う。
特に、瀕死の日本プロ野球にとって大きな刺激となるだろう。
日本プロ野球の変革は野茂英雄に始まった。野茂が単身米メジャーリーグに渡り、活躍することで、これまで海の向こうの話だった「メジャーリーグ」が、私たちの目に触れる身近なものになった。
野茂に続いて、多くのスター選手が米メジャーリーグに流出し、その活躍のほどは今更言うまでもない。
日本で繰り返されるプロ野球より、イチローや松井秀喜ら個人の活躍の方がニュースバリューがある、というのが現状だ。すなわち、今すでに日本プロ野球はメジャーに駆逐されている。
サッカーが皮切りになった「世界へ」の合い言葉。
あらゆるスポーツがサッカーへならい、世界戦を目指し盛り上がる中で、野球だけが取り残されていた。「メジャー=本場」「日本=2軍」といった劣等感が生まれ、国内のみで毎年ペナントを争う「箱庭野球」にいい知れぬ閉塞感を感じていた。野球が再興するには「世界へ」という視点が必要だった。
もう日本人はメジャーが上であることを実感している。だから、日本一を決める日本シリーズなど、茶番にしか見えないのだ。真に強い相手はアメリカにいることが分かっているから、日本一を競うだけの日本プロ野球に面白さを感じることができなくなっているのだ。
そこでこのW杯開催の報、ようやく何か決定的なことが始める、そんな期待感がある。
あの中途半端なアテネオリンピックの野球日本代表でも、それなりの興奮があった。
このW杯は、米メジャーリーグ機構が開催する大会であり、現役メジャーリーガーが多数参戦する本気の大会になるのではないか、と期待するのだ。
しかし、疑問がない訳ではない。
W杯という設定自体が成立しえるのだろうか?という疑問だ。
まずアメリカは自分たちが一番強いことはよく知っているし、わざわざレベルの低い他国と国際戦を行うモチベーションがあるのかどうか、という疑問。
アメリカの思惑は「Baseball」を国際的に認知させることに尽きると考える。ヨーロッパやアフリカには「Baseball」の文化はなく、北中米、アジア・オセアニアのごく限られた地域で行われているのが現状だ。野球W杯に出場が予定されているのは16の国や地域だから、「Football」とは比べ物にならない。そのマーケットの拡大を睨み、メジャーリーグが動き出したのだろう。
よって、この疑問はとりあえずクリアということにしよう。
次に、日米野球の拡大判の意味合いしかないのではないか、という疑問。
自国内のみのプロリーグならともかく、国際戦になれば、選手の報酬(年俸)やリーグ運営費、観客動員、TV放映権料など、すなわちその国の持つマーケットの規模の差がそのまま実力に反映される。資本主義の原理である。ようするに金持ちが強いということだし、そうでなければならない。
アジア・オセアニアでも日本のレベルは一つ抜けている。歴史と経済力が違いすぎるからだ。日本の相手はアメリカしかない。ぶっちゃけ、W杯といえど、日米決戦になるのは目に見えている。
W杯では、まず1次リーグとして日本、中国、韓国、台湾の4チームでリーグ戦を行い、上位2チームがアメリカに渡り、2次リーグを行うという。ここで不覚を取るようだと目も当てられない。凄まじいプレッシャーの中で真剣勝負が行われるだろう。
最終的に日米決戦になるのは分かっていても、そこに至る過程で多くの真剣勝負が行われることは意義深い。格下のアジア諸国に胸を貸し、アジア全体のレベルアップにもつながる。
よってこの疑問もクリア。
最後に、本当にやる気があるのか、開催できるのか、という問題。(笑)
W杯が開催される3月は、各国のペナントが始まる前のキャンプ時期だ。
米メジャーリーグが、W杯より自国のリーグ戦を大切にしているということだ。
シーズンを中断したり、ワールドシリーズ終了後に行うことはできないのだろう。まぁ、当然だが。
アメリカ人にとって大切なのは、「ドリームチームの世界一」よりも「地元チームのワールドチャンピオン」だろうし、スポンサー企業も金にならないW杯に選手を出すことには大きな抵抗があるだろう。怪我でもされたらそれこそたまらない。
さらに3月に開催するとなれば、当然自主トレの開始時期は早まるし、キャンプが満足に出来ない可能性もある。選手のオフ期間は圧迫され、プレーの低レベル化、最悪故障も誘発されるかもしれない。現在行われているそれぞれの国のリーグ戦が減ることなく、新たな国別対抗戦が増える訳だから、選手の負担も心身ともに増えるだろう。
と、ここまで考えてきて、やはり結論としては「やってみなくては分からない」ということに落ち着く。
実際に開催してみて、問題点が浮上すれば対応策を作っていく、単純だがそれしかない。
一番恐れることは「1回限りのイベント」で終わってしまうことだ。W杯が不調に終わり、メジャーリーグが開催するメリットなし、と判断すれば、あっさり終了してしまうだろう。
なんとしても参加国として盛り上げ、世界に「Baseball」をアピールしたい。日本の長い歴史とすばらしい選手の活躍をアメリカ人どもに見せつけてやればいいのだ。昨今の日本人選手の活躍で、メジャーの興味は確実に日本に向けられているのだから。
W杯は2006年に第一回、2009年に第二回を行い、その後は4年おきに開催されると言う。
W杯を成功させる秘策がある。(笑)それは来年の第一回大会で日本がアメリカを敗り優勝することだ。
自分たちが世界一だと疑わない能天気なアメリカ人どもに日の丸大和魂特攻精神を食らわしてやるのだ。
さすれば、覇権国家の名にかけて、アメリカは傷ついたプライドを第二回大会で是が非でも取り戻しにくるだろう。ほら、第二回大会までは確実に開催されるでしょ(笑)
にしても、想像してみたら今からワクワクするではないか。
日本代表のスターティングメンバーを考えてみよう。
一番はもう日本どころかメジャーでもナンバーワンの彼しかいない。日本には強力な「海外組」がいるのだ。当然4番を打つ選手も決まっている。
監督は……体調が許すなら、長嶋茂雄にお願いしたい。アテネでの無念をアメリカで晴らしてほしい。
さぁ、戦いの場は世界へ。
日本代表とともに、野球の未来が、新しい夢が広がっていく。
When Giants fall
「プロ野球改革元年」という、うさん臭いキャッチコピーがまず気に入らない。
言葉として、あたかもそれが一つの固有名詞として存在するかのようなキャッチコピーとして定着することは、実は危険なのではないか、と感じてしまう。
「改革」の象徴として「東北楽天ゴールデンイーグルス(長い名だ)」が設立され、セ・パ交流戦が行われている。
しかし、日本プロ野球界を蝕む病因は何一つ解決されてはいない。
新球団ができ、交流戦を行えば、プロ野球は復活するのか?
