This is Football
ずばり日程を勘違いしていた。
昨夜4時頃からのコンフェデレーションズカップ中継は日本対メキシコ戦だと。
始まってからドイツ対オーストラリアだと知ったのであるが、ワールドユースのベナン戦を見て軽く鬱状態になっていたので、連続観戦することにした。モヤモヤした嫌な気持ちのまま眠りにつくのは不愉快だったからだ。
そしてその判断は正しかった。
最近日本代表のアジアサッカーばかりを見ていたからカルチャーショックを受けてしまった。
まず選手の体が大きくて分厚い。パスが速くて強い。その速くて強いパスを実に簡単にトラップしてまたパスをつなぐ。1対1のぶつかり合いが激しくてクリーン。
ボールがタッチラインを割らずファウルも少ないからゲームの流れが止まらない。無駄なバックパスや横パスが無く、攻守の切り替えも素早い、スピード感に満ちた試合だった。
まずそれだけでレベルの違いを感じた。筋力と基本技術の違いだと思う。特にトラップの技術がすごい。強いパスでも平然と止める。ボールが落ち着くからパスの精度も高くなる。キープもしっかりできる。
ドイツもオーストラリアもまずその前提がしっかり出来ていた。サッカーはつめるところボールを蹴って止めるスポーツなので、その技術の高低が試合のレベルを決めるのだ。
パスが速くきれいにつながるサッカーはそれだけで快感だ。「パスがつながる」ことは出し手と受け手の意思疎通ができたということである。目に見えない「意思疎通」がボールを用いてピッチに描かれる。複雑なパス交換が何本もつながることはそれだけでも奇跡に等しい。そしてゴールは非常に難しい「意思疎通」が達成された象徴であり、真の奇跡だ。
サッカーを見る側の人間は、パスがつながる心地よいリズムに酔い、いつ起こるか分からない「奇跡」の瞬間を求めて神経を研ぎすませ興奮するのである。
日本代表のサッカーにはそこらへんが徹底的に欠けている。パスは単調でつながらない。加えてスピードも遅い。出し手と受け手の疎通も滞り、リズムを遮るバックパスが混じる。せっかく通ったパスもトラップ技術が未熟であっさりカットされる。すなわち心地よいリズムに乗れないのである。これでは快感を感じることは出来ない。リズムを外した音痴なポッポスを聞かされたような後味の悪さが残る。
日本のサッカーが音痴なポップスだとするならば、昨夜のドイツ対オーストラリア戦はインディーズでCDを出している若手パンクロックバンドといった印象だろうか。荒々しくてアップテンポな感じだ。
なんだ、あまりレベル高くないじゃないか、と思われるかも知れない。確かにこの試合、技術レベルは日本を遥かに上回っていたが、ゲームとしては決してハイレベルとは言えない内容だったと思う。お互いに守備に問題を抱えたノーガードの「殴り合い」みたいな試合になったからだ。
試合は4-3で開催国ドイツが面目を保ったが、おせじにも内容は褒められない。
ドイツと言えば質実剛健で堅牢といったイメージがつきまとうが、昨夜のチームは若さ故のミスが目立ち失点を重ねた。攻撃も華麗なパス交換から生まれた4点目こそ芸術的であったが、それ以外は幸運で決まったゴールみたいなものだからだ。ドイツと言えば、サイドからのクロスをセンターFWが決めるという単調な攻撃が売り(笑)だったが、そのサイド攻撃も不発だった印象だ。
そして3失点したことも問題だろう。試合展開を見れば一目瞭然だが、失点は全て得点直後に起こっている。得点した後にわずかに隙が生まれるのはいただけない。
しかし、その点も選手の若さと経験不足を考えれば「よい勉強」になった、とプラス評価できる。
何よりも驚きなのが、この試合のドイツ代表の選手の年齢である。
DFのメルテザッカー、フート、MFのシュバインシュタイガー、FWのポドルスキーは20歳である。オランダにいるユース代表と同世代の選手達である。それほどの若い選手がスタメンでA代表戦に出場している。これはある意味ドイツの苦しい内情を表しているが、良い意味で解釈すればそれだけ激しい新陳代謝が起こっているという証明である。この4名以外にも若い選手が多い。代表選手の半分にあたる12名が1980年代生まれ。ドイツはクリンスマン監督も40歳と若い。既成概念を崩す若い力がドイツを新しく作り上げようとしている。
オーストラリアのことも忘れてはいけない。正直あまり注目はしていなかったのだが、レベルの高さは目を見張るものがあった。オーストラリアと言えばハリー・キューウェルとヴィドゥーカと昔サンフレッチェ広島にいたポポビッチは知っているが、その他の選手はよく知らないし、チームとしての印象が薄かった。
しかし、世界的に有名なプレーヤーこそいなかったが、スピードもフィジカルもドイツに全く見劣りしなかったし、しっかりボールをつなぐテクニックも併せ持っていた。失点しても直後に取り返す粘り強さは感服もの。なによりゴールへ向かう気迫に満ちた好チームだった。
オーストラリアの強さは他人事ではない。
オセアニアサッカー連盟に属するオーストラリアはW杯には恵まれていない。オセアニアにはW杯出場枠が独自には与えられず常にプレーオフで敗退する悲劇がある。86年メキシコ大会予選からの5回のプレーオフのうち、オーストラリアは実に4回もチャレンジしており、スコットランド、アルゼンチン、イラン、ウルグアイに、いずれも苦杯を喫している。
オーストラリアはアジアサッカー連盟へ移籍し、次回2010年南アフリカW杯予選からアジアの一員として日本と同じ予選を戦うこととなる。これはアジアのレベルアップを考えれば喜ばしい話だが、同時にW杯へのハードルがまた一段階高くなることを意味する。
ドイツはまだチーム熟成期間であり、ミスの目立つ若いチームであったことを差し引いても、真っ向勝負を挑んで善戦したオーストラリアは十分に世界で戦うレベルにある。
このコンフェデレーションズカップ出場国のうち、日本は最弱かもしれない。しかし、だからこそ挑戦する意義がある。明らかにアジアとはレベルの違うサッカーが緒戦から繰り広げられた。それがこれから日本が戦うべきステージである。
世界の壁は厚い。だからこそ、おもしろい。
昨夜4時頃からのコンフェデレーションズカップ中継は日本対メキシコ戦だと。
始まってからドイツ対オーストラリアだと知ったのであるが、ワールドユースのベナン戦を見て軽く鬱状態になっていたので、連続観戦することにした。モヤモヤした嫌な気持ちのまま眠りにつくのは不愉快だったからだ。
そしてその判断は正しかった。
最近日本代表のアジアサッカーばかりを見ていたからカルチャーショックを受けてしまった。
まず選手の体が大きくて分厚い。パスが速くて強い。その速くて強いパスを実に簡単にトラップしてまたパスをつなぐ。1対1のぶつかり合いが激しくてクリーン。
ボールがタッチラインを割らずファウルも少ないからゲームの流れが止まらない。無駄なバックパスや横パスが無く、攻守の切り替えも素早い、スピード感に満ちた試合だった。
まずそれだけでレベルの違いを感じた。筋力と基本技術の違いだと思う。特にトラップの技術がすごい。強いパスでも平然と止める。ボールが落ち着くからパスの精度も高くなる。キープもしっかりできる。
ドイツもオーストラリアもまずその前提がしっかり出来ていた。サッカーはつめるところボールを蹴って止めるスポーツなので、その技術の高低が試合のレベルを決めるのだ。
パスが速くきれいにつながるサッカーはそれだけで快感だ。「パスがつながる」ことは出し手と受け手の意思疎通ができたということである。目に見えない「意思疎通」がボールを用いてピッチに描かれる。複雑なパス交換が何本もつながることはそれだけでも奇跡に等しい。そしてゴールは非常に難しい「意思疎通」が達成された象徴であり、真の奇跡だ。
サッカーを見る側の人間は、パスがつながる心地よいリズムに酔い、いつ起こるか分からない「奇跡」の瞬間を求めて神経を研ぎすませ興奮するのである。
日本代表のサッカーにはそこらへんが徹底的に欠けている。パスは単調でつながらない。加えてスピードも遅い。出し手と受け手の疎通も滞り、リズムを遮るバックパスが混じる。せっかく通ったパスもトラップ技術が未熟であっさりカットされる。すなわち心地よいリズムに乗れないのである。これでは快感を感じることは出来ない。リズムを外した音痴なポッポスを聞かされたような後味の悪さが残る。
日本のサッカーが音痴なポップスだとするならば、昨夜のドイツ対オーストラリア戦はインディーズでCDを出している若手パンクロックバンドといった印象だろうか。荒々しくてアップテンポな感じだ。
なんだ、あまりレベル高くないじゃないか、と思われるかも知れない。確かにこの試合、技術レベルは日本を遥かに上回っていたが、ゲームとしては決してハイレベルとは言えない内容だったと思う。お互いに守備に問題を抱えたノーガードの「殴り合い」みたいな試合になったからだ。
試合は4-3で開催国ドイツが面目を保ったが、おせじにも内容は褒められない。
ドイツと言えば質実剛健で堅牢といったイメージがつきまとうが、昨夜のチームは若さ故のミスが目立ち失点を重ねた。攻撃も華麗なパス交換から生まれた4点目こそ芸術的であったが、それ以外は幸運で決まったゴールみたいなものだからだ。ドイツと言えば、サイドからのクロスをセンターFWが決めるという単調な攻撃が売り(笑)だったが、そのサイド攻撃も不発だった印象だ。
そして3失点したことも問題だろう。試合展開を見れば一目瞭然だが、失点は全て得点直後に起こっている。得点した後にわずかに隙が生まれるのはいただけない。
しかし、その点も選手の若さと経験不足を考えれば「よい勉強」になった、とプラス評価できる。
何よりも驚きなのが、この試合のドイツ代表の選手の年齢である。
DFのメルテザッカー、フート、MFのシュバインシュタイガー、FWのポドルスキーは20歳である。オランダにいるユース代表と同世代の選手達である。それほどの若い選手がスタメンでA代表戦に出場している。これはある意味ドイツの苦しい内情を表しているが、良い意味で解釈すればそれだけ激しい新陳代謝が起こっているという証明である。この4名以外にも若い選手が多い。代表選手の半分にあたる12名が1980年代生まれ。ドイツはクリンスマン監督も40歳と若い。既成概念を崩す若い力がドイツを新しく作り上げようとしている。
オーストラリアのことも忘れてはいけない。正直あまり注目はしていなかったのだが、レベルの高さは目を見張るものがあった。オーストラリアと言えばハリー・キューウェルとヴィドゥーカと昔サンフレッチェ広島にいたポポビッチは知っているが、その他の選手はよく知らないし、チームとしての印象が薄かった。
しかし、世界的に有名なプレーヤーこそいなかったが、スピードもフィジカルもドイツに全く見劣りしなかったし、しっかりボールをつなぐテクニックも併せ持っていた。失点しても直後に取り返す粘り強さは感服もの。なによりゴールへ向かう気迫に満ちた好チームだった。
オーストラリアの強さは他人事ではない。
オセアニアサッカー連盟に属するオーストラリアはW杯には恵まれていない。オセアニアにはW杯出場枠が独自には与えられず常にプレーオフで敗退する悲劇がある。86年メキシコ大会予選からの5回のプレーオフのうち、オーストラリアは実に4回もチャレンジしており、スコットランド、アルゼンチン、イラン、ウルグアイに、いずれも苦杯を喫している。
オーストラリアはアジアサッカー連盟へ移籍し、次回2010年南アフリカW杯予選からアジアの一員として日本と同じ予選を戦うこととなる。これはアジアのレベルアップを考えれば喜ばしい話だが、同時にW杯へのハードルがまた一段階高くなることを意味する。
ドイツはまだチーム熟成期間であり、ミスの目立つ若いチームであったことを差し引いても、真っ向勝負を挑んで善戦したオーストラリアは十分に世界で戦うレベルにある。
このコンフェデレーションズカップ出場国のうち、日本は最弱かもしれない。しかし、だからこそ挑戦する意義がある。明らかにアジアとはレベルの違うサッカーが緒戦から繰り広げられた。それがこれから日本が戦うべきステージである。
世界の壁は厚い。だからこそ、おもしろい。
Brother
絶望的な力の差を感じさせられたワールドユース緒戦のオランダ戦の前半。
しかし、後半は試合の流れは一転する。動きの鈍ったオランダを相手にリズムを握り、ゴールに迫り、あわよくば同点、逆転のムードすら立ち込めた。戦術的には褒められたものではない「放り込み」一辺倒であったが、傑出したFW平山相太を中心にA代表経験者を含むオランダに全く引けを取らずアタックし続けた。
「ゴールを奪う」という意思に満ちた面白いゲームだった。結果は敗戦に終わったが、希望を感じさせる躍動的な試合となった。日本のサッカーでおもしろいと感じたのはずいぶん久しぶりで、A代表よりも見応えがあった。
実力上位の開催国オランダに敗れるのは致し方ない。むしろ健闘。だから、次のベナン戦には大きな期待を寄せていた。きっとA代表が陥っている病を払拭できる何かをこの“弟”は持っている、と。
それは全くの勘違いだった。
日本の攻撃は平山相太が中心である。ベナンは平山を徹底的にマークして起点にさせなかった。
それだけで日本はこの試合ほとんど何も出来なかった。まずハイボールの競り合いで必ず平山をフリーにしない。くさびのパスを受ける際も二人掛かりで自由な動きを封じる。
これはベナンが日本をよく研究したから、では無いと思う。日本の攻撃手段があまりに幼稚で限られているから、ベナンは容易に網を張ることが出来たのだ。
むしろゲームプランを読み間違えたのは日本の方だろう。過去の試合データから、ベナンは後半運動量が落ちると予測したらしいが、それはあまりに楽観的すぎた。後半に入ってもベナンの運動量が目覚ましく落ちたという風には見えなかった。
ゲームプラン。大熊監督がこの試合をどう戦いたかったのか、率直な言葉を聞いてみたい。
この試合、MF梶山が先発出場。梶山の非凡なパスセンスに監督は高い評価を与えていたようだが、彼は怪我による長期離脱から復帰したばかりだった。90分戦えるか未知数な上に、レギュラーとしての全体練習をどれだけ消化し、チームとどのようにフィットさせたのか疑問だ。結局梶山は前半で交代する。1本ミドルシュートを放ったが、見せ場はそのくらいしか作れなかった。
交代で入った水野は後半ゴール前からFKを直接叩き込む見事なシュートを決めた。先のオランダ戦でも途中出場しFKで平山相太の得点をアシストしたのだから能力は疑うことは無い。水野は所属先のジェフ千葉で先発90分出場している選手でスタミナ面の不安も無い。水野は中盤でボールをキープし、攻撃にリズムを作った。フリーキッカーとしてだけでなくプレーメーカーとしても高い能力を示した。ならば、梶山ではなく、水野の先発起用は十分考えられたのではないだろうか。
水野の見事なFKで同点とした後、後半25分にベナン側に一人退場者が出る。数的有利となった日本は勝ち越し点を挙げるべく一気呵成で猛攻撃を開始する、そう思った。オランダ戦の後半がもう一度見られるかと期待したのだ。しかし、期待は霧散する。
代表チームで23試合点が取れていない“エース”のカレン・ロバートが退いて、17歳の怪物森本が投入される。森本は膝を痛めており出場が危ぶまれていたはずだが、コンディションに問題は無かったのだろうか。森本は見せ場を作るどころか、チャンスの場面でみすみす敵にボールを渡すミスプレーをしてしまった。
