This Is FOOTBALL! FIFA World Cup 2006 Review02
今大会初のベストゲームがいきなりやってきた。
スウェーデン対トリニダード・トバゴ戦、サッカーの面白さが詰まった素晴らしいゲームだった。
イングランド対パラグアイの試合が期待はずれだった反動もあるだろう。
しかし、それ以上にトリニダード・トバゴの圧倒的な存在感と勝負への熱意が素晴らしかった。
試合は0-0のスコアレスドロー。
だが、とても面白くエキサイティングなスコアレスドローだった。
試合終了のホイッスルと同時に歓喜を爆発させたトリニダード・トバゴの選手たちの姿は美しかった。
これぞサッカー、これぞワールドカップ。
サッカーと言う競技の本質、純粋で無垢な輝きに触れたような、素晴らしい感動があった。
トリニダード・トバゴとは・・・
正式名称は、Republic of Trinidad and Tobago。通称、Trinidad and Tobago。
日本語の表記は、トリニダード・トバゴ共和国。通称、トリニダード・トバゴ。
国名は、主要な2つの島、トリニダード島とトバゴ島を合わせたものである。
トリニダード島は、島にある3つの山をキリスト教の教義の三位一体(trinidadは、スペイン語で三位一体のこと)になぞらえて、名付けられた。トバゴ島は、先住民が吸っていたタバコから、名付けられた。
(引用:wikipediaより)
トリニダード・トバゴは人口約100万人で、南米ベネズエラの北側、カリブ海に浮かぶ小さな島国だ。
ワールドカップ予選にチャレンジしつづけて40年、今大会で見事に初出場を果たした。
有名選手ではなんといってもかつてマンチェスターユナイテッドで活躍したドワイト・ヨーク。現在オーストラリアリーグのシドニーに所属し、昨年世界クラブ選手権で三浦知良選手のチームメイトとして来日した経験もある。
小国がワールドカップに出場し、結果を残す事は非常に難しい。サッカーの代表とはその国の国力を映す鏡の側面もある。世界的なビッグネームはベテランのヨークのみ。その他のメンバーも世界各国のリーグで活躍していると言っても自力は決して高くはなく、むしろ弱小と見られている。
そのトリニダード・トバゴがいきなり大仕事をやってのけた。
欧州の強豪スウェーデンに果敢に挑み、見事に勝ち点1を獲得した。
選手個々の能力、知名度では圧倒的にスウェーデン有利だった。下馬評ではスウェーデンが何点とって勝つか、に注目が集まっていた。事実私もスウェーデンを代表する素晴らしい攻撃の選手ズラタン・イブラヒモビッチやヘンリク・ラーション、フレドリク・リュングベリらの活躍を期待していた。
しかし、試合が進むにつれて、思惑が変わってきた。
事前の予想通り、圧倒的にボールを支配し攻勢に出るスウェーデンに対し、トリニダード・トバゴは切れない集中力と力強いディフェンスとチームワークで対抗した。
サッカーと言うのは極めて得点の入りにくい競技である。
故にディフェンスを固められると、いかに攻撃力を誇るチームでも得点を奪えない結果に終わる事がままある。だからどんなに実力差があるチームの対戦でも、番狂わせが起こる可能性がある。それこそがサッカーの本質である「不確実性」だ。
圧倒的に攻めるスウェーデンに、トリニダード・トバゴは厳密なゲームプランで対抗した。
前線にFWのスターン・ジョン1人を残して、残りの10人でディフェンス。身体能力の高さと選手間の連携でスウェーデンの攻撃を跳ね返し続けた。その全員守備の意識が完璧だった。誰一人無茶なエゴを出す事無く、チームの為に懸命に走り体をはっていた。
チームとはこういうものだ。11人の選手が目的を共有し役割を明確にしそれぞれの成すべき事を90分間途切れる事無く行い続ける。それが実現できれば、相手が強豪のスウェーデンだろうとも負ける事は無い。トリニダード・トバゴはそれを40年目の初舞台、全世界が注目するワールドカップで実現してみせた。
そこにあったのはもう技術論とか戦術論ではない。
選手一人一人の気持ちだ。戦う気持ち、意地、プライド、魂。その強い精神が個人の枠を超え、チームとして一体化し、素晴らしい集団となった。この試合を見ていた人は皆何かを感じただろう。必死に戦うトリニダード・トバゴの姿は、全世界に感動を伝えたと思う。
私が感心したのはこのゲームが非常にクリーンだった事だ。
随所に激しい体のぶつかり合い、スライディングタックルがあったが、どれも悪質なものではなく、勝負に対する熱い気持ちに溢れていた。トリニダード・トバゴの選手が一人退場になってしまったが、それも何が何でもボールに食らいつく気迫を感じさせる熱いプレーだった。
そして、トリニダード・トバゴを率いたベン・ハッカー監督の手腕にも驚いた。後半始まってすぐに退場者を出し、正直コレで終わったと思った。ディフェンスが一人消え、この後はスウェーデンの猛攻には耐えきれないだろう。前半は健闘したが結局下馬評通りスウェーデンの圧勝に終わるだろう、と。しかし、トリニダード・トバゴのベン・ハッカー監督は勇敢で有能だった。一人少ない状態であえてFWの選手を途中交替で入れ、それまでの1トップから2トップに移行した。そして、これがズバリ決まった。
退場以降トリニダード・トバゴの戦術はより鮮明になった。9人で守り、ボールを奪ったら前線の2人のFWで突破する。人数が減ってもトリニダード・トバゴのチームは一切破綻する事が無かった。むしろ前線が2人になった分、いざボールを奪った時には攻撃すら仕掛けてみせた。前線がボールをキープする事で、その間はディフェンスは少しでも猶予ができる。そして実際幾度かスウェーデンゴールを脅かした。トリニダード・トバゴは決して引きこもって守るだけのチームでは無かった。果敢にボールを奪い攻撃する意欲に溢れていた。
そして掴んだ勝ち点1。
試合終了後、両チームの反応はまさに天国と地獄だった。
まるで優勝したかのように歓喜を爆発させ抱き合うトリニダード・トバゴの選手たち。激しく盛り上がるサポーターたち。一方、お通夜状態のスウェーデン。スウェーデンにとって、この先イングランド、パラグアイという強豪を相手にする事を考えると、初戦での勝ち点3は最低限のミッションだった。しかしそれはトリニダード・トバゴの熱意溢れる素晴らしい健闘の前にもろくも崩れ去った。
97年、フランス大会予選を日本は初めて突破した。
あの時の感動は未だに私の中で特別なものとして輝き続けている。あの喜びは言葉では言い表せないしこの先の人生でもう二度と味わう事は出来ないだろう。それほど素晴らしいものだった。
トリニダード・トバゴを見て、それを思い出した。
ワールドカップ予選に挑戦し続けて40年。40年にして初めて掴んだワールドカップ本大会出場。
そして記念すべき初戦で強豪スウェーデンに対し見事なスコアレスドロー。
トリニダード・トバゴは今どれくらい盛り上がっているだろう。
国民はもう我を忘れる程歓喜で狂いまくっているのではないだろうか。
その心中を想像するだけで、何も関係ない私ですら感動してしまう。
サッカーの喜びがここにはある。
トリニダード・トバゴは、ワールドカップの歴史に確かな足跡を残した。
この試合を見届けた多くの人々の心にも深く刻まれただろう。
この瞬間、今まで何も知らなかったトリニダード・トバゴという小国に対し、リスペクトの気持ちが生まれている。強い興味も沸いてくる。
これこそサッカーであり、これこそワールドカップだ。
トリニダード・トバゴとスウェーデンは勝ち点1を分け合った。
この結果がグループBにどのような影響を与えるのか。
ワールドカップ2日目にして早くも巡り会えたベストゲームに感謝する。
スウェーデン対トリニダード・トバゴ戦、サッカーの面白さが詰まった素晴らしいゲームだった。
イングランド対パラグアイの試合が期待はずれだった反動もあるだろう。
しかし、それ以上にトリニダード・トバゴの圧倒的な存在感と勝負への熱意が素晴らしかった。
試合は0-0のスコアレスドロー。
だが、とても面白くエキサイティングなスコアレスドローだった。
試合終了のホイッスルと同時に歓喜を爆発させたトリニダード・トバゴの選手たちの姿は美しかった。
これぞサッカー、これぞワールドカップ。
サッカーと言う競技の本質、純粋で無垢な輝きに触れたような、素晴らしい感動があった。
トリニダード・トバゴとは・・・
正式名称は、Republic of Trinidad and Tobago。通称、Trinidad and Tobago。
日本語の表記は、トリニダード・トバゴ共和国。通称、トリニダード・トバゴ。
国名は、主要な2つの島、トリニダード島とトバゴ島を合わせたものである。
トリニダード島は、島にある3つの山をキリスト教の教義の三位一体(trinidadは、スペイン語で三位一体のこと)になぞらえて、名付けられた。トバゴ島は、先住民が吸っていたタバコから、名付けられた。
(引用:wikipediaより)
トリニダード・トバゴは人口約100万人で、南米ベネズエラの北側、カリブ海に浮かぶ小さな島国だ。
ワールドカップ予選にチャレンジしつづけて40年、今大会で見事に初出場を果たした。
有名選手ではなんといってもかつてマンチェスターユナイテッドで活躍したドワイト・ヨーク。現在オーストラリアリーグのシドニーに所属し、昨年世界クラブ選手権で三浦知良選手のチームメイトとして来日した経験もある。
小国がワールドカップに出場し、結果を残す事は非常に難しい。サッカーの代表とはその国の国力を映す鏡の側面もある。世界的なビッグネームはベテランのヨークのみ。その他のメンバーも世界各国のリーグで活躍していると言っても自力は決して高くはなく、むしろ弱小と見られている。
そのトリニダード・トバゴがいきなり大仕事をやってのけた。
欧州の強豪スウェーデンに果敢に挑み、見事に勝ち点1を獲得した。
選手個々の能力、知名度では圧倒的にスウェーデン有利だった。下馬評ではスウェーデンが何点とって勝つか、に注目が集まっていた。事実私もスウェーデンを代表する素晴らしい攻撃の選手ズラタン・イブラヒモビッチやヘンリク・ラーション、フレドリク・リュングベリらの活躍を期待していた。
しかし、試合が進むにつれて、思惑が変わってきた。
事前の予想通り、圧倒的にボールを支配し攻勢に出るスウェーデンに対し、トリニダード・トバゴは切れない集中力と力強いディフェンスとチームワークで対抗した。
サッカーと言うのは極めて得点の入りにくい競技である。
故にディフェンスを固められると、いかに攻撃力を誇るチームでも得点を奪えない結果に終わる事がままある。だからどんなに実力差があるチームの対戦でも、番狂わせが起こる可能性がある。それこそがサッカーの本質である「不確実性」だ。
圧倒的に攻めるスウェーデンに、トリニダード・トバゴは厳密なゲームプランで対抗した。
前線にFWのスターン・ジョン1人を残して、残りの10人でディフェンス。身体能力の高さと選手間の連携でスウェーデンの攻撃を跳ね返し続けた。その全員守備の意識が完璧だった。誰一人無茶なエゴを出す事無く、チームの為に懸命に走り体をはっていた。
チームとはこういうものだ。11人の選手が目的を共有し役割を明確にしそれぞれの成すべき事を90分間途切れる事無く行い続ける。それが実現できれば、相手が強豪のスウェーデンだろうとも負ける事は無い。トリニダード・トバゴはそれを40年目の初舞台、全世界が注目するワールドカップで実現してみせた。
そこにあったのはもう技術論とか戦術論ではない。
選手一人一人の気持ちだ。戦う気持ち、意地、プライド、魂。その強い精神が個人の枠を超え、チームとして一体化し、素晴らしい集団となった。この試合を見ていた人は皆何かを感じただろう。必死に戦うトリニダード・トバゴの姿は、全世界に感動を伝えたと思う。
私が感心したのはこのゲームが非常にクリーンだった事だ。
随所に激しい体のぶつかり合い、スライディングタックルがあったが、どれも悪質なものではなく、勝負に対する熱い気持ちに溢れていた。トリニダード・トバゴの選手が一人退場になってしまったが、それも何が何でもボールに食らいつく気迫を感じさせる熱いプレーだった。
そして、トリニダード・トバゴを率いたベン・ハッカー監督の手腕にも驚いた。後半始まってすぐに退場者を出し、正直コレで終わったと思った。ディフェンスが一人消え、この後はスウェーデンの猛攻には耐えきれないだろう。前半は健闘したが結局下馬評通りスウェーデンの圧勝に終わるだろう、と。しかし、トリニダード・トバゴのベン・ハッカー監督は勇敢で有能だった。一人少ない状態であえてFWの選手を途中交替で入れ、それまでの1トップから2トップに移行した。そして、これがズバリ決まった。
退場以降トリニダード・トバゴの戦術はより鮮明になった。9人で守り、ボールを奪ったら前線の2人のFWで突破する。人数が減ってもトリニダード・トバゴのチームは一切破綻する事が無かった。むしろ前線が2人になった分、いざボールを奪った時には攻撃すら仕掛けてみせた。前線がボールをキープする事で、その間はディフェンスは少しでも猶予ができる。そして実際幾度かスウェーデンゴールを脅かした。トリニダード・トバゴは決して引きこもって守るだけのチームでは無かった。果敢にボールを奪い攻撃する意欲に溢れていた。
そして掴んだ勝ち点1。
試合終了後、両チームの反応はまさに天国と地獄だった。
まるで優勝したかのように歓喜を爆発させ抱き合うトリニダード・トバゴの選手たち。激しく盛り上がるサポーターたち。一方、お通夜状態のスウェーデン。スウェーデンにとって、この先イングランド、パラグアイという強豪を相手にする事を考えると、初戦での勝ち点3は最低限のミッションだった。しかしそれはトリニダード・トバゴの熱意溢れる素晴らしい健闘の前にもろくも崩れ去った。
97年、フランス大会予選を日本は初めて突破した。
あの時の感動は未だに私の中で特別なものとして輝き続けている。あの喜びは言葉では言い表せないしこの先の人生でもう二度と味わう事は出来ないだろう。それほど素晴らしいものだった。
トリニダード・トバゴを見て、それを思い出した。
ワールドカップ予選に挑戦し続けて40年。40年にして初めて掴んだワールドカップ本大会出場。
そして記念すべき初戦で強豪スウェーデンに対し見事なスコアレスドロー。
トリニダード・トバゴは今どれくらい盛り上がっているだろう。
国民はもう我を忘れる程歓喜で狂いまくっているのではないだろうか。
その心中を想像するだけで、何も関係ない私ですら感動してしまう。
サッカーの喜びがここにはある。
トリニダード・トバゴは、ワールドカップの歴史に確かな足跡を残した。
この試合を見届けた多くの人々の心にも深く刻まれただろう。
この瞬間、今まで何も知らなかったトリニダード・トバゴという小国に対し、リスペクトの気持ちが生まれている。強い興味も沸いてくる。
これこそサッカーであり、これこそワールドカップだ。
トリニダード・トバゴとスウェーデンは勝ち点1を分け合った。
この結果がグループBにどのような影響を与えるのか。
ワールドカップ2日目にして早くも巡り会えたベストゲームに感謝する。
FIFA World Cup 2006 Review01
デイビッド・ベッカムが好きだ。
というとちょっと気恥ずかしい。
世界で最も有名なサッカー選手の一人であるベッカムは、日本のお茶の間でも抜群の知名度を誇るスター選手だからだ。端正なルックスや派手な私生活に注目が集まり、まるでポップスターのように扱われるベッカムだが、彼はプレイヤーとしても素晴らしい人物である事を置き去りには出来ない。
まずその右足。ベッカムの右足は世界で最も対戦国に脅威を与える。彼の右足から放たれるクロスは正確無比、誘導レーダー付きミサイルだ。右サイドのベッカムに2秒間フリーな時間を与えると、即致命傷になる。それほどのキックを持つ。
右足だけではない。目立たないが、彼は非常に運動量が多い。足は速くはないが、献身的な動きで常に中盤を安定化させる。守備も汚れ役もいとわない。クロスを上げるだけの「蹴り役」ではないのだ。
そして、何より勝負に対する強い気持ち。チームの為に尽くすキャプテンシー。常にチームの先頭をきってトレーニングに励むストイックな姿勢。デイビッド・ベッカムは天から与えられた二物だけでなく、尋常ならざる努力で世界的なスーパープレイヤーになり、今なお進化を続けている。
ただのポップスターではなく、サッカー選手として尊敬を受けるに値する素晴らしい選手なのだ。
彼にとって残念だった事は「ルックスが良かった事」かもしれない。彼が凡庸なルックスであれば、ここまで本質以外の騒動は起こらなかっただろう。
イングランドの中心はベッカムである。
しかし、今回のイングランドにはベッカムですらかすんでしまう程の素晴らしい選手が集まった。スティーブン・ジェラード、フランク・ランパード、ジョー・コール、マイケル・オーウェン、ジョン・テリー、リオ・ファーディナンドetcetc…
選手名を上げればそのほとんどが欧州を代表するビッグネーム。
選手名だけを見れば優勝してもおかしくない、いや、むしろ優勝は確実と言いたくなる程のスター軍団だ。
しかし、有能な選手を集めれば即素晴らしいチームが出来、素晴らしい試合が出来るかと言えば、答えは「否」。
イングランドのワールドカップ初戦となった対パラグアイ戦、新聞のテレビ欄の番組内容紹介ではイングランドのスター選手の競演を期待する文言が踊っていたが、実際の試合は何とも言えない退屈でお粗末な内容となってしまった。
前半3分のオウンゴールが両チーム唯一の得点。
ベッカムが放ったフリーキックはさすがと思わせる美しい弾道だったが、あのさほど衝撃的でもない、むしろミスとしか見えないプレーが両チームにとって決定的だったのは何とも残念だ。
正直つまらない試合だった。
開幕戦のドイツ対コスタリカも決して高いレベルの試合とは思えなかったし、私は何か白けた感覚で興奮も無く淡々と試合を見ていた。
そして思っていた。
日本代表は勝てるぞ、と。
ドイツも、コスタリカも、イングランドも、パラグアイも日本代表だったら勝てるのではないか、と思った。
どのチームも鈍い。「速さ」がない。
イングランドは伝統的なサッカースタイルで素早く前線にボールを運ぶシーンがいくつか見られたが、そういう「早くゴール前に行く」というスタイルとは別の「鈍さ」を感じてしまった。
それはパスワークにある。パスを出すタイミング、回数、スピードが日本代表とは全く違う。
どのチームもパスをしない。そんな風に私には見えた。なぜパスを回さないのか?