そんなわけはない。それどころか、交流戦は今まで巨人戦を収入の柱にしていたセ・リーグの5球団にとっては負担増でしかないのだから。
日本プロ野球が生き残るか崩壊するか、それはこれからの各球団、球界、ファンの全体の努力によって決まるのだが、未だ具体的な方法論は見えてこない。
口にしやすいキャッチコピーの弊害はここにある。いかにも何かが変わると期待させるが結局は思考停止を別の言葉に置き換えただけなのではないだろうか。
しかし、この2005年シーズン、私はプロ野球に関してポジティブな姿勢をとっている。
理由は簡単だ。広島カープが好調をキープしているからだ。
今日福岡ヤフージャパンドームで開催された対ソフトバンク2回戦は6対0の完敗で終わったが、元々相手は日本一強いチームであり、昨日カープは黒田投手の奇跡的な投球で勝利している。
2連勝など夢にも思っていなかったので落胆はない。恐らく明日もつらい試合になると考えている。
広島カープは投手力が弱い。野球の基本はまず投手力であり、さらに相手はホークスなのだ。
今年のカープの好調の原因は巨人との開幕3連戦を3連勝したことに始まる。
あれで、選手たちは自信をつかんだのではないだろうか。昨年までとは違い、接戦をものにする勝負強さが身に付き始めた。尾形佳紀のように若手選手の台頭もある。
課題である投手力にメドが立てば、5割突破、Aクラスも夢ではない。
逆に、いきなり出ばなをくじかれたのは対戦相手であった東京読売巨人軍である。
プロ野球に関連する仕事に従事する人も、無関係な人も、人々の注目が最も集まる開幕戦in東京ドーム。そこで巨人はやらかしてしまった。相手がカープでは目も当てられない。
多くの人が巨人に失望し、今シーズンの行く末に不安を抱いたことだろう。
ここ数年、膨大な資金力にものを言わせ、他チームの4番クラスの選手を補強(?)した挙句、巨人は意味不明のチームへとなっていた。
巨人の野球はホームランのみに主眼をおいた前代未聞の野球である。
1番から9番までの打者にそれぞれ役割を与え、ヒットをつなぎ、機動力を駆使し、クリーンナップの打力で得点し、投手の継投と鍛錬され抜いた守備力で守る、という日本人が長年かけて育んできた「日本野球」の概念を、真っ向から否定する新しいチャレンジである。
そのチャレンジが諦観と嘲笑とともに失敗に終わったのは昨年の3位という順位で証明されている。
にもかかわらず、巨人は昨年と同じ轍を踏んでいる。いやますます病魔は進行している。
現在巨人は13勝20敗でセ・リーグ最下位。5月とはいえ借金7は重い。首位中日との差は9.0。
チームの成績を数字で見ると、分かり易すぎて笑うしかなくなってしまう。
得点数 … 153(セ・リーグ3位)
失点数 … 174(セ・リーグ6位)
本塁打 … 53(セ・リーグ1位/12球団中1位)
打率 … .249(セ・リーグ5位)
防御率 … 5.07(セ・リーグ6位)
上記は5月10日終了時の数字だが、防御率に関しては楽天の6.19についで12球団中11位である。
打率が低いのにホームランの数だけはやたら多い。しかし、勝ちにつながらないのは投手力の弱さか。
要するに、打線につながりがなく、個人のホームランだけに頼る大味なプレーに終始しているのだ。
打線とは、チームを構成する個人個人が自分の打順と役割を認識し、信頼を築き上げることによって初めて機能するものである。
巨人には圧倒的な個人プレーはあるが、チームとしての力は皆無ということだろう。
しかし、そんなことはかなり前から分かっていたことだし、今更言ってどうなるものでもない。
深刻なのは、そんな無様な巨人の姿が、人々の興味を引きつけなくなっているところだ。
東京読売巨人軍は、創立から今まで、圧倒的な世論の支持を背景に持った球界の盟主だった。そもそも日本プロ野球史自体が、巨人の歴史と言って過言でない。しかし、FA制度導入から始まった変革(FA制度導入、スター選手のメジャーリーグへの流出、サッカー産業(日本代表、W杯効果)の隆盛など)が巨人をいびつな怪物へと変化させてしまう。
常に勝利しなければならない宿命を背負った巨人は方法論を誤った。勝利するためには優秀な選手が必要だが、育成には時間と費用がかかる。即効性をねらったのか、FA制度と資金力を駆使し、現状のような無様なチームを作り上げてしまった。
そんなチームには、日本人が愛し育んできた「日本野球」はできない。故に人は離れる。
強ければ、勝てばまだ人は掴めるのだが、上記のような成績では不可能だ。
そして交流戦が始まる。今、日本野球のダイナミズムを最も体現しているのはパ・リーグである。能力の高い選手がしのぎを削り合い、迫力のあるプレーを展開している。
今までセ・リーグの影に隠れざるを得なかったパ・リーグが光を浴びる交流戦は非常に意義深い。
簡単に言うならば、パ・リーグはおもしろい。セ・リーグ(巨人)はつまらない。ということだ。
巨人戦の視聴率低下が止まらないらしい。よく野球のファン離れというが、要するに巨人ファンが減っているのだ。
事実、昨日のソフトバンク対広島カープでは、平日にもかかわらず3万人を超える観客がヤフードームを埋めている。
しかし、巨人ファンが離れることは、構造的に巨人の恩恵にぶら下がることで成立していた球界の根底を破壊する。昨年の1リーグ構想騒動の際によくメディアに露出していた問題だが、何も解決されていない。
真のプロ野球改革はここから始まる。脱巨人。巨人の庇護の下を離れ、独立して球団運営を行えるか否か。これは非常に厳しい問題だが、乗り越えられなければ、巨人の順位とともにプロ野球は崩壊する。
巨人がメディアに載らない日はない。しかし、もはや巨人というチームは世論の崇拝の対象ではなくなり(そもそも「チーム」が存在しない)、「清原」という個人崇拝に頼る始末。「清原の500号本塁打」というイベントも終わり、その個人崇拝を維持することはこの先困難だろう。
崇拝する個人が引退、移籍してしまえば、世論も移動する。
これまで圧倒的世論に支持されてきた巨人が倒れようとしている。他球団は道連れだけは避けなくてはならない。
希望はある。前述のソフトバンク(旧ダイエー)は10年の歳月をかけて、12球団最強の、最も観客動員数の多いチームを築き上げたのだ。地方都市福岡にである。
地元に愛されるチーム、それはチームのアイデンティティの確立と、地道な努力によって始まる。
勝つときもあれば負けるときもある。強いもあれば泣きたくなるほど弱い時期もある。
それを繰り返しながら、チームは作られファンを獲得していく。ひたむきに「日本野球」を全力でプレーしていくことが、最も単純だが、最も大切なことだ。
それには地方都市の力も必要だ。球団だけでなく、球団が所属する地方都市、市民、企業、それらの結集力と総合力によって、この難局は乗り越えられると、私は信じる。
巨人が倒れたとき、初めて「日本プロ野球」は産声を上げることが出来るのではないだろうか。
そして、そのとき初めて「2005年こそがプロ野球改革元年であった」と言えるのだろう。
改革は始まったばかりだ。
言葉として、あたかもそれが一つの固有名詞として存在するかのようなキャッチコピーとして定着することは、実は危険なのではないか、と感じてしまう。
「改革」の象徴として「東北楽天ゴールデンイーグルス(長い名だ)」が設立され、セ・パ交流戦が行われている。
しかし、日本プロ野球界を蝕む病因は何一つ解決されてはいない。
新球団ができ、交流戦を行えば、プロ野球は復活するのか?