最も頭を抱えたのが後半終了間際の家永→苔口の交代だ。
左サイドで躍動した家永はこの試合の数少ない収穫の一つだった。平山相太が機能しないこの試合では、唯一の起点として攻撃をリードした。家永の良い点は基本がしっかりしている、ということに尽きる。ボールを蹴る、止めるがちゃんとできるから、自分のリズムで勝負が出来る。さほど足の速さは感じなかったが、技術のドリブルで左サイドを駆け上がりクロスをあげた。得点に結びついたFKも家永のドリブルでもらったファールからだった。過剰評価かもしれないが、三都主に変わる貴重な戦力としてA代表でも見てみたい選手の一人だ。
終盤どうしても1点が欲しい状況で大熊監督が切ったカードは、この試合で唯一攻撃をリードしていた家永を、オランダ戦で全く見せ場を作れなかった苔口と交代させることだった。これで日本は攻撃の手段をほぼ失ってしまうことになる。
日本の戦術は平山相太をターゲットとした「放り込み」だった。オランダ戦ではDFの当たりの弱さに助けられ機能したものの、ベナンはしたたかに平山相太を封じてきた。
ベナンのディフェンスで目を引いたのが前線や中盤での積極的なプレスだった。FWの選手が日本のDFラインにプレッシャーをかけてきた。アフリカ選手独自の強い体を活かした圧迫感のあるプレスで日本選手を慌てさせた。慌てた選手はパスミスを繰り返す。平山を狙ったロングボールはことごとくカットされ、味方同士のボール回しも安定さを欠きベナンに奪われてはピンチを招いた。
増嶋や柳楽らのロングフィードが精度を欠き、平山が封じられると日本は何も出来なかった。ベナンのプレスに押されDFラインは間延びし平山は孤立。中盤はボールキープできずバックパスを繰り返す。それはA代表でもよく見る退屈な現象だった。やはり兄弟は似ているのだろうか。
平山が機能していない状態で大熊監督はどうやって攻撃を組み立てようとしたのだろうか。
ただ一人攻撃のリズムを作っていた家永を交代させてどうするつもりだったのだろう。
家永よりも、試合中存在感の乏しかった背番号10番兵藤の方がふさわしかったと思う。オランダ戦で使えなかった苔口ではなく、一人で局面を打開する個人技を持つ前田俊介を起用する案も試してみる価値はあったはずだ。
後半「放り込み」はことごとく敵へのパスとなり、一人少ないベナンに逆に押し込められるひどい内容だった。なによりも1点が求められるこの状況では、マイボールをキープしてリズムを組み立て直す必要があった。数的有利を活かしてボールや選手を動かしてマークを外す。そうすることで平山も活きてくる。その戦術に家永や前田は欠かせなかったはずなのだが。
ワールドユース2戦目は単調なおもしろみのないサッカーに終始して、盛り上がること無く引き分けに終わった。得点は水野のFKのみで、左サイドの家永の突破以外得点の香りがする攻撃は見られなかった。
それはA代表の劣化コピーのような試合だった。このユース年代は2010年南アフリカW杯の中心になるだろう。日本サッカーの未来に暗雲が立ち込めているのを感じる。
現時点で彼らは非常に不自由なサッカーを強いられている印象がある。例えばカレン・ロバートは前線での守備を高く評価されて起用されている。しかし、FWに求められる仕事は得点を取ることだ。カレンは前述の通り23試合無得点。このままでは第2の鈴木隆行になってしまいそうで怖い。守備ではなく、ゴールに向かうアクションをもっと指導していくべきではないか。
水野や家永は高い能力を持っている。もちろん、平山や森本も将来性は十分にある。「谷間の世代」と揶揄されるが、特別なスターがいないだけで、能力的に劣っているとは思えない。
だからこそ、指導者が重要になってくる。もっと選手個々の能力を見極め、様々な戦術を試していくべきだと思う。平山相太が機能しなければ外せばいいのだ。その為に他の選手がいる。もっと他の選手にチャンスを与えるべきだ。
チームが結成されてから幾多の試合を消化し、最終目標の大舞台で見せたのは何の芸も無い「放り込み」戦術だった。しかも機能しない。監督や協会は何をやっていたのだろうか。
ベナンに引き分けたことにより、日本が決勝トーナメントに進出する為には次のオーストラリア戦に勝利するしか無い。この試合でユース代表の真価が見られるだろう。
2010年南アフリカW杯アジア予選でぶつかるであろう中国はこのワールドユース2戦2勝。韓国もスイスには敗れたもののナイジェリアに勝利した。
“弟”の奮起に期待したい。
しかし、後半は試合の流れは一転する。動きの鈍ったオランダを相手にリズムを握り、ゴールに迫り、あわよくば同点、逆転のムードすら立ち込めた。戦術的には褒められたものではない「放り込み」一辺倒であったが、傑出したFW平山相太を中心にA代表経験者を含むオランダに全く引けを取らずアタックし続けた。
「ゴールを奪う」という意思に満ちた面白いゲームだった。結果は敗戦に終わったが、希望を感じさせる躍動的な試合となった。日本のサッカーでおもしろいと感じたのはずいぶん久しぶりで、A代表よりも見応えがあった。
実力上位の開催国オランダに敗れるのは致し方ない。むしろ健闘。だから、次のベナン戦には大きな期待を寄せていた。きっとA代表が陥っている病を払拭できる何かをこの“弟”は持っている、と。
それは全くの勘違いだった。
日本の攻撃は平山相太が中心である。ベナンは平山を徹底的にマークして起点にさせなかった。
それだけで日本はこの試合ほとんど何も出来なかった。まずハイボールの競り合いで必ず平山をフリーにしない。くさびのパスを受ける際も二人掛かりで自由な動きを封じる。
これはベナンが日本をよく研究したから、では無いと思う。日本の攻撃手段があまりに幼稚で限られているから、ベナンは容易に網を張ることが出来たのだ。
むしろゲームプランを読み間違えたのは日本の方だろう。過去の試合データから、ベナンは後半運動量が落ちると予測したらしいが、それはあまりに楽観的すぎた。後半に入ってもベナンの運動量が目覚ましく落ちたという風には見えなかった。
ゲームプラン。大熊監督がこの試合をどう戦いたかったのか、率直な言葉を聞いてみたい。
この試合、MF梶山が先発出場。梶山の非凡なパスセンスに監督は高い評価を与えていたようだが、彼は怪我による長期離脱から復帰したばかりだった。90分戦えるか未知数な上に、レギュラーとしての全体練習をどれだけ消化し、チームとどのようにフィットさせたのか疑問だ。結局梶山は前半で交代する。1本ミドルシュートを放ったが、見せ場はそのくらいしか作れなかった。
交代で入った水野は後半ゴール前からFKを直接叩き込む見事なシュートを決めた。先のオランダ戦でも途中出場しFKで平山相太の得点をアシストしたのだから能力は疑うことは無い。水野は所属先のジェフ千葉で先発90分出場している選手でスタミナ面の不安も無い。水野は中盤でボールをキープし、攻撃にリズムを作った。フリーキッカーとしてだけでなくプレーメーカーとしても高い能力を示した。ならば、梶山ではなく、水野の先発起用は十分考えられたのではないだろうか。
水野の見事なFKで同点とした後、後半25分にベナン側に一人退場者が出る。数的有利となった日本は勝ち越し点を挙げるべく一気呵成で猛攻撃を開始する、そう思った。オランダ戦の後半がもう一度見られるかと期待したのだ。しかし、期待は霧散する。
代表チームで23試合点が取れていない“エース”のカレン・ロバートが退いて、17歳の怪物森本が投入される。森本は膝を痛めており出場が危ぶまれていたはずだが、コンディションに問題は無かったのだろうか。森本は見せ場を作るどころか、チャンスの場面でみすみす敵にボールを渡すミスプレーをしてしまった。
最も頭を抱えたのが後半終了間際の家永→苔口の交代だ。
左サイドで躍動した家永はこの試合の数少ない収穫の一つだった。平山相太が機能しないこの試合では、唯一の起点として攻撃をリードした。家永の良い点は基本がしっかりしている、ということに尽きる。ボールを蹴る、止めるがちゃんとできるから、自分のリズムで勝負が出来る。さほど足の速さは感じなかったが、技術のドリブルで左サイドを駆け上がりクロスをあげた。得点に結びついたFKも家永のドリブルでもらったファールからだった。過剰評価かもしれないが、三都主に変わる貴重な戦力としてA代表でも見てみたい選手の一人だ。
終盤どうしても1点が欲しい状況で大熊監督が切ったカードは、この試合で唯一攻撃をリードしていた家永を、オランダ戦で全く見せ場を作れなかった苔口と交代させることだった。これで日本は攻撃の手段をほぼ失ってしまうことになる。
日本の戦術は平山相太をターゲットとした「放り込み」だった。オランダ戦ではDFの当たりの弱さに助けられ機能したものの、ベナンはしたたかに平山相太を封じてきた。
ベナンのディフェンスで目を引いたのが前線や中盤での積極的なプレスだった。FWの選手が日本のDFラインにプレッシャーをかけてきた。アフリカ選手独自の強い体を活かした圧迫感のあるプレスで日本選手を慌てさせた。慌てた選手はパスミスを繰り返す。平山を狙ったロングボールはことごとくカットされ、味方同士のボール回しも安定さを欠きベナンに奪われてはピンチを招いた。
増嶋や柳楽らのロングフィードが精度を欠き、平山が封じられると日本は何も出来なかった。ベナンのプレスに押されDFラインは間延びし平山は孤立。中盤はボールキープできずバックパスを繰り返す。それはA代表でもよく見る退屈な現象だった。やはり兄弟は似ているのだろうか。
平山が機能していない状態で大熊監督はどうやって攻撃を組み立てようとしたのだろうか。
ただ一人攻撃のリズムを作っていた家永を交代させてどうするつもりだったのだろう。
家永よりも、試合中存在感の乏しかった背番号10番兵藤の方がふさわしかったと思う。オランダ戦で使えなかった苔口ではなく、一人で局面を打開する個人技を持つ前田俊介を起用する案も試してみる価値はあったはずだ。
後半「放り込み」はことごとく敵へのパスとなり、一人少ないベナンに逆に押し込められるひどい内容だった。なによりも1点が求められるこの状況では、マイボールをキープしてリズムを組み立て直す必要があった。数的有利を活かしてボールや選手を動かしてマークを外す。そうすることで平山も活きてくる。その戦術に家永や前田は欠かせなかったはずなのだが。
ワールドユース2戦目は単調なおもしろみのないサッカーに終始して、盛り上がること無く引き分けに終わった。得点は水野のFKのみで、左サイドの家永の突破以外得点の香りがする攻撃は見られなかった。
それはA代表の劣化コピーのような試合だった。このユース年代は2010年南アフリカW杯の中心になるだろう。日本サッカーの未来に暗雲が立ち込めているのを感じる。
現時点で彼らは非常に不自由なサッカーを強いられている印象がある。例えばカレン・ロバートは前線での守備を高く評価されて起用されている。しかし、FWに求められる仕事は得点を取ることだ。カレンは前述の通り23試合無得点。このままでは第2の鈴木隆行になってしまいそうで怖い。守備ではなく、ゴールに向かうアクションをもっと指導していくべきではないか。
水野や家永は高い能力を持っている。もちろん、平山や森本も将来性は十分にある。「谷間の世代」と揶揄されるが、特別なスターがいないだけで、能力的に劣っているとは思えない。
だからこそ、指導者が重要になってくる。もっと選手個々の能力を見極め、様々な戦術を試していくべきだと思う。平山相太が機能しなければ外せばいいのだ。その為に他の選手がいる。もっと他の選手にチャンスを与えるべきだ。
チームが結成されてから幾多の試合を消化し、最終目標の大舞台で見せたのは何の芸も無い「放り込み」戦術だった。しかも機能しない。監督や協会は何をやっていたのだろうか。
ベナンに引き分けたことにより、日本が決勝トーナメントに進出する為には次のオーストラリア戦に勝利するしか無い。この試合でユース代表の真価が見られるだろう。
2010年南アフリカW杯アジア予選でぶつかるであろう中国はこのワールドユース2戦2勝。韓国もスイスには敗れたもののナイジェリアに勝利した。
“弟”の奮起に期待したい。
Go for 2010
フィリップ・トルシエとジーコの違い、それは与えられたミッションと時間の違いだと考える。
トルシエは「規律と秩序」、ジーコは「自由と創造力」というサッカー理念ばかりが比較の対象となるが、そもそもサッカーに万能の戦術や法則など存在しないのだから、監督の持つサッカー理念にケチをつけても埒があかない。
あえて言うならば、両者ともに間違いではないだろう。
トルシエの場合「フラット3」という言葉が先走りすぎた感があるが、彼が求めたのは緻密な選手配置とコンパクトスペースを武器にするシステマチックなサッカースタイルだった。昔「ヨーロッパ型」もしくは「組織的」と呼ばれた戦術で、ハンス・オフトや加茂周が掲げた戦術(ゾーンプレス)の発展型だ。
3人のバックラインを一直線に並べ高い位置をキープする。それにより前線と最終ラインのスペースをコンパクトに設定し、中盤に人口過密を作り出す。高い位置からFWも含めた全員でプレスをかけボールを奪ったらそのまま高い位置から速攻をかける。身体能力に劣る分、1対1ではなく集団で敵に相対する。DFラインとキーパーの間のスペースはオフサイドトラップによりカバーする。これはかなり攻撃的な布陣だ。フラット3の不安定さやロングボールへの対応など弱点もあったが、全てを解決する戦術が無い上に、戦術に忠実な日本人の特性をよく理解した理念であったと思う。
一方ジーコはトルシエジャパンが直面した「組織の限界」を克服することをメインテーマに掲げる。すなわち「組織」を「個」でさらに強化すること。選手をポジションに当てはまるのではなく、選手個々の能力に見合ったフォーメーションや組み合わせを「作り上げる」方針である。まず選手ありき。有能な選手をいかに組み合わせるかによって組織を組み立てていく。古くは「南米型」や「個人技重視」ともよばれたが、最も基本的なサッカー戦術である。弱点はチームを作り上げる為には全体練習の時間が必要なことと、スタメン級の選手が離脱した場合にはチーム力が激減してしまうことが挙げられる。
以上のような理念論評はたくさん交わされたが、あまり有益ではないと思う。なぜなら今の監督はジーコであり、トルシエは過去の人だからだ。サッカー理念以前に監督には人格も求められる。
「日本人にはできない。だから私の言う通りにしろ」と自らの理念を押し付けたフィリップ・トルシエよりも、
「日本人だからできる。私がそうしてみせる」と日本の力を信じているジーコの方が心情的には今の日本の監督にはふさわしいと思うのではあるが。
で、話を本題に戻す。ミッションと時間の話だ。
フィリップ・トルシエのミッションとは2002年W杯で世界を相手に結果を残すことだった。彼に与えられた時間は2年。幾度もの解任の危機を乗り越えアジアカップの優勝も果たし(しかも圧倒的な勝利の連続で)2年の延長を勝ち取り、結局W杯終了まで指揮を執った。A代表だけではなく、同時進行で行われていた2000年シドニー五輪代表チーム監督も兼任した。
ジーコのミッションは2006年ドイツW杯に出場し、02W杯を超える結果を残すことだ。与えられた時間は4年。ジーコも幾度もささやかれた解任の危機を神懸かり的な強運で乗り切りアジアカップの優勝を果たし(奇跡の連続、薄氷の勝利で)無事W杯アジア最終予選を突破した。
この両者の違いは何であろう?