パスが鈍いと、チームが鈍る。特に顕著だったのはパラグアイ。
ボールをカットしても、パスがつながらない。パスの出しどころに走り込む選手が居ない。
選手が動けばカウンターのチャンスの場面でも、選手が動かない、パスが出せない。だから中盤で無意味にキープして速度が鈍る。その間にイングランドは守備陣形を整えゴール前に厚い壁を作る。パラグアイの攻撃は、全く脅威を感じさせない間に終わってしまう。
そんな緊張感の無い展開が90分間続き、試合は盛り上がる事無く終わった。
日本代表だったらもっとパスを素早く出すし、もっと選手が動き回る。
日本の最大の攻撃力はパスを素早くつなぐ速攻にある。
これまで日本代表を「速い」と伝える海外メディアに違和感を持っていたが、やっと氷解した。イングランドやパラグアイ、ドイツ、コスタリカは日本代表のようなパスワークは出来なかった。そして鈍かった。これが海外メディアの見るサッカーで、日本の素早いサッカーこそが異物だったのだ、と。
そして、それは日本のみが持ちうる素晴らしい特徴なのだ、と。
「アジリティ」と「選手間の連携」と「チームへの自己犠牲」が高次元で融合した日本サッカーは、恐らくW杯に出場する32チームの中で異彩を放つだろう。日本は身体能力に劣るからこそ、パスワークと組織力に特化した。そこに優れたテクニックがさらに加わる。
「ハエのようにたかり、蚊のようにさす」
この日本サッカースタイルは面白い。素軽く、早く、繊細で、想像力と創造力に溢れている。
対戦相手国の意表をつくダイレクトパスであっという間にゴール前まで強襲する。
得点力こそ低いが、非常に攻撃的で、美しいサッカーだ。
イングランド対パラグアイの試合でありながら、私はそんなことを考えていた。
心は常に日本代表とともにある。というか、イングランド対パラグアイ戦は非常に凡庸で退屈で、日本代表を忘れて見とれる程刺激的ではなかった。
むしろ、この両チームと対戦しても日本代表ならなんとかなるのではないか、とすら思っていた。
勝敗は分からないが、見ている側が楽しいのは間違いなく日本戦だと断言できる。
日本サッカーの方がスピーディでスリリングで楽しい。
明日、日本はオーストラリア戦を迎える。
私は組み合わせが決まった瞬間から楽勝だと思っていた。
むろん過信はできないし、オーストラリアはパワーに優れた非凡なチームで、野心的な目標を掲げ決して楽な相手ではないとは思っている。が、サッカーの質では圧倒的に日本の方が上だ。サッカーの質がそのまま勝敗に反映されるわけではないが、まず負ける相手ではないと確信している。
といいつつサッカーでは何が起こるか分からないのではあるが。
W杯2日目、最初の注目カードであったイングランド対パラグアイ戦は正直期待ハズレだった。
しかし、その試合を見るとこで、日本代表の美点がより明確に分かるようになった。
私の確信がただの勘違いだったのか傲慢であったのか、それとも事実だったのか。
もうすぐ分かる。
日本代表が、世界に例を見ないスピーディでスリリングで美しいサッカーを披露する時が来た。
この素晴らしいW杯の舞台に、我が日本代表が出場することに、改めて強い喜びと感動を感じる。
12日、カイザースラウテルンのピッチに蒼いユニフォームをまとった選手たちが現れる時、私は泣いてしまうかもしれない。
4年に1度、全てのサッカー少年の夢、全世界のべ300億人が見つめる世紀の舞台。
W杯を楽しもう。
というとちょっと気恥ずかしい。
世界で最も有名なサッカー選手の一人であるベッカムは、日本のお茶の間でも抜群の知名度を誇るスター選手だからだ。端正なルックスや派手な私生活に注目が集まり、まるでポップスターのように扱われるベッカムだが、彼はプレイヤーとしても素晴らしい人物である事を置き去りには出来ない。
まずその右足。ベッカムの右足は世界で最も対戦国に脅威を与える。彼の右足から放たれるクロスは正確無比、誘導レーダー付きミサイルだ。右サイドのベッカムに2秒間フリーな時間を与えると、即致命傷になる。それほどのキックを持つ。
右足だけではない。目立たないが、彼は非常に運動量が多い。足は速くはないが、献身的な動きで常に中盤を安定化させる。守備も汚れ役もいとわない。クロスを上げるだけの「蹴り役」ではないのだ。
そして、何より勝負に対する強い気持ち。チームの為に尽くすキャプテンシー。常にチームの先頭をきってトレーニングに励むストイックな姿勢。デイビッド・ベッカムは天から与えられた二物だけでなく、尋常ならざる努力で世界的なスーパープレイヤーになり、今なお進化を続けている。
ただのポップスターではなく、サッカー選手として尊敬を受けるに値する素晴らしい選手なのだ。
彼にとって残念だった事は「ルックスが良かった事」かもしれない。彼が凡庸なルックスであれば、ここまで本質以外の騒動は起こらなかっただろう。
イングランドの中心はベッカムである。
しかし、今回のイングランドにはベッカムですらかすんでしまう程の素晴らしい選手が集まった。スティーブン・ジェラード、フランク・ランパード、ジョー・コール、マイケル・オーウェン、ジョン・テリー、リオ・ファーディナンドetcetc…
選手名を上げればそのほとんどが欧州を代表するビッグネーム。
選手名だけを見れば優勝してもおかしくない、いや、むしろ優勝は確実と言いたくなる程のスター軍団だ。
しかし、有能な選手を集めれば即素晴らしいチームが出来、素晴らしい試合が出来るかと言えば、答えは「否」。
イングランドのワールドカップ初戦となった対パラグアイ戦、新聞のテレビ欄の番組内容紹介ではイングランドのスター選手の競演を期待する文言が踊っていたが、実際の試合は何とも言えない退屈でお粗末な内容となってしまった。
前半3分のオウンゴールが両チーム唯一の得点。
ベッカムが放ったフリーキックはさすがと思わせる美しい弾道だったが、あのさほど衝撃的でもない、むしろミスとしか見えないプレーが両チームにとって決定的だったのは何とも残念だ。
正直つまらない試合だった。
開幕戦のドイツ対コスタリカも決して高いレベルの試合とは思えなかったし、私は何か白けた感覚で興奮も無く淡々と試合を見ていた。
そして思っていた。
日本代表は勝てるぞ、と。
ドイツも、コスタリカも、イングランドも、パラグアイも日本代表だったら勝てるのではないか、と思った。
どのチームも鈍い。「速さ」がない。
イングランドは伝統的なサッカースタイルで素早く前線にボールを運ぶシーンがいくつか見られたが、そういう「早くゴール前に行く」というスタイルとは別の「鈍さ」を感じてしまった。
それはパスワークにある。パスを出すタイミング、回数、スピードが日本代表とは全く違う。
どのチームもパスをしない。そんな風に私には見えた。なぜパスを回さないのか?
パスが鈍いと、チームが鈍る。特に顕著だったのはパラグアイ。
ボールをカットしても、パスがつながらない。パスの出しどころに走り込む選手が居ない。
選手が動けばカウンターのチャンスの場面でも、選手が動かない、パスが出せない。だから中盤で無意味にキープして速度が鈍る。その間にイングランドは守備陣形を整えゴール前に厚い壁を作る。パラグアイの攻撃は、全く脅威を感じさせない間に終わってしまう。
そんな緊張感の無い展開が90分間続き、試合は盛り上がる事無く終わった。
日本代表だったらもっとパスを素早く出すし、もっと選手が動き回る。
日本の最大の攻撃力はパスを素早くつなぐ速攻にある。
これまで日本代表を「速い」と伝える海外メディアに違和感を持っていたが、やっと氷解した。イングランドやパラグアイ、ドイツ、コスタリカは日本代表のようなパスワークは出来なかった。そして鈍かった。これが海外メディアの見るサッカーで、日本の素早いサッカーこそが異物だったのだ、と。
そして、それは日本のみが持ちうる素晴らしい特徴なのだ、と。
「アジリティ」と「選手間の連携」と「チームへの自己犠牲」が高次元で融合した日本サッカーは、恐らくW杯に出場する32チームの中で異彩を放つだろう。日本は身体能力に劣るからこそ、パスワークと組織力に特化した。そこに優れたテクニックがさらに加わる。
「ハエのようにたかり、蚊のようにさす」
この日本サッカースタイルは面白い。素軽く、早く、繊細で、想像力と創造力に溢れている。
対戦相手国の意表をつくダイレクトパスであっという間にゴール前まで強襲する。
得点力こそ低いが、非常に攻撃的で、美しいサッカーだ。
イングランド対パラグアイの試合でありながら、私はそんなことを考えていた。
心は常に日本代表とともにある。というか、イングランド対パラグアイ戦は非常に凡庸で退屈で、日本代表を忘れて見とれる程刺激的ではなかった。
むしろ、この両チームと対戦しても日本代表ならなんとかなるのではないか、とすら思っていた。
勝敗は分からないが、見ている側が楽しいのは間違いなく日本戦だと断言できる。
日本サッカーの方がスピーディでスリリングで楽しい。
明日、日本はオーストラリア戦を迎える。
私は組み合わせが決まった瞬間から楽勝だと思っていた。
むろん過信はできないし、オーストラリアはパワーに優れた非凡なチームで、野心的な目標を掲げ決して楽な相手ではないとは思っている。が、サッカーの質では圧倒的に日本の方が上だ。サッカーの質がそのまま勝敗に反映されるわけではないが、まず負ける相手ではないと確信している。
といいつつサッカーでは何が起こるか分からないのではあるが。
W杯2日目、最初の注目カードであったイングランド対パラグアイ戦は正直期待ハズレだった。
しかし、その試合を見るとこで、日本代表の美点がより明確に分かるようになった。
私の確信がただの勘違いだったのか傲慢であったのか、それとも事実だったのか。
もうすぐ分かる。
日本代表が、世界に例を見ないスピーディでスリリングで美しいサッカーを披露する時が来た。
この素晴らしいW杯の舞台に、我が日本代表が出場することに、改めて強い喜びと感動を感じる。
12日、カイザースラウテルンのピッチに蒼いユニフォームをまとった選手たちが現れる時、私は泣いてしまうかもしれない。
4年に1度、全てのサッカー少年の夢、全世界のべ300億人が見つめる世紀の舞台。
W杯を楽しもう。
Our time has come
ボール支配率、シュート数、コーナーキック数。
数値で見る限り、ほぼ全ての面においてドイツ代表が圧倒した。
しかし、今、メディアが伝えるのは、ドイツ代表への諦観や皮肉や罵倒、そして、日本代表への驚愕と称賛と警戒だ。
ここに、フットボールの本質がある。
フットボールは見れば見る程奥が深く面白い。そして、恐ろしい程訳が分からない。
日本人でありながら、日本代表の事が分からない。
強いのか弱いのか、正直これほどよく分からないチームも珍しいのではないか。
格上と呼ばれる強豪にも、格下扱いの相手にも、それなりの試合をしてしまう。
メンバーによって、試合のクオリティが極端に変わってしまう。
それでもアウェイで格上相手の試合にはこれまでにない結果を残してきた。
一体日本とは何なのだ?
恐らく、オーストラリア、クロアチアは日本を不気味に思っていると思う。
日本人自体、自分たちの代表の実力をよく分かっていないのだから、対戦相手国に至っては甚だ不気味な存在だろう。ブラジルは余裕をかましているのだろうが、案外日本を最も的確に評価しているのはブラジルかもしれない。
心配しなくても、もうすぐ白黒はっきりつくのだ。
ガチでぶつかり合えるではないか。
日本が強いのか、弱いのか、世界に表現する時が来た。
さぁ、W杯だ。
ドイツ戦が始まるまで、悲観論が渦巻いていた。
曰く「3戦全敗」、曰く「1点も取れない」、曰く「世界に恥をさらす」などなど、自国の代表にかける言葉としては、あまりにも自虐的で切ない文言がネット上に散乱していた。その気持ちは非常によく分かる。何故なら、みんな分からないし、恐いし、不安だからだ。
元来、自国に自信を持たないような教育を受け、自国を斜に構えたニヒリスティックに見るよう育ってきた日本人にとって、「自信を持つ」ことや「世界に対し強気に出る」ことはタブーとされてきた。さらに、直前のテストマッチの悲劇的な内容を見る限り、代表に対し厳しい姿勢をとってしまうのは仕方の無い事かもしれない。期待はしたいし応援もしたい。しかし、残念な結果が出た時にショックを受けるのはつらい。だから、一歩引いたところで見守りたい・・・。
だから、ことさらに対戦国を持ち上げてイメージを作ろうとする。
ブラジルは言うに及ばず、オーストラリアもクロアチアも、メンバーはみなヨーロッパのクラブでプレーする猛者ばかりで、選手のレベルは日本を大きく上回る。体も大きくて強く、スピードもある。日本人では相手にならない・・・。
そうやって、対戦国のイメージを作り上げ、日本が敗戦した場合の「理由づけ」を作ろうとする。
「あんな強い相手には敵うわけない。始めから分かっていた」と。
そんな心理はよくよく分かる。
だが、あえて言う。
もっと楽しもう。フットボールはそんなに単純なものではない。
我らが代表はそんなに弱くはない。
むしろボクは思う。
日本代表は強い。こんなサッカーをするチームは他に見た事が無い。
日本代表は確実に他のチームが持ち得ない「何か」を持っている。
その「何か」は、日本国民だけでなく、他国民であろうとも、サッカーを愛する人全てに通じる可能性がある。
日本代表は、フットボールの歴史に強烈な足跡を残すのではないか。
1年前のコンフェデ以降、ボクの中にずっとあり続けた、ある予感だ。
日本のプレイスタイルとは何だ?
某掲示板のレスで非常に面白く的確な文章があり、強く印象に残った。
「ハエのようにたかり、蚊のように刺す」
これにはまいった。一見すると、自虐的な皮肉のようにも見えるが、実に良く的を射ている。
欧州での日本選手の印象は「ヤブ蚊」と例えられた。これは、「ヤブ蚊のように小さくてすばしっこい」という意味だ。小さく取るに足らない存在だと下に見られる。だが、払いのけても払いのけても体にまとわりついてくる。そして、すばしっこくて捕まえきれない。死角をついて一撃を見舞ってくる。
日本人には自覚はないが、世界での日本サッカーの評価は「スピード」にある。
どこが??? と不思議に思う。
日本人にはアンリやエトー、ロッベンのようなスピードのある選手はいない。むしろ鈍足な選手ばかりだ。
にもかかわらず、日本と対戦した国は一様にみな日本のスピーディなサッカーに驚愕する。
これは選手個人の足の速さがチームとしてのスピードとは異なる事の証明だ。
サッカーは陸上競技ではない。足の速さを競う競技ではないのだ。
どんなに足の速い選手でも、転がるボールより速く動ける選手はいない。
サッカーにおけるスピードとは、すなわち「ボールの動きの速さ」のことを指す。
とはいえ、日本人のキック力は欧州やアフリカの選手に比べて弱い。これは筋力の問題である。
強く、速いボールを日本人は蹴る事が出来ない。
足も速くない、キック力も弱い日本のサッカーは、しかし、なぜか「チームとして速い」のだ。
日本の速さ、それは個人の力でいうと、筋力ではなく「俊敏性」だ。中田英寿曰く「アジリティ」である。
長い距離を走る走力は確かにない。しかし、短い距離での一瞬の俊敏さ、加速力は負けていない。
局面における選手個人の判断力。ボールを持っていない時の動き方。敵の弱点を見極める戦術眼。
選手おのおのが局面に応じた役割をしっかり理解して、忠実に行動する。
瞬間を無駄にせず、常に脳みそを働かせ集中力を切らさない日本人の「真面目さ」。
これが、チームとして融合した時に、恐るべき「スピード」が生まれる。
サッカーは言うまでもなく11人対11人で競うチームスポーツだ。
一人一人個人の力では劣っていても、複数の人間で1つのボールを扱う事で、身体能力を遥かに超える化学反応が起こる。1+1が3以上5にも10にもなってしまう。ここが日本の最大の特徴であり武器だ。
そんなことはオフト監督の時代から分かりきっていた。
トルシエ監督もその日本の「組織力」をベースにチームを作った。
そしてジーコは、その「組織力」に自由と想像力を加えて独自のエッセンスを持つチームを作り上げた。
ボクが思うのは、日本人が軽く口にする、「組織力」というものは、実は非常に難しく貴重なものではないか、ということだ。
外国のチームを見る限り、まずは個人が基調にある。個人が自分のできる範囲でのミッションをこなし、それを他者につないでいく。ごく当たり前の概念だ。
だが、日本は’(もちろん個人のミッションはあるものの)、それが主ではない。個人のエゴは極力抑えられ、集団で局面に立ち向かう。これは局面を打開する個人の力が無い事の裏返しなのは間違いない。個人重視でできる能力が無いのだから、集団にプライオリティが置かれるのは当然だ。
しかし、ボクはそこに違和感を感じる。
元々日本人は個人でミッションを遂行する気がないのではないか、と。
まず最初に個人ではなくチームありき。チームが結果を出す為に個人のパーツがある。
これはトルシエ時代もジーコ時代も、何も変わってはいない。
日本サッカーの特筆すべき点は、チームのための「自己犠牲」と他者を活かす「連動性」にある。
そして、チームとしての決まり事を忠実に遂行する「勤勉さ」。
これは当たり前のように思えるが、サッカーにおいて実践できているのは日本代表だけだ。
この精神性は、世界では極めて異例、希有なものだろう。
日本サッカーはチームに殉ずる事が出来るのだ。
最優先のミッションはチームの勝利。そのために個々人が自らの能力を真面目に発揮し、融合させる。自己犠牲もいとわず、集中力を切らす事無く、常にチームメイトに気を配り、チームとしてのポテンシャルを最大限に活かそうとする。
それが日本の繊細なコンビネーションと華麗なパス・サッカーを生み出した。
そしてこのサッカーは、日本人の「アジリティ」を存分に発揮させる。
屈強な白人も、驚異的な身体能力のアフリカ人も、誰にも真似できない、新しいサッカーだ。
日本サッカーに一番似ているのはブラジルだと思う。
この点において監督がジーコであったのは最高の巡り合わせだったと思う。
ジーコの「ブラジルエッセンス」と、日本人の「組織力とアジリティ」は最高の出会いを果たした。
ブラジルとの決定的な違いは「個人能力」にある。日本よりも圧倒的に個人能力に優れているが故に、「組織への忠誠心」よりも個人能力にプライオリティが置かれる。そこがまたサッカーの奥深さであり面白いところだ。
サッカーは国を映す鏡だ。
代表チームのサッカーはそのままその国の風土、歴史、国民性が反映されたものになる。
古来より世界から独自の距離を置き、独立した文化を育んできた「島国日本」。外敵に晒される事無く、独自のコミュニティを2000年に渡って維持してきた。その長い時間の中で生まれた、同一民族だから持ち得た共同体意識。個人よりも全体を活かす事を良しとしてきた精神性。限りある資源と豊かな自然風土によって培われたオリジナリティ溢れる知恵や創造性、そして器用な手先を活かした技術力。
遥か極東の島国だからこそ生まれた、日本だけが持つ日本の美しい美学がある。
それは確実に今、サッカー日本代表の根底に流れている。
世界の誰も真似できない、日本人による日本人のサッカー。
ドイツ戦以降、各国メディアが日本に対し称賛と驚愕を表明している。
先のコンフェデレーションズカップで日本はギリシャを圧倒しブラジルと互角に渡り合ったにも関わらず、未だ日本サッカーの評価は低い。それは、日本の実績がまだまだ足りない事に加えて、欧州特有の有色人種への差別意識があるのだと思う。日本人なんかにサッカーで負けるわけが無い、と。しかし、その偏見と差別意識が大きな誤りである事を日本代表は証明できる。
世界を支配しているのは誰か?