そんなわけはない。それどころか、交流戦は今まで巨人戦を収入の柱にしていたセ・リーグの5球団にとっては負担増でしかないのだから。
日本プロ野球が生き残るか崩壊するか、それはこれからの各球団、球界、ファンの全体の努力によって決まるのだが、未だ具体的な方法論は見えてこない。
口にしやすいキャッチコピーの弊害はここにある。いかにも何かが変わると期待させるが結局は思考停止を別の言葉に置き換えただけなのではないだろうか。
しかし、この2005年シーズン、私はプロ野球に関してポジティブな姿勢をとっている。
理由は簡単だ。広島カープが好調をキープしているからだ。
今日福岡ヤフージャパンドームで開催された対ソフトバンク2回戦は6対0の完敗で終わったが、元々相手は日本一強いチームであり、昨日カープは黒田投手の奇跡的な投球で勝利している。
2連勝など夢にも思っていなかったので落胆はない。恐らく明日もつらい試合になると考えている。
広島カープは投手力が弱い。野球の基本はまず投手力であり、さらに相手はホークスなのだ。
今年のカープの好調の原因は巨人との開幕3連戦を3連勝したことに始まる。
あれで、選手たちは自信をつかんだのではないだろうか。昨年までとは違い、接戦をものにする勝負強さが身に付き始めた。尾形佳紀のように若手選手の台頭もある。
課題である投手力にメドが立てば、5割突破、Aクラスも夢ではない。
逆に、いきなり出ばなをくじかれたのは対戦相手であった東京読売巨人軍である。
プロ野球に関連する仕事に従事する人も、無関係な人も、人々の注目が最も集まる開幕戦in東京ドーム。そこで巨人はやらかしてしまった。相手がカープでは目も当てられない。
多くの人が巨人に失望し、今シーズンの行く末に不安を抱いたことだろう。
ここ数年、膨大な資金力にものを言わせ、他チームの4番クラスの選手を補強(?)した挙句、巨人は意味不明のチームへとなっていた。
巨人の野球はホームランのみに主眼をおいた前代未聞の野球である。
1番から9番までの打者にそれぞれ役割を与え、ヒットをつなぎ、機動力を駆使し、クリーンナップの打力で得点し、投手の継投と鍛錬され抜いた守備力で守る、という日本人が長年かけて育んできた「日本野球」の概念を、真っ向から否定する新しいチャレンジである。
そのチャレンジが諦観と嘲笑とともに失敗に終わったのは昨年の3位という順位で証明されている。
にもかかわらず、巨人は昨年と同じ轍を踏んでいる。いやますます病魔は進行している。
現在巨人は13勝20敗でセ・リーグ最下位。5月とはいえ借金7は重い。首位中日との差は9.0。
チームの成績を数字で見ると、分かり易すぎて笑うしかなくなってしまう。
得点数 … 153(セ・リーグ3位)
失点数 … 174(セ・リーグ6位)
本塁打 … 53(セ・リーグ1位/12球団中1位)
打率 … .249(セ・リーグ5位)
防御率 … 5.07(セ・リーグ6位)
上記は5月10日終了時の数字だが、防御率に関しては楽天の6.19についで12球団中11位である。
打率が低いのにホームランの数だけはやたら多い。しかし、勝ちにつながらないのは投手力の弱さか。
要するに、打線につながりがなく、個人のホームランだけに頼る大味なプレーに終始しているのだ。
打線とは、チームを構成する個人個人が自分の打順と役割を認識し、信頼を築き上げることによって初めて機能するものである。
巨人には圧倒的な個人プレーはあるが、チームとしての力は皆無ということだろう。
しかし、そんなことはかなり前から分かっていたことだし、今更言ってどうなるものでもない。
深刻なのは、そんな無様な巨人の姿が、人々の興味を引きつけなくなっているところだ。
東京読売巨人軍は、創立から今まで、圧倒的な世論の支持を背景に持った球界の盟主だった。そもそも日本プロ野球史自体が、巨人の歴史と言って過言でない。しかし、FA制度導入から始まった変革(FA制度導入、スター選手のメジャーリーグへの流出、サッカー産業(日本代表、W杯効果)の隆盛など)が巨人をいびつな怪物へと変化させてしまう。
常に勝利しなければならない宿命を背負った巨人は方法論を誤った。勝利するためには優秀な選手が必要だが、育成には時間と費用がかかる。即効性をねらったのか、FA制度と資金力を駆使し、現状のような無様なチームを作り上げてしまった。
そんなチームには、日本人が愛し育んできた「日本野球」はできない。故に人は離れる。
強ければ、勝てばまだ人は掴めるのだが、上記のような成績では不可能だ。
そして交流戦が始まる。今、日本野球のダイナミズムを最も体現しているのはパ・リーグである。能力の高い選手がしのぎを削り合い、迫力のあるプレーを展開している。
今までセ・リーグの影に隠れざるを得なかったパ・リーグが光を浴びる交流戦は非常に意義深い。
簡単に言うならば、パ・リーグはおもしろい。セ・リーグ(巨人)はつまらない。ということだ。
巨人戦の視聴率低下が止まらないらしい。よく野球のファン離れというが、要するに巨人ファンが減っているのだ。
事実、昨日のソフトバンク対広島カープでは、平日にもかかわらず3万人を超える観客がヤフードームを埋めている。
しかし、巨人ファンが離れることは、構造的に巨人の恩恵にぶら下がることで成立していた球界の根底を破壊する。昨年の1リーグ構想騒動の際によくメディアに露出していた問題だが、何も解決されていない。
真のプロ野球改革はここから始まる。脱巨人。巨人の庇護の下を離れ、独立して球団運営を行えるか否か。これは非常に厳しい問題だが、乗り越えられなければ、巨人の順位とともにプロ野球は崩壊する。
巨人がメディアに載らない日はない。しかし、もはや巨人というチームは世論の崇拝の対象ではなくなり(そもそも「チーム」が存在しない)、「清原」という個人崇拝に頼る始末。「清原の500号本塁打」というイベントも終わり、その個人崇拝を維持することはこの先困難だろう。
崇拝する個人が引退、移籍してしまえば、世論も移動する。
これまで圧倒的世論に支持されてきた巨人が倒れようとしている。他球団は道連れだけは避けなくてはならない。
希望はある。前述のソフトバンク(旧ダイエー)は10年の歳月をかけて、12球団最強の、最も観客動員数の多いチームを築き上げたのだ。地方都市福岡にである。
地元に愛されるチーム、それはチームのアイデンティティの確立と、地道な努力によって始まる。
勝つときもあれば負けるときもある。強いもあれば泣きたくなるほど弱い時期もある。
それを繰り返しながら、チームは作られファンを獲得していく。ひたむきに「日本野球」を全力でプレーしていくことが、最も単純だが、最も大切なことだ。
それには地方都市の力も必要だ。球団だけでなく、球団が所属する地方都市、市民、企業、それらの結集力と総合力によって、この難局は乗り越えられると、私は信じる。
巨人が倒れたとき、初めて「日本プロ野球」は産声を上げることが出来るのではないだろうか。
そして、そのとき初めて「2005年こそがプロ野球改革元年であった」と言えるのだろう。
改革は始まったばかりだ。
What's the justice?