それは「W杯アジア予選」の存在である。2002年は自国開催のため日本は予選を免除された。ではこのことが何を意味するのであろうか?
トルシエは就任後、それまでの日本代表の主力だったフランスW杯選手を外し日本代表を解体した。そしてユース代表、オリンピック代表の選出、育成に力を注いだ。40人前後の代表候補選手のグループを作ることにより競走を煽り、選手層全体のレベルアップを促す。そこで育った若手の有望選手と既存の代表選手を融合させる。結果オリンピック世代の若い選手が中心となった新しい日本代表が生まれた。
トルシエの功績、それは日本代表だけでなく若手世代を含めた日本サッカー全体の底上げである。何かと非難されるトルシエだが、Jリーグを注視し未知の選手や若手にチャンスを与え日本サッカーに活力を与えた点は偉大であった。
ある意味実験場とも言えるトルシエ時代だが、これは「W杯アジア予選」がなかったからこそできたとも言えるのである。
「W杯アジア予選」はテレビ朝日のキャッチコピーの通り「絶対に負けられない戦い」である。内容ではなく結果が全て。その戦いでは「実力未知数」の若手を起用するにはリスクが高い。必然的にある程度戦力のメドが立っている「いつものメンバー」が多用されることになる。
これが今のジーコジャパンに起こっている現象である。
ジーコは若手や未知数の選手を起用するリスクを避け、能力を把握した選手を使うことを選んだ。加えてジーコジャパンは「個と自由」を標榜するため、チームの熟成の為に固定メンバーで戦う必要があった。ただでさえ直前合流で連携不足な海外組に頭を悩ませるのだから、これ以上チームに不協和音を持ち込みたくはなかったのだろう。
結果、Jリーグでの成績が代表につながる、というお題目は半ば無視され、過去の実績とチームの熟成度という名目で変化の無い代表メンバーが選出され続けることになった。鈴木や玉田がなぜ代表に呼ばれ続けるか不審に思う人は多いが、他の選手を呼びたくても呼べない、というのがジーコの本音では無いだろうか。世論が動いた大黒は幸運な例だと思う。
ジーコはトルシエの遺産を食いつぶしている。今の日本サッカーの力はトルシエが若手を鍛えたことに起因している。トルシエ時代には若手は代表入りを目指し競い合った。
が、代表メンバーが固定されている現在のジーコジャパンでは、新たに代表入りすることは至難。Jリーグで活躍しても代表に入れないのならば、必然的に選手のモチベーションは低下する。
今日本代表に欠けているものは新陳代謝である。古いものが去り新しいものが入ってくる、そんな循環が不足している。アテネ五輪代表だった選手が今のA代表には一人も選出されてはいない。一時期大久保、松井、石川、茂庭、阿部が選出されたが、現在は誰もいない。このままではA代表は老朽化が進む一方、若返りは難しい。
2006年W杯が終了した時点で主力がいなくなる可能性もある。ドイツW杯が当面の最大のミッションであることは当然である。しかし、日本サッカーは2006年だけでなく2010年も目指さなくてはならない。全てはつながっているのだから。
コンフェデレーションズカップは日程の都合で北朝鮮戦のメンバーで臨むことになった。これは少し残念だが(大久保を連れて行ってほしかった)、致し方あるまい。しかし、次の東アジア選手権や欧州遠征は今まで起用していなかった選手を試す絶好のチャンスとなるだろう。
代表に呼ばれていない有望選手は多くいる。彼らにチャンスを与えることが、現在のA代表選手にもプレッシャーとなり、日本全体のレベルアップへとつながる。選手層が厚くなればいざ主力に故障が出ても慌てること無く補完することが出来る。
そして代表を意識して鍛えられた若手選手達が、やがて2010年を目指すチームの主力となる。
代表選手を固定するのではなく、たえず新しい血を取り入れながら進化させていくこと。これも代表監督に求められる大きなミッションであると考える。「予選突破」がなかったとはいえ、その点においてはトルシエの方が力量が上だったと言えるのではないだろうか。
日本はまだサッカー後進国だ。オランダではW杯予選に20歳以下のユース代表の選手が選出されている。真のサッカー強国とは「絶対に負けられないW杯予選」の舞台で若手選手を起用し新陳代謝を図るのである。それだけの底力が国内にあるという証明だ。日本にはまだそこまでリスクを冒せるほどの力は無いのだろう。
だからこそ、本番までのこの1年がジーコにとって本当の勝負となる。2006年で結果を出し、なおかつそれを2010年に引き継ぐこと。それができて初めて日本がサッカー大国となる入り口に立てるのだと思う。
かつてドイツは国内の若手の伸び悩みの影響を受け代表メンバーを固定し続けた。結果代表はものの見事に老朽化し、弱体化のスパイラルに陥った。新監督クリンスマンの大胆な若手起用で息を吹き返しつつあるが、多くの時間と問題を処理しなければならなかった。
そうなってしまわないように、ジーコにはこの1年、日本代表だけでなく、日本サッカー全体を考えた選手選考を期待したい。「代表に選ばれる」ことがなによりも選手のモチベーションを刺激し、活力を与えることであるのだから。
ワールドユースが開幕した。平山相太は間違いなく未来の代表のエースになる逸材だろう。彼がドイツの舞台に立つことも決しておかしくはない。現時点でも鈴木よりもクオリティは高い。ジーコの慧眼に期待して、2006年を待つ。
トルシエは「規律と秩序」、ジーコは「自由と創造力」というサッカー理念ばかりが比較の対象となるが、そもそもサッカーに万能の戦術や法則など存在しないのだから、監督の持つサッカー理念にケチをつけても埒があかない。
あえて言うならば、両者ともに間違いではないだろう。
トルシエの場合「フラット3」という言葉が先走りすぎた感があるが、彼が求めたのは緻密な選手配置とコンパクトスペースを武器にするシステマチックなサッカースタイルだった。昔「ヨーロッパ型」もしくは「組織的」と呼ばれた戦術で、ハンス・オフトや加茂周が掲げた戦術(ゾーンプレス)の発展型だ。
3人のバックラインを一直線に並べ高い位置をキープする。それにより前線と最終ラインのスペースをコンパクトに設定し、中盤に人口過密を作り出す。高い位置からFWも含めた全員でプレスをかけボールを奪ったらそのまま高い位置から速攻をかける。身体能力に劣る分、1対1ではなく集団で敵に相対する。DFラインとキーパーの間のスペースはオフサイドトラップによりカバーする。これはかなり攻撃的な布陣だ。フラット3の不安定さやロングボールへの対応など弱点もあったが、全てを解決する戦術が無い上に、戦術に忠実な日本人の特性をよく理解した理念であったと思う。
一方ジーコはトルシエジャパンが直面した「組織の限界」を克服することをメインテーマに掲げる。すなわち「組織」を「個」でさらに強化すること。選手をポジションに当てはまるのではなく、選手個々の能力に見合ったフォーメーションや組み合わせを「作り上げる」方針である。まず選手ありき。有能な選手をいかに組み合わせるかによって組織を組み立てていく。古くは「南米型」や「個人技重視」ともよばれたが、最も基本的なサッカー戦術である。弱点はチームを作り上げる為には全体練習の時間が必要なことと、スタメン級の選手が離脱した場合にはチーム力が激減してしまうことが挙げられる。
以上のような理念論評はたくさん交わされたが、あまり有益ではないと思う。なぜなら今の監督はジーコであり、トルシエは過去の人だからだ。サッカー理念以前に監督には人格も求められる。
「日本人にはできない。だから私の言う通りにしろ」と自らの理念を押し付けたフィリップ・トルシエよりも、
「日本人だからできる。私がそうしてみせる」と日本の力を信じているジーコの方が心情的には今の日本の監督にはふさわしいと思うのではあるが。
で、話を本題に戻す。ミッションと時間の話だ。
フィリップ・トルシエのミッションとは2002年W杯で世界を相手に結果を残すことだった。彼に与えられた時間は2年。幾度もの解任の危機を乗り越えアジアカップの優勝も果たし(しかも圧倒的な勝利の連続で)2年の延長を勝ち取り、結局W杯終了まで指揮を執った。A代表だけではなく、同時進行で行われていた2000年シドニー五輪代表チーム監督も兼任した。
ジーコのミッションは2006年ドイツW杯に出場し、02W杯を超える結果を残すことだ。与えられた時間は4年。ジーコも幾度もささやかれた解任の危機を神懸かり的な強運で乗り切りアジアカップの優勝を果たし(奇跡の連続、薄氷の勝利で)無事W杯アジア最終予選を突破した。
この両者の違いは何であろう?
それは「W杯アジア予選」の存在である。2002年は自国開催のため日本は予選を免除された。ではこのことが何を意味するのであろうか?
トルシエは就任後、それまでの日本代表の主力だったフランスW杯選手を外し日本代表を解体した。そしてユース代表、オリンピック代表の選出、育成に力を注いだ。40人前後の代表候補選手のグループを作ることにより競走を煽り、選手層全体のレベルアップを促す。そこで育った若手の有望選手と既存の代表選手を融合させる。結果オリンピック世代の若い選手が中心となった新しい日本代表が生まれた。
トルシエの功績、それは日本代表だけでなく若手世代を含めた日本サッカー全体の底上げである。何かと非難されるトルシエだが、Jリーグを注視し未知の選手や若手にチャンスを与え日本サッカーに活力を与えた点は偉大であった。
ある意味実験場とも言えるトルシエ時代だが、これは「W杯アジア予選」がなかったからこそできたとも言えるのである。
「W杯アジア予選」はテレビ朝日のキャッチコピーの通り「絶対に負けられない戦い」である。内容ではなく結果が全て。その戦いでは「実力未知数」の若手を起用するにはリスクが高い。必然的にある程度戦力のメドが立っている「いつものメンバー」が多用されることになる。
これが今のジーコジャパンに起こっている現象である。
ジーコは若手や未知数の選手を起用するリスクを避け、能力を把握した選手を使うことを選んだ。加えてジーコジャパンは「個と自由」を標榜するため、チームの熟成の為に固定メンバーで戦う必要があった。ただでさえ直前合流で連携不足な海外組に頭を悩ませるのだから、これ以上チームに不協和音を持ち込みたくはなかったのだろう。
結果、Jリーグでの成績が代表につながる、というお題目は半ば無視され、過去の実績とチームの熟成度という名目で変化の無い代表メンバーが選出され続けることになった。鈴木や玉田がなぜ代表に呼ばれ続けるか不審に思う人は多いが、他の選手を呼びたくても呼べない、というのがジーコの本音では無いだろうか。世論が動いた大黒は幸運な例だと思う。
ジーコはトルシエの遺産を食いつぶしている。今の日本サッカーの力はトルシエが若手を鍛えたことに起因している。トルシエ時代には若手は代表入りを目指し競い合った。
が、代表メンバーが固定されている現在のジーコジャパンでは、新たに代表入りすることは至難。Jリーグで活躍しても代表に入れないのならば、必然的に選手のモチベーションは低下する。
今日本代表に欠けているものは新陳代謝である。古いものが去り新しいものが入ってくる、そんな循環が不足している。アテネ五輪代表だった選手が今のA代表には一人も選出されてはいない。一時期大久保、松井、石川、茂庭、阿部が選出されたが、現在は誰もいない。このままではA代表は老朽化が進む一方、若返りは難しい。
2006年W杯が終了した時点で主力がいなくなる可能性もある。ドイツW杯が当面の最大のミッションであることは当然である。しかし、日本サッカーは2006年だけでなく2010年も目指さなくてはならない。全てはつながっているのだから。
コンフェデレーションズカップは日程の都合で北朝鮮戦のメンバーで臨むことになった。これは少し残念だが(大久保を連れて行ってほしかった)、致し方あるまい。しかし、次の東アジア選手権や欧州遠征は今まで起用していなかった選手を試す絶好のチャンスとなるだろう。
代表に呼ばれていない有望選手は多くいる。彼らにチャンスを与えることが、現在のA代表選手にもプレッシャーとなり、日本全体のレベルアップへとつながる。選手層が厚くなればいざ主力に故障が出ても慌てること無く補完することが出来る。
そして代表を意識して鍛えられた若手選手達が、やがて2010年を目指すチームの主力となる。
代表選手を固定するのではなく、たえず新しい血を取り入れながら進化させていくこと。これも代表監督に求められる大きなミッションであると考える。「予選突破」がなかったとはいえ、その点においてはトルシエの方が力量が上だったと言えるのではないだろうか。
日本はまだサッカー後進国だ。オランダではW杯予選に20歳以下のユース代表の選手が選出されている。真のサッカー強国とは「絶対に負けられないW杯予選」の舞台で若手選手を起用し新陳代謝を図るのである。それだけの底力が国内にあるという証明だ。日本にはまだそこまでリスクを冒せるほどの力は無いのだろう。
だからこそ、本番までのこの1年がジーコにとって本当の勝負となる。2006年で結果を出し、なおかつそれを2010年に引き継ぐこと。それができて初めて日本がサッカー大国となる入り口に立てるのだと思う。
かつてドイツは国内の若手の伸び悩みの影響を受け代表メンバーを固定し続けた。結果代表はものの見事に老朽化し、弱体化のスパイラルに陥った。新監督クリンスマンの大胆な若手起用で息を吹き返しつつあるが、多くの時間と問題を処理しなければならなかった。
そうなってしまわないように、ジーコにはこの1年、日本代表だけでなく、日本サッカー全体を考えた選手選考を期待したい。「代表に選ばれる」ことがなによりも選手のモチベーションを刺激し、活力を与えることであるのだから。
ワールドユースが開幕した。平山相太は間違いなく未来の代表のエースになる逸材だろう。彼がドイツの舞台に立つことも決しておかしくはない。現時点でも鈴木よりもクオリティは高い。ジーコの慧眼に期待して、2006年を待つ。
Young Japan rising
ワールドユース開幕戦、開催国オランダ対日本。前半20分で2失点。
そこには、トルシエ時代5-0で大敗したフランス戦のような残酷な雰囲気が漂っていた。「いったい何点取られるのか」やはり「世界」の壁は厚い、そう痛感させられた立ち上がりだった。
まずオランダは速い。脚力もだがパスが強くて速い。ピッチをワイドに使い、パスを縦に強く入れてくる。そして体が強い。縦に入れたくさびのパスをしっかりキープできる。キープどころか、そのまま日本ゴールに向かって突進してくる。日本選手が2人がかりでも止められない。当然守備に人数を割かれる分、オランダのアタッカーはフリーになる。セカンドボールもことごとく制圧されボールポゼッションはオランダ70%の日本30%。
この試合を見た方はオランダの7番クインシー・オウス・アベイーが強く脳裏に刻まれたことだろう。
彼は化け物か宇宙人か異次元から来た未知の生物だろう。2点目の起点となった、自陣から日本選手4人をぶっちぎって独走したドリブルはとてつもない爆発力だった。彼と相対した右サイドの中村北斗は何の役にも立たなかった。中村は責められない。クインシーを止めることが出来るDFは全世界見渡してもそうはいないだろう。
オランダは開催国であり、当然優勝を期待されている。U-20の大会でありながらこの試合2万人の大観衆がスタジアムを埋めた。もちろんほぼ地元オランダサポーターだ。オランダは試合開始早々から圧倒的な攻撃力を披露した。日本なんか粉砕してやる、という凶暴性をあらわにしたオランダらしい美しい攻撃だった。