白人だ。
これは今も昔も実は変わっていない。
時代は変わろうとも、歴史が生まれて以降、白人種の根底には有色人種への差別があからさまに存在する。
60余年前、白人が支配する世界に、唯一日本だけが決死の反抗を仕掛けた。
21世紀の今、再び日本は世界を相手に正々堂々と立ち向かう。
勝つ事によって世界は変わる。
W杯は全世界でのべ300億人が見ると言う。
全世界に見せつける時が来た。歪んだ色眼鏡は変えなければならない。
もうすぐ革命が起こる。
全世界を支配する神話が終焉を迎えるのだ。
さぁ、行こう。
我らの時は来た。
その目に焼きつけよ。
遥か欧州の地に、遥か極東の蒼き大海原より、日は昇る。
数値で見る限り、ほぼ全ての面においてドイツ代表が圧倒した。
しかし、今、メディアが伝えるのは、ドイツ代表への諦観や皮肉や罵倒、そして、日本代表への驚愕と称賛と警戒だ。
ここに、フットボールの本質がある。
フットボールは見れば見る程奥が深く面白い。そして、恐ろしい程訳が分からない。
日本人でありながら、日本代表の事が分からない。
強いのか弱いのか、正直これほどよく分からないチームも珍しいのではないか。
格上と呼ばれる強豪にも、格下扱いの相手にも、それなりの試合をしてしまう。
メンバーによって、試合のクオリティが極端に変わってしまう。
それでもアウェイで格上相手の試合にはこれまでにない結果を残してきた。
一体日本とは何なのだ?
恐らく、オーストラリア、クロアチアは日本を不気味に思っていると思う。
日本人自体、自分たちの代表の実力をよく分かっていないのだから、対戦相手国に至っては甚だ不気味な存在だろう。ブラジルは余裕をかましているのだろうが、案外日本を最も的確に評価しているのはブラジルかもしれない。
心配しなくても、もうすぐ白黒はっきりつくのだ。
ガチでぶつかり合えるではないか。
日本が強いのか、弱いのか、世界に表現する時が来た。
さぁ、W杯だ。
ドイツ戦が始まるまで、悲観論が渦巻いていた。
曰く「3戦全敗」、曰く「1点も取れない」、曰く「世界に恥をさらす」などなど、自国の代表にかける言葉としては、あまりにも自虐的で切ない文言がネット上に散乱していた。その気持ちは非常によく分かる。何故なら、みんな分からないし、恐いし、不安だからだ。
元来、自国に自信を持たないような教育を受け、自国を斜に構えたニヒリスティックに見るよう育ってきた日本人にとって、「自信を持つ」ことや「世界に対し強気に出る」ことはタブーとされてきた。さらに、直前のテストマッチの悲劇的な内容を見る限り、代表に対し厳しい姿勢をとってしまうのは仕方の無い事かもしれない。期待はしたいし応援もしたい。しかし、残念な結果が出た時にショックを受けるのはつらい。だから、一歩引いたところで見守りたい・・・。
だから、ことさらに対戦国を持ち上げてイメージを作ろうとする。
ブラジルは言うに及ばず、オーストラリアもクロアチアも、メンバーはみなヨーロッパのクラブでプレーする猛者ばかりで、選手のレベルは日本を大きく上回る。体も大きくて強く、スピードもある。日本人では相手にならない・・・。
そうやって、対戦国のイメージを作り上げ、日本が敗戦した場合の「理由づけ」を作ろうとする。
「あんな強い相手には敵うわけない。始めから分かっていた」と。
そんな心理はよくよく分かる。
だが、あえて言う。
もっと楽しもう。フットボールはそんなに単純なものではない。
我らが代表はそんなに弱くはない。
むしろボクは思う。
日本代表は強い。こんなサッカーをするチームは他に見た事が無い。
日本代表は確実に他のチームが持ち得ない「何か」を持っている。
その「何か」は、日本国民だけでなく、他国民であろうとも、サッカーを愛する人全てに通じる可能性がある。
日本代表は、フットボールの歴史に強烈な足跡を残すのではないか。
1年前のコンフェデ以降、ボクの中にずっとあり続けた、ある予感だ。
日本のプレイスタイルとは何だ?
某掲示板のレスで非常に面白く的確な文章があり、強く印象に残った。
「ハエのようにたかり、蚊のように刺す」
これにはまいった。一見すると、自虐的な皮肉のようにも見えるが、実に良く的を射ている。
欧州での日本選手の印象は「ヤブ蚊」と例えられた。これは、「ヤブ蚊のように小さくてすばしっこい」という意味だ。小さく取るに足らない存在だと下に見られる。だが、払いのけても払いのけても体にまとわりついてくる。そして、すばしっこくて捕まえきれない。死角をついて一撃を見舞ってくる。
日本人には自覚はないが、世界での日本サッカーの評価は「スピード」にある。
どこが??? と不思議に思う。
日本人にはアンリやエトー、ロッベンのようなスピードのある選手はいない。むしろ鈍足な選手ばかりだ。
にもかかわらず、日本と対戦した国は一様にみな日本のスピーディなサッカーに驚愕する。
これは選手個人の足の速さがチームとしてのスピードとは異なる事の証明だ。
サッカーは陸上競技ではない。足の速さを競う競技ではないのだ。
どんなに足の速い選手でも、転がるボールより速く動ける選手はいない。
サッカーにおけるスピードとは、すなわち「ボールの動きの速さ」のことを指す。
とはいえ、日本人のキック力は欧州やアフリカの選手に比べて弱い。これは筋力の問題である。
強く、速いボールを日本人は蹴る事が出来ない。
足も速くない、キック力も弱い日本のサッカーは、しかし、なぜか「チームとして速い」のだ。
日本の速さ、それは個人の力でいうと、筋力ではなく「俊敏性」だ。中田英寿曰く「アジリティ」である。
長い距離を走る走力は確かにない。しかし、短い距離での一瞬の俊敏さ、加速力は負けていない。
局面における選手個人の判断力。ボールを持っていない時の動き方。敵の弱点を見極める戦術眼。
選手おのおのが局面に応じた役割をしっかり理解して、忠実に行動する。
瞬間を無駄にせず、常に脳みそを働かせ集中力を切らさない日本人の「真面目さ」。
これが、チームとして融合した時に、恐るべき「スピード」が生まれる。
サッカーは言うまでもなく11人対11人で競うチームスポーツだ。
一人一人個人の力では劣っていても、複数の人間で1つのボールを扱う事で、身体能力を遥かに超える化学反応が起こる。1+1が3以上5にも10にもなってしまう。ここが日本の最大の特徴であり武器だ。
そんなことはオフト監督の時代から分かりきっていた。
トルシエ監督もその日本の「組織力」をベースにチームを作った。
そしてジーコは、その「組織力」に自由と想像力を加えて独自のエッセンスを持つチームを作り上げた。
ボクが思うのは、日本人が軽く口にする、「組織力」というものは、実は非常に難しく貴重なものではないか、ということだ。
外国のチームを見る限り、まずは個人が基調にある。個人が自分のできる範囲でのミッションをこなし、それを他者につないでいく。ごく当たり前の概念だ。
だが、日本は’(もちろん個人のミッションはあるものの)、それが主ではない。個人のエゴは極力抑えられ、集団で局面に立ち向かう。これは局面を打開する個人の力が無い事の裏返しなのは間違いない。個人重視でできる能力が無いのだから、集団にプライオリティが置かれるのは当然だ。
しかし、ボクはそこに違和感を感じる。
元々日本人は個人でミッションを遂行する気がないのではないか、と。
まず最初に個人ではなくチームありき。チームが結果を出す為に個人のパーツがある。
これはトルシエ時代もジーコ時代も、何も変わってはいない。
日本サッカーの特筆すべき点は、チームのための「自己犠牲」と他者を活かす「連動性」にある。
そして、チームとしての決まり事を忠実に遂行する「勤勉さ」。
これは当たり前のように思えるが、サッカーにおいて実践できているのは日本代表だけだ。
この精神性は、世界では極めて異例、希有なものだろう。
日本サッカーはチームに殉ずる事が出来るのだ。
最優先のミッションはチームの勝利。そのために個々人が自らの能力を真面目に発揮し、融合させる。自己犠牲もいとわず、集中力を切らす事無く、常にチームメイトに気を配り、チームとしてのポテンシャルを最大限に活かそうとする。
それが日本の繊細なコンビネーションと華麗なパス・サッカーを生み出した。
そしてこのサッカーは、日本人の「アジリティ」を存分に発揮させる。
屈強な白人も、驚異的な身体能力のアフリカ人も、誰にも真似できない、新しいサッカーだ。
日本サッカーに一番似ているのはブラジルだと思う。
この点において監督がジーコであったのは最高の巡り合わせだったと思う。
ジーコの「ブラジルエッセンス」と、日本人の「組織力とアジリティ」は最高の出会いを果たした。
ブラジルとの決定的な違いは「個人能力」にある。日本よりも圧倒的に個人能力に優れているが故に、「組織への忠誠心」よりも個人能力にプライオリティが置かれる。そこがまたサッカーの奥深さであり面白いところだ。
サッカーは国を映す鏡だ。
代表チームのサッカーはそのままその国の風土、歴史、国民性が反映されたものになる。
古来より世界から独自の距離を置き、独立した文化を育んできた「島国日本」。外敵に晒される事無く、独自のコミュニティを2000年に渡って維持してきた。その長い時間の中で生まれた、同一民族だから持ち得た共同体意識。個人よりも全体を活かす事を良しとしてきた精神性。限りある資源と豊かな自然風土によって培われたオリジナリティ溢れる知恵や創造性、そして器用な手先を活かした技術力。
遥か極東の島国だからこそ生まれた、日本だけが持つ日本の美しい美学がある。
それは確実に今、サッカー日本代表の根底に流れている。
世界の誰も真似できない、日本人による日本人のサッカー。
ドイツ戦以降、各国メディアが日本に対し称賛と驚愕を表明している。
先のコンフェデレーションズカップで日本はギリシャを圧倒しブラジルと互角に渡り合ったにも関わらず、未だ日本サッカーの評価は低い。それは、日本の実績がまだまだ足りない事に加えて、欧州特有の有色人種への差別意識があるのだと思う。日本人なんかにサッカーで負けるわけが無い、と。しかし、その偏見と差別意識が大きな誤りである事を日本代表は証明できる。
世界を支配しているのは誰か?
白人だ。
これは今も昔も実は変わっていない。
時代は変わろうとも、歴史が生まれて以降、白人種の根底には有色人種への差別があからさまに存在する。
60余年前、白人が支配する世界に、唯一日本だけが決死の反抗を仕掛けた。
21世紀の今、再び日本は世界を相手に正々堂々と立ち向かう。
勝つ事によって世界は変わる。
W杯は全世界でのべ300億人が見ると言う。
全世界に見せつける時が来た。歪んだ色眼鏡は変えなければならない。
もうすぐ革命が起こる。
全世界を支配する神話が終焉を迎えるのだ。
さぁ、行こう。
我らの時は来た。
その目に焼きつけよ。
遥か欧州の地に、遥か極東の蒼き大海原より、日は昇る。
World standard
■すべてを頭の中から消し去りたい試合
(※以下は、ウクライナメディア向けの会見)
自分からは(今日の試合について)何もコメントすることはない。今ここにレフェリーを呼んで、彼からどういう基準で試合を進めたのか聞いてほしい。
――今日のウクライナのメンバーでびっくりした選手はいますか?
びっくりしたのは、レフェリーだ。
――欧州ツアーの結果に満足しているか
この試合についてはなかったものと考えたい。最初からこうなるという結果が分かっていてグラウンドに入る辛さを考えると、ここで起こったことすべてを頭の中から消し去りたい。
――今日の日本は良かったと思います。完全に頭から消し去らない方がよいのではないでしょうか。もしかしたら、この試合は将来的に日本のためになるのではないでしょうか
ここで申し上げたいことは、コンフェデのときも今回もそうだったのだが、(日本の)協会は「実際にこういうことは起こり得るんだ」ということを強く肝に銘じて前に進んでいかなければならないと思う。どんなにグラウンドで汗を流しながら、血を流しながら練習をやっても、最後の集大成としての試合において、他人の手によって結果が左右されてしまう。これは非常に由々しき問題だと思う。協会を挙げて、しっかり対処していきたいと思う。
繰り返しになるが、本当に自分たちが一生懸命に練習をして、調整をして、試合に真剣に取り組む。そうやって、いい形で日本に帰ろうとしているのにもかかわらず、あの黒い服を着た人たちが、初めから結果が分かっているということを想定しながら試合に入る。それがまずいと分かっていながら、だんだん悪い方へ悪い方へと試合が傾いていって、最後はこういう形で負けてしまう。本当に疲れてしまった。
■「あの判定は犯罪だ」
(※以下は、日本メディア向けの質疑応答 一部抜粋)
相手はかなり後ろからタックルをしていたが、それでもカードはおろかファウルさえも取られていなかった。そうした状況が前半で続く中、ぬかるんだピッチの中で、相手が高いボールを狙ってくるのは目に見えていた。とにかく(主審が)相手をヘルプしているのは、前半で確実に分かって、まずいと思った。
で、(中田)浩二があそこで退場になったが、その前の相手の高原へのファウルについては、カードどころか笛も鳴らなかった。絶対におかしい。あまりにも露骨過ぎる。あんなのは犯罪だよ。警察に連れて行かれてもおかしくないと思う。
――試合後、主審にはどんなことを言いたいですか
恥を知れ、ということだ。最悪なのは、自分の抗議に対して何ら反応していなかったことだ。何か言いたいことがあったら、何かしらの反応があったはずだ。こちらもあれほど激しく抗議したのだから。でも、そこで何も言わないというのは、きっとやましいことがあったからだ。
――今日の試合では、時間が経つにつれて相手の強さやスピードに対応していたが、どのような指示をしていたのですか
ピッチ状態が悪い中、それでもボールをつないで次第にうちが盛り返してきた。そうなると、レフェリーが「これはまずい」ということで笛を吹き始める。そして向こうはFKでのハイボールを狙ってくる。そうなると難しい展開となる。たとえピッチが乾いていた状況でも、1枚いない状況で戦うのは厳しい。その中で選手たちは本当によくやってくれたと思う。確かにウクライナは強いチームだと思う。それだけに、堂々と同じ土俵で戦えばよかったのだ。
■「中盤のひし形は、よく機能していた」
――それでも選手はよくやったと?
それだからこそ悔しい。だが、選手たちにはこう言った。「もうこの試合は忘れよう。なかったことにしよう」と。
――あえて収穫を挙げるならば?