夕方テレビをつけると、またもやJR西日本関連のニュース。
いい加減うんざりしながら適当に見ていると、今までとは報道の角度がちがう。
今、JR西日本に属する方への嫌がらせ事件が多発しているという。
駅員や車掌、乗務員などJR西日本に所属する従業員が、様々な脅迫、暴力にさらされ、多くの被害が出ているという内容で、さらに線路内に大きな石(岩)や自転車を放置する事件まで連発している、とのことだ。
(自転車投げ入れは広島で起こっている。非常に情けない話だ)
記者会見でJR西日本の方が、「このような嫌がらせ行為は安全な運営の障害となるのでやめていただきたい」との旨を発表し、ニュース報道は「一部の心ない人々の過剰な行為は安全を損ない現状をさらに悪化させる」と憂慮してみせた。
ボクは言葉にできぬ怒りを感じ、そんなテレビをそれ以上直視できずスイッチをオフにした。
これは予想できた出来事だ。小学生でも簡単に。
この上なくショッキングで前代未聞の列車事故。
となれば、線路に置き石をしたり、自転車を投げ込んだり、脱線を誘発しかねない悪戯をする輩が出てくることは当たり前。
それは許されざる事態ではあるが、いつの世もどこにも馬鹿者はいる。
鉄道や警察関係者はそれこそ神経を張りつめていることだろう。
ただ、怒りの原因はそんなことではない。
JR西日本への過剰な抗議行動、すなわち脅迫や暴力は、メディアが誘発したものだ。
事件発生から2週間、連日連夜暴力的な糾弾がメディアから垂れ流され続けている。
鬼の首を取ったように一方的な「正義」を振りかざし、JR西日本が我々の命を奪い脅かした「戦犯」として裁かれている。あたかも魔女狩りのように。
確かにしかと報道し、糾弾されるべきことはある。
企業の古すぎる体質、安全管理に対する意識の低さ、懇親会で4次会まで行ったという職員の認識の甘さ、等。
しかしあの記者会見はなんなのだろう。「もうあんたええわ、社長出して。」とか関西ヤクザ丸出しで罵ってる記者を見たときには、非常に気分が悪くなった。
そういった常軌を逸したJR西日本に対する偏向報道を続けていたら、次にどういった事態を招くのか?
その結果が今、脅迫といった暴力で現れてきている。
ニュースでは「事件に関わりのない一般職員に対するいやがらせはよくない」という内容を街頭インタビューの「市民の声」として報道していた。
火に油を注ぎ、大型扇風機で煽るような真似をした後で、いかにも社会の善意面をして事態を憂慮する。
この姿勢はなんだろう?
脱線事故の非は間違いなくJR西日本にあり、その原因究明、責任追及はされてしかるべきだ。
当然、被害者への補償も誠意をもって負わなければならない。
今後、同様の事故を防ぐために、見直しが必要なところは多々あるだろう。
メディアは冷静に公平にそれを分析し報道しなければならない。
感情的に「皆さんの命を預かっている交通機関はこんなに悪辣非道だ」と騒ぎ立てる意味が分からない。
結果、二次災害的な暴力事件が発生している(しかも人為的に)のは目も当てられない。
要するに、JR西日本にもメディアにも、そして我々にも危機意識がなかったのだろう。
いざ事故が起こった際も、どう対応し、どう報道するのか、事前準備や意識がないから、
「我々は公共交通機関が人命を損なうほどの大事故が起きるなんて想像もしていなかった。それなのにこんな大惨事が起きて非常にショックを受けた。どうしてくれるんだ」
という感情論でしかない報道が繰り返され、冷静な分析はないがしろにされた。
感じたのは「子供じみた狂騒」だ。
この国のメディアが腐っているというのは昔から言われていることだが、
改めてその腐臭を嗅ぎ取り、憂鬱は深まるばかりだ。
もともと「正義」を振りかざす人や言論やメディアが嫌いだった。
堂々と「きれいごと」を口にする人はそれだけで十分いかがわしくうさん臭いと感じる。
「平和団体」や「人権団体」とかそういう組織も例外ではない。
自分の中に、物事を価値判断する「モノサシ」を作らなければならない。
様々な情報を吸収し、対比させ、あらゆる角度から見つめる視点と、
被害者だけでなく、加害者、第三者の目線にたつ想像力。
メデイアの情報を鵜呑みにせず、流されないこと。だまされないこと。
情報があることは成熟した社会の象徴だ。
未成熟な国、例えば中国や韓国や北朝鮮には情報がない。政府から与えられる一方的なプロパガンダのみで、自由に情報を受信し発信することも許されない。
日本には雑多な情報が溢れかえっている。
IT(情報技術)社会と呼ばれる現代を生き抜くために、必要なものがある。
いい加減うんざりしながら適当に見ていると、今までとは報道の角度がちがう。
今、JR西日本に属する方への嫌がらせ事件が多発しているという。
駅員や車掌、乗務員などJR西日本に所属する従業員が、様々な脅迫、暴力にさらされ、多くの被害が出ているという内容で、さらに線路内に大きな石(岩)や自転車を放置する事件まで連発している、とのことだ。
(自転車投げ入れは広島で起こっている。非常に情けない話だ)
記者会見でJR西日本の方が、「このような嫌がらせ行為は安全な運営の障害となるのでやめていただきたい」との旨を発表し、ニュース報道は「一部の心ない人々の過剰な行為は安全を損ない現状をさらに悪化させる」と憂慮してみせた。
ボクは言葉にできぬ怒りを感じ、そんなテレビをそれ以上直視できずスイッチをオフにした。
これは予想できた出来事だ。小学生でも簡単に。
この上なくショッキングで前代未聞の列車事故。
となれば、線路に置き石をしたり、自転車を投げ込んだり、脱線を誘発しかねない悪戯をする輩が出てくることは当たり前。
それは許されざる事態ではあるが、いつの世もどこにも馬鹿者はいる。
鉄道や警察関係者はそれこそ神経を張りつめていることだろう。
ただ、怒りの原因はそんなことではない。
JR西日本への過剰な抗議行動、すなわち脅迫や暴力は、メディアが誘発したものだ。
事件発生から2週間、連日連夜暴力的な糾弾がメディアから垂れ流され続けている。
鬼の首を取ったように一方的な「正義」を振りかざし、JR西日本が我々の命を奪い脅かした「戦犯」として裁かれている。あたかも魔女狩りのように。
確かにしかと報道し、糾弾されるべきことはある。
企業の古すぎる体質、安全管理に対する意識の低さ、懇親会で4次会まで行ったという職員の認識の甘さ、等。
しかしあの記者会見はなんなのだろう。「もうあんたええわ、社長出して。」とか関西ヤクザ丸出しで罵ってる記者を見たときには、非常に気分が悪くなった。
そういった常軌を逸したJR西日本に対する偏向報道を続けていたら、次にどういった事態を招くのか?