オランダは伝統的に攻撃サッカーの国だ。両サイドにウィングを配した4-3-3のフォーメーション。これはA代表でもおなじみの超攻撃布陣だ。ここにオランダの強さの秘密がある。オランダはユース年代からA代表、はたまたクラブチームに至るまでこの攻撃の理念が徹底して浸透している。どの世代もチームも基本の戦術はウィングを用いた4-3-3だ。中央に決定力のあるセンターFW(ファン・ニステルローイ、クライフェルトなど)を置き、サイドには突破力に優れたウィング(オーフェルマルス、ロッベンなど)。この戦術が徹底しているからこそ、次から次へと有能な人材が生まれてくる。
オランダユース代表にはA代表選出選手が4人いる。そのうち今日のスタメンには3人が名を連ねた。この点において日本は刺激を受けなくてはならない。オランダは世界有数のサッカー強国である。そのオランダでは20歳以下の選手でもA代表に選出されるほどの新陳代謝が起こっているのだ。メンバーを固定し続けるジーコジャパンとは違う姿勢だ。ジーコ日本代表はトルシエ時代の遺産を食いつぶす形で現在進行している。このワールドユースはいつを目指したものなのか、2006年ドイツW杯なのか、2008年北京五輪なのか、2010年南アフリカW杯なのか。この大会の結果や選手の活躍が無駄に終わらず現在のA代表にも良い意味でプレッシャーを与えることになってほしい。
前半終了間際に苔口に替わってカレン・ロバートが出場。そして後半を迎える。
後半に入って試合のリズムは完全に変わった。簡単に言うならオランダが気を抜いた、ということだろう。前半で2点を取ったのだから、積極的にアタックする必要は無い。前半で見せた凶暴性は影を潜め、クインシーやアベルの個人能力のみを使った攻撃に終始するようになる。そこでカレンが生きてきた。
カレンの持ち味は前線からの守備能力にある。FWなのだから守備力というのはどうかと思うが、カレンが走り回りオランダのDFやMFにプレッシャーをかけることにより、徐々に日本がボールをつなげるようになる。
そして後半23分、本田に替わって途中出場した水野のフリーキックに平山相太が見事に頭で合わせてゴール!DFを振り切って決めた完璧なシュートだった。水野のキックの精度も素晴らしかった。
前半を見る限り日本は全く相手にされていなかったし、実力差は火を見るよりも明らかだった。しかし、この得点で試合のムードは完全に日本のものになった。弛緩したまったりムードだった観客が急にバタバタし始める。オランダの足が止まり、日本のリズムが生まれ、ゴール前に迫る動きも増えた。オランダ(特に観客)が慌てふためいているのが愉快だった。
そこからの日本の攻撃は決してほめられたものではなかった。DFラインや中盤から平山相太の頭を目がけてロングボールを放り込む、大味なパワープレーだったからだ。しかし、平山相太はやはりこの年代での能力は傑出しており、空中戦のほとんどでオランダDFに競り勝った。まぁオランダDFのロングボール処理がへたくそというのもあるが。
終了間際、ビッグチャンスがあった。カレンがロングボールのこぼれ球を完璧なトラップで止め、ドフリーでシュートを打ったのだが、ボールは無情にも宇宙開発に終わってしまった。17歳の怪物森本もDF2人を振り切って素晴らしいシュートを放ったが、GKの美技に阻まれ得点はならなかった。
結果2-1でワールドユースの初戦は敗戦に終わった。残念な結果だが、下を向く必要は無い。相手は開催国のオランダなのだから、むしろ胸を張っていいくらいだ。試合が始まるまで選手達は「世界」が分からなかったはずだ。この試合で否が応にも「世界」の実力を肌で感じ取ったのではないだろうか。
具体的にいうと、相手に対する時の体の入れ方、ぶつかり方、間合いの取り方など、強い相手と実際に試合をしなければ分からないことだ。それを初戦で学べたということは今後につながるだろう。ベナンやオーストラリアが抜群の身体能力を誇ろうとも、オランダ戦を経験したことでよいシミュレーションができた。恐れることは無い。
思えば世界大会は久しぶりだ。当たり前のことだが、今日の試合のスタンドはほぼオレンジ一色。完全アウェーだった。ここ最近日本が味わっていたアジアのアウェーではなく、欧州のそれだった。
それはある種残酷だが清々しいムードに包まれる。すなわち観衆は地元オランダチームを見に来ているのであり、日本なんてまるで相手にしていない、という空気だ。地球の東はずれの黄色い連中のサッカーになんて興味をもってない。見たいのはオランダの勝利でありゴールショーだ。
日本がアジアで闘う場合、ホームだろうがアウェーだろうが日本は主役である。アジアでは最も強いチームの一つなのだから、どこの国も日本を意識して対策を練り、圧迫を与えてくる。試合では日本の力を警戒しDFに人数をかけゴール前を固め自由を与えない。観衆は日本の動き一つ一つにブーイングを飛ばし敵意と憎悪を募らせる。
しかし、オランダにはそんな空気は存在しない。誰も日本に敵意など向けない。そもそも日本なんか知らないのだから憎むまでもない、ということだ。世界戦でいつも感じるのはそういうスルーの雰囲気であり、それは日本がサッカー後進国であることの証明なのだ。
これは嘆くことではない。W杯での実績も無く、選手個人でも目立った活躍の無い日本が世界的に認められていないのは当然のことである。だからこそ、世界戦で活躍し結果を残す意義がある。プレーの輝きのみが世界の目を変えることになるのだ。
きっと平山相太のゴールはオランダ人の記憶に焼き付いただろう、多分。そういう衝撃の積み重ねが日本サッカーの存在感と認知度を高めていく。長い時間と多くの選手の活躍、または飛び抜けたスーパースターの圧倒的な存在感によって、「世界」での尊敬を勝ち得ていくのだ。
まだまだ日本サッカーはその道筋の途中なのだ。
日本はW杯アジア最終予選を突破し本大会出場を決めた。ようやく「世界」へのチケットを手に入れたのだ。真の戦いは今から始まる。このワールドユースは世界への戦いの序章だ。
残念ながら勝ち点をとることは出来なかったが、この試合は見応えのあるスリリングなゲームだった。ずばり言ってジーコジャパンよりも面白かった。それは何故か、アタックする意思が見えたからだ。2-1で負けている以上攻めるしか無い。たとえ平山相太の頭を利用するだけの華麗とはいえない攻撃であったが、ゴールを目指すサッカーは面白い。
次はベナン戦。下手に守りを固めるのではなく、いかに点を取るのか、ゴールへの意思を感じることの出来る攻撃を期待したい。平山相太のヘディングと身体能力が世界戦で通用するのは分かった。他にも随所でよいプレーが見られた。
まずは日本の「弟」に世界を驚かせてほしい。このチームにはその可能性がある。
大熊監督に進言したい。
次戦、後半からでも良いのでサンフレッチェ広島の前田俊介を起用してほしい。前俊のボールテクニックとドリブルは傑出している。彼がどこまで世界で勝負できるか、見てみたいのだ。センターに平山、サイドに前俊と森本を配した日本の3トップを、ぜひオランダで。
そこには、トルシエ時代5-0で大敗したフランス戦のような残酷な雰囲気が漂っていた。「いったい何点取られるのか」やはり「世界」の壁は厚い、そう痛感させられた立ち上がりだった。
まずオランダは速い。脚力もだがパスが強くて速い。ピッチをワイドに使い、パスを縦に強く入れてくる。そして体が強い。縦に入れたくさびのパスをしっかりキープできる。キープどころか、そのまま日本ゴールに向かって突進してくる。日本選手が2人がかりでも止められない。当然守備に人数を割かれる分、オランダのアタッカーはフリーになる。セカンドボールもことごとく制圧されボールポゼッションはオランダ70%の日本30%。
この試合を見た方はオランダの7番クインシー・オウス・アベイーが強く脳裏に刻まれたことだろう。
彼は化け物か宇宙人か異次元から来た未知の生物だろう。2点目の起点となった、自陣から日本選手4人をぶっちぎって独走したドリブルはとてつもない爆発力だった。彼と相対した右サイドの中村北斗は何の役にも立たなかった。中村は責められない。クインシーを止めることが出来るDFは全世界見渡してもそうはいないだろう。
オランダは開催国であり、当然優勝を期待されている。U-20の大会でありながらこの試合2万人の大観衆がスタジアムを埋めた。もちろんほぼ地元オランダサポーターだ。オランダは試合開始早々から圧倒的な攻撃力を披露した。日本なんか粉砕してやる、という凶暴性をあらわにしたオランダらしい美しい攻撃だった。
オランダは伝統的に攻撃サッカーの国だ。両サイドにウィングを配した4-3-3のフォーメーション。これはA代表でもおなじみの超攻撃布陣だ。ここにオランダの強さの秘密がある。オランダはユース年代からA代表、はたまたクラブチームに至るまでこの攻撃の理念が徹底して浸透している。どの世代もチームも基本の戦術はウィングを用いた4-3-3だ。中央に決定力のあるセンターFW(ファン・ニステルローイ、クライフェルトなど)を置き、サイドには突破力に優れたウィング(オーフェルマルス、ロッベンなど)。この戦術が徹底しているからこそ、次から次へと有能な人材が生まれてくる。
オランダユース代表にはA代表選出選手が4人いる。そのうち今日のスタメンには3人が名を連ねた。この点において日本は刺激を受けなくてはならない。オランダは世界有数のサッカー強国である。そのオランダでは20歳以下の選手でもA代表に選出されるほどの新陳代謝が起こっているのだ。メンバーを固定し続けるジーコジャパンとは違う姿勢だ。ジーコ日本代表はトルシエ時代の遺産を食いつぶす形で現在進行している。このワールドユースはいつを目指したものなのか、2006年ドイツW杯なのか、2008年北京五輪なのか、2010年南アフリカW杯なのか。この大会の結果や選手の活躍が無駄に終わらず現在のA代表にも良い意味でプレッシャーを与えることになってほしい。
前半終了間際に苔口に替わってカレン・ロバートが出場。そして後半を迎える。
後半に入って試合のリズムは完全に変わった。簡単に言うならオランダが気を抜いた、ということだろう。前半で2点を取ったのだから、積極的にアタックする必要は無い。前半で見せた凶暴性は影を潜め、クインシーやアベルの個人能力のみを使った攻撃に終始するようになる。そこでカレンが生きてきた。
カレンの持ち味は前線からの守備能力にある。FWなのだから守備力というのはどうかと思うが、カレンが走り回りオランダのDFやMFにプレッシャーをかけることにより、徐々に日本がボールをつなげるようになる。
そして後半23分、本田に替わって途中出場した水野のフリーキックに平山相太が見事に頭で合わせてゴール!DFを振り切って決めた完璧なシュートだった。水野のキックの精度も素晴らしかった。
前半を見る限り日本は全く相手にされていなかったし、実力差は火を見るよりも明らかだった。しかし、この得点で試合のムードは完全に日本のものになった。弛緩したまったりムードだった観客が急にバタバタし始める。オランダの足が止まり、日本のリズムが生まれ、ゴール前に迫る動きも増えた。オランダ(特に観客)が慌てふためいているのが愉快だった。
そこからの日本の攻撃は決してほめられたものではなかった。DFラインや中盤から平山相太の頭を目がけてロングボールを放り込む、大味なパワープレーだったからだ。しかし、平山相太はやはりこの年代での能力は傑出しており、空中戦のほとんどでオランダDFに競り勝った。まぁオランダDFのロングボール処理がへたくそというのもあるが。
終了間際、ビッグチャンスがあった。カレンがロングボールのこぼれ球を完璧なトラップで止め、ドフリーでシュートを打ったのだが、ボールは無情にも宇宙開発に終わってしまった。17歳の怪物森本もDF2人を振り切って素晴らしいシュートを放ったが、GKの美技に阻まれ得点はならなかった。
結果2-1でワールドユースの初戦は敗戦に終わった。残念な結果だが、下を向く必要は無い。相手は開催国のオランダなのだから、むしろ胸を張っていいくらいだ。試合が始まるまで選手達は「世界」が分からなかったはずだ。この試合で否が応にも「世界」の実力を肌で感じ取ったのではないだろうか。
具体的にいうと、相手に対する時の体の入れ方、ぶつかり方、間合いの取り方など、強い相手と実際に試合をしなければ分からないことだ。それを初戦で学べたということは今後につながるだろう。ベナンやオーストラリアが抜群の身体能力を誇ろうとも、オランダ戦を経験したことでよいシミュレーションができた。恐れることは無い。
思えば世界大会は久しぶりだ。当たり前のことだが、今日の試合のスタンドはほぼオレンジ一色。完全アウェーだった。ここ最近日本が味わっていたアジアのアウェーではなく、欧州のそれだった。
それはある種残酷だが清々しいムードに包まれる。すなわち観衆は地元オランダチームを見に来ているのであり、日本なんてまるで相手にしていない、という空気だ。地球の東はずれの黄色い連中のサッカーになんて興味をもってない。見たいのはオランダの勝利でありゴールショーだ。
日本がアジアで闘う場合、ホームだろうがアウェーだろうが日本は主役である。アジアでは最も強いチームの一つなのだから、どこの国も日本を意識して対策を練り、圧迫を与えてくる。試合では日本の力を警戒しDFに人数をかけゴール前を固め自由を与えない。観衆は日本の動き一つ一つにブーイングを飛ばし敵意と憎悪を募らせる。
しかし、オランダにはそんな空気は存在しない。誰も日本に敵意など向けない。そもそも日本なんか知らないのだから憎むまでもない、ということだ。世界戦でいつも感じるのはそういうスルーの雰囲気であり、それは日本がサッカー後進国であることの証明なのだ。
これは嘆くことではない。W杯での実績も無く、選手個人でも目立った活躍の無い日本が世界的に認められていないのは当然のことである。だからこそ、世界戦で活躍し結果を残す意義がある。プレーの輝きのみが世界の目を変えることになるのだ。
きっと平山相太のゴールはオランダ人の記憶に焼き付いただろう、多分。そういう衝撃の積み重ねが日本サッカーの存在感と認知度を高めていく。長い時間と多くの選手の活躍、または飛び抜けたスーパースターの圧倒的な存在感によって、「世界」での尊敬を勝ち得ていくのだ。
まだまだ日本サッカーはその道筋の途中なのだ。
日本はW杯アジア最終予選を突破し本大会出場を決めた。ようやく「世界」へのチケットを手に入れたのだ。真の戦いは今から始まる。このワールドユースは世界への戦いの序章だ。
残念ながら勝ち点をとることは出来なかったが、この試合は見応えのあるスリリングなゲームだった。ずばり言ってジーコジャパンよりも面白かった。それは何故か、アタックする意思が見えたからだ。2-1で負けている以上攻めるしか無い。たとえ平山相太の頭を利用するだけの華麗とはいえない攻撃であったが、ゴールを目指すサッカーは面白い。
次はベナン戦。下手に守りを固めるのではなく、いかに点を取るのか、ゴールへの意思を感じることの出来る攻撃を期待したい。平山相太のヘディングと身体能力が世界戦で通用するのは分かった。他にも随所でよいプレーが見られた。
まずは日本の「弟」に世界を驚かせてほしい。このチームにはその可能性がある。
大熊監督に進言したい。
次戦、後半からでも良いのでサンフレッチェ広島の前田俊介を起用してほしい。前俊のボールテクニックとドリブルは傑出している。彼がどこまで世界で勝負できるか、見てみたいのだ。センターに平山、サイドに前俊と森本を配した日本の3トップを、ぜひオランダで。
A bright feeling 2
アレッサンドロ・デル・ピエロである。いや、まぢで。
タイガーマスクをかぶって嬉しそうなのは、今期イタリアセリエAでスクデットを獲得したユヴェントスの10番でイタリア代表のエースでもあるデル・ピエロ、その人である。
深夜のプロレス放送を何気なく見ていたら、番組最後の予告編でいきなりデル・ピエロが出てきた。
ものすごい違和感だった。
そうやらデル・ピエロ、昔からプロレスファンだったらしく、ユベントスの日本ツアーの最中新日本を訪れたそうだ。