中盤のひし形の形がよく機能していたと思う。
これは毎回言っていることだが、(選手たちは)一生懸命頑張っている。それでも試合になると、あの黒い服の人たちが台無しにしてしまう。そして何を言っても、これで日本が負けたという記録は残ってしまう。それも、どういう負け方をしたのか分からないまま、ただ「1敗」としか書かれていない。それが寂しい。
――1人少なくなってからPKで失点するまで、どのようなことを考えて選手交代をしていたのですか
非常にスリッピーな状態で1人少ない中、ガスが満タンの選手を状況に合わせて起用していく、ということしか考えていなかった。中盤では中田英が前の方、稲本が少し後ろで松井が右。その3枚で押し上げていく。1枚少ない状況ではそれしかできなかった。結果としてPKを取られてしまったが、それまでの間は相手をうちのゴールエリア、あるいはペナルティーエリアに侵入させることはほとんどなかった。それくらい、相手に食らいついていた、ということは言えると思う。
<了>
「ウクライナ戦後 ジーコ監督会見 スポーツナビ」
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200510/at00006315.html
私はサッカー日本代表のドイツW杯での活躍を心から願っている。日本代表を強く愛している。
その信条を改めて思い知らされたのが先のラトビア戦だった。
サッカーを語る事、特に代表監督や選手達、試合内容に矛先を向け非難する事は実はとても簡単だ。
悪口を理論的に言えばいいし、見たまま感じたままを説明していけばいい。
しかし、その態度は実は精神衛生上あまりポジティブではないのではないか、と思うようになった。
親善試合の結果に一喜一憂する事無く、本大会までの時間を代表とともに歩む事がサポーターたるものの努めではないか、と。目先のことに目くじらをたてるのではなく、むしろ国を代表すると言う想像を絶するプレッシャーの中懸命に戦っている監督、選手、スタッフを勇気づけバックアップすることが大切なのではないか、と。
私は冒頭のジーコの会見の内容を強く支持する。
このウクライナ戦、これはサッカーではなかった。
明らかに何かしらの意思が働いていたとしか言いようの無い恐るべき試合だったと思う。
もしこれが「世界基準」であるならば、日本はW杯で1つも勝つ事が許されないだろう。
そして、もしそれが世界の実像であるならば、もうサッカーを信頼する事ができなくなるだろう。
違和感はゲーム開始直後からあった。
ペナルティエリア正面でボールをキープした中村俊輔が真後ろからスライディングを受け倒された。
しかしホイッスルは鳴らない。
私の基準で言えば間違いなく悪質なファールだし、その後のプレーがゴールにつながったと考えるならば、警告もしくは退場の処分が科せられてもおかしくないプレーだった。
また日本のカウンター攻撃の際、中央から前線に向けて走っていた高原直泰がセンターサークル付近で相手選手に体を巻き込まれ倒される。ボールが無いところで起こった明確なファールだ。本来ならばオブストラクションをとり、プレーが切れた時点でファールを判定し警告が出されるシーンだ。しかし何事も無かったようにスルーされる。
その後も不可解な判定は続いた。明らかに日本側のスローイングがウクライナになり、ウクライナ選手のハンドが見過ごされた。後半、左サイドを突破した松井大輔がコーナーキックを狙い相手DFの足にボールを当ててエンドラインを割ったが、やはり何事も無かったかのようにゴールキックの判定が下された。
とどめは箕輪がPA内でファール。PKの判定となる。
思い出したのは2002年日韓W杯での韓国の「不可解な躍進」だ。
W杯での韓国はポルトガル、イタリア、スペインを相次いで撃破した。審判と言う12番目の選手をフルに活用して。
このウクライナ戦、ピッチサイド看板にはスポンサーである韓国企業「サムソン」の掲げられていた。
試合開始前からそれを見てイヤな予感はしていたが、今では何かしらの意図を考えて陰鬱な気持ちになる。
中村俊輔へのタックルがノーファール、この時点ではまだ「笛を吹きにくい審判」と思っていた。
アジアとは異なり欧州では少々の体のぶつかり合いではファールにならないのではないか、それが「世界基準」なんだろう、と自分に言い聞かせていた。さすが厳しい欧州予選を突破したウクライナは体の当て方がうまいし、強い。そう思い込もうとしていた。
だが、よく見てみれば審判が恣意的に笛を吹かなかっただけで、日本側のウクライナに対するファールにはごく普通に笛は吹かれていた。ただ偏っていただけに過ぎない。こっちが激しくプレスすればファール。相手が激しくくれば「世界基準」。こんな状況で日本らしいサッカーなんてできるわけがない。
だから、前半から日本は引き気味にならざるを得なかった。
だから、中盤の密集地帯でパス交換ができずに中途半端なロングボール戦術になってしまった。
いい勉強になったのではないか、と思う。
世界戦ではこういうことが起こりうるということを本大会前に経験できた事は意味がある。
この試合が本大会でなくて本当に良かった。
この教訓を最も真摯に受け止めるべきは日本サッカー協会だ。本来ならばジーコの述べた内容は日本サッカー協会が公式に発表しなければならない内容だ。そして、こんな無様な試合をマッチメイクした責任も全て日本サッカー協会にある。
ウクライナは明らかに主力を温存した2軍編成のチームだった。
日本側もJリーグオールスターの影響で1軍半の編成であったから文句は言えないが、当初予定されていたシェフチェンコが「発熱」で辞退し、試合当日にはイタリアに帰国していたなど、笑い話にしかならない。
世界有数の名選手である「シェフチェンコ」をエサに日本をつり上げお金を引き出そうとしたウクライナの詐欺行為ではないか。多くの日本人は「シェフチェンコ」が見たかったに違いない。日本サッカー協会はその心理に踊らされていたとは言えないだろうか。私はウクライナおよびラトビア(ウクライナ戦の審判)の態度には強い不快感を抱く。
ジーコが会見で怒りと不満をあらわにした事は評価するべき事だ。
日本人がいくらわめいても「世界」の注目を集める事はできない。しかし世界的ビッグネームで「生きる伝説」の一人であるジーコの発言ならば、世界は少しは耳を傾けるだろう。ジーコはアジアカップにおいても、対韓国においても、弱腰の日本人では口に出来ない「正当な意見」を発信してくれている。ジーコ監督にはいろいろ批判的な意見も多いが、ジーコならではの存在感が日本にとってプラスに作用することは素直に喜ばしい事だ。
審判のせいで壊された試合で収穫を求めるのは酷だ。過剰なジャッジと中田浩二の退場で日本のゲームプランは崩されっぱなしだったからだ。
それでも選手達は奮闘した。
中盤はダイヤモンド型だったみたいだが、ウクライナの圧迫のため、中盤は引き気味になってしまった。
そのため中村俊輔も真ん中にはることが難しくサイドに出たり下がったりとポジションを安定させる事が出来なかった。ダイヤモンド型だとどうしてもサイドに選手が動くので、攻撃の流れならともかく、押し込まれるとスペースが埋まってしまう。
となると、サイドバック(三都主/駒野)が上がる場所が無くなってしまう。結果的に全体的にラインが下がってしまい、守備一辺倒の受け身になってしまう。前半のちぐはぐとした煮え切らないサッカーはその為だ。
と、同時にウクライナのパス交換のスピードとサイドチェンジは脅威だった。
ウクライナは短いパスをポンポンとつなぐことと、大きなサイドチェンジで日本を揺さぶってきた。これは日本も学ぶべき戦術だ。とくにサイドチェンジは日本がもっと活用しなければならないポイントだ。この点だけは見習うべきだろう。
日本のサッカーとは短いパスを少ないタッチ数でつなぐパスサッカーである。一人の選手が長い時間ボールをもつのではなく、常にボールを動かさなくてはならない。
この試合、ウクライナの圧迫プレスにより前線と最終ラインが間延びしていた。ボールを持った選手はパスの出しどころを探しているうちにプレスを受け慌てて長く蹴りだす、といった雑なプレーが多く見られた。ロングボールはことごとく体の大きなウクライナ選手に奪われてしまった。
ここで思うのは、日本代表にダイヤモンド型の中盤はふさわしくないのではないか、ということだ。
4人が菱形ではなく、四角に並ぶボックス型の方が落ち着きが出ると思う。
その理由はボランチが2人になり、中田英寿のポジションが確定するからだ。中田英寿が攻守のリーダーとなり、もう一人のボランチが守備に専念する。攻撃は前にいる中村俊輔と松井大輔に委ねる、この形こそが最も安定するのではないだろうか。
下手にダイヤモンド型にすると、前述のようにサイドのMFが結果的にサイドバックのオーバーラップを妨げてしまうのではないか、と。さらに、中盤の密度が薄くなりパスのターゲットが減る。加えて、日本のMFには敵のサイドを突破するタイプの選手がいない。しいて言うなら松井大輔だが、彼の才能は中村とのコンビで組み立てとドリブルで変化をつけた方が面白いと思う。サイドに専念させるにはもったいない。
マイナス面ばかりを語っても精神衛生上よろしくないので前向きにとらえていこう。
まず高原。意外にうまいじゃないか、というのが率直な感想だ。
やはり体の当たりが強いドイツで経験を積んでいるだけあって、ウクライナDFを背中に背負いボールをキープできていた。足下の技術も悪くない。あとはゴール前、シュートに至る過程だが、そこはこの試合では評価する次元の問題では無かった。
ディフェンスはヒヤヒヤさせたが、致命的な欠陥は見当たらなかった。茂庭も坪井もしっかりしたクオリティをもっている。レギュラーは宮本、中澤、田中誠になるのだろうが、バックアップとしては問題ないレベルだろう。確かにウクライナ選手がもっとうまければ3点取られてもおかしくはなかったが、まぁ、こういう試合なのでそこは大目に見てやりたい。
初出場の箕輪にとっては悪夢の試合だっただろう。いきなりPKの不可解判定は悲劇だ。だが、箕輪の高さと当たりは中澤にもしものことがあった場合を考えると必要な人材だと思う。出場時間が短かったので判断は難しいが、今後とも見てみたい選手であることは間違いない。
一人少ない状況で試合のリズムを日本側に傾けた松井大輔の存在感は本物だ。
キープ力があり、スピードがある。組み立てるだけでなく、自分でシュートまで展開できる「技」を持っている。
小笠原とは違う個性なので、途中出場でもゲームの流れを変えられる貴重なオプションになるだろう。
中田英寿に突き放された三都主と交代した村井も及第点だ。
4バックのサイドバックとしては未知数(経験値では三都主の方が上)だが、3バック時のウィングバックとしては三都主よりも前向きに思える。三都主はボールを持ちたがる傾向にあり、中途半端な個人技で勝負しようとするが、村井はもっとシンプルにプレーする。結果的に三都主よりもリスクの少ない選手だと思う。
前半は抑圧されてほとんど消えていた駒野だが、実はディフェンスを頑張っていた。目立たなかったのは破綻が無かったという裏返しでもある。常に一人余った状態でスペースを埋めていた。日本代表のディフェンスは1対1で敵とぶつかるスタイルではないから、守備面では貢献していたと言えるだろう。
ただ、駒野に求められた役割の大きな部分はオーバーラップでの攻撃参加であるからそこは不満が残る。
後半2度サイドを大きく駆け上がって存在感を示したが、欲を言えばもっと攻撃してほしかった、と思う。
加地の負傷離脱の影響次第では駒野にもまだチャンスはある。次戦以降さらなる活躍を期待したい。
苦しい試合だったが、稲本がある程度動けたのは収穫と考えていいだろう。守備で頻繁に顔を出し体を張っていた。パスの精度は目を覆うが、守備的MFとしては合格点を与えたい。危惧されたスタミナもなんとかもつ兆しも見えた。ただこのポジションには福西がいる。今後ともどちらがレギュラーか容易には判断できない。
最後に、中田英寿というのは何と恐るべき選手であろうか。
試合開始時の顔のテカり具合といい、尽きる事の無い運動量、チームへの指示、キープ力、体の強さなど、全ての面で圧倒的な存在感を示し続けた。未だに日本代表の「王様」は中田英寿であることを自らのプレーで証明してみせた。前半はなったミドルシュートが力も無く精度も低かったのは事実だ。しかし、これで中田英寿が得点まで決められる選手であったら天下無敵になってしまう。これ以上求めるのは酷だろう。得点は上げられなかったが、中田英寿は文字通り日本代表の心臓として縦横無尽にピッチで躍動した。
総じて試合自体が壊れていた為に評価は難しい。
だが、日本代表の選手達は不当な条件の中全力でファイトしたことは評価したい。
結果は残念としかいいようがないが、本大会ではなかったことが救いだ。
日本に対する不当なジャッジは明らかに「世界基準」からは逸脱したものだった。
ウクライナとはW杯本戦で対戦する可能性がある。
真の「世界基準」の舞台で再び対戦する機会があれば、その時彼らは日本の真の力を思い知るだろう。
(※以下は、ウクライナメディア向けの会見)
自分からは(今日の試合について)何もコメントすることはない。今ここにレフェリーを呼んで、彼からどういう基準で試合を進めたのか聞いてほしい。
――今日のウクライナのメンバーでびっくりした選手はいますか?
びっくりしたのは、レフェリーだ。
――欧州ツアーの結果に満足しているか
この試合についてはなかったものと考えたい。最初からこうなるという結果が分かっていてグラウンドに入る辛さを考えると、ここで起こったことすべてを頭の中から消し去りたい。
――今日の日本は良かったと思います。完全に頭から消し去らない方がよいのではないでしょうか。もしかしたら、この試合は将来的に日本のためになるのではないでしょうか
ここで申し上げたいことは、コンフェデのときも今回もそうだったのだが、(日本の)協会は「実際にこういうことは起こり得るんだ」ということを強く肝に銘じて前に進んでいかなければならないと思う。どんなにグラウンドで汗を流しながら、血を流しながら練習をやっても、最後の集大成としての試合において、他人の手によって結果が左右されてしまう。これは非常に由々しき問題だと思う。協会を挙げて、しっかり対処していきたいと思う。
繰り返しになるが、本当に自分たちが一生懸命に練習をして、調整をして、試合に真剣に取り組む。そうやって、いい形で日本に帰ろうとしているのにもかかわらず、あの黒い服を着た人たちが、初めから結果が分かっているということを想定しながら試合に入る。それがまずいと分かっていながら、だんだん悪い方へ悪い方へと試合が傾いていって、最後はこういう形で負けてしまう。本当に疲れてしまった。
■「あの判定は犯罪だ」
(※以下は、日本メディア向けの質疑応答 一部抜粋)
相手はかなり後ろからタックルをしていたが、それでもカードはおろかファウルさえも取られていなかった。そうした状況が前半で続く中、ぬかるんだピッチの中で、相手が高いボールを狙ってくるのは目に見えていた。とにかく(主審が)相手をヘルプしているのは、前半で確実に分かって、まずいと思った。
で、(中田)浩二があそこで退場になったが、その前の相手の高原へのファウルについては、カードどころか笛も鳴らなかった。絶対におかしい。あまりにも露骨過ぎる。あんなのは犯罪だよ。警察に連れて行かれてもおかしくないと思う。
――試合後、主審にはどんなことを言いたいですか
恥を知れ、ということだ。最悪なのは、自分の抗議に対して何ら反応していなかったことだ。何か言いたいことがあったら、何かしらの反応があったはずだ。こちらもあれほど激しく抗議したのだから。でも、そこで何も言わないというのは、きっとやましいことがあったからだ。
――今日の試合では、時間が経つにつれて相手の強さやスピードに対応していたが、どのような指示をしていたのですか
ピッチ状態が悪い中、それでもボールをつないで次第にうちが盛り返してきた。そうなると、レフェリーが「これはまずい」ということで笛を吹き始める。そして向こうはFKでのハイボールを狙ってくる。そうなると難しい展開となる。たとえピッチが乾いていた状況でも、1枚いない状況で戦うのは厳しい。その中で選手たちは本当によくやってくれたと思う。確かにウクライナは強いチームだと思う。それだけに、堂々と同じ土俵で戦えばよかったのだ。
■「中盤のひし形は、よく機能していた」
――それでも選手はよくやったと?
それだからこそ悔しい。だが、選手たちにはこう言った。「もうこの試合は忘れよう。なかったことにしよう」と。
――あえて収穫を挙げるならば?