その結果が今、脅迫といった暴力で現れてきている。
ニュースでは「事件に関わりのない一般職員に対するいやがらせはよくない」という内容を街頭インタビューの「市民の声」として報道していた。
火に油を注ぎ、大型扇風機で煽るような真似をした後で、いかにも社会の善意面をして事態を憂慮する。
この姿勢はなんだろう?
脱線事故の非は間違いなくJR西日本にあり、その原因究明、責任追及はされてしかるべきだ。
当然、被害者への補償も誠意をもって負わなければならない。
今後、同様の事故を防ぐために、見直しが必要なところは多々あるだろう。
メディアは冷静に公平にそれを分析し報道しなければならない。
感情的に「皆さんの命を預かっている交通機関はこんなに悪辣非道だ」と騒ぎ立てる意味が分からない。
結果、二次災害的な暴力事件が発生している(しかも人為的に)のは目も当てられない。
要するに、JR西日本にもメディアにも、そして我々にも危機意識がなかったのだろう。
いざ事故が起こった際も、どう対応し、どう報道するのか、事前準備や意識がないから、
「我々は公共交通機関が人命を損なうほどの大事故が起きるなんて想像もしていなかった。それなのにこんな大惨事が起きて非常にショックを受けた。どうしてくれるんだ」
という感情論でしかない報道が繰り返され、冷静な分析はないがしろにされた。
感じたのは「子供じみた狂騒」だ。
この国のメディアが腐っているというのは昔から言われていることだが、
改めてその腐臭を嗅ぎ取り、憂鬱は深まるばかりだ。
もともと「正義」を振りかざす人や言論やメディアが嫌いだった。
堂々と「きれいごと」を口にする人はそれだけで十分いかがわしくうさん臭いと感じる。
「平和団体」や「人権団体」とかそういう組織も例外ではない。
自分の中に、物事を価値判断する「モノサシ」を作らなければならない。
様々な情報を吸収し、対比させ、あらゆる角度から見つめる視点と、
被害者だけでなく、加害者、第三者の目線にたつ想像力。
メデイアの情報を鵜呑みにせず、流されないこと。だまされないこと。
情報があることは成熟した社会の象徴だ。
未成熟な国、例えば中国や韓国や北朝鮮には情報がない。政府から与えられる一方的なプロパガンダのみで、自由に情報を受信し発信することも許されない。
日本には雑多な情報が溢れかえっている。
IT(情報技術)社会と呼ばれる現代を生き抜くために、必要なものがある。
Graduation
女子マラソンの高橋尚子選手が、10年間指導を受けてきた佐倉アスリート倶楽部(SAC)の小出義雄代表の門下生から「卒業」し、独力で競技活動を続けると発表しました。
高橋選手に関する情報はTVやネットのスポーツニュース、新聞、雑誌などで見聞きする程度で、独立に至る詳しい経緯などは何も分かりません。
ただ、記者会見での高橋選手の真摯な表情を見て、「ああ、この人は本当に走ることが大好きなんだな」と胸が締め付けられる思いがしました。
本人も言う通り、現在33歳の高橋選手に残されたマラソンランナーとしての現役時間はあと2~3年でしょう。決して長くはない時間です。
目標は間違いなく2008年北京オリンピック。
ボクは一ファンとして、この偉大なアスリートが再び輝かしい栄光を掴むことを強く祈るのです。
高橋尚子選手は日本女子陸上界において特別な選手です。
野球界の野茂、イチロー。サッカー界の中田英寿と同様の意味合いを持つ偉大なアスリートです。
女子マラソンが広く一般社会に認知され、アスリートの情報がメディアに乗り、産業として成立したのは、高橋選手の活躍をおいてあり得なかったのです。有森裕子でも野口みずきでもありません。
なぜか?それは(ひどく大雑把に言えば)高橋選手が「世界と戦う」アスリートであったからです。
高橋選手のマラソンでの実績は以下の通り。
1997.01.26 大阪国際女子マラソン 2.31.32 7位 大阪 新人賞
1998.03.08 名古屋国際女子マラソン 2:25.48 優勝 名古屋(当時日本最高)
1998.12.06 アジア大会 2:21.47 優勝 Bangkok(アジア最高)
2000.03.12 名古屋国際女子マラソン 2:22.19 優勝 名古屋大会記録
2000.09.24 シドニー2000・オリンピック 2:23:14 優勝 シドニー(オリンピック・ベスト)
2001.09.30 ベルリン・マラソン 2001 2.19.46 優勝 ベルリン(当時世界最高)
2002.09.29 ベルリン・マラソン 2002 2.21.49 優勝 ベルリン
2003.11.16 東京国際女子マラソン 2.27.21 2位 東京 -
見事な成績としか言いようがないですが、特筆すべきことはタイムです。
高橋選手の最大の武器はスピードです。勝負に勝つだけでなく記録を出せるスピードが、彼女を一選手から日本を代表し世界で戦うアスリートにまで押し上げたのです。これは、大きなブレイクスルーでした。
マラソンのスピード化が進む中、身体能力の高い白人、黒人に混じり、堂々と戦い勝利する。
しかも、公式に世界最速タイムを樹立。日本人が世界一になったのです。
この事実がどれほど日本に力を与えてくれたことでしょう。
ひどく単純な話、一個人であるボク自身とても勇気づけられ、誇らしい気持ちになったのです。
そして彼女の人間的な魅力も、彼女の存在を認知させる大きな要因にもなりました。
「Qちゃん」という親しみやすいニックネーム。気取らない表情。飾らない言葉。
そう、彼女は世界を制する力を持つアスリートにも関わらず、常に「普通」なのです。
気負いや気取りは全くなく、ただ自分の好きなスポーツをする一人の人間にすぎない。