※引用 JUVENTUSオフィシャルホームページ
http://www.juventus.com/it/news/detail.aspx?lml_language_id=0&trs_id=1203000&ID=5043
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デル・ピエロは特別なプレゼントをもらって上機嫌
「僕は子供の時から日本のプロレスに情熱を持ってたんだ。 宿題を終えたあとにテレビで有名人を見ていたんだよ。 僕のお気に入りはアントニオ・イノキ、タイガー・マスクとタツミ・フジナミだった。 日々インタビューで僕はこの情熱を伝えてきたんだけど、 テレビ番組に参加した時にタツミ・フジナミから個人的にタイガー・マスクの マスクをプレゼントしてもらえるって魅力的な驚きと素晴らしい名誉があったんだよ。」
※ホームページより日本語訳
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いいぞ、デル・ピエロ。さすがイタリア代表の貴公子。センスが違う。
イタリアでは新日本プロレスが放映されていたらしく、子供の頃よりファンだったという。さらに日本のテレビ番組は色々見ていたようで「風雲たけし城」もお気に入りだとか。
イタリア代表選手に限らず、世界的な名選手に親日家が多いことは知っていたが、「新日本プロレス」や「たけし城」が出てくるとは思わなかったから、思いっきり意表をつかれた。
※引用 新日本プロレスリング
http://www.njpw.co.jp/news/topics/2005/06/0606_01.html
サッカー界では密かに親日が盛んである。
イタリア代表ではカンナヴァーロがルパン三世のファンで、トッティ王子がキャプテン翼と日本のサッカーゲーム(ウイニングイレブンか?)、インザーギがガンダム好きらしい。
ポルトガル代表のフィーゴが大の親日&日本食好きで、バルセロナに所属していた頃は日本食レストランを経営していたのは有名な話だ。(レアル移籍に激昂したバルサファンに襲撃されてしまった)
プロレスにアニメにゲームに日本食、ちょっとひっかかるところもあるが、このような世界的なスターに日本の文化が敬意と愛情をもって受け入れられているのは素直に嬉しい。
思えば、2002年W杯の時も日本はホスト国として高い評価を受けた。日本ならではのきめ細かな設備と対応と配慮は、日本を訪れた選手だけでなく各国のサポーターまでも感動させた。
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/wcupkoryu.html
タイガーマスクをかぶったデル・ピエロは間違いなくいい人だ、と思う。この写真でイタリアに対する好感は上がると思う。またイタリアも日本を好意的に見てくれるだろう。
先日のバーレーンと同じだ。サッカーを通じて、日本という文化が広く海外にPRされるのはありがたいことだ。逆に、こちらも相手の国や文化に興味を持つし、こうやって健全な交流が育まれていくのだと改めて実感する。
デル・ピエロに言いたい。
日本に来い。いや、ぜひ来てください。Jリーグはあなたを待っている!
日本にくれば好きなだけプロレス見れるし、アニメもゲームも腐るほどある。
トッティは無理として、インザーギもダーヴィッツもフィーゴもジダンも日本が好きなサッカー選手はみんなJリーグへ来てほしい。トップフォームでなくても、Jリーグならば十分通用するでしょう。
Jリーグは10年の歴史を重ね、レベルも上がってきた。今でも十分楽しめているが、さらなるファン獲得と注目度アップのためには世界的スターがぜひとも欲しいところだ。
以前デル・ピエロはJリーグへの移籍がイタリアの新聞で取りざたされたことがあった。今すぐというのは現実的ではないが、2006年W杯が終わったら、本当にやってくるかもしれない。セリエAで通用しなくなったら、現役の最後はJリーグ。
来い、デル・ピエロ!広島ビッグアーチで見る日を楽しみにしているぞ!!
おまけにもう一つ。
聖闘士星矢のフィギュアを嬉しそうにいじったいるのはフランス代表GKセバスティアン・フレイである。
この顔……。いや、いいんだけど。親日家万歳。
A bright feeling
「ベストのチーム、日本が我々を打ち破った!」、「日本が我々を飲み込んだ!」
試合翌日のバーレーンの新聞には日本代表が躍動していた。日本代表が素晴らしいチームだったという論調で、「試合は完敗だった」とバーレーンの敗戦を受け入れるどころか、相手の日本を賞賛してくれていたのだった。
日本に敗れたことにより、バーレーンのグループ2位以内はほぼ絶望的となった。落胆は当然だろうし、その矛先が直接日本に向けられてもおかしくはないのに、彼らの姿勢は実に潔く紳士的だ。敗戦を痛みながらも勝者を称えることが出来る。この素晴らしいメンタリティを持つ国に付いて何も知らなかったり、大して興味の無い自分が少し恥ずかしい思いがした。
日本が勝ったことは当然嬉しいが、その喜びにさらにあたたかな気持ちがプラスされて、なんとも言えない清々しい気持ちを感じている。
33の島から成るバーレーンは人口70万人に満たない小さな島国だ。
中東で最も早く石油採掘を行った国で、GDPの約30%は石油関連事業によるものであり、その恩賞で国民には所得税が皆無。(うらやましい)世界最大の産油国サウジアラビアの隣国であり、ペルシャ湾の入り口という地理特性を活かし、中東のビジネスの拠点、金融センターを目指してインフラ整備を進め、石油精製やアルミ精製、貿易、観光などの新規事業も積極的に展開している。
イスラム教シーア派の暴動など政情不安があるらしいが、オイルマネーで潤っている豊かな国だ。
もっとも石油資源は1970年代から枯渇し始め、このままいけばあと20年で完全に枯渇し尽くしてしまう計算だということだ。だから、バーレーンは今産油に変わる産業として観光と外国企業の誘致に力を入れている。
バーレーンにはそういう思惑があるのだから、日本に対し友好的なのもうなずける話ではある。(基本的に中東には親日な国が多い。イランと日本は実はかなり強固な友好国同士だし)しかし、そのような政経の(ある種打算的な)つながりだけではなく、もっとシンプルな好意をバーレーンは日本に与えてくれた。
この試合、日本ベンチの屋根には日の丸をあしらった赤い丸が描かれていた(らしい。試合中は不覚にも気に留まらなかった。あとでネットで知ったのだが)国歌斉唱の後には小さいながらも拍手が起こっていた。日本語の場内アナウンスも普通に行われていたし、来場した日本サポーターの為に日本語が聞けるラジオも配られたらしい。
街には日本人専用のオープンカフェまであったというのだから、見事な接待だと思う。
ここ最近、国歌斉唱ではブーイング、試合中でもブーイング、試合後でもブーイング&暴動。選手もサポーターも身の危険を感じてしまうアウェーが多かったので、このギャップに驚かされる。これが当たり前で、単に日本の周辺国がおかしいだけなのかもしれないが、普段つらい目に合っている分、バーレーンの暖かさが胸にしみた。
簡単に言うと、バーレーンが好きになった(笑)シンプルなことだが、これが国と国とが仲良くなる為に必要なことなのだろう。それは人と人でも言えることだ。常に相手に敬意を払い、愛情を持って接する。バーレーンに非常に大切なことを教わった気がする。
どこかの頭のおかしい国(アジアの3馬鹿)にバーレーンの爪の垢でも飲ませてやりたい。2リットルくらい。
日本はワールカップ予選最大の山場、アウェーでのバーレーン戦に危なげなく勝利し、予選突破に大きく前進した。ゲームを振り返ると、日本の圧勝だった。相変わらずシュートが少なく得点は1点しか挙げられなかったが、チャンスは多かった。これまでのフラストレーションが嘘のようにショートパスがつながり、日本らしいスピード感とテクニックを感じる試合になった。
その立役者は柳沢と中田英寿だ。柳沢のDFラインを攪乱する動きは素晴らしかった。柳沢が高い位置でDFのマークを引き連れて動く分、日本のMFが動くスペースが生まれパスが通った。中田英寿はやはりオンリーワンの選手であることを証明した。なんだあの運動量と強靭な肉体は!バーレーンがボールを持つとすぐさま力強くディフェンス。「1対1で負けないこと」試合前に中田は常々そういっていたが、自らのプレーですべてを見せてくれた。
まぁ、この試合で日本が優位に自分たちのサッカーが展開できたのは、バーレーンのチャックが甘かったせいなのを忘れてはいけない。思ったよりもバーレーンに力強さを感じなかった。ホームで格上の日本相手に絶対勝利を求められたプレッシャーからか、体が固まって不自由に見えた。
ずばり「大人と子供」といった印象だ。バーレーンは好チームだが、まだ経験が浅い。ドーハの頃の日本のようだ。終始日本にペースを握られ、自由にさせてもらえなかった。これは日本の力が圧倒していたという証拠で、誰しもがそれを実感できたから、あのような日本を称える新聞が書かれたのだろう。
ただ日本も悪い点はたくさんあった。相変わらず三都主はひどかったし加地も機能しなかった。小笠原のシュートは芸術的だったが、もっと決めるチャンスは作れたと思うので、小笠原にはもうワンランク上の仕事を期待したい。
日本は勝ち点3を得て、次節北朝鮮戦に引き分け以上で予選突破決定。もし負けた場合でも、イランがバーレーンに引き分け以上の場合やはり突破が確定する。もう決まったも同然だ。いかにこのバーレーン戦が大事であったか。
最後は両軍まともに体が動かなくなるほどの消耗戦を最後まで戦い抜き、最高の結果を出した日本代表の選手に最高の賛辞を贈りたい。そして、この好ゲームを戦いあったバーレーンチームにも敬意を表したい。
バーレーンの2位以内はほぼ絶望的だ。しかし、まだプレーオフが残っている。まだかすかだが可能性は残っている。日本の突破が決まったら、次はバーレーンを応援しようと思う。この素晴らしいメンタリティの国と一緒にW杯へ行きたいと思うのだ。
試合翌日のバーレーンの新聞には日本代表が躍動していた。日本代表が素晴らしいチームだったという論調で、「試合は完敗だった」とバーレーンの敗戦を受け入れるどころか、相手の日本を賞賛してくれていたのだった。
日本に敗れたことにより、バーレーンのグループ2位以内はほぼ絶望的となった。落胆は当然だろうし、その矛先が直接日本に向けられてもおかしくはないのに、彼らの姿勢は実に潔く紳士的だ。敗戦を痛みながらも勝者を称えることが出来る。この素晴らしいメンタリティを持つ国に付いて何も知らなかったり、大して興味の無い自分が少し恥ずかしい思いがした。
日本が勝ったことは当然嬉しいが、その喜びにさらにあたたかな気持ちがプラスされて、なんとも言えない清々しい気持ちを感じている。
33の島から成るバーレーンは人口70万人に満たない小さな島国だ。
中東で最も早く石油採掘を行った国で、GDPの約30%は石油関連事業によるものであり、その恩賞で国民には所得税が皆無。(うらやましい)世界最大の産油国サウジアラビアの隣国であり、ペルシャ湾の入り口という地理特性を活かし、中東のビジネスの拠点、金融センターを目指してインフラ整備を進め、石油精製やアルミ精製、貿易、観光などの新規事業も積極的に展開している。
イスラム教シーア派の暴動など政情不安があるらしいが、オイルマネーで潤っている豊かな国だ。
もっとも石油資源は1970年代から枯渇し始め、このままいけばあと20年で完全に枯渇し尽くしてしまう計算だということだ。だから、バーレーンは今産油に変わる産業として観光と外国企業の誘致に力を入れている。
バーレーンにはそういう思惑があるのだから、日本に対し友好的なのもうなずける話ではある。(基本的に中東には親日な国が多い。イランと日本は実はかなり強固な友好国同士だし)しかし、そのような政経の(ある種打算的な)つながりだけではなく、もっとシンプルな好意をバーレーンは日本に与えてくれた。
この試合、日本ベンチの屋根には日の丸をあしらった赤い丸が描かれていた(らしい。試合中は不覚にも気に留まらなかった。あとでネットで知ったのだが)国歌斉唱の後には小さいながらも拍手が起こっていた。日本語の場内アナウンスも普通に行われていたし、来場した日本サポーターの為に日本語が聞けるラジオも配られたらしい。
街には日本人専用のオープンカフェまであったというのだから、見事な接待だと思う。
ここ最近、国歌斉唱ではブーイング、試合中でもブーイング、試合後でもブーイング&暴動。選手もサポーターも身の危険を感じてしまうアウェーが多かったので、このギャップに驚かされる。これが当たり前で、単に日本の周辺国がおかしいだけなのかもしれないが、普段つらい目に合っている分、バーレーンの暖かさが胸にしみた。
簡単に言うと、バーレーンが好きになった(笑)シンプルなことだが、これが国と国とが仲良くなる為に必要なことなのだろう。それは人と人でも言えることだ。常に相手に敬意を払い、愛情を持って接する。バーレーンに非常に大切なことを教わった気がする。
どこかの頭のおかしい国(アジアの3馬鹿)にバーレーンの爪の垢でも飲ませてやりたい。2リットルくらい。
日本はワールカップ予選最大の山場、アウェーでのバーレーン戦に危なげなく勝利し、予選突破に大きく前進した。ゲームを振り返ると、日本の圧勝だった。相変わらずシュートが少なく得点は1点しか挙げられなかったが、チャンスは多かった。これまでのフラストレーションが嘘のようにショートパスがつながり、日本らしいスピード感とテクニックを感じる試合になった。
その立役者は柳沢と中田英寿だ。柳沢のDFラインを攪乱する動きは素晴らしかった。柳沢が高い位置でDFのマークを引き連れて動く分、日本のMFが動くスペースが生まれパスが通った。中田英寿はやはりオンリーワンの選手であることを証明した。なんだあの運動量と強靭な肉体は!バーレーンがボールを持つとすぐさま力強くディフェンス。「1対1で負けないこと」試合前に中田は常々そういっていたが、自らのプレーですべてを見せてくれた。
まぁ、この試合で日本が優位に自分たちのサッカーが展開できたのは、バーレーンのチャックが甘かったせいなのを忘れてはいけない。思ったよりもバーレーンに力強さを感じなかった。ホームで格上の日本相手に絶対勝利を求められたプレッシャーからか、体が固まって不自由に見えた。
ずばり「大人と子供」といった印象だ。バーレーンは好チームだが、まだ経験が浅い。ドーハの頃の日本のようだ。終始日本にペースを握られ、自由にさせてもらえなかった。これは日本の力が圧倒していたという証拠で、誰しもがそれを実感できたから、あのような日本を称える新聞が書かれたのだろう。
ただ日本も悪い点はたくさんあった。相変わらず三都主はひどかったし加地も機能しなかった。小笠原のシュートは芸術的だったが、もっと決めるチャンスは作れたと思うので、小笠原にはもうワンランク上の仕事を期待したい。
日本は勝ち点3を得て、次節北朝鮮戦に引き分け以上で予選突破決定。もし負けた場合でも、イランがバーレーンに引き分け以上の場合やはり突破が確定する。もう決まったも同然だ。いかにこのバーレーン戦が大事であったか。
最後は両軍まともに体が動かなくなるほどの消耗戦を最後まで戦い抜き、最高の結果を出した日本代表の選手に最高の賛辞を贈りたい。そして、この好ゲームを戦いあったバーレーンチームにも敬意を表したい。
バーレーンの2位以内はほぼ絶望的だ。しかし、まだプレーオフが残っている。まだかすかだが可能性は残っている。日本の突破が決まったら、次はバーレーンを応援しようと思う。この素晴らしいメンタリティの国と一緒にW杯へ行きたいと思うのだ。
Information control?