中盤のひし形の形がよく機能していたと思う。
これは毎回言っていることだが、(選手たちは)一生懸命頑張っている。それでも試合になると、あの黒い服の人たちが台無しにしてしまう。そして何を言っても、これで日本が負けたという記録は残ってしまう。それも、どういう負け方をしたのか分からないまま、ただ「1敗」としか書かれていない。それが寂しい。
――1人少なくなってからPKで失点するまで、どのようなことを考えて選手交代をしていたのですか
非常にスリッピーな状態で1人少ない中、ガスが満タンの選手を状況に合わせて起用していく、ということしか考えていなかった。中盤では中田英が前の方、稲本が少し後ろで松井が右。その3枚で押し上げていく。1枚少ない状況ではそれしかできなかった。結果としてPKを取られてしまったが、それまでの間は相手をうちのゴールエリア、あるいはペナルティーエリアに侵入させることはほとんどなかった。それくらい、相手に食らいついていた、ということは言えると思う。
<了>
「ウクライナ戦後 ジーコ監督会見 スポーツナビ」
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200510/at00006315.html
私はサッカー日本代表のドイツW杯での活躍を心から願っている。日本代表を強く愛している。
その信条を改めて思い知らされたのが先のラトビア戦だった。
サッカーを語る事、特に代表監督や選手達、試合内容に矛先を向け非難する事は実はとても簡単だ。
悪口を理論的に言えばいいし、見たまま感じたままを説明していけばいい。
しかし、その態度は実は精神衛生上あまりポジティブではないのではないか、と思うようになった。
親善試合の結果に一喜一憂する事無く、本大会までの時間を代表とともに歩む事がサポーターたるものの努めではないか、と。目先のことに目くじらをたてるのではなく、むしろ国を代表すると言う想像を絶するプレッシャーの中懸命に戦っている監督、選手、スタッフを勇気づけバックアップすることが大切なのではないか、と。
私は冒頭のジーコの会見の内容を強く支持する。
このウクライナ戦、これはサッカーではなかった。
明らかに何かしらの意思が働いていたとしか言いようの無い恐るべき試合だったと思う。
もしこれが「世界基準」であるならば、日本はW杯で1つも勝つ事が許されないだろう。
そして、もしそれが世界の実像であるならば、もうサッカーを信頼する事ができなくなるだろう。
違和感はゲーム開始直後からあった。
ペナルティエリア正面でボールをキープした中村俊輔が真後ろからスライディングを受け倒された。
しかしホイッスルは鳴らない。
私の基準で言えば間違いなく悪質なファールだし、その後のプレーがゴールにつながったと考えるならば、警告もしくは退場の処分が科せられてもおかしくないプレーだった。
また日本のカウンター攻撃の際、中央から前線に向けて走っていた高原直泰がセンターサークル付近で相手選手に体を巻き込まれ倒される。ボールが無いところで起こった明確なファールだ。本来ならばオブストラクションをとり、プレーが切れた時点でファールを判定し警告が出されるシーンだ。しかし何事も無かったようにスルーされる。
その後も不可解な判定は続いた。明らかに日本側のスローイングがウクライナになり、ウクライナ選手のハンドが見過ごされた。後半、左サイドを突破した松井大輔がコーナーキックを狙い相手DFの足にボールを当ててエンドラインを割ったが、やはり何事も無かったかのようにゴールキックの判定が下された。
とどめは箕輪がPA内でファール。PKの判定となる。
思い出したのは2002年日韓W杯での韓国の「不可解な躍進」だ。
W杯での韓国はポルトガル、イタリア、スペインを相次いで撃破した。審判と言う12番目の選手をフルに活用して。
このウクライナ戦、ピッチサイド看板にはスポンサーである韓国企業「サムソン」の掲げられていた。
試合開始前からそれを見てイヤな予感はしていたが、今では何かしらの意図を考えて陰鬱な気持ちになる。
中村俊輔へのタックルがノーファール、この時点ではまだ「笛を吹きにくい審判」と思っていた。
アジアとは異なり欧州では少々の体のぶつかり合いではファールにならないのではないか、それが「世界基準」なんだろう、と自分に言い聞かせていた。さすが厳しい欧州予選を突破したウクライナは体の当て方がうまいし、強い。そう思い込もうとしていた。
だが、よく見てみれば審判が恣意的に笛を吹かなかっただけで、日本側のウクライナに対するファールにはごく普通に笛は吹かれていた。ただ偏っていただけに過ぎない。こっちが激しくプレスすればファール。相手が激しくくれば「世界基準」。こんな状況で日本らしいサッカーなんてできるわけがない。
だから、前半から日本は引き気味にならざるを得なかった。
だから、中盤の密集地帯でパス交換ができずに中途半端なロングボール戦術になってしまった。
いい勉強になったのではないか、と思う。
世界戦ではこういうことが起こりうるということを本大会前に経験できた事は意味がある。
この試合が本大会でなくて本当に良かった。
この教訓を最も真摯に受け止めるべきは日本サッカー協会だ。本来ならばジーコの述べた内容は日本サッカー協会が公式に発表しなければならない内容だ。そして、こんな無様な試合をマッチメイクした責任も全て日本サッカー協会にある。
ウクライナは明らかに主力を温存した2軍編成のチームだった。
日本側もJリーグオールスターの影響で1軍半の編成であったから文句は言えないが、当初予定されていたシェフチェンコが「発熱」で辞退し、試合当日にはイタリアに帰国していたなど、笑い話にしかならない。
世界有数の名選手である「シェフチェンコ」をエサに日本をつり上げお金を引き出そうとしたウクライナの詐欺行為ではないか。多くの日本人は「シェフチェンコ」が見たかったに違いない。日本サッカー協会はその心理に踊らされていたとは言えないだろうか。私はウクライナおよびラトビア(ウクライナ戦の審判)の態度には強い不快感を抱く。
ジーコが会見で怒りと不満をあらわにした事は評価するべき事だ。
日本人がいくらわめいても「世界」の注目を集める事はできない。しかし世界的ビッグネームで「生きる伝説」の一人であるジーコの発言ならば、世界は少しは耳を傾けるだろう。ジーコはアジアカップにおいても、対韓国においても、弱腰の日本人では口に出来ない「正当な意見」を発信してくれている。ジーコ監督にはいろいろ批判的な意見も多いが、ジーコならではの存在感が日本にとってプラスに作用することは素直に喜ばしい事だ。
審判のせいで壊された試合で収穫を求めるのは酷だ。過剰なジャッジと中田浩二の退場で日本のゲームプランは崩されっぱなしだったからだ。
それでも選手達は奮闘した。
中盤はダイヤモンド型だったみたいだが、ウクライナの圧迫のため、中盤は引き気味になってしまった。
そのため中村俊輔も真ん中にはることが難しくサイドに出たり下がったりとポジションを安定させる事が出来なかった。ダイヤモンド型だとどうしてもサイドに選手が動くので、攻撃の流れならともかく、押し込まれるとスペースが埋まってしまう。
となると、サイドバック(三都主/駒野)が上がる場所が無くなってしまう。結果的に全体的にラインが下がってしまい、守備一辺倒の受け身になってしまう。前半のちぐはぐとした煮え切らないサッカーはその為だ。
と、同時にウクライナのパス交換のスピードとサイドチェンジは脅威だった。
ウクライナは短いパスをポンポンとつなぐことと、大きなサイドチェンジで日本を揺さぶってきた。これは日本も学ぶべき戦術だ。とくにサイドチェンジは日本がもっと活用しなければならないポイントだ。この点だけは見習うべきだろう。
日本のサッカーとは短いパスを少ないタッチ数でつなぐパスサッカーである。一人の選手が長い時間ボールをもつのではなく、常にボールを動かさなくてはならない。
この試合、ウクライナの圧迫プレスにより前線と最終ラインが間延びしていた。ボールを持った選手はパスの出しどころを探しているうちにプレスを受け慌てて長く蹴りだす、といった雑なプレーが多く見られた。ロングボールはことごとく体の大きなウクライナ選手に奪われてしまった。
ここで思うのは、日本代表にダイヤモンド型の中盤はふさわしくないのではないか、ということだ。
4人が菱形ではなく、四角に並ぶボックス型の方が落ち着きが出ると思う。
その理由はボランチが2人になり、中田英寿のポジションが確定するからだ。中田英寿が攻守のリーダーとなり、もう一人のボランチが守備に専念する。攻撃は前にいる中村俊輔と松井大輔に委ねる、この形こそが最も安定するのではないだろうか。
下手にダイヤモンド型にすると、前述のようにサイドのMFが結果的にサイドバックのオーバーラップを妨げてしまうのではないか、と。さらに、中盤の密度が薄くなりパスのターゲットが減る。加えて、日本のMFには敵のサイドを突破するタイプの選手がいない。しいて言うなら松井大輔だが、彼の才能は中村とのコンビで組み立てとドリブルで変化をつけた方が面白いと思う。サイドに専念させるにはもったいない。
マイナス面ばかりを語っても精神衛生上よろしくないので前向きにとらえていこう。
まず高原。意外にうまいじゃないか、というのが率直な感想だ。
やはり体の当たりが強いドイツで経験を積んでいるだけあって、ウクライナDFを背中に背負いボールをキープできていた。足下の技術も悪くない。あとはゴール前、シュートに至る過程だが、そこはこの試合では評価する次元の問題では無かった。
ディフェンスはヒヤヒヤさせたが、致命的な欠陥は見当たらなかった。茂庭も坪井もしっかりしたクオリティをもっている。レギュラーは宮本、中澤、田中誠になるのだろうが、バックアップとしては問題ないレベルだろう。確かにウクライナ選手がもっとうまければ3点取られてもおかしくはなかったが、まぁ、こういう試合なのでそこは大目に見てやりたい。
初出場の箕輪にとっては悪夢の試合だっただろう。いきなりPKの不可解判定は悲劇だ。だが、箕輪の高さと当たりは中澤にもしものことがあった場合を考えると必要な人材だと思う。出場時間が短かったので判断は難しいが、今後とも見てみたい選手であることは間違いない。
一人少ない状況で試合のリズムを日本側に傾けた松井大輔の存在感は本物だ。
キープ力があり、スピードがある。組み立てるだけでなく、自分でシュートまで展開できる「技」を持っている。
小笠原とは違う個性なので、途中出場でもゲームの流れを変えられる貴重なオプションになるだろう。
中田英寿に突き放された三都主と交代した村井も及第点だ。
4バックのサイドバックとしては未知数(経験値では三都主の方が上)だが、3バック時のウィングバックとしては三都主よりも前向きに思える。三都主はボールを持ちたがる傾向にあり、中途半端な個人技で勝負しようとするが、村井はもっとシンプルにプレーする。結果的に三都主よりもリスクの少ない選手だと思う。
前半は抑圧されてほとんど消えていた駒野だが、実はディフェンスを頑張っていた。目立たなかったのは破綻が無かったという裏返しでもある。常に一人余った状態でスペースを埋めていた。日本代表のディフェンスは1対1で敵とぶつかるスタイルではないから、守備面では貢献していたと言えるだろう。
ただ、駒野に求められた役割の大きな部分はオーバーラップでの攻撃参加であるからそこは不満が残る。
後半2度サイドを大きく駆け上がって存在感を示したが、欲を言えばもっと攻撃してほしかった、と思う。
加地の負傷離脱の影響次第では駒野にもまだチャンスはある。次戦以降さらなる活躍を期待したい。
苦しい試合だったが、稲本がある程度動けたのは収穫と考えていいだろう。守備で頻繁に顔を出し体を張っていた。パスの精度は目を覆うが、守備的MFとしては合格点を与えたい。危惧されたスタミナもなんとかもつ兆しも見えた。ただこのポジションには福西がいる。今後ともどちらがレギュラーか容易には判断できない。
最後に、中田英寿というのは何と恐るべき選手であろうか。
試合開始時の顔のテカり具合といい、尽きる事の無い運動量、チームへの指示、キープ力、体の強さなど、全ての面で圧倒的な存在感を示し続けた。未だに日本代表の「王様」は中田英寿であることを自らのプレーで証明してみせた。前半はなったミドルシュートが力も無く精度も低かったのは事実だ。しかし、これで中田英寿が得点まで決められる選手であったら天下無敵になってしまう。これ以上求めるのは酷だろう。得点は上げられなかったが、中田英寿は文字通り日本代表の心臓として縦横無尽にピッチで躍動した。
総じて試合自体が壊れていた為に評価は難しい。
だが、日本代表の選手達は不当な条件の中全力でファイトしたことは評価したい。
結果は残念としかいいようがないが、本大会ではなかったことが救いだ。
日本に対する不当なジャッジは明らかに「世界基準」からは逸脱したものだった。
ウクライナとはW杯本戦で対戦する可能性がある。
真の「世界基準」の舞台で再び対戦する機会があれば、その時彼らは日本の真の力を思い知るだろう。
Without excitement
マスコミは自分たちのストーリーを描こうとする。
勝手にキャッチコピーをつけ、勝手に意味を持たせ、勝手に盛り上がり、勝手に批判し、勝手に興奮する。
自分たちで独自に「物語を描き」、その筋道に通りに視聴者の意識を誘導しようとする。自分たちのストーリーを完遂する為なら捏造や印象操作、偏向報道もためらわない。その姿勢は政治的な報道番組だけにとどまらない。スポーツにおいても同じ事が言えそうだ。
TV朝日は今後一切サッカーに携わらないでほしい。
それが率直な感想だ。
「決意の欧州遠征」って何だ?
サッカーに関して無知丸出しの角沢アナウンサーはことあるごとに大声でがなり立てた。試合の一局面一局面に声をはりあげ、声をからし、慌てふためき、一人暴れ続けた。
素直に思う。サッカーに関して造詣の無い者が実況を担当するべきではない。
解説の松木安太郎もうるさかったが、あれは彼の仕事なので許容範囲内だ。松木は選手としても監督としても立派な実績の持ち主で、キャラ的にも人材的にも今後の日本サッカーに必要な人物だ。彼の存在意義は日本代表の応援団だ。サッカー識者の目から見る「応援」。そのスタンスさえ逸脱しなければ、彼のうるさい声は不快には感じられない。
角沢はそうではない。彼の実況姿勢は本来このラトビア戦が持つ意味とはおおよそかけ離れていた。マスコミ(テレビ朝日)の自作自演の独りよがりのショーであり、それは耳ざわりで醜悪だった。
明らかに角沢は勘違いをしていた。
「この試合は日本代表に取って非常に大切な一戦で絶対勝利が必要だ」と。
この思い込みが角沢個人のものか、テレビ朝日のものであるか、今イチ判断はつかないが(そもそもどっちでもいい)こういう一方的な思い込み、勝手な筋書きはサッカーを愛する者にとっていい迷惑である。テレビ朝日がどう考えようが知った事ではないが、それを中継を見る視聴者に押し付けないでほしい。実況は冷静に現実に起こっている事を伝えればいい。そこに中継局の「思惑」なんて必要ない。
視聴率を稼ぐ為のルールなのかもしれないが、そんな下世話なそろばんとサッカーをからめないでほしい。
サッカーが不当に貶められたようで、角沢とテレビ朝日に対し強い不快感を抱いた。
なぜそこまで強い拒絶反応を示したか?
それはテレビ朝日の中継コンセプトが明らかに見当違いだったからだ。
8ヶ月後のドイツワールドカップへ向かう日本代表。この欧州遠征には「意味」がある。この試合を正確に分析し、評価する為に必要な「意味」だ。(日本サッカー界に何の影響力も無い無責任な一ファンである身にしてはおおげさな言い分であるが、サッカーとはこういった個々人の強い思い入れによって成り立っているのだ)
この「意味」を見失っていてはまともに試合を語る事は出来ない。テレビ朝日は決定的にこの部分を無視していたし、冷静さを欠いていた。無様としかいいようがない。
その象徴的な部分がこれだ。角沢はこう言った。
「この試合はまさにW杯本大会のグループリーグを思わせる緊迫感がある」
マスコミの印象操作に安易に乗せられない人が増えている。
それはインターネットをはじめ、マスコミが伝えない情報を独自に収集し分析し理論的に考える層が増えてきている事の証明だ。殊に政治的、イデオロギー的な面においては昨今の現象は画期的と言える。
サッカーに関しても同様だ。マスコミに頼る事無く独自に情報を収集し分析する。サッカーを語る事、自分の大切なチームや代表について考える事はサッカーを愛する者にとってごく当たり前なことであり、喜びである。そして、おのおのが確固たる「自分のサッカー観」を持っている。
「個人のサッカー観」を持つ者にとって「マスコミの一方的なストーリー」は邪魔でしかない。マスコミは黙ってろ。多くのサッカー愛好家はそう思っているのではないだろうか。
テレビ朝日は、視聴率稼ぎの為か、この試合に「絶対勝利」を求めていた。試合内容でも相手を圧倒し翻弄しカタルシスに満ちた「日本代表ショー」を期待していた。決定的にはき違えているのはここだ。
率直に言って「負けてもいい」のだ。
この欧州遠征第1戦対ラトビア戦に求められていたのは「絶対勝利」ではない。無論、負けるよりも勝つ方が気分はいいが、勝利以上の注目するべきポイントがある。それは前回のホンジュラス戦の延長線上にあるものだ。
だいたい、6人の選手交代が許される「国際親善試合」に「本大会と同じ緊張感」があるはずがない。
ラトビアサイドに立ってみれば、長年チームに貢献した4番ゼムリンスキス選手の代表引退試合だった。
テレビ朝日はこの試合にギリギリの緊迫感を与えたかったのだろうが、実際プレーした選手達にそこまでの意識はあっただろうか。
この試合を「ただの興行」と軽々しく扱うつもりは無い。大切な意味をもったかけがえの無い試合であった。
だが、意味を求める相手が違うのだ。日本代表はラトビア代表と戦ったのは間違いないが、真の相手は自分たち自身である。この試合はW杯に向けた「テストマッチ」なのだから。
テストマッチに目くじらを立てて勝手に盛り上がって勝手に落胆するほどかっこ悪いことはない。
ドンと構えて適当に見ればいいのだ。見るべきポイントをしっかり見定めて冷静に。
果たしてこの試合で本大会、もしくは予選のような緊迫感や興奮を覚えた人がいるだろうか?