もちろんそこまでたどり着くまでに、肉体的にも精神的にも想像もつかないハードなトレーニングを自らに課してきたでしょうし、本人や関係者にしか分からない葛藤もあったでしょう。
しかし、高橋選手は表にそれを出さない。メディアで見る彼女はいつも「Qちゃん」スマイルです。
好きで好きでたまらないマラソンを楽しみながら続けていたら、いつの間にか世界一になってました。そんなさわやかな印象を与えてくれる希有な選手なのです。
「自分をほめてあげたい」と発言した有森選手とは比べものにならない。
そんな高橋選手が笑顔以外の表情を見せた、アテネオリンピック代表落選の記者会見は、今思い返しても、胸が詰まる思いです。彼女と関係者の心痛を思えば、言葉もありません。
過ぎた話ですが、アテネオリンピックに高橋尚子が出場できなかったことは、日本陸上史だけでなく日本のスポーツ史そのものに残る失点であったと、ボクは今でも考えています。
高橋尚子と言う女子マラソン界を代表するアスリートに対する日本陸連の態度や判断に問題があったのではないか、と。アテネに出場した野口みずき選手、土佐礼子選手、坂本直子選手を非難しているのではありません。
現在女子マラソン界は群雄割拠の時代に突入しています。
アテネオリンピック金メダルの野口みずき、04ベルリンマラソン優勝で高橋尚子の日本記録を4秒更新した渋井陽子、北京でピークを迎えるであろう坂本直子など、すばらしい選手が続々と現れています。
そして現在の世界記録は以下の通り。特にポーラ・ラドクリフの記録は日本人記録を約4分(!)上回っており、分厚い壁として立ちはだかっています。
1) 2:15:25 ポーラ・ラドクリフ(イギリス) 03.04.13 ロンドン優勝
2) 2:18:47 キャサリン・ヌデレバ(ケニア) 01.10.07 シカゴ優勝
3) 2:19:39 孫 英傑(中国) 03.10.19 北京優勝
4) 2:19:41 渋井 陽子(日本) 04.09.26 ベルリン優勝
5) 2:19:46 高橋 尚子(日本) 01.09.30 ベルリン優勝
高橋尚子は小出監督の下を卒業し、さらなる過酷なチャレンジに向かいます。
その道はこれまで以上に厳しい、本人いわく「いばらの道」となるでしょう。
ボクはただ祈り、かくあれと想像するのです。
北京の地で、アテネでの忘れ物を取り戻す高橋尚子の躍動する姿を。
オリンピック優勝と世界記録樹立を達成した後の、いつもと変わらぬ「Qちゃん」スマイルを。
高橋選手に関する情報はTVやネットのスポーツニュース、新聞、雑誌などで見聞きする程度で、独立に至る詳しい経緯などは何も分かりません。
ただ、記者会見での高橋選手の真摯な表情を見て、「ああ、この人は本当に走ることが大好きなんだな」と胸が締め付けられる思いがしました。
本人も言う通り、現在33歳の高橋選手に残されたマラソンランナーとしての現役時間はあと2~3年でしょう。決して長くはない時間です。
目標は間違いなく2008年北京オリンピック。
ボクは一ファンとして、この偉大なアスリートが再び輝かしい栄光を掴むことを強く祈るのです。
高橋尚子選手は日本女子陸上界において特別な選手です。
野球界の野茂、イチロー。サッカー界の中田英寿と同様の意味合いを持つ偉大なアスリートです。
女子マラソンが広く一般社会に認知され、アスリートの情報がメディアに乗り、産業として成立したのは、高橋選手の活躍をおいてあり得なかったのです。有森裕子でも野口みずきでもありません。
なぜか?それは(ひどく大雑把に言えば)高橋選手が「世界と戦う」アスリートであったからです。
高橋選手のマラソンでの実績は以下の通り。
1997.01.26 大阪国際女子マラソン 2.31.32 7位 大阪 新人賞
1998.03.08 名古屋国際女子マラソン 2:25.48 優勝 名古屋(当時日本最高)
1998.12.06 アジア大会 2:21.47 優勝 Bangkok(アジア最高)
2000.03.12 名古屋国際女子マラソン 2:22.19 優勝 名古屋大会記録
2000.09.24 シドニー2000・オリンピック 2:23:14 優勝 シドニー(オリンピック・ベスト)
2001.09.30 ベルリン・マラソン 2001 2.19.46 優勝 ベルリン(当時世界最高)
2002.09.29 ベルリン・マラソン 2002 2.21.49 優勝 ベルリン
2003.11.16 東京国際女子マラソン 2.27.21 2位 東京 -
見事な成績としか言いようがないですが、特筆すべきことはタイムです。
高橋選手の最大の武器はスピードです。勝負に勝つだけでなく記録を出せるスピードが、彼女を一選手から日本を代表し世界で戦うアスリートにまで押し上げたのです。これは、大きなブレイクスルーでした。
マラソンのスピード化が進む中、身体能力の高い白人、黒人に混じり、堂々と戦い勝利する。
しかも、公式に世界最速タイムを樹立。日本人が世界一になったのです。
この事実がどれほど日本に力を与えてくれたことでしょう。
ひどく単純な話、一個人であるボク自身とても勇気づけられ、誇らしい気持ちになったのです。
そして彼女の人間的な魅力も、彼女の存在を認知させる大きな要因にもなりました。
「Qちゃん」という親しみやすいニックネーム。気取らない表情。飾らない言葉。
そう、彼女は世界を制する力を持つアスリートにも関わらず、常に「普通」なのです。
気負いや気取りは全くなく、ただ自分の好きなスポーツをする一人の人間にすぎない。
もちろんそこまでたどり着くまでに、肉体的にも精神的にも想像もつかないハードなトレーニングを自らに課してきたでしょうし、本人や関係者にしか分からない葛藤もあったでしょう。
しかし、高橋選手は表にそれを出さない。メディアで見る彼女はいつも「Qちゃん」スマイルです。