金属片:全都道府県4200カ所で見つかる けが人4人に
各地の国道や県道などのガードレールの継ぎ目で見つかった金属片は3日、毎日新聞のまとめで47全都道府県の4200カ所以上に達した。金属片による事故は徳島県でも起きていたことが新たに分かり、けが人は4人に増えた。偶然が重なっているのか、悪意がこもったいたずらなのか、謎は深まるばかりだ。(中略)
梶幹事長は「ガードレールすれすれに車が逆走し、ボディーがかすれば、金属片が入る可能性はある」という。一方で、「工具でボルトを緩めて挟むか、金属片をハンマーで強くたたき込めば人為的にも可能」とも話し、防止策について「溶接で継ぎ目をふさいだり、極端に言えば金属を一枚の板の構造にするしかない」という。
国土交通省は、全国の国道を点検して金属片の情報を集め、同省国土技術政策総合研究所(茨城県つくば市)に原因を分析させることにしている。同研究所の池原圭一研究官も「こういう事例は聞いたことがない」と首をかしげる。事故車のボディーがはがれて挟まった可能性について、池原研究官は「誤って設置基準と逆のつなぎ方をした場合や、車が逆送したり、スピンしてぶつかった場合は考えられる」と話す。しかし「通常の事故なら衝突痕が残るから、日々の点検作業で発見・撤去しているはず。不思議でならない。悪質ないたずらなど人為的な理由も考えたほうがいいのかも」と話す。
精神科医で犯罪心理学者の作田明・聖学院大講師は、見つかった金属片にさびて古いものが多いとの報道から「最近になって急に増えたとは思えない。愉快犯、模倣犯が広めた可能性は低い」とみる。
作田講師は「人を傷つけて全国的な騒ぎにし、社会に不安を与えようと考えているグループが組織的に行っているのではないか」と推測。「こういう事態が起こると予言したうえで、『予言が的中した』とアピールしようとした可能性もある」として、閉鎖的で反社会的なグループによる犯行の可能性を指摘する。
※引用 「毎日新聞ウェブサイト」http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050603k0000e040092000c.html
ガードレールから金属片が突出している危険な事件が多発している。その数は4700件を超えたという。
愉快犯から車の衝突説まででているが、2ちゃんねるで交わされている捨て看板説が最も納得のいく答えではないか、と納得してしまった。まずこの2枚の写真を見てほしい。
http://cgi.2chan.net/f/src/1117781905547.gif
http://cgi.2chan.net/n/src/1117786452364.gif
のぼりや看板をガードレースの隙間に差し込んだ金属片で固定する。それを撤去すれば、道路に向かって広がる形で金属片が残る、という算段だ。スーパーや消費者金融、風俗業や不動産など、この種の捨て看板は都市部はともかく郊外ではよく見られるのではないだろうか。
もちろんこれが全てとは断言できないが、まさか全国で4700もの同様の自動車接触事故が起きたと考えるよりは現実的だろうと思われる。
現在の報道では「自動車接触による破損」が大きく扱われているのではないだろうか。しかし、ガードレールを見れば分かるが、ガードレールの継ぎ目は車の進行方向に従って作られている。隙間に金属片を挟み込む形で接触するには、スピンして車が逆向きになって衝突しなければならない。それか、バックでぶつかるか。
むろん愉快犯による犯行の説もまるっきりゼロとはいえない。
ここで重要なのは、「冷静に現実的に」調査をすべき、ということ。
捨て看板説ならば、看板業者や設置業者、そのアルバイトなど、筋を追っていけばいい。
自動車接触説ならば、車の修理業者、板金業者を徹底的に調べればいい。
当然、仕事の明細などは残っているのだから、実際に事故が合ったのか、その場に看板を設置した例があるのか、すぐに分かることだ。現実的に考えれば、そんなに難しい問題ではないと思う。
恐ろしいのは、オカルトチックな考え方がメディアに乗ることだ。憶測で語ることこそ怖いものは無い。
例えば、「人を傷つけて全国的な騒ぎにし、社会に不安を与えようと考えているグループが組織的に行っているのではないか」などという意見もあるが、その根拠はなんだ、と問いたい。その可能性も捨てられないからこそ、逆に冷静になる必要がある。
今のところ捨て看板説が最も的を射ていると思う。しかし、ではここから何が導かれるのか?
捨て看板を良く見かける業種を考えてみればいい。
やはりよく見かけるのは消費者金融(ヤミ金融含む)関連の立て看板やノボリだと思う。
そして消費者金融はテレビ番組の多くのスポンサーだ。消費者金融からカネを貰ってるテレビ局の作るニュース番組が スポンサーをバッシングするような報道をしにくいのは、当然考えられることだろう。
恐らくこのニュースも急に報道されなくなるだろう。少しの間異常に盛り上がって何となく、真の原因究明は行われず、憶測と妄想だけで世間をうやむやにして、また別のニュース(立ち上がるレッサーパンダみたいな)が起こり、自然消滅的に消える。
消費者金融、パチンコ業、風俗業など、立て看板、捨て看板、ノボリなどがよく見受けられる業種は暴力団が絡む場合が多い。そしてその暴力団と朝鮮系の勢力のつながりも疑ってかかるべきだろう。疑うというか「暴力団=朝鮮系」と考えてもあながち間違いではないが。
むろん、これが事実かどうかは分からない。現実的な検証を行えば、決して「謎」な事例ではないと考えられる。そして検証の結果でてきた答えがまともに報道されるかもまた分からない。
ひょっとしたら、リアルに情報統制が行われているのかもしれない。
各地の国道や県道などのガードレールの継ぎ目で見つかった金属片は3日、毎日新聞のまとめで47全都道府県の4200カ所以上に達した。金属片による事故は徳島県でも起きていたことが新たに分かり、けが人は4人に増えた。偶然が重なっているのか、悪意がこもったいたずらなのか、謎は深まるばかりだ。(中略)
梶幹事長は「ガードレールすれすれに車が逆走し、ボディーがかすれば、金属片が入る可能性はある」という。一方で、「工具でボルトを緩めて挟むか、金属片をハンマーで強くたたき込めば人為的にも可能」とも話し、防止策について「溶接で継ぎ目をふさいだり、極端に言えば金属を一枚の板の構造にするしかない」という。
国土交通省は、全国の国道を点検して金属片の情報を集め、同省国土技術政策総合研究所(茨城県つくば市)に原因を分析させることにしている。同研究所の池原圭一研究官も「こういう事例は聞いたことがない」と首をかしげる。事故車のボディーがはがれて挟まった可能性について、池原研究官は「誤って設置基準と逆のつなぎ方をした場合や、車が逆送したり、スピンしてぶつかった場合は考えられる」と話す。しかし「通常の事故なら衝突痕が残るから、日々の点検作業で発見・撤去しているはず。不思議でならない。悪質ないたずらなど人為的な理由も考えたほうがいいのかも」と話す。
精神科医で犯罪心理学者の作田明・聖学院大講師は、見つかった金属片にさびて古いものが多いとの報道から「最近になって急に増えたとは思えない。愉快犯、模倣犯が広めた可能性は低い」とみる。
作田講師は「人を傷つけて全国的な騒ぎにし、社会に不安を与えようと考えているグループが組織的に行っているのではないか」と推測。「こういう事態が起こると予言したうえで、『予言が的中した』とアピールしようとした可能性もある」として、閉鎖的で反社会的なグループによる犯行の可能性を指摘する。
※引用 「毎日新聞ウェブサイト」http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050603k0000e040092000c.html
ガードレールから金属片が突出している危険な事件が多発している。その数は4700件を超えたという。
愉快犯から車の衝突説まででているが、2ちゃんねるで交わされている捨て看板説が最も納得のいく答えではないか、と納得してしまった。まずこの2枚の写真を見てほしい。
http://cgi.2chan.net/f/src/1117781905547.gif
http://cgi.2chan.net/n/src/1117786452364.gif
のぼりや看板をガードレースの隙間に差し込んだ金属片で固定する。それを撤去すれば、道路に向かって広がる形で金属片が残る、という算段だ。スーパーや消費者金融、風俗業や不動産など、この種の捨て看板は都市部はともかく郊外ではよく見られるのではないだろうか。
もちろんこれが全てとは断言できないが、まさか全国で4700もの同様の自動車接触事故が起きたと考えるよりは現実的だろうと思われる。
現在の報道では「自動車接触による破損」が大きく扱われているのではないだろうか。しかし、ガードレールを見れば分かるが、ガードレールの継ぎ目は車の進行方向に従って作られている。隙間に金属片を挟み込む形で接触するには、スピンして車が逆向きになって衝突しなければならない。それか、バックでぶつかるか。
むろん愉快犯による犯行の説もまるっきりゼロとはいえない。
ここで重要なのは、「冷静に現実的に」調査をすべき、ということ。
捨て看板説ならば、看板業者や設置業者、そのアルバイトなど、筋を追っていけばいい。
自動車接触説ならば、車の修理業者、板金業者を徹底的に調べればいい。
当然、仕事の明細などは残っているのだから、実際に事故が合ったのか、その場に看板を設置した例があるのか、すぐに分かることだ。現実的に考えれば、そんなに難しい問題ではないと思う。
恐ろしいのは、オカルトチックな考え方がメディアに乗ることだ。憶測で語ることこそ怖いものは無い。
例えば、「人を傷つけて全国的な騒ぎにし、社会に不安を与えようと考えているグループが組織的に行っているのではないか」などという意見もあるが、その根拠はなんだ、と問いたい。その可能性も捨てられないからこそ、逆に冷静になる必要がある。
今のところ捨て看板説が最も的を射ていると思う。しかし、ではここから何が導かれるのか?
捨て看板を良く見かける業種を考えてみればいい。
やはりよく見かけるのは消費者金融(ヤミ金融含む)関連の立て看板やノボリだと思う。
そして消費者金融はテレビ番組の多くのスポンサーだ。消費者金融からカネを貰ってるテレビ局の作るニュース番組が スポンサーをバッシングするような報道をしにくいのは、当然考えられることだろう。
恐らくこのニュースも急に報道されなくなるだろう。少しの間異常に盛り上がって何となく、真の原因究明は行われず、憶測と妄想だけで世間をうやむやにして、また別のニュース(立ち上がるレッサーパンダみたいな)が起こり、自然消滅的に消える。
消費者金融、パチンコ業、風俗業など、立て看板、捨て看板、ノボリなどがよく見受けられる業種は暴力団が絡む場合が多い。そしてその暴力団と朝鮮系の勢力のつながりも疑ってかかるべきだろう。疑うというか「暴力団=朝鮮系」と考えてもあながち間違いではないが。
むろん、これが事実かどうかは分からない。現実的な検証を行えば、決して「謎」な事例ではないと考えられる。そして検証の結果でてきた答えがまともに報道されるかもまた分からない。
ひょっとしたら、リアルに情報統制が行われているのかもしれない。
An incident is on the sea
「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ」
青島刑事の名台詞だが、この言葉を改めて痛感する事態となってしまった。
結局、大方の予想通り、日本の海上保安庁が折れる形で事件は収拾がついた。
現場の意思では無く、政府の力がかかったのは明白だ。小泉政権はことを荒立てることを嫌い、いつも通り「うやむや」で決着させることを選んだのだろう。
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現場「納得できない」 海保に応援メール多数
韓国漁船が逃走した問題で、巡視船の撤収を決めた海上保安庁では二日、幹部が 「担保金を支払わせることで主権は守られた」と話す一方、現場からは「われわれの 感覚では納得できない」との声が漏れた。海保には百通を超えるメールが寄せられた。
海保によると、船長らが日本国内の裁判に出廷する可能性は少なく、今後の責任追及は 困難という。担保金は出廷を保証させる趣旨であることから、捜査幹部の一人は「現場の 感覚と違う。いわゆる超法規的な措置に近いのではないか」と話す。
船長は担保金と引き換えに釈放するが、捜査権を放棄したことにはならず、別の幹部は 「法的手続きに従った判断で、主権は守られた」と評価。仮に有罪となっても漁業法が 定める検査忌避罪の罰金は三十万円以下で、担保金五十万円を下回るという。
一方、海保には漁船逃亡が明らかになった一日以降、百数十通のメールが寄せられた。 大半は応援を意図する内容だったが、中には「海上不安庁」などと批判するものもあったという。
六月三日 産経新聞朝刊より
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前回申し上げた通り、対馬沖や日本海、玄界灘での韓国籍船(中国や北朝鮮も)の悪行は枚挙の暇が無く、多くの漁民の方が被害に遭われている。昨夜のテレビニュースでは漁師の方のインタビューが何度か流れたが、他国籍船の違法操業は目にあまり、地元漁師の方の生活を直撃していることがよく分かった。他国籍船の違法操業は今に始まったことではなく、日常茶飯事である。日本人の命が失われる事件だって発生している。
しかし、それらの事件が新聞やテレビで報道されることが今まであっただろうか?