そんなもの必要ないのだ。
興奮はいらない。でもとても大切な試合。それがこの欧州遠征に対する真っ当なスタンスだと思う。
長い前振りだったが、ここは抑えておかないと話が進まない。
なぜこんなことを書いたかと言うと、本気でテレビ朝日に腹が立ったからだ。テレビ朝日はサッカーがなんたるかを一切理解していない。代表チームの実況を行うにはふさわしくないと思ったからだ。
レベルの低い実況とは次元の違うところで日本代表は着実に歩みを進めている。
ラトビア戦の感想だが、非常にポジティブだ。
第1戦として、目的を明確にし、それに対しチャレンジできた試合だったと思う。
断っておくが「チャレンジが成功したか否か」は問題にしていない。「チャレンジした事」そのものを評価している。
言うならば「結果は残念だがいいトライだった。この先もチャレンジを続けてくれ」という感じだ。
チャレンジが無ければ成功は無い。リスクを覚悟でチャレンジし、失敗してもそこ挑戦自体を評価する、サッカーに必要なのはその視点だ。シュートが外れたらもう一度打てばいい。また外れたら何度でも打てばいい。諦めたらその場で終わりだ。諦める事無く、成功に向かって歩けばいいのだ。日本代表はその道の途中にいる。
今この瞬間に完成への答えは出ない。模索しながら少しずつ課題を見つけ修正していく事が大切なのだ。
焦る事は無い。本大会は8ヶ月後なのだ。
さて、遅くなったが本題に移ろう。
ただ、見るべきポイントは実は曖昧だ。何故かと言うと同日程でJリーグオールスターが開催された事で、主にディフェンスの選手が「控え」だったことだ。中盤から前はベストメンバーと言える陣容だったが、欲を言えばここに中澤、宮本、巻、田中達也の姿が欲しかった。ま、たくさんの選手を連れて行っても試合に使えるのは限られるので難しいのだが。
私がポジティブに感じた理由は間違いなく松井大輔である。
小野伸二の負傷は想定外だったが、怪我の功名で松井を長い時間見る事が出来たのは素直によかった。
松井に期待したのは小笠原に変わる中盤のキーマンとしての存在感である。
(私が小笠原をキーマンとする理由はホンジュラス戦の記事を参照ください)
試合前から中盤の構成が議論の対象になっていたが、そのようなフォーメーション論議がいかに無力であるかを見せつけるような、見事な中盤の組み立てがあった。試合前の発表は中村俊輔をトップ下に置くダイヤモンド型だったが、試合が始まると実に流動的に動き回る。
稲本が底にいて守備に専念という約束事をのぞいては、中盤はまさに技術力による自由な場だった。中田英寿は右に左にポジションを変え、攻撃の起点となろうとしていたし、中村俊輔は時に下がり、時にサイドに向かい、アタックをリードした。そして松井大輔は中田、中村の間に入ってボールをリズムよく中継する役目と、キープする事、時に左サイドを突破する動きで見事に役目を果たしていた。
正直予想以上の動きだった。
まず速い。単純に足が速い。そしてトラップからパスへの動きが俊敏だ。切れ味がある、という感じだ。小笠原のように立ち止まって構えてボールを受けるのではなく、常に動きながら、次の展開を予測しながらボールを受けていた。起点は中田や中村にまかせて、動きで相手を攪乱しようとしていた。
これは小笠原や小野伸二とは異なる質だ。なんとなくイメージしたのは「テクニックに優れた森島」である。全盛期の前園でもいい。パスだけでなく、サイド突破やシュートのできるアタッカー。間違いなく松井大輔は日本代表のジョーカーになれる。
まず松井大輔が代表チームの中で役目を果たせる選手であり、周囲の選手も松井のセンスを活かす事が出来る、それが確認できた事は大きな収穫だ。
そこで課題が発生する。松井を加えた「新黄金の中盤」は確かに魅力的だった。器用にリズムよくボールをつなぐ事は出来た。特に前半30分までは日本代表の売りである「技術の高い中盤」の見本市のようなゲーム展開だった。
しかし、このシステムでラトビア守備陣を崩す事は結局一度も出来なかった。
ラトビアはゴール前に人数を集め守備を固めていた。しかもディフェンスの選手はみな大型で屈強だった。
その分中盤は半ば放棄して日本にボールを持たせていた。だから日本は好き勝手に中盤のボール回しを楽しめた。
やはり課題はそこからの「崩し」になる。幾度かシュートチャンスはあった。もっと相手守備陣を攪乱する為に、例えばサイドバックの攻撃参加、例えばFWをくさびに使ったワンツーパスからの飛び出し、例えばミドルシュートなど、様々な攻撃の手段を講じてほしかったと思う。
だがそこでまた問題が発生する。サイドバックには中田浩二と駒野が左右に入ったが、いかんせん代表合流期間が短い。中田浩二は本職はボランチだろう。代表での実戦経験が少ない分、思い切ったプレーにつながらなかったのではないだろうか。
その中でも駒野は随所に存在感を見せた。正確性には欠けたが思い切りの良いシュートを放ったし、時にサイドで攻撃参加した。DFとしてピンチ時の戻りも速かったし、相手のシュートをブロックするなどDFとしても活躍した。残念ながら決定的なクロスや、DFをかわすトライといった攻撃面での輝きは見られなかったが。
ラトビアが思いのほか守備を固めカウンターを狙ってきたのは日本にとって巡り合わせが悪かったと言えるのではないだろうか。ゴール前に人数をかける相手に日本は伝統的に弱い。アジアではそんなのばっかりだが、実力差で跳ね返す事が出来た。しかし、ヨーロッパのチームが守備に専念すると本当に隙がない。ラトビアがもっと前に出て打ち合うサッカーをしてくれればもっとアグレッシブなゲームになったと思う。しかし、その堅守速攻がラトビアの持ち味なのだからしかたがない。
ようするに、ゴール前を固めるチームを崩してこじ開ける力が足りない、といういつもの日本代表の弱点が改めて実証されてしまったわけだ。ゴール前を固めるチームをいかに崩すか、これはW杯本大会では相手に先制を許した場合を考えると是が非でも改善しなくてはならないポイントである。ここは今後、次のウクライナ戦に向けての課題となる。
後半、日本は運動量を失って、ゲームの主導権をラトビアに奪われる。
これは前半から「新黄金の中盤」が飛ばしすぎたせいなのは間違いない。初めての陣容だったから、選手達もペース配分が思うようにいかなかった、というところだろう。何度か同じ選手の組み合わせでテストを繰り返し、連携を高めれば改善の余地はあると思うが、残念ながら「同じ組み合わせ」をテストする機会がない。
となれば選手交代に活路を見出すのが筋だが、6人交代制の親善試合ではその選手交代に緊迫感が無い。3枚しかカードが使えない公式戦と親善試合では交代カードの重みが違う。ジーコは試合を勝つ為ではなく、選手のテストの為にカードを使う考えだったようだ。この姿勢は非難できない。
試合的にはなんだかよく分からないドローに終わった。
高原の見事なミドルシュートで先制し、柳沢が受けたファールのPKを中村俊輔がしっかり決めた2得点。
どちらも「個人技」に当たる部分であり、チームとしての得点では無かった。高原のストライカーとしての才能は十分アピールできたが、こんなシュートが毎度毎度決まるわけではないことを考えると、別の形でのゴールが見たかった。
なまじ前半5分という早い時間に得点してしまったがために、チームから大胆なアクションが消えてしまったのではないか、と少し残念に思ってしまう。日本は得点すると貪欲さに欠けるプレーをする傾向にある。ラッキーゴールは忘れて、2点目、3点目をがむしゃらに取りにいく姿勢が欲しかった。
終了間際の同点ゴールなどさらに意味が分からない。何かを試したのではなく、ただのパスミスから失点した不用意で情けないプレーだった。こういうプレーが出るのは選手の危機感が足りない、すなわち弛緩した試合だった事の証明だ。大きな問題として目くじらを立てる気はないが、DF陣にはたとえどんな試合でも失点は許されないという強い気持ちを失ってほしくはない。
このラトビア戦には良い面もあり、信じがたいミスもあった。
ぶっちゃけ凡庸な試合だった。
だが、まだチームを組み立てる鍛錬の場であった事を考えれば、概ね好評価していいと思う。
というか、非難してわざわざ自分から暗い気持ちになる必要は無い、という意味だ。
真の勝負の時はまだ先なのだから、余裕を持って代表を見つめればいい。
中田英寿の言う通り、課題が無くなる事は無いのだ。
むしろ松井大輔という希有な才能を加え、さらなる強化へ「トライ」したことが大事である。
日本代表に不安感を持ち、非難する人の気持ちは分かる。大きな期待を持つが故に、本大会でも日本が活躍できるような確固たる「結果」と「証明」が欲しいのだ。早く安心したいのだと思う。だが、サッカーに「絶対の安心」なんてあり得ない。日本代表がどこまでやれるのか大会が始まるまでは誰にも分からないのだ。
だから焦らずに、興奮せずに、ただ代表の歩みを見つめていこう。できるだけ前向きに。
最後に一つ気になったことがあった。それは中田英寿のパスミスの多さだ。
中田はこの試合中盤を動き回り、起点として随所に顔を見せた。コーチングも多く、リーダーとして申し分ない働きだったと思う。代表の中で決して替えのきかない大切な存在である事を再び証明した。だが、最後のワンアクションでミスを連発したように見える。前線の選手と呼吸が合わなかったり、ゴール前でトラップをミスしたりして攻撃の目を潰してしまっていた。
約10年前、トップ下の司令塔として君臨した「キラーパス」の中田英寿の面影がめっきり薄くなったようで寂しく思う。その分、中盤の王様として非凡な才能を発揮しているが、かつての攻撃の鋭さを失ってしまったように見えた。
それがただのミスで、杞憂である事を祈りたい。
今回、大久保についてはあえて触れていない。
彼には誰よりも大きな期待を寄せている。故に、この1試合だけで評価は下せない。もっと長い時間見たい選手だ。むしろある程度活躍のめどがついた柳沢よりも未知の大久保を先発で使ってほしかった。
欧州遠征はもう1試合、W杯本大会でも対戦の可能性のある対ウクライナ戦が控えている。
欧州の強豪と対戦できるまたとない機会、日本代表の「チャレンジ」に期待したい。
勝手にキャッチコピーをつけ、勝手に意味を持たせ、勝手に盛り上がり、勝手に批判し、勝手に興奮する。
自分たちで独自に「物語を描き」、その筋道に通りに視聴者の意識を誘導しようとする。自分たちのストーリーを完遂する為なら捏造や印象操作、偏向報道もためらわない。その姿勢は政治的な報道番組だけにとどまらない。スポーツにおいても同じ事が言えそうだ。
TV朝日は今後一切サッカーに携わらないでほしい。
それが率直な感想だ。
「決意の欧州遠征」って何だ?
サッカーに関して無知丸出しの角沢アナウンサーはことあるごとに大声でがなり立てた。試合の一局面一局面に声をはりあげ、声をからし、慌てふためき、一人暴れ続けた。
素直に思う。サッカーに関して造詣の無い者が実況を担当するべきではない。
解説の松木安太郎もうるさかったが、あれは彼の仕事なので許容範囲内だ。松木は選手としても監督としても立派な実績の持ち主で、キャラ的にも人材的にも今後の日本サッカーに必要な人物だ。彼の存在意義は日本代表の応援団だ。サッカー識者の目から見る「応援」。そのスタンスさえ逸脱しなければ、彼のうるさい声は不快には感じられない。
角沢はそうではない。彼の実況姿勢は本来このラトビア戦が持つ意味とはおおよそかけ離れていた。マスコミ(テレビ朝日)の自作自演の独りよがりのショーであり、それは耳ざわりで醜悪だった。
明らかに角沢は勘違いをしていた。
「この試合は日本代表に取って非常に大切な一戦で絶対勝利が必要だ」と。
この思い込みが角沢個人のものか、テレビ朝日のものであるか、今イチ判断はつかないが(そもそもどっちでもいい)こういう一方的な思い込み、勝手な筋書きはサッカーを愛する者にとっていい迷惑である。テレビ朝日がどう考えようが知った事ではないが、それを中継を見る視聴者に押し付けないでほしい。実況は冷静に現実に起こっている事を伝えればいい。そこに中継局の「思惑」なんて必要ない。
視聴率を稼ぐ為のルールなのかもしれないが、そんな下世話なそろばんとサッカーをからめないでほしい。
サッカーが不当に貶められたようで、角沢とテレビ朝日に対し強い不快感を抱いた。
なぜそこまで強い拒絶反応を示したか?
それはテレビ朝日の中継コンセプトが明らかに見当違いだったからだ。
8ヶ月後のドイツワールドカップへ向かう日本代表。この欧州遠征には「意味」がある。この試合を正確に分析し、評価する為に必要な「意味」だ。(日本サッカー界に何の影響力も無い無責任な一ファンである身にしてはおおげさな言い分であるが、サッカーとはこういった個々人の強い思い入れによって成り立っているのだ)
この「意味」を見失っていてはまともに試合を語る事は出来ない。テレビ朝日は決定的にこの部分を無視していたし、冷静さを欠いていた。無様としかいいようがない。
その象徴的な部分がこれだ。角沢はこう言った。
「この試合はまさにW杯本大会のグループリーグを思わせる緊迫感がある」
マスコミの印象操作に安易に乗せられない人が増えている。
それはインターネットをはじめ、マスコミが伝えない情報を独自に収集し分析し理論的に考える層が増えてきている事の証明だ。殊に政治的、イデオロギー的な面においては昨今の現象は画期的と言える。
サッカーに関しても同様だ。マスコミに頼る事無く独自に情報を収集し分析する。サッカーを語る事、自分の大切なチームや代表について考える事はサッカーを愛する者にとってごく当たり前なことであり、喜びである。そして、おのおのが確固たる「自分のサッカー観」を持っている。
「個人のサッカー観」を持つ者にとって「マスコミの一方的なストーリー」は邪魔でしかない。マスコミは黙ってろ。多くのサッカー愛好家はそう思っているのではないだろうか。
テレビ朝日は、視聴率稼ぎの為か、この試合に「絶対勝利」を求めていた。試合内容でも相手を圧倒し翻弄しカタルシスに満ちた「日本代表ショー」を期待していた。決定的にはき違えているのはここだ。
率直に言って「負けてもいい」のだ。
この欧州遠征第1戦対ラトビア戦に求められていたのは「絶対勝利」ではない。無論、負けるよりも勝つ方が気分はいいが、勝利以上の注目するべきポイントがある。それは前回のホンジュラス戦の延長線上にあるものだ。
だいたい、6人の選手交代が許される「国際親善試合」に「本大会と同じ緊張感」があるはずがない。
ラトビアサイドに立ってみれば、長年チームに貢献した4番ゼムリンスキス選手の代表引退試合だった。
テレビ朝日はこの試合にギリギリの緊迫感を与えたかったのだろうが、実際プレーした選手達にそこまでの意識はあっただろうか。
この試合を「ただの興行」と軽々しく扱うつもりは無い。大切な意味をもったかけがえの無い試合であった。
だが、意味を求める相手が違うのだ。日本代表はラトビア代表と戦ったのは間違いないが、真の相手は自分たち自身である。この試合はW杯に向けた「テストマッチ」なのだから。
テストマッチに目くじらを立てて勝手に盛り上がって勝手に落胆するほどかっこ悪いことはない。
ドンと構えて適当に見ればいいのだ。見るべきポイントをしっかり見定めて冷静に。
果たしてこの試合で本大会、もしくは予選のような緊迫感や興奮を覚えた人がいるだろうか?
そんなもの必要ないのだ。
興奮はいらない。でもとても大切な試合。それがこの欧州遠征に対する真っ当なスタンスだと思う。
長い前振りだったが、ここは抑えておかないと話が進まない。
なぜこんなことを書いたかと言うと、本気でテレビ朝日に腹が立ったからだ。テレビ朝日はサッカーがなんたるかを一切理解していない。代表チームの実況を行うにはふさわしくないと思ったからだ。
レベルの低い実況とは次元の違うところで日本代表は着実に歩みを進めている。
ラトビア戦の感想だが、非常にポジティブだ。
第1戦として、目的を明確にし、それに対しチャレンジできた試合だったと思う。
断っておくが「チャレンジが成功したか否か」は問題にしていない。「チャレンジした事」そのものを評価している。
言うならば「結果は残念だがいいトライだった。この先もチャレンジを続けてくれ」という感じだ。
チャレンジが無ければ成功は無い。リスクを覚悟でチャレンジし、失敗してもそこ挑戦自体を評価する、サッカーに必要なのはその視点だ。シュートが外れたらもう一度打てばいい。また外れたら何度でも打てばいい。諦めたらその場で終わりだ。諦める事無く、成功に向かって歩けばいいのだ。日本代表はその道の途中にいる。
今この瞬間に完成への答えは出ない。模索しながら少しずつ課題を見つけ修正していく事が大切なのだ。
焦る事は無い。本大会は8ヶ月後なのだ。
さて、遅くなったが本題に移ろう。
ただ、見るべきポイントは実は曖昧だ。何故かと言うと同日程でJリーグオールスターが開催された事で、主にディフェンスの選手が「控え」だったことだ。中盤から前はベストメンバーと言える陣容だったが、欲を言えばここに中澤、宮本、巻、田中達也の姿が欲しかった。ま、たくさんの選手を連れて行っても試合に使えるのは限られるので難しいのだが。
私がポジティブに感じた理由は間違いなく松井大輔である。
小野伸二の負傷は想定外だったが、怪我の功名で松井を長い時間見る事が出来たのは素直によかった。
松井に期待したのは小笠原に変わる中盤のキーマンとしての存在感である。
(私が小笠原をキーマンとする理由はホンジュラス戦の記事を参照ください)
試合前から中盤の構成が議論の対象になっていたが、そのようなフォーメーション論議がいかに無力であるかを見せつけるような、見事な中盤の組み立てがあった。試合前の発表は中村俊輔をトップ下に置くダイヤモンド型だったが、試合が始まると実に流動的に動き回る。
稲本が底にいて守備に専念という約束事をのぞいては、中盤はまさに技術力による自由な場だった。中田英寿は右に左にポジションを変え、攻撃の起点となろうとしていたし、中村俊輔は時に下がり、時にサイドに向かい、アタックをリードした。そして松井大輔は中田、中村の間に入ってボールをリズムよく中継する役目と、キープする事、時に左サイドを突破する動きで見事に役目を果たしていた。
正直予想以上の動きだった。
まず速い。単純に足が速い。そしてトラップからパスへの動きが俊敏だ。切れ味がある、という感じだ。小笠原のように立ち止まって構えてボールを受けるのではなく、常に動きながら、次の展開を予測しながらボールを受けていた。起点は中田や中村にまかせて、動きで相手を攪乱しようとしていた。
これは小笠原や小野伸二とは異なる質だ。なんとなくイメージしたのは「テクニックに優れた森島」である。全盛期の前園でもいい。パスだけでなく、サイド突破やシュートのできるアタッカー。間違いなく松井大輔は日本代表のジョーカーになれる。
まず松井大輔が代表チームの中で役目を果たせる選手であり、周囲の選手も松井のセンスを活かす事が出来る、それが確認できた事は大きな収穫だ。
そこで課題が発生する。松井を加えた「新黄金の中盤」は確かに魅力的だった。器用にリズムよくボールをつなぐ事は出来た。特に前半30分までは日本代表の売りである「技術の高い中盤」の見本市のようなゲーム展開だった。
しかし、このシステムでラトビア守備陣を崩す事は結局一度も出来なかった。