好きで好きでたまらないマラソンを楽しみながら続けていたら、いつの間にか世界一になってました。そんなさわやかな印象を与えてくれる希有な選手なのです。
「自分をほめてあげたい」と発言した有森選手とは比べものにならない。
そんな高橋選手が笑顔以外の表情を見せた、アテネオリンピック代表落選の記者会見は、今思い返しても、胸が詰まる思いです。彼女と関係者の心痛を思えば、言葉もありません。
過ぎた話ですが、アテネオリンピックに高橋尚子が出場できなかったことは、日本陸上史だけでなく日本のスポーツ史そのものに残る失点であったと、ボクは今でも考えています。
高橋尚子と言う女子マラソン界を代表するアスリートに対する日本陸連の態度や判断に問題があったのではないか、と。アテネに出場した野口みずき選手、土佐礼子選手、坂本直子選手を非難しているのではありません。
現在女子マラソン界は群雄割拠の時代に突入しています。
アテネオリンピック金メダルの野口みずき、04ベルリンマラソン優勝で高橋尚子の日本記録を4秒更新した渋井陽子、北京でピークを迎えるであろう坂本直子など、すばらしい選手が続々と現れています。
そして現在の世界記録は以下の通り。特にポーラ・ラドクリフの記録は日本人記録を約4分(!)上回っており、分厚い壁として立ちはだかっています。
1) 2:15:25 ポーラ・ラドクリフ(イギリス) 03.04.13 ロンドン優勝
2) 2:18:47 キャサリン・ヌデレバ(ケニア) 01.10.07 シカゴ優勝
3) 2:19:39 孫 英傑(中国) 03.10.19 北京優勝
4) 2:19:41 渋井 陽子(日本) 04.09.26 ベルリン優勝
5) 2:19:46 高橋 尚子(日本) 01.09.30 ベルリン優勝
高橋尚子は小出監督の下を卒業し、さらなる過酷なチャレンジに向かいます。
その道はこれまで以上に厳しい、本人いわく「いばらの道」となるでしょう。
ボクはただ祈り、かくあれと想像するのです。
北京の地で、アテネでの忘れ物を取り戻す高橋尚子の躍動する姿を。
オリンピック優勝と世界記録樹立を達成した後の、いつもと変わらぬ「Qちゃん」スマイルを。
No Football No Life
前日の天気予報を少し裏切って、広島ビッグアーチは一日中曇りでした。
時折初夏の強い日差しがピッチを照らすものの、吹く風は肌寒さを感じさせるくらいでした。
それでも、この日ビッグアーチを埋めた観衆は22,607人。
W杯予選中断前の最後のホームゲーム。連休最後の日曜日。
相手はJリーグチャンピオン、横浜F・マリノス。
サンフレッチェは好調をキープ。引き分けを挟んで4連勝中で現在第3位。
人が集まるお膳立てが見事なほどに出来上がった試合。
昨年は諸事情により生観戦はできず、一昨年のJ2時代以来のビッグアーチでした。
恥ずかしながら、前日からワクワクドキドキして寝付けませんでした。
よく言うところの「遠足前」の気持ちでしょうか。
横浜F・マリノスはアジアチャンピオンズリーグを睨み、主力を温存した若手主体の陣容。
我らがサンフレッチェ広島は出場停止のベットが復帰してベストメンバー。
いくらJチャンピオンと言えど、ここ最近の勢いを考えれば、恐るるに足らず!!
ボクは背番号17服部公太選手の、一緒に行った友人は背番号5駒野友一選手のユニフォームTシャツをまとい、ボルテージは最高潮でキックオフ!
と、ここで試合の内容を記述するのが筋なのでしょうが、軽くトランス状態にあったボクは、この試合を論理的に分析することが出来ないことに気がつくのです。
前半、決定的なチャンスを決められなかった大木選手のシュート、ガウボン選手のヘディング。
いずれもキーパーの正面を付いた駒野選手の3本のシュート(1つはFK)
思わず立ち上がり、息を飲み、無念の声を張り上げたシーンは否応なく印象に残っています。
特に、大木選手、ガウボン選手のシュートは、ボクのいた位置からは「入った!」ように見えてしまったので、その分落胆は強烈でした。
ピッチサイドが変わった後半、マリノスの右サイドから一直線のクロスボールがあがる。
弾道が低く、速いクロスで、サンフレッチェDFの頭上を越えていく。
左サイドの死角から、ボクの目の前を、マリノスの選手が駆け上がっていく。しかし、クロスボールに注意をとられたDFは誰もケアできていない。倒れ込みながらヘディング!
危ないと叫ぶ間もなく、ボールは無情にも、本当に無情にもGK下田選手の横をすり抜け、ゴールマウスの中へ………。
脳みそ真空状態。音がなくなったビッグアーチの中心でマリノスの選手が集まって抱き合っていたりして、サンフレッチェ選手は淡々とボールをセンターサークルに運んでいく……。
開場アナウンスで得点を決めたのがマリノスの塩川選手であることを知る。
はぁ?塩川って誰よ?まぢで?点入ったの?
あとはもうやけくそ。
試合を分析しながら見るとか、そんな器用な真似はボクにはできそうにないことを痛感しました。ワンプレーワンプレーに声を張り上げながら、時々ビクッと立ち上がり、ガクッとうなだれて、過ぎ行く時間を恨みながら、気付けば指を組んでひたすら得点を祈っているのでした。
約2年ぶりのサンフレッチェ観戦は、非常に残念な結果に終わってしまいました。
負け試合ですから収穫なんてないのですが、強いて挙げるならば、久保竜彦選手を見ることが出来たことでしょうか。
言わずもがな、久保選手は元サンフレッチェのエースでした。
マリノスへ移籍して、その才能をより大きく開花させ、日本代表でも期待される選手へと成長されました。
敵味方に分かれてしまったけど、結局試合には出場しなかったけれど、広島で再び見ることが出来たのは嬉しいことでした。今でもボクの中では久保選手は大切な選手なのです。
ちょっと未練がましいかな?