玄界灘で起きた「第18光洋丸」沈没の事件(1人死亡・6人行方不明)のことをマスコミは伝えなかった。
日本では「韓国・北朝鮮が起こした都合の悪いニュース」は報道されない、という暗黙のルールがある。以前話題にした「在日韓国人犯罪者の通名報道」というのもその一環である。
すなわち「韓国・北朝鮮にとってマイナスになる報道」は日本では流れないようにする、何かしらの圧力がマスコミなどの機関に浸透している、ということだ。すなわちそれは朝鮮総連であり、創価学会であり、統一教会である。日本のマスコミ(テレビ・新聞)の多くはそれらの朝鮮系の勢力に牛耳られていると言って過言ではない。
最近とみに日韓・日中関係が問題視され、連日ニュースが流れるので目に触れる機会も多くなっている。
不思議に思う人も多いのではないだろうか?「なぜ日本のメディアが韓国や北朝鮮、(中国)の肩をもつのか?」と。朝日新聞やテレビ朝日はもはや芸風なので、批判するというよりむしろどんな手で「あちら側」をもり立てるのか楽しみに見ているが。
朝鮮系の勢力は日本の中枢にも食い込んでおり、あらゆる手法で情報統制をしき、日本人をコントロールしようとしてきた。
というような発言をすれば「お前は右翼か」と叱責をくらいレッテルを貼られるが、我々が一般的に考える右翼、「不気味な街宣車に乗り、公衆の迷惑も考えず大音量で軍歌を流し、または大声で怒鳴りちらしているヤクザな人々」も朝鮮系の勢力である。
イギリスのBBC放送 (日本NHKにあたる)が、以前日本の右翼団体を取材し、このような報道をしている。
「右翼の主張は天皇制復活、日本民族の国粋主観等だが、実際の構成員が国粋主義者とは相容れないはずの韓国・朝鮮人、また天皇制という身分階級の下では最下層に位置され最も身分制度の被害者であったはずの被差別出身者で90%を占めている。はっきり言ってこの取材で、彼らの真の目的を知ることは出来なかった。」
では彼らの目的は一体何だろう?人々に威圧感を与える街宣車に乗り、誰が聞いても騒音にしか聞こえない音量で軍歌を流したり、大声で怒鳴り散らしたりすれば、人々に主義主張を理解してもらうどころか、イメージを落とすだけなのは分かりきっている。
つまり彼らの目的は、こういった行動をとることによって、日本人の「愛国心」へのイメージを歪めることだ。そして、本当に日本人の利益や生命の安全を考える「愛国的な人々」のイメージをも落とすことができれば、必然的に、日本人の利益や生命の安全を第一に考えない「愛国的でない人々」が影響力を強めることになり、彼らはそれによって利益を得ることが可能になる。
その証拠に彼らは、ロシアが不法占拠している北方領土については声を大にして叫んでも、北朝鮮による拉致事件についてはまったく言及していない。
韓国の違法操業の話からずいぶんそれてしまったが、これら問題に関しては、今後情報をもっと多く収集し論を固めてから詳しく検証したいと思う。
少しずつではあるが、情報の統制がきかなくなってきたのではないだろうか。インターネットの普及に伴い、あらゆる情報の入手が可能になってきた。と同時に今まで知らされていなかった事実が様々なサイトで公表されている。
玄界灘の事件もそうだ。マスコミが伝えない情報を、ネットで発信・受信することができ、考えることができるようになった。
今回の韓国漁船違法操業追いかけっこも以前では報道されなかった事件かもしれない。それがニュースになり、報道されたことは一歩前進だと思いたい。日本政府の決断は「弱腰」と映ったかもしれない。と同時に韓国側の「異常さ」もよく分かったと思う。
情報が無ければスルーで終わりだ。しかし、情報に目が止まれば考えることが出来る。一人一人が考え、マスコミに流されるのではなく自分なりの「論」を持ち、日本、韓国、北朝鮮、中国について直面することが大切だ。
我々に出来ることは、選挙で投票することだ。もっとも日本の為に有益と思える人材に貴重な1票を託すことで国政に参加する。その為には「何が日本にとって有益か」を知る必要がある。
今回はいつもに増して長いのでさぞかし読み疲れを起こさせているだろう、申し訳ない(笑
最後に、今回の事件が韓国でどのように報道されているか、例を挙げよう。笑ってください。
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我が国のアナゴ漁船シンプン号を間に置いて韓日の警備艇が東海(訳注:日本海)で行なった対峙状況の終了に対するネチズンたちの反応が熱い。
韓国海洋警察の警備艇と日本の巡視船との間で行なわれた東海上の対峙状況が2日劇的に妥結されると、ネチズンたちは「蔚山海戦の勝利、おめでとう!」との反応を見せている。
ID「風の音」'は、「今回の韓日間の事態で、ウリナラは国民の息苦しい胸を凉しくしてくれた。領海守護者として退くことなしに迅速対処して国民を保護してくれた国家にとても胸が一杯で、感謝する」と明らかにした。
また他のネチズンは、「ウリ警察が日本より先にウリ漁船を捜して対処し、外交部も自国民保護に最善をつくしたというニュースを聞いて、とても胸がさっぱりした。今回の事件の解決に苦労した政府関係者たちを皆で褒めたたえねばならない」と書いた。
「ユアヤング」氏も「韓日間の東海上対峙状況の終了は、ウリナラの全国民の勝利の知らせ」とし、「今回の『蔚山大勝』は韓国の自尊心を打ち立てた」と誉めた。
▽ソース:東亜日報(韓国語)<「東海対峙終了は全国民勝利の知らせ」>
http://www.donga.com/fbin/output?f=total&code=total&n=200506020379
http://up.nm78.com/data/up107193.jpg
青島刑事の名台詞だが、この言葉を改めて痛感する事態となってしまった。
結局、大方の予想通り、日本の海上保安庁が折れる形で事件は収拾がついた。
現場の意思では無く、政府の力がかかったのは明白だ。小泉政権はことを荒立てることを嫌い、いつも通り「うやむや」で決着させることを選んだのだろう。
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現場「納得できない」 海保に応援メール多数
韓国漁船が逃走した問題で、巡視船の撤収を決めた海上保安庁では二日、幹部が 「担保金を支払わせることで主権は守られた」と話す一方、現場からは「われわれの 感覚では納得できない」との声が漏れた。海保には百通を超えるメールが寄せられた。
海保によると、船長らが日本国内の裁判に出廷する可能性は少なく、今後の責任追及は 困難という。担保金は出廷を保証させる趣旨であることから、捜査幹部の一人は「現場の 感覚と違う。いわゆる超法規的な措置に近いのではないか」と話す。
船長は担保金と引き換えに釈放するが、捜査権を放棄したことにはならず、別の幹部は 「法的手続きに従った判断で、主権は守られた」と評価。仮に有罪となっても漁業法が 定める検査忌避罪の罰金は三十万円以下で、担保金五十万円を下回るという。
一方、海保には漁船逃亡が明らかになった一日以降、百数十通のメールが寄せられた。 大半は応援を意図する内容だったが、中には「海上不安庁」などと批判するものもあったという。
六月三日 産経新聞朝刊より
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前回申し上げた通り、対馬沖や日本海、玄界灘での韓国籍船(中国や北朝鮮も)の悪行は枚挙の暇が無く、多くの漁民の方が被害に遭われている。昨夜のテレビニュースでは漁師の方のインタビューが何度か流れたが、他国籍船の違法操業は目にあまり、地元漁師の方の生活を直撃していることがよく分かった。他国籍船の違法操業は今に始まったことではなく、日常茶飯事である。日本人の命が失われる事件だって発生している。
しかし、それらの事件が新聞やテレビで報道されることが今まであっただろうか?
玄界灘で起きた「第18光洋丸」沈没の事件(1人死亡・6人行方不明)のことをマスコミは伝えなかった。
日本では「韓国・北朝鮮が起こした都合の悪いニュース」は報道されない、という暗黙のルールがある。以前話題にした「在日韓国人犯罪者の通名報道」というのもその一環である。
すなわち「韓国・北朝鮮にとってマイナスになる報道」は日本では流れないようにする、何かしらの圧力がマスコミなどの機関に浸透している、ということだ。すなわちそれは朝鮮総連であり、創価学会であり、統一教会である。日本のマスコミ(テレビ・新聞)の多くはそれらの朝鮮系の勢力に牛耳られていると言って過言ではない。
最近とみに日韓・日中関係が問題視され、連日ニュースが流れるので目に触れる機会も多くなっている。
不思議に思う人も多いのではないだろうか?「なぜ日本のメディアが韓国や北朝鮮、(中国)の肩をもつのか?」と。朝日新聞やテレビ朝日はもはや芸風なので、批判するというよりむしろどんな手で「あちら側」をもり立てるのか楽しみに見ているが。
朝鮮系の勢力は日本の中枢にも食い込んでおり、あらゆる手法で情報統制をしき、日本人をコントロールしようとしてきた。
というような発言をすれば「お前は右翼か」と叱責をくらいレッテルを貼られるが、我々が一般的に考える右翼、「不気味な街宣車に乗り、公衆の迷惑も考えず大音量で軍歌を流し、または大声で怒鳴りちらしているヤクザな人々」も朝鮮系の勢力である。
イギリスのBBC放送 (日本NHKにあたる)が、以前日本の右翼団体を取材し、このような報道をしている。
「右翼の主張は天皇制復活、日本民族の国粋主観等だが、実際の構成員が国粋主義者とは相容れないはずの韓国・朝鮮人、また天皇制という身分階級の下では最下層に位置され最も身分制度の被害者であったはずの被差別出身者で90%を占めている。はっきり言ってこの取材で、彼らの真の目的を知ることは出来なかった。」
では彼らの目的は一体何だろう?人々に威圧感を与える街宣車に乗り、誰が聞いても騒音にしか聞こえない音量で軍歌を流したり、大声で怒鳴り散らしたりすれば、人々に主義主張を理解してもらうどころか、イメージを落とすだけなのは分かりきっている。
つまり彼らの目的は、こういった行動をとることによって、日本人の「愛国心」へのイメージを歪めることだ。そして、本当に日本人の利益や生命の安全を考える「愛国的な人々」のイメージをも落とすことができれば、必然的に、日本人の利益や生命の安全を第一に考えない「愛国的でない人々」が影響力を強めることになり、彼らはそれによって利益を得ることが可能になる。
その証拠に彼らは、ロシアが不法占拠している北方領土については声を大にして叫んでも、北朝鮮による拉致事件についてはまったく言及していない。
韓国の違法操業の話からずいぶんそれてしまったが、これら問題に関しては、今後情報をもっと多く収集し論を固めてから詳しく検証したいと思う。
少しずつではあるが、情報の統制がきかなくなってきたのではないだろうか。インターネットの普及に伴い、あらゆる情報の入手が可能になってきた。と同時に今まで知らされていなかった事実が様々なサイトで公表されている。
玄界灘の事件もそうだ。マスコミが伝えない情報を、ネットで発信・受信することができ、考えることができるようになった。
今回の韓国漁船違法操業追いかけっこも以前では報道されなかった事件かもしれない。それがニュースになり、報道されたことは一歩前進だと思いたい。日本政府の決断は「弱腰」と映ったかもしれない。と同時に韓国側の「異常さ」もよく分かったと思う。
情報が無ければスルーで終わりだ。しかし、情報に目が止まれば考えることが出来る。一人一人が考え、マスコミに流されるのではなく自分なりの「論」を持ち、日本、韓国、北朝鮮、中国について直面することが大切だ。
我々に出来ることは、選挙で投票することだ。もっとも日本の為に有益と思える人材に貴重な1票を託すことで国政に参加する。その為には「何が日本にとって有益か」を知る必要がある。
今回はいつもに増して長いのでさぞかし読み疲れを起こさせているだろう、申し訳ない(笑
最後に、今回の事件が韓国でどのように報道されているか、例を挙げよう。笑ってください。
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我が国のアナゴ漁船シンプン号を間に置いて韓日の警備艇が東海(訳注:日本海)で行なった対峙状況の終了に対するネチズンたちの反応が熱い。
韓国海洋警察の警備艇と日本の巡視船との間で行なわれた東海上の対峙状況が2日劇的に妥結されると、ネチズンたちは「蔚山海戦の勝利、おめでとう!」との反応を見せている。
ID「風の音」'は、「今回の韓日間の事態で、ウリナラは国民の息苦しい胸を凉しくしてくれた。領海守護者として退くことなしに迅速対処して国民を保護してくれた国家にとても胸が一杯で、感謝する」と明らかにした。
また他のネチズンは、「ウリ警察が日本より先にウリ漁船を捜して対処し、外交部も自国民保護に最善をつくしたというニュースを聞いて、とても胸がさっぱりした。今回の事件の解決に苦労した政府関係者たちを皆で褒めたたえねばならない」と書いた。
「ユアヤング」氏も「韓日間の東海上対峙状況の終了は、ウリナラの全国民の勝利の知らせ」とし、「今回の『蔚山大勝』は韓国の自尊心を打ち立てた」と誉めた。
▽ソース:東亜日報(韓国語)<「東海対峙終了は全国民勝利の知らせ」>
http://www.donga.com/fbin/output?f=total&code=total&n=200506020379
http://up.nm78.com/data/up107193.jpg
I believe 3
決戦直前になって、小野伸二の戦線離脱。
神様は勇者につねに試練を与えるものだ、と皮肉めかすくらいしか対処法が無い。
試合前から厳しい条件を突きつけられてしまったが、これがW杯予選の魔力なのかもしれない。
簡単には決まらない。必ず乗り越えなければならない険しい山が現れる。
8年前、初めて予選を突破したジョホールバルの歓喜。
ジョホールバルまでの道のりは険しかった。長く苦しいいばらの道だった。
中東、中央アジア、ホームの日本で思わぬ結果が出せず、一時は自力突破の可能性すら失った。
なんとか掴んだ第3代表決定戦でも、先制しながら勝ち越され、再逆転と、厳しい戦いを強いられた。
日本代表とともに戦った長い長い苦痛の歴史が、魂の底に刻み込まれているのを感じる。
そして思う。今回の予選は妙にあっけない、と。
今日のバーレーン戦と8日の北朝鮮戦、この2試合で結果を出せば、日本のW杯出場が決まる。
理想通りに事が運べば、あと1週間もしないうちに、決まるのだ。
8年前に比べて、なんとなく密度も時間も薄い気がしてしまう。開催方式が異なるのだから当たり前なのだが、決戦直前の緊張感がいまいち足りない気がする。あの時の必死さが異常だったのか。
それだけ日本サッカーが成熟したことの証明なのだと思う。
2002年W杯でベスト16入りを果たした日本なのだから、今回のアジア予選は楽勝で突破して当然。日本はアジアチャンピオンなのだから、予選で敗退するわけがない。
この認識は正しい。日本はアジアのどの国よりもサッカーに対し投資を行ってきた。強くなることは当然だ。W杯に出場できなければ、これまでの投資は水泡となり、最悪日本サッカー界の崩壊につながる。