ラトビアはゴール前に人数を集め守備を固めていた。しかもディフェンスの選手はみな大型で屈強だった。
その分中盤は半ば放棄して日本にボールを持たせていた。だから日本は好き勝手に中盤のボール回しを楽しめた。
やはり課題はそこからの「崩し」になる。幾度かシュートチャンスはあった。もっと相手守備陣を攪乱する為に、例えばサイドバックの攻撃参加、例えばFWをくさびに使ったワンツーパスからの飛び出し、例えばミドルシュートなど、様々な攻撃の手段を講じてほしかったと思う。
だがそこでまた問題が発生する。サイドバックには中田浩二と駒野が左右に入ったが、いかんせん代表合流期間が短い。中田浩二は本職はボランチだろう。代表での実戦経験が少ない分、思い切ったプレーにつながらなかったのではないだろうか。
その中でも駒野は随所に存在感を見せた。正確性には欠けたが思い切りの良いシュートを放ったし、時にサイドで攻撃参加した。DFとしてピンチ時の戻りも速かったし、相手のシュートをブロックするなどDFとしても活躍した。残念ながら決定的なクロスや、DFをかわすトライといった攻撃面での輝きは見られなかったが。
ラトビアが思いのほか守備を固めカウンターを狙ってきたのは日本にとって巡り合わせが悪かったと言えるのではないだろうか。ゴール前に人数をかける相手に日本は伝統的に弱い。アジアではそんなのばっかりだが、実力差で跳ね返す事が出来た。しかし、ヨーロッパのチームが守備に専念すると本当に隙がない。ラトビアがもっと前に出て打ち合うサッカーをしてくれればもっとアグレッシブなゲームになったと思う。しかし、その堅守速攻がラトビアの持ち味なのだからしかたがない。
ようするに、ゴール前を固めるチームを崩してこじ開ける力が足りない、といういつもの日本代表の弱点が改めて実証されてしまったわけだ。ゴール前を固めるチームをいかに崩すか、これはW杯本大会では相手に先制を許した場合を考えると是が非でも改善しなくてはならないポイントである。ここは今後、次のウクライナ戦に向けての課題となる。
後半、日本は運動量を失って、ゲームの主導権をラトビアに奪われる。
これは前半から「新黄金の中盤」が飛ばしすぎたせいなのは間違いない。初めての陣容だったから、選手達もペース配分が思うようにいかなかった、というところだろう。何度か同じ選手の組み合わせでテストを繰り返し、連携を高めれば改善の余地はあると思うが、残念ながら「同じ組み合わせ」をテストする機会がない。
となれば選手交代に活路を見出すのが筋だが、6人交代制の親善試合ではその選手交代に緊迫感が無い。3枚しかカードが使えない公式戦と親善試合では交代カードの重みが違う。ジーコは試合を勝つ為ではなく、選手のテストの為にカードを使う考えだったようだ。この姿勢は非難できない。
試合的にはなんだかよく分からないドローに終わった。
高原の見事なミドルシュートで先制し、柳沢が受けたファールのPKを中村俊輔がしっかり決めた2得点。
どちらも「個人技」に当たる部分であり、チームとしての得点では無かった。高原のストライカーとしての才能は十分アピールできたが、こんなシュートが毎度毎度決まるわけではないことを考えると、別の形でのゴールが見たかった。
なまじ前半5分という早い時間に得点してしまったがために、チームから大胆なアクションが消えてしまったのではないか、と少し残念に思ってしまう。日本は得点すると貪欲さに欠けるプレーをする傾向にある。ラッキーゴールは忘れて、2点目、3点目をがむしゃらに取りにいく姿勢が欲しかった。
終了間際の同点ゴールなどさらに意味が分からない。何かを試したのではなく、ただのパスミスから失点した不用意で情けないプレーだった。こういうプレーが出るのは選手の危機感が足りない、すなわち弛緩した試合だった事の証明だ。大きな問題として目くじらを立てる気はないが、DF陣にはたとえどんな試合でも失点は許されないという強い気持ちを失ってほしくはない。
このラトビア戦には良い面もあり、信じがたいミスもあった。
ぶっちゃけ凡庸な試合だった。
だが、まだチームを組み立てる鍛錬の場であった事を考えれば、概ね好評価していいと思う。
というか、非難してわざわざ自分から暗い気持ちになる必要は無い、という意味だ。
真の勝負の時はまだ先なのだから、余裕を持って代表を見つめればいい。
中田英寿の言う通り、課題が無くなる事は無いのだ。
むしろ松井大輔という希有な才能を加え、さらなる強化へ「トライ」したことが大事である。
日本代表に不安感を持ち、非難する人の気持ちは分かる。大きな期待を持つが故に、本大会でも日本が活躍できるような確固たる「結果」と「証明」が欲しいのだ。早く安心したいのだと思う。だが、サッカーに「絶対の安心」なんてあり得ない。日本代表がどこまでやれるのか大会が始まるまでは誰にも分からないのだ。
だから焦らずに、興奮せずに、ただ代表の歩みを見つめていこう。できるだけ前向きに。
最後に一つ気になったことがあった。それは中田英寿のパスミスの多さだ。
中田はこの試合中盤を動き回り、起点として随所に顔を見せた。コーチングも多く、リーダーとして申し分ない働きだったと思う。代表の中で決して替えのきかない大切な存在である事を再び証明した。だが、最後のワンアクションでミスを連発したように見える。前線の選手と呼吸が合わなかったり、ゴール前でトラップをミスしたりして攻撃の目を潰してしまっていた。
約10年前、トップ下の司令塔として君臨した「キラーパス」の中田英寿の面影がめっきり薄くなったようで寂しく思う。その分、中盤の王様として非凡な才能を発揮しているが、かつての攻撃の鋭さを失ってしまったように見えた。
それがただのミスで、杞憂である事を祈りたい。
今回、大久保についてはあえて触れていない。
彼には誰よりも大きな期待を寄せている。故に、この1試合だけで評価は下せない。もっと長い時間見たい選手だ。むしろある程度活躍のめどがついた柳沢よりも未知の大久保を先発で使ってほしかった。
欧州遠征はもう1試合、W杯本大会でも対戦の可能性のある対ウクライナ戦が控えている。
欧州の強豪と対戦できるまたとない機会、日本代表の「チャレンジ」に期待したい。
Fairness
完全に時期外れですが、mixi上で書いた衆議院選挙に関する総括をUPします。
自民の大勝が歯がゆくて悔しくてたまらない全てのメディアのみなさん、さらに民主党のみなさん、現実を直視してください。
解散総選挙が決まったとき、民主党もマスコミも千載一遇のチャンスだと思ってたわけでしょ。
今解散したら自民は負ける、連日そう報道してましたよね。
全てのメディアは見事なまでの反自民、反小泉。連日自民党の批判と揚げ足取りに頑張ったわけですよ。
筑紫哲也なんてすごかったでしょ。
もしも有権者がマスコミにのせられていたなら自民党が圧勝するわけがないんですよ。
反日マスコミが笛を吹いても有権者は踊らなかった。
菅直人は「民主が負けたのはマスコミがちゃんと民主党の政策を報道してくれなかったからだ。マスコミのせいだ」と、ぶっ飛んだ発言をしでかしました。
もうね、引退してください。お遍路まわってこいよ、もう一回。
民主党が負けたのは、世論の支持を得られなかったからだ。
民主党は「何を行うか」を明確に提示できなかったし、ひたすら政権与党の悪口に終始。マスコミと一緒になって小泉たたき。具体的な政策ゼロ。年金だ社会保障だ少子化だ何だかんだ言ってたけど、具体的なものは何一つ見えてこなかったじゃないですか。
そんなんじゃ理解を得られるわけないでしょ。
せめて明確に「郵政民営化反対!」って言えばよかったのに、民主党はもともと民営化推進の立場。
それが国会で自民以上の党議拘束かけて「全党員反対」なんてやらかしたからにっちもさっちもいかなくなったわけでしょ。
で、グダグダしてる間に「なしくずし的賛成」に回って、訳わからんところで自民と差を付けようとして大失敗。
独自性のある「改革案」は「国家主権の移譲」「沖縄譲渡」ときたもんですよ。これで支持なんかできるか!つーの。
もともと民主党の存在意義なんてのは「アンチ自民」でしかなかった。腐敗した自民党に政権をまかせられない、と考えた良識ある有権者は、民主党に「腐敗の無いクリーンな新しい政権」を期待していた。自民は嫌だ、と考える層の「受け皿」だったわけだ。
それが蓋開けてみたら「経世会」と「旧社会党」の残党の寄せ集め。主義主張の異なる有象無象が寄せ集まったわけの分からん集団が出来上がって、とりあえず「ごちゃまぜ左翼政党」になってしまった。
前回の選挙では「アンチ自民」票がかなり民主党を押し上げて大躍進を果たした。ここまでは民主党に風は吹いていた。
世論は「とりあえず今の自民党をなんとかしてくれ」と思っていたわけだ。自民党が政権政党として刷新するためには、一度野党に下って党を再構築しなければならない、と。民主党に政権政党としての何かを期待していた人なんて少数だと思う。「自民が一度政権から離れるべき」と考えていたアンチ自民層の力だったにすぎない。
そこで民主党は勘違いしたわけだ。なまじっか議席数がふくれあがったものだから「2大政党」とか自称し始める。おごりだよ。
自分たちはすでに世論から一定以上の支持を集めている、って過信してしまったのだろう。
民主党は所詮アンチ自民の受け皿でしかない。
そこを忘れた時に民主の崩壊は決まっていたと思う。
小泉純一郎は自民党員でありながら、派閥や金のしがらみにとらわれない異質な政治家だ。その小泉だから、既得権益の中枢にズバズバ踏み込んでいけた。いわく「自民党をぶっ壊す」ことができたわけだ。
今一度、現時点の自民党をしっかり見てみるといい。
明らかに自民党は変わっているのが分かるだろう。
「橋本派」は「旧橋本派」になり、野中広務は消された。中曽根も竹下も引退に追い込まれた。亀井静香ももうかつての力を完全に失っただろう。
「腐敗した自民党」は確実に「新しい自民党」へ変わろうとしている。それが世論にも十分に伝わったのだろう。小泉純一郎は古い自民党を壊し、派閥にとらわれない新しいスタイルへの改革を実行してきた。
これは本来民主党がすべき役割だった。旧態依然の政権与党を倒し、新しい風をもたらす事を、自民の中の異物「小泉」に先にやられてしまった。
これじゃ民主党は苦しいわ。
だったら自民党とは政策に差をつけて論点を明確化しないと勝負にならない。それができなかった民主党は負けて当然。
実際、ひたすら時代遅れの論説を、それでも頑に主張した「共産党」「社民党」は善戦した。
有権者は「ぶれない姿勢」を評価したんだろう。社民や共産の「おめでたい姿勢」が評価されたのはちょいと気になるが、まぁ絶滅危惧種みたいなもんだから適当に頑張ってほしい。
同じような「改革」を叫んだって、民主党は「自民党の劣化コピー」でしかない。だったら自民党に投票しますよ。アンチ自民の受け皿である事を忘れ、マスコミを交えて妄言と迷走を繰り返した民主党なんて信頼できません。
そういう世論と小選挙区制度が合わさって、今回の自民圧勝、民主惨敗にいたったわけだ。
有権者は馬鹿じゃないよ。マスコミなんかに簡単に洗脳されないんですよ。ネットの力は大きいと思う。
逆を言えば、もし自民党がヘマをすれば、ものすごい反動が来るでしょう。今回これほどの大勝だから、世論が反発したら恐ろしいほどの大惨敗もあり得るわけで。だから、開票途中の自民党本部でも武部幹事長も安倍晋三も神妙な面持ちだった。大勝の喜びよりも、世論の恐ろしさを痛感してたんじゃないか、と推測。
昨夜マスコミはこぞって「小選挙区制度の問題点」みたいな論調で自民圧勝を悔しがっていたけど、とんだ筋違いだ。
前回の民主党躍進も小選挙区制度のおかげでしょう。自分たちの都合のいい結果には何も言わず、そうでない時は批判なんて、公平なメディアの態度じゃない。
確かに「小選挙区制度」は恐ろしい。だから政権与党に緊張感を与えるんじゃないか。逆の立場になれば民主党の大逆転もこの先あるかもしれないじゃない。もし今中選挙区とかに移行して、議席の大幅増減が回避されたら、一生民主党は政権取れない。
自民党が議席を取り過ぎだ、って批判もよく分からない。
それが有権者の判断であるならば否定できないでしょう。これは選挙自体を否定する発言で、民主主義の否定につながる。
民主主義の究極形態は独裁になる。独裁が悪いのではなく、悪政が悪いのだ。圧倒的多数の力に溺れ、暴走させ、日本を亡国へと導く事が悪いのだ。
そうならないように政権を監視する事が有権者の努めではないのか。
一度確定した結果に対しマスコミはグダグダうるさいよ。
反権力、反日も勝手にやればいいが、せめて筋道立てて論理的に立ち向かえ、と思う。今のまんまじゃ負け犬の遠吠えでしかない。
これで民主党は大幅に力を失うでしょう。
岡田克也という無能なリーダーがいなくなり、逆に再構築のチャンスでもあります。ここで党内を今一度まとめなおし、確固たる主張をもった野党第一党に生まれ変わる事が出来れば、この先期待できるでしょう。民主党には有能な議員の方もいらっしゃいますから。ただ小沢一郎とか菅直人がまた出しゃばるような事があると終わりかな、と。
ボクが民主党を完全に見限ったシーンがあります。
田原総一朗の番組で党首討論が行われたとき、田原の「過去の多戦争を正しい戦争だったと考える若い層が出てきている」との発言に対し、岡田はこういった。
「そんなことは絶対に間違っている。許せない。体を張ってでも戦う」と。
これ言論弾圧だよ。岡田さん。
あんた個人がどういう思想を持とうが知ったこっちゃないが、仮にも野党第一党の党首で、時期政権を狙う総理大臣候補ともあろう人が、真っ向から言論を封殺しちゃいけないでしょう。
日本では言論と思想の自由が認められている。韓国や中国とは違うんだ。
個人が過去の戦争をどう評価しようとそれは自由でしょう。
「悪の戦争」と考える人がいてもいいし、逆に「正しい」と考える人がいてもいい。考えの異なる者同士がいたら議論をすればいいのでしょう。政府が一方的に個人の考えを封じ込める社会なんてボクは認めない。
民主党が目指す社会とはそういうものなんですか。
そういう民主党が大惨敗を喫する事は当然の結末だ。
http://kuts.hp.infoseek.co.jp/
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50082174.html
↑TBSの選挙番組で紹介された「異様なテロップ」
これを見てそら恐ろしさを感じるのはボクだけではないはず。
自民の大勝が歯がゆくて悔しくてたまらない全てのメディアのみなさん、さらに民主党のみなさん、現実を直視してください。
解散総選挙が決まったとき、民主党もマスコミも千載一遇のチャンスだと思ってたわけでしょ。
今解散したら自民は負ける、連日そう報道してましたよね。
全てのメディアは見事なまでの反自民、反小泉。連日自民党の批判と揚げ足取りに頑張ったわけですよ。
筑紫哲也なんてすごかったでしょ。
もしも有権者がマスコミにのせられていたなら自民党が圧勝するわけがないんですよ。
反日マスコミが笛を吹いても有権者は踊らなかった。
菅直人は「民主が負けたのはマスコミがちゃんと民主党の政策を報道してくれなかったからだ。マスコミのせいだ」と、ぶっ飛んだ発言をしでかしました。
もうね、引退してください。お遍路まわってこいよ、もう一回。
民主党が負けたのは、世論の支持を得られなかったからだ。
民主党は「何を行うか」を明確に提示できなかったし、ひたすら政権与党の悪口に終始。マスコミと一緒になって小泉たたき。具体的な政策ゼロ。年金だ社会保障だ少子化だ何だかんだ言ってたけど、具体的なものは何一つ見えてこなかったじゃないですか。
そんなんじゃ理解を得られるわけないでしょ。
せめて明確に「郵政民営化反対!」って言えばよかったのに、民主党はもともと民営化推進の立場。
それが国会で自民以上の党議拘束かけて「全党員反対」なんてやらかしたからにっちもさっちもいかなくなったわけでしょ。
で、グダグダしてる間に「なしくずし的賛成」に回って、訳わからんところで自民と差を付けようとして大失敗。
独自性のある「改革案」は「国家主権の移譲」「沖縄譲渡」ときたもんですよ。これで支持なんかできるか!つーの。
もともと民主党の存在意義なんてのは「アンチ自民」でしかなかった。腐敗した自民党に政権をまかせられない、と考えた良識ある有権者は、民主党に「腐敗の無いクリーンな新しい政権」を期待していた。自民は嫌だ、と考える層の「受け皿」だったわけだ。
それが蓋開けてみたら「経世会」と「旧社会党」の残党の寄せ集め。主義主張の異なる有象無象が寄せ集まったわけの分からん集団が出来上がって、とりあえず「ごちゃまぜ左翼政党」になってしまった。
前回の選挙では「アンチ自民」票がかなり民主党を押し上げて大躍進を果たした。ここまでは民主党に風は吹いていた。
世論は「とりあえず今の自民党をなんとかしてくれ」と思っていたわけだ。自民党が政権政党として刷新するためには、一度野党に下って党を再構築しなければならない、と。民主党に政権政党としての何かを期待していた人なんて少数だと思う。「自民が一度政権から離れるべき」と考えていたアンチ自民層の力だったにすぎない。
そこで民主党は勘違いしたわけだ。なまじっか議席数がふくれあがったものだから「2大政党」とか自称し始める。おごりだよ。
自分たちはすでに世論から一定以上の支持を集めている、って過信してしまったのだろう。
民主党は所詮アンチ自民の受け皿でしかない。
そこを忘れた時に民主の崩壊は決まっていたと思う。
小泉純一郎は自民党員でありながら、派閥や金のしがらみにとらわれない異質な政治家だ。その小泉だから、既得権益の中枢にズバズバ踏み込んでいけた。いわく「自民党をぶっ壊す」ことができたわけだ。
今一度、現時点の自民党をしっかり見てみるといい。
明らかに自民党は変わっているのが分かるだろう。
「橋本派」は「旧橋本派」になり、野中広務は消された。中曽根も竹下も引退に追い込まれた。亀井静香ももうかつての力を完全に失っただろう。
「腐敗した自民党」は確実に「新しい自民党」へ変わろうとしている。それが世論にも十分に伝わったのだろう。小泉純一郎は古い自民党を壊し、派閥にとらわれない新しいスタイルへの改革を実行してきた。
これは本来民主党がすべき役割だった。旧態依然の政権与党を倒し、新しい風をもたらす事を、自民の中の異物「小泉」に先にやられてしまった。
これじゃ民主党は苦しいわ。
だったら自民党とは政策に差をつけて論点を明確化しないと勝負にならない。それができなかった民主党は負けて当然。
実際、ひたすら時代遅れの論説を、それでも頑に主張した「共産党」「社民党」は善戦した。
有権者は「ぶれない姿勢」を評価したんだろう。社民や共産の「おめでたい姿勢」が評価されたのはちょいと気になるが、まぁ絶滅危惧種みたいなもんだから適当に頑張ってほしい。
同じような「改革」を叫んだって、民主党は「自民党の劣化コピー」でしかない。だったら自民党に投票しますよ。アンチ自民の受け皿である事を忘れ、マスコミを交えて妄言と迷走を繰り返した民主党なんて信頼できません。
そういう世論と小選挙区制度が合わさって、今回の自民圧勝、民主惨敗にいたったわけだ。
有権者は馬鹿じゃないよ。マスコミなんかに簡単に洗脳されないんですよ。ネットの力は大きいと思う。