サンフレッチェ広島は(当たり前のことですが)2年前のJ2時代より良いチームになっていました。
特に気に入ったのはDFのジニーニョ選手(背番号4)です。
さほどスピードは感じませんでしたが、1対1に強く、大胆なスライディングで敵の動きを止めるシーンは印象的でした。
ゴール前でDFがスライディングを仕掛けるのはスリリングです。かわされたら即大ピンチだし、ファウルならば、非常に危険な位置でのFK、最悪PKの可能性もあります。
そんな状況で勇敢にスライディングしていくジニーニョ選手は非常に頼もしく映りました。
この試合、サンフレッチェ最大の武器である左右サイドバックを起点としたチャンスが(特に後半)見られなかったのが残念です。
せっかくボクは服部選手、友人は駒野選手のユニフォームTシャツを着て応援してたのに。
ん?ひょっとして、そのせいだからか。
サンフレッチェのコーナーキックの際、サポーターは一斉にタオルを振り回し始めます。
2万人を超えるサポーターがタオルを振り回す光景は壮観でした。
ボクはタオルを持っていなかったので、気持ちを乗せて手だけを振り回しました。
次回はちゃんとタオルも用意して、万全の状態で、さらに強い念力を送りたいと思います。
いや、それにしても悔しい。返す返すも悔しい。誰がなんと言っても悔しい。
ボクは自分ではそれなりのサッカー通を自負しており、今日の試合のレポートを書こうと前もって気合をいれていたのですが……、無理ですね。
途中までは冷静なつもりだったのですが、いや、最初からか、脳内麻薬が出まくりで、夢心地のまんま、気がついたら全身脱力してがっかりしていました。
45分ハーフの90分なんてあっという間。得点も何分だったのか、よく分からない始末。
ただ一つ言えることは、実際に会場の一部分となって観戦するのは、非常に気持ちのよいことであること。テレビの方が試合の詳細をじっくり見れるのでしょうが、ブラウン管越しでは味わえない妙な一体感や風の冷たさ、スタジアムの匂いが体に染み入ってくるようでした。
そして、悔しさもテレビなんかより数倍こたえるのです(苦笑)
同時刻、広島市民球場では広島カープの打線が爆発。
対西部3連敗を阻止する、すばらしい快勝を挙げたことがせめてもの救いです。
その勢いを、ビッグアーチに分けてほしかった。ちゃんちゃん。
Departure
初のプロ野球セ・パ交流戦が行われた記念すべきこの日、ブログを開設しました。
基本的に日記形式をとりつつも、日付にとらわれず、心に浮かぶよしなしごとを、徒然なるままに綴っていくつもりです。
ということで、内容も千差万別、支離滅裂、荒唐無稽、言語道断になりそうですが、細かいことは気にせず、気楽にやっていきます。
初回は、今ボクが最も気にかかる話題から。
果たして北朝鮮への武力攻撃は行われるのか?
先月末から今月の頭にかけて、北朝鮮は日本海へ向けてミサイル発射実験を行った模様。
そして、現在核実験にむけての準備を着々と整えているとの情報があります。
アメリカも北朝鮮も態度を強硬化していくばかり。
いよいよ戦争へのカウントダウンが始まっているような気がしてきました。
朝鮮半島で武力衝突が発生すれば、日本も巻き込まれることは必定。
というか、この戦争の主役の一人になることは間違いありません。
北朝鮮は「日本は100年の敵」と公言し、日本国内に工作員を送り込み、日本列島にミサイルの照準を向けているのですから。
ここ数日の北朝鮮の動向は、事態が切迫してきたことを表しています。
しかし、日本のメディアは連日JR西日本の不祥事を鬼の首を取ったように暴力的に取り上げるばかり。
いったいどちらのニュースが我々にとって重要で、必要なのでしょうか?
今現在報道されるニュースがひどく偏っています。JRばかりで、北朝鮮関連の話題は非常に少ない。
そのせいで、逆に信憑性というか、リアリティを感じてしまうのです。
これは明らかに世間の目を北朝鮮から引き離すための報道管制ではないでしょうか?
戦争が始まるかもしれません。 ここで「戦争」をイメージできない自分に気がつきます。
日本は戦争を放棄した国。大東亜戦争から60年。日本人は戦争を経験していない。
湾岸戦争やイラク戦争、ユーゴ内戦やチェチェン紛争など、地球上の至る所で武力衝突があります。
テレビやネットを通じて様々な状況を見ることが出来る。
でも、実感として、見たり触れたりしてはいないから、「戦争」がどういうものか分からない。
日本の独立を守るための、外部の脅威からの防衛戦争に、反対はしません。
ただ、「戦争」イメージできず、どう受け入れていいのか、心が浮かぶようです。
戦争がないにこしたことはありません。だが、状況次第では確実に巻き込まれてしまう。
そのときに、何がなんだか分からない状態であることはさけたいと思うのです。
メディアが北朝鮮関連の報道をさけるのは、ある意味よく分かります。 (まぁ、日本のメディアが偏っているのは報道管制というより、ある種の勢力の圧力なのかもしれませんが)
きな臭い方向へ向かう極東情勢、望む望まないに関わらず、事態は動いています。
日本人として、個人として、この事態をどう受け止め、どう向かい合うのか、未だ答えはなく、不安を抱えるばかりな今日この頃なのです。
以上、初回の日記でした
基本的に日記形式をとりつつも、日付にとらわれず、心に浮かぶよしなしごとを、徒然なるままに綴っていくつもりです。
ということで、内容も千差万別、支離滅裂、荒唐無稽、言語道断になりそうですが、細かいことは気にせず、気楽にやっていきます。
初回は、今ボクが最も気にかかる話題から。
果たして北朝鮮への武力攻撃は行われるのか?
先月末から今月の頭にかけて、北朝鮮は日本海へ向けてミサイル発射実験を行った模様。
そして、現在核実験にむけての準備を着々と整えているとの情報があります。
アメリカも北朝鮮も態度を強硬化していくばかり。
いよいよ戦争へのカウントダウンが始まっているような気がしてきました。
朝鮮半島で武力衝突が発生すれば、日本も巻き込まれることは必定。
というか、この戦争の主役の一人になることは間違いありません。
北朝鮮は「日本は100年の敵」と公言し、日本国内に工作員を送り込み、日本列島にミサイルの照準を向けているのですから。
ここ数日の北朝鮮の動向は、事態が切迫してきたことを表しています。
しかし、日本のメディアは連日JR西日本の不祥事を鬼の首を取ったように暴力的に取り上げるばかり。
いったいどちらのニュースが我々にとって重要で、必要なのでしょうか?
今現在報道されるニュースがひどく偏っています。JRばかりで、北朝鮮関連の話題は非常に少ない。
そのせいで、逆に信憑性というか、リアリティを感じてしまうのです。
これは明らかに世間の目を北朝鮮から引き離すための報道管制ではないでしょうか?
戦争が始まるかもしれません。 ここで「戦争」をイメージできない自分に気がつきます。
日本は戦争を放棄した国。大東亜戦争から60年。日本人は戦争を経験していない。
湾岸戦争やイラク戦争、ユーゴ内戦やチェチェン紛争など、地球上の至る所で武力衝突があります。
テレビやネットを通じて様々な状況を見ることが出来る。
でも、実感として、見たり触れたりしてはいないから、「戦争」がどういうものか分からない。
日本の独立を守るための、外部の脅威からの防衛戦争に、反対はしません。
ただ、「戦争」イメージできず、どう受け入れていいのか、心が浮かぶようです。
戦争がないにこしたことはありません。だが、状況次第では確実に巻き込まれてしまう。
そのときに、何がなんだか分からない状態であることはさけたいと思うのです。
メディアが北朝鮮関連の報道をさけるのは、ある意味よく分かります。 (まぁ、日本のメディアが偏っているのは報道管制というより、ある種の勢力の圧力なのかもしれませんが)
きな臭い方向へ向かう極東情勢、望む望まないに関わらず、事態は動いています。
日本人として、個人として、この事態をどう受け止め、どう向かい合うのか、未だ答えはなく、不安を抱えるばかりな今日この頃なのです。
以上、初回の日記でした