余裕をもって予選にのぞむのは今回が初めてだ。しかし、その余裕や自信はもろい。確たる実績が日本にはまだまだ足りない。国際的な舞台での実績をチームとしても個人としても積み上げていかなければ、真の自信は得ることが出来ない。悔しいことだが、隣国の韓国にその点において遅れをとっている点は謙虚に受け入れなければならない。その為にも、是が非でもW杯本戦に出場しなければならない。
と、無責任な外野である私は勝手なことを言う。是が非でも出場するのだ、と。
しかし、当然のことながらW杯出場をのぞむのは日本代表の選手達だ。それは全てのサッカー選手の夢なのだから。この試合を戦う選手達の心中は言葉では言い表せない、私の想像を絶する尊いものだと思う。
私に出来ることは、戦う選手達に声援を送ることだけだ。
この体と魂のすべてを、遠くバーレーンの地で戦う日本代表の勇者達に捧げる。
もはやジーコへの不満だとか、小笠原の怠慢だとか、鈴木の技術不足だとか、玉田のふがいなさだとか、そういったことなどどうでもいい。
ただこの1戦、最上の結果が出ることをひたすらに願う。
決戦の時が迫る。私は信じている。
神様は勇者につねに試練を与えるものだ、と皮肉めかすくらいしか対処法が無い。
試合前から厳しい条件を突きつけられてしまったが、これがW杯予選の魔力なのかもしれない。
簡単には決まらない。必ず乗り越えなければならない険しい山が現れる。
8年前、初めて予選を突破したジョホールバルの歓喜。
ジョホールバルまでの道のりは険しかった。長く苦しいいばらの道だった。
中東、中央アジア、ホームの日本で思わぬ結果が出せず、一時は自力突破の可能性すら失った。
なんとか掴んだ第3代表決定戦でも、先制しながら勝ち越され、再逆転と、厳しい戦いを強いられた。
日本代表とともに戦った長い長い苦痛の歴史が、魂の底に刻み込まれているのを感じる。
そして思う。今回の予選は妙にあっけない、と。
今日のバーレーン戦と8日の北朝鮮戦、この2試合で結果を出せば、日本のW杯出場が決まる。
理想通りに事が運べば、あと1週間もしないうちに、決まるのだ。
8年前に比べて、なんとなく密度も時間も薄い気がしてしまう。開催方式が異なるのだから当たり前なのだが、決戦直前の緊張感がいまいち足りない気がする。あの時の必死さが異常だったのか。
それだけ日本サッカーが成熟したことの証明なのだと思う。
2002年W杯でベスト16入りを果たした日本なのだから、今回のアジア予選は楽勝で突破して当然。日本はアジアチャンピオンなのだから、予選で敗退するわけがない。
この認識は正しい。日本はアジアのどの国よりもサッカーに対し投資を行ってきた。強くなることは当然だ。W杯に出場できなければ、これまでの投資は水泡となり、最悪日本サッカー界の崩壊につながる。
余裕をもって予選にのぞむのは今回が初めてだ。しかし、その余裕や自信はもろい。確たる実績が日本にはまだまだ足りない。国際的な舞台での実績をチームとしても個人としても積み上げていかなければ、真の自信は得ることが出来ない。悔しいことだが、隣国の韓国にその点において遅れをとっている点は謙虚に受け入れなければならない。その為にも、是が非でもW杯本戦に出場しなければならない。
と、無責任な外野である私は勝手なことを言う。是が非でも出場するのだ、と。
しかし、当然のことながらW杯出場をのぞむのは日本代表の選手達だ。それは全てのサッカー選手の夢なのだから。この試合を戦う選手達の心中は言葉では言い表せない、私の想像を絶する尊いものだと思う。
私に出来ることは、戦う選手達に声援を送ることだけだ。
この体と魂のすべてを、遠くバーレーンの地で戦う日本代表の勇者達に捧げる。
もはやジーコへの不満だとか、小笠原の怠慢だとか、鈴木の技術不足だとか、玉田のふがいなさだとか、そういったことなどどうでもいい。
ただこの1戦、最上の結果が出ることをひたすらに願う。
決戦の時が迫る。私は信じている。
Insanity on the ocean
まずは『玄界灘』とGoogleで検索していただきたい。
検索結果の一番上のページを見てもらえれば、海上での日韓関係が少し分かる。
※参考サイト http://www.geocities.jp/genkainada_h15/
話は密漁だけでは済まない。韓国人は日本領海で殺人すら行っているのが現状だ。
現在日本の海上保安庁の巡視艇が韓国EEZ内で韓国漁船・韓国海洋警察とにらみ合いを続けている。
海上保安庁は決して折れてはならない。密漁者は日本の手で逮捕されなければならない。
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韓国漁船、保安官乗せ逃走 対馬沖、巡視艇が追跡
長崎県・対馬沖の日本海で、日本の排他的経済水域(EEZ)内での違法操業の疑いがある韓国漁船が、立ち入り検査をしようとした日本の海上保安官2人を乗せたまま2時間以上にわたって逃走。漁船の調査権をめぐって日本側と韓国側の対立が丸1日近く続いていることが1日、分かった。
第7管区海上保安本部(北九州)によると、31日午後11時半ごろ、対馬の北東約50キロで、対馬海上保安部の巡視艇「たつぐも」(小林太一船長、10人乗り組み)が、アナゴ漁をする韓国漁船「シンプン」(10人乗り組み)を発見、立ち入り検査をしようと近づいたところ、漁船は逃走した。
約10分後、停船させ海上保安官2人が乗り込んだが、保安官を乗せたまま再び逃走。1日午前1時55分ごろ、漁船は対馬の北東約60キロの公海上で、海保の要請で出動した韓国海洋警察庁の警備艦に接舷、停船した。保安官2人は追跡していた巡視艇に戻った。
海保によると、保安官が漁船に乗り込む際、1人が海中に転落、巡視艇に救助された。2人は自力で漁船を停船させたが、漁船の乗組員に羽交い締めにされたり体当たりされたりしたという。一方、韓国の聯合ニュースは保安官との小競り合いで韓国人1人が頭にけがをしたと伝えた。
海保は漁業法違反(立ち入り検査忌避)の疑いで調べており、現場では海保と海洋警察庁の船が漁船を挟んでにらみ合う状態が続いた。韓国の潘基文外交通商相は1日午後、逢沢一郎外務副大臣との会談で、韓国側が事実関係を調査するとし、日本側に海上から引き揚げるよう要請。違法操業の疑いを指摘する日本側に対し、違法行為があった場合は必要な措置を講じるとした。
同日午後5時40分ごろ、漁船の乗組員は韓国警備艇に移った。海洋警察庁は船長らの身柄引き渡しを拒否しており、海保と協議が続いている。
≪韓国側対応にいら立ち≫
立ち入り検査に乗船した海上保安官2人を乗せたまま、韓国漁船が逃走するという異常事態が起きた1日、第7管区海上保安本部(北九州)では、状況の把握と報道陣への対応に追われた。
同日午後5時、警備救難課の檜垣幸策・企画調整官が詰め掛けた記者らに状況を説明。現場に動きがないことについて「韓国側は自分たちで捜査するとして、被疑者の引き渡しを拒否している。これだけもめるのは初めてだ」といら立ちを見せた。
7管本部と韓国海洋警察庁はこれまで、対馬海峡での韓国漁船の違法操業に連携して対処してきた。「今回は韓国側が本当に日本が望む捜査をしてくれるのか」と、幹部の1人は漏らした。
※引用 http://www.sankei.co.jp/news/050601/sha079.htm
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韓国籍の漁船が日本の排他的経済水域(EEZ,exclusive economic zone)を犯した。EEZを通過する事自体は違法ではないが、その場で経済活動(油田の採掘や漁業)を行った場合は違法。沿岸国の法律に基づいて処理される。
今回の場合、韓国船は違法操業(密漁)の疑いがある。海上保安庁の保安官を2人乗せたまま逃亡をはかった、というのだから言い逃れはできまい。無実なら逃げなければいいのだ。
日本のEEZ内での他国籍船の横暴ぶりは今に始まったことではない。
先の『玄界灘』の事件を見てもらえれば分かると思うが、凄惨な事件が何度か起こっている。死傷者すら出ているのだ。それは間違いなく殺人である。ただが密漁だと軽く考えてはいけない。
玄界灘や日本海で漁業を営む漁師の方々にとってはまさに死活問題である。
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/12.02.22.1.htm
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/12.02.22.2.html
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/12.03.13.1.html
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/12.03.13.1.html
http://www.jfa.maff.go.jp/release/15.04.14.1.html
http://www.jfa.maff.go.jp/release/16.0213.01.htm
「違法操業して拿捕されようとしても韓国の海洋警察に頼めば逃がしてくれる」
という前例を作ってしまう事は避けなければならない。 さすれば今後日本側の取り締まりが萎縮してしまう可能性もある。 日本は断固たる対応をしなければならない。
日本と韓国の漁業権の問題をいろいろと見てみれば「李承晩ライン」という文言がでてきます。
この「李承晩ライン」、今年にわかに脚光を浴びた「竹島問題」の原因となった悪行です。
詳しく調べれば、日韓の謎を解く鍵になります。
断言いたしますが、竹島は日本の固有の領土です。
検索結果の一番上のページを見てもらえれば、海上での日韓関係が少し分かる。
※参考サイト http://www.geocities.jp/genkainada_h15/
話は密漁だけでは済まない。韓国人は日本領海で殺人すら行っているのが現状だ。
現在日本の海上保安庁の巡視艇が韓国EEZ内で韓国漁船・韓国海洋警察とにらみ合いを続けている。
海上保安庁は決して折れてはならない。密漁者は日本の手で逮捕されなければならない。
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韓国漁船、保安官乗せ逃走 対馬沖、巡視艇が追跡
長崎県・対馬沖の日本海で、日本の排他的経済水域(EEZ)内での違法操業の疑いがある韓国漁船が、立ち入り検査をしようとした日本の海上保安官2人を乗せたまま2時間以上にわたって逃走。漁船の調査権をめぐって日本側と韓国側の対立が丸1日近く続いていることが1日、分かった。
第7管区海上保安本部(北九州)によると、31日午後11時半ごろ、対馬の北東約50キロで、対馬海上保安部の巡視艇「たつぐも」(小林太一船長、10人乗り組み)が、アナゴ漁をする韓国漁船「シンプン」(10人乗り組み)を発見、立ち入り検査をしようと近づいたところ、漁船は逃走した。
約10分後、停船させ海上保安官2人が乗り込んだが、保安官を乗せたまま再び逃走。1日午前1時55分ごろ、漁船は対馬の北東約60キロの公海上で、海保の要請で出動した韓国海洋警察庁の警備艦に接舷、停船した。保安官2人は追跡していた巡視艇に戻った。
海保によると、保安官が漁船に乗り込む際、1人が海中に転落、巡視艇に救助された。2人は自力で漁船を停船させたが、漁船の乗組員に羽交い締めにされたり体当たりされたりしたという。一方、韓国の聯合ニュースは保安官との小競り合いで韓国人1人が頭にけがをしたと伝えた。
海保は漁業法違反(立ち入り検査忌避)の疑いで調べており、現場では海保と海洋警察庁の船が漁船を挟んでにらみ合う状態が続いた。韓国の潘基文外交通商相は1日午後、逢沢一郎外務副大臣との会談で、韓国側が事実関係を調査するとし、日本側に海上から引き揚げるよう要請。違法操業の疑いを指摘する日本側に対し、違法行為があった場合は必要な措置を講じるとした。
同日午後5時40分ごろ、漁船の乗組員は韓国警備艇に移った。海洋警察庁は船長らの身柄引き渡しを拒否しており、海保と協議が続いている。
≪韓国側対応にいら立ち≫
立ち入り検査に乗船した海上保安官2人を乗せたまま、韓国漁船が逃走するという異常事態が起きた1日、第7管区海上保安本部(北九州)では、状況の把握と報道陣への対応に追われた。
同日午後5時、警備救難課の檜垣幸策・企画調整官が詰め掛けた記者らに状況を説明。現場に動きがないことについて「韓国側は自分たちで捜査するとして、被疑者の引き渡しを拒否している。これだけもめるのは初めてだ」といら立ちを見せた。
7管本部と韓国海洋警察庁はこれまで、対馬海峡での韓国漁船の違法操業に連携して対処してきた。「今回は韓国側が本当に日本が望む捜査をしてくれるのか」と、幹部の1人は漏らした。
※引用 http://www.sankei.co.jp/news/050601/sha079.htm
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韓国籍の漁船が日本の排他的経済水域(EEZ,exclusive economic zone)を犯した。EEZを通過する事自体は違法ではないが、その場で経済活動(油田の採掘や漁業)を行った場合は違法。沿岸国の法律に基づいて処理される。
今回の場合、韓国船は違法操業(密漁)の疑いがある。海上保安庁の保安官を2人乗せたまま逃亡をはかった、というのだから言い逃れはできまい。無実なら逃げなければいいのだ。
日本のEEZ内での他国籍船の横暴ぶりは今に始まったことではない。
先の『玄界灘』の事件を見てもらえれば分かると思うが、凄惨な事件が何度か起こっている。死傷者すら出ているのだ。それは間違いなく殺人である。ただが密漁だと軽く考えてはいけない。
玄界灘や日本海で漁業を営む漁師の方々にとってはまさに死活問題である。
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/12.02.22.1.htm
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/12.02.22.2.html
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/12.03.13.1.html
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/12.03.13.1.html
http://www.jfa.maff.go.jp/release/15.04.14.1.html
http://www.jfa.maff.go.jp/release/16.0213.01.htm
「違法操業して拿捕されようとしても韓国の海洋警察に頼めば逃がしてくれる」
という前例を作ってしまう事は避けなければならない。 さすれば今後日本側の取り締まりが萎縮してしまう可能性もある。 日本は断固たる対応をしなければならない。
日本と韓国の漁業権の問題をいろいろと見てみれば「李承晩ライン」という文言がでてきます。
この「李承晩ライン」、今年にわかに脚光を浴びた「竹島問題」の原因となった悪行です。
詳しく調べれば、日韓の謎を解く鍵になります。
断言いたしますが、竹島は日本の固有の領土です。