逆を言えば、もし自民党がヘマをすれば、ものすごい反動が来るでしょう。今回これほどの大勝だから、世論が反発したら恐ろしいほどの大惨敗もあり得るわけで。だから、開票途中の自民党本部でも武部幹事長も安倍晋三も神妙な面持ちだった。大勝の喜びよりも、世論の恐ろしさを痛感してたんじゃないか、と推測。
昨夜マスコミはこぞって「小選挙区制度の問題点」みたいな論調で自民圧勝を悔しがっていたけど、とんだ筋違いだ。
前回の民主党躍進も小選挙区制度のおかげでしょう。自分たちの都合のいい結果には何も言わず、そうでない時は批判なんて、公平なメディアの態度じゃない。
確かに「小選挙区制度」は恐ろしい。だから政権与党に緊張感を与えるんじゃないか。逆の立場になれば民主党の大逆転もこの先あるかもしれないじゃない。もし今中選挙区とかに移行して、議席の大幅増減が回避されたら、一生民主党は政権取れない。
自民党が議席を取り過ぎだ、って批判もよく分からない。
それが有権者の判断であるならば否定できないでしょう。これは選挙自体を否定する発言で、民主主義の否定につながる。
民主主義の究極形態は独裁になる。独裁が悪いのではなく、悪政が悪いのだ。圧倒的多数の力に溺れ、暴走させ、日本を亡国へと導く事が悪いのだ。
そうならないように政権を監視する事が有権者の努めではないのか。
一度確定した結果に対しマスコミはグダグダうるさいよ。
反権力、反日も勝手にやればいいが、せめて筋道立てて論理的に立ち向かえ、と思う。今のまんまじゃ負け犬の遠吠えでしかない。
これで民主党は大幅に力を失うでしょう。
岡田克也という無能なリーダーがいなくなり、逆に再構築のチャンスでもあります。ここで党内を今一度まとめなおし、確固たる主張をもった野党第一党に生まれ変わる事が出来れば、この先期待できるでしょう。民主党には有能な議員の方もいらっしゃいますから。ただ小沢一郎とか菅直人がまた出しゃばるような事があると終わりかな、と。
ボクが民主党を完全に見限ったシーンがあります。
田原総一朗の番組で党首討論が行われたとき、田原の「過去の多戦争を正しい戦争だったと考える若い層が出てきている」との発言に対し、岡田はこういった。
「そんなことは絶対に間違っている。許せない。体を張ってでも戦う」と。
これ言論弾圧だよ。岡田さん。
あんた個人がどういう思想を持とうが知ったこっちゃないが、仮にも野党第一党の党首で、時期政権を狙う総理大臣候補ともあろう人が、真っ向から言論を封殺しちゃいけないでしょう。
日本では言論と思想の自由が認められている。韓国や中国とは違うんだ。
個人が過去の戦争をどう評価しようとそれは自由でしょう。
「悪の戦争」と考える人がいてもいいし、逆に「正しい」と考える人がいてもいい。考えの異なる者同士がいたら議論をすればいいのでしょう。政府が一方的に個人の考えを封じ込める社会なんてボクは認めない。
民主党が目指す社会とはそういうものなんですか。
そういう民主党が大惨敗を喫する事は当然の結末だ。
http://kuts.hp.infoseek.co.jp/
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50082174.html
↑TBSの選挙番組で紹介された「異様なテロップ」
これを見てそら恐ろしさを感じるのはボクだけではないはず。
The Internet & football killed the video star
日本が変わろうとしている。
その要因にサッカーとインターネットは欠かせない、と思う。
サッカーを通じ、日本は従来の「箱庭主義」を突破した。サッカーで戦う相手は海外の他国だった。島国に閉じこもっていては手に入らない情報がサッカーを通じもたらされた。結果、日本代表を媒介に国民が日の丸の下にまとまり、恐らく生まれて初めて「母国」を意識したのではないか、と思う。
そして「世界」とリアルタイムでつながり合えるインターネット。
知識や情報が手に入るだけでなく、常に「外に向かって開かれている」状態を経験できる事はとてつもなく大きい事だと思う。むろん是非はある。必ずしも情報が有益なわけではないけど(有害な情報は腐るほどあるから)、何も無いよりか前向きなのは間違いない。
インターネットを通じて、結果「外からの目」で日本を見つめる事が出来るのではないか、と思う。
他国から見れば、日本と言う国はとてつもなく異様に映るだろう。
独力で近代化を果たし、アジアの広範囲に渡って版図を広げ、欧米列強の帝国国家群を敵に回し大戦争をやってのけた。
2発の原爆と幾多の大空襲で国内を焦土にされ、領土の大半を失ったにもかかわらず、敗戦から20年足らずで東京オリンピックを開催し、世界有数の産業国家へと発展。今では堂々世界2位の経済大国だ。
こんな国は日本以外にはない。
大航海時代から産業革命を経て2次大戦まで全世界を我がものとしてきたヨーロッパから見れば信じられないことだろう。
ボクはことさら「日本は偉大だ!」と煽る国粋主義者ではない。
ただ冷静に客観的に日本を見る必要がある、と思う。世界は日本をどう見ているのか、知らなければ日本の外交姿勢や戦術など語りようも無いからだ。
その為には歴史を知る必要がある。
例えば、過去の戦争は浦賀にペリーが来た事に起因している。
近代以降、日本の出発点はまさにここなのだ。
当時の日本以外のアジアは全て欧米の植民地で奴隷だった。
日本を欧米列強の侵略から防ぐ為にはそれまでバラバラだった国内を統一し、近代化しなければならない。それまで鎖国状態だったことを考えると「明治維新」というものが、どれほど凄まじい革命であったか想像できる。勝海舟や坂本龍馬という人間が、異常なほど国際感覚に優れた奇人であったことか。
不平等条約を忘れてはならない。日米通商修好条約は歴史の穴埋めテストだけの知識ではない。
関税自主権がなく、領事裁判権(治外法権)を認める、これが一国の主権を全く無視した植民地条約であることを理解しなくてはいけない。
この不平等条約の撤廃にどれほどの時間と労力を費やした事か。
欧米列強と肩を並べた矢先に、日本(非白人)の拡大を恐れた白人帝国主義者は日本に苛烈な要求を突きつけ続けた。
朝鮮半島への進出は対ロシアの国防上のものだ。当時の朝鮮半島は事実上中国の領土で10世紀レベルの極貧地帯だった。ロシアの南下を抑える為には朝鮮半島の近代化は急務だったが、当の現地の王朝には近代化の意思も能力もなかった。
その為日本は当時の中国「清」と日清戦争を戦い朝鮮半島を独立させるが、歴史上初めての独立に戸惑った朝鮮はロシアにすり寄る。その為に日露戦争が起こり、その後朝鮮半島は日本に併合される。その日韓併合は朝鮮の政権与党「一進会」の要請によるもので全世界の承認の元に行われた合法行為である。
その後、日本は内地(日本本土)よりも朝鮮半島に金をつぎ込み近代化に成功。ここにアジアで最も栄えた大日本帝国が築かれていく事となる。
日本の発展にその地位を脅かされた欧米列強は危機感から日本包囲網を築き狭めていく。当時アジアで独立を保っていたのは日本だけだ。日本の勢いにより植民地を失う事を欧米帝国主義者(白人)は恐れた。
日本では今イチ実感も無く、教育もされていないが、白人の有色人種差別は苛烈を極めていた。黒人を奴隷として扱っていた話は今でも有名だが、差別されたのは黒人だけではなく、アジア人(黄色人種)も同じだ。白人種から見れば有色人種は獣だった。
「鬼畜米英」という言葉が大東亜戦争時プロパガンダに使われたが、欧米人はアジア人に対し正に鬼畜であり、全く人間扱いしなかった事を知らなければ当時の空気は掴めない。
日本が戦争に踏み切らざるを得なかったのは、白人種による有色人種差別が世界を支配していたからだった。
ABCD包囲陣やハル・ノート。歴史の穴埋めテストではなく、それがどれほど非常識で一方的な「日本奴隷化宣言」であるか中身を吟味する事が必要だ。
今では植民地は世界から消えた。だが、少なくとも60年前まではどれだけの植民地を持つか、で世界のパワーバランスが語られていた事を忘れてはならない。当時は版図を広げる事こそが国是だったのだ。勝って独立国家として生き残るか、負けて植民地奴隷に成り下がるか。それがグローバルスタンダードだった。
現代の価値判断で過去の戦争を語るほど愚かな事は無い。
さらに歴史を否定する事もまた愚かな事だ。歴史とは善悪を語るものではなく、その時代の空気感を学ぶ事だと思う。
愚かな人もいただろう。誤った政策もあっただろう。しかし、当時は常に亡国の危機と直面したギリギリの緊張感が国を包んでいたことを理解せねば何事も語れない。
戦争を避け、欧米の言いなりになり、植民地になり奴隷となる選択肢もあったかもしれない。
でも、当時の政権や国民はそれを選ばなかったし、その結果が今の日本国につながっている。
そう、全てはつながっている。
過去があったから、現在がある。過去と言ってもボクらの祖父や祖母の時代の事だ。意外に近いのだ。しかし、この国で「戦争」や「歴史」を学ぶ際、何故か全て「他人事」に聞こえてしまう。とても遠い世界の事のように。遠い昔のように。
ボクもかつてはそうだった。戦争なんて昔のバカな軍国主義者が純真無垢な国民を洗脳して私利私欲の為に起こした蛮行で世界各国に多大な損害と苦痛を与えた恥ずべき事だ、と。
それは戦後民主主義左翼偏向教育の賜物で、ボクはそういう意味では「理想的な」日本人だったのであろう。
しかし、サッカーを通じ世界を見つめ、インターネットで知らなかった情報を手に入れることができた。
そして自分なりに歴史を学び分析する事で、ボク自身がこれまで信じてきた「歴史」が、実は限られた情報を一方的に扱ったものである事に気がついた。
今、ボクは非常に「日本」を近く感じている。
そしてボクを生んでくれた両親だけでなく、その両親を生んだ祖父や祖母に対し、深い愛情を感じる。残念ながらボクの祖父も祖母ももうこの世にはいないが、彼らが生きた時代の事をもっとよく聞きたかったと思う。祖父は帝国海軍所属だった。
神風特別攻撃隊が命をとして敵戦艦に突撃したのは何故か?
先祖達が戦った理由、守りたかったもの、それは何だろう?
自分の命よりも価値のあるものがあったのだろうか?
それは今でもあるのだろうか?
答えは人それぞれでいい。
その結果日本のことを好きになる人がいてもいいし、嫌いになる人がいてもいい。日本には言論と思想の自由が認められている。
ただし、「日本を嫌いになるように煽動する」輩は許しがたい。
あくまで答えは個人が持つべきだ。
物事を語るには、情報と分析が必要だ。
以前「朝まで生テレビ」で見たある左翼女性は「ガダルカナル島」を知らなかった。「ガダルカナル」を知らない人間が日本の戦争犯罪を研究し糾弾しているのだ。冗談みたいな話だが、こういう人種が大きな力を持ち、好き勝手な持論を恥も外聞もなく垂れ流しているのが日本の現状だ。
ただその風潮は変わりつつある。
筑紫哲也の妄言も最近はめっきりキレがなくなってきた。
久米宏という広告塔を失ったテレビ朝日は暴走と迷走を始めた。
少しずつだが確実に日本は変わり始めている。
サッカーを見たとき、ボクは無意識に涙を流した事があった。
試合前の国歌斉唱のとき、何故かは分からないが胸が締め付けられ、とても潔い心境になった。「魂」の文字が書かれた大きな日の丸を見て、鳥肌が立つような感動を覚えた。
ボクは日本人なのだ。
そのことを恥じる必要は無い。堂々と胸を張ればいい。
ボクは今、日本に生まれた事を感謝している。
その要因にサッカーとインターネットは欠かせない、と思う。
サッカーを通じ、日本は従来の「箱庭主義」を突破した。サッカーで戦う相手は海外の他国だった。島国に閉じこもっていては手に入らない情報がサッカーを通じもたらされた。結果、日本代表を媒介に国民が日の丸の下にまとまり、恐らく生まれて初めて「母国」を意識したのではないか、と思う。
そして「世界」とリアルタイムでつながり合えるインターネット。
知識や情報が手に入るだけでなく、常に「外に向かって開かれている」状態を経験できる事はとてつもなく大きい事だと思う。むろん是非はある。必ずしも情報が有益なわけではないけど(有害な情報は腐るほどあるから)、何も無いよりか前向きなのは間違いない。
インターネットを通じて、結果「外からの目」で日本を見つめる事が出来るのではないか、と思う。
他国から見れば、日本と言う国はとてつもなく異様に映るだろう。
独力で近代化を果たし、アジアの広範囲に渡って版図を広げ、欧米列強の帝国国家群を敵に回し大戦争をやってのけた。
2発の原爆と幾多の大空襲で国内を焦土にされ、領土の大半を失ったにもかかわらず、敗戦から20年足らずで東京オリンピックを開催し、世界有数の産業国家へと発展。今では堂々世界2位の経済大国だ。
こんな国は日本以外にはない。
大航海時代から産業革命を経て2次大戦まで全世界を我がものとしてきたヨーロッパから見れば信じられないことだろう。
ボクはことさら「日本は偉大だ!」と煽る国粋主義者ではない。
ただ冷静に客観的に日本を見る必要がある、と思う。世界は日本をどう見ているのか、知らなければ日本の外交姿勢や戦術など語りようも無いからだ。
その為には歴史を知る必要がある。
例えば、過去の戦争は浦賀にペリーが来た事に起因している。
近代以降、日本の出発点はまさにここなのだ。
当時の日本以外のアジアは全て欧米の植民地で奴隷だった。
日本を欧米列強の侵略から防ぐ為にはそれまでバラバラだった国内を統一し、近代化しなければならない。それまで鎖国状態だったことを考えると「明治維新」というものが、どれほど凄まじい革命であったか想像できる。勝海舟や坂本龍馬という人間が、異常なほど国際感覚に優れた奇人であったことか。
不平等条約を忘れてはならない。日米通商修好条約は歴史の穴埋めテストだけの知識ではない。
関税自主権がなく、領事裁判権(治外法権)を認める、これが一国の主権を全く無視した植民地条約であることを理解しなくてはいけない。
この不平等条約の撤廃にどれほどの時間と労力を費やした事か。
欧米列強と肩を並べた矢先に、日本(非白人)の拡大を恐れた白人帝国主義者は日本に苛烈な要求を突きつけ続けた。
朝鮮半島への進出は対ロシアの国防上のものだ。当時の朝鮮半島は事実上中国の領土で10世紀レベルの極貧地帯だった。ロシアの南下を抑える為には朝鮮半島の近代化は急務だったが、当の現地の王朝には近代化の意思も能力もなかった。
その為日本は当時の中国「清」と日清戦争を戦い朝鮮半島を独立させるが、歴史上初めての独立に戸惑った朝鮮はロシアにすり寄る。その為に日露戦争が起こり、その後朝鮮半島は日本に併合される。その日韓併合は朝鮮の政権与党「一進会」の要請によるもので全世界の承認の元に行われた合法行為である。
その後、日本は内地(日本本土)よりも朝鮮半島に金をつぎ込み近代化に成功。ここにアジアで最も栄えた大日本帝国が築かれていく事となる。
日本の発展にその地位を脅かされた欧米列強は危機感から日本包囲網を築き狭めていく。当時アジアで独立を保っていたのは日本だけだ。日本の勢いにより植民地を失う事を欧米帝国主義者(白人)は恐れた。
日本では今イチ実感も無く、教育もされていないが、白人の有色人種差別は苛烈を極めていた。黒人を奴隷として扱っていた話は今でも有名だが、差別されたのは黒人だけではなく、アジア人(黄色人種)も同じだ。白人種から見れば有色人種は獣だった。
「鬼畜米英」という言葉が大東亜戦争時プロパガンダに使われたが、欧米人はアジア人に対し正に鬼畜であり、全く人間扱いしなかった事を知らなければ当時の空気は掴めない。
日本が戦争に踏み切らざるを得なかったのは、白人種による有色人種差別が世界を支配していたからだった。
ABCD包囲陣やハル・ノート。歴史の穴埋めテストではなく、それがどれほど非常識で一方的な「日本奴隷化宣言」であるか中身を吟味する事が必要だ。
今では植民地は世界から消えた。だが、少なくとも60年前まではどれだけの植民地を持つか、で世界のパワーバランスが語られていた事を忘れてはならない。当時は版図を広げる事こそが国是だったのだ。勝って独立国家として生き残るか、負けて植民地奴隷に成り下がるか。それがグローバルスタンダードだった。
現代の価値判断で過去の戦争を語るほど愚かな事は無い。
さらに歴史を否定する事もまた愚かな事だ。歴史とは善悪を語るものではなく、その時代の空気感を学ぶ事だと思う。
愚かな人もいただろう。誤った政策もあっただろう。しかし、当時は常に亡国の危機と直面したギリギリの緊張感が国を包んでいたことを理解せねば何事も語れない。
戦争を避け、欧米の言いなりになり、植民地になり奴隷となる選択肢もあったかもしれない。
でも、当時の政権や国民はそれを選ばなかったし、その結果が今の日本国につながっている。
そう、全てはつながっている。
過去があったから、現在がある。過去と言ってもボクらの祖父や祖母の時代の事だ。意外に近いのだ。しかし、この国で「戦争」や「歴史」を学ぶ際、何故か全て「他人事」に聞こえてしまう。とても遠い世界の事のように。遠い昔のように。
ボクもかつてはそうだった。戦争なんて昔のバカな軍国主義者が純真無垢な国民を洗脳して私利私欲の為に起こした蛮行で世界各国に多大な損害と苦痛を与えた恥ずべき事だ、と。
それは戦後民主主義左翼偏向教育の賜物で、ボクはそういう意味では「理想的な」日本人だったのであろう。
しかし、サッカーを通じ世界を見つめ、インターネットで知らなかった情報を手に入れることができた。
そして自分なりに歴史を学び分析する事で、ボク自身がこれまで信じてきた「歴史」が、実は限られた情報を一方的に扱ったものである事に気がついた。
今、ボクは非常に「日本」を近く感じている。
そしてボクを生んでくれた両親だけでなく、その両親を生んだ祖父や祖母に対し、深い愛情を感じる。残念ながらボクの祖父も祖母ももうこの世にはいないが、彼らが生きた時代の事をもっとよく聞きたかったと思う。祖父は帝国海軍所属だった。
神風特別攻撃隊が命をとして敵戦艦に突撃したのは何故か?
先祖達が戦った理由、守りたかったもの、それは何だろう?
自分の命よりも価値のあるものがあったのだろうか?
それは今でもあるのだろうか?
答えは人それぞれでいい。
その結果日本のことを好きになる人がいてもいいし、嫌いになる人がいてもいい。日本には言論と思想の自由が認められている。
ただし、「日本を嫌いになるように煽動する」輩は許しがたい。
あくまで答えは個人が持つべきだ。
物事を語るには、情報と分析が必要だ。
以前「朝まで生テレビ」で見たある左翼女性は「ガダルカナル島」を知らなかった。「ガダルカナル」を知らない人間が日本の戦争犯罪を研究し糾弾しているのだ。冗談みたいな話だが、こういう人種が大きな力を持ち、好き勝手な持論を恥も外聞もなく垂れ流しているのが日本の現状だ。
ただその風潮は変わりつつある。
筑紫哲也の妄言も最近はめっきりキレがなくなってきた。
久米宏という広告塔を失ったテレビ朝日は暴走と迷走を始めた。
少しずつだが確実に日本は変わり始めている。
サッカーを見たとき、ボクは無意識に涙を流した事があった。
試合前の国歌斉唱のとき、何故かは分からないが胸が締め付けられ、とても潔い心境になった。「魂」の文字が書かれた大きな日の丸を見て、鳥肌が立つような感動を覚えた。
ボクは日本人なのだ。
そのことを恥じる必要は無い。堂々と胸を張ればいい。
ボクは今、日本に生まれた事を感謝している。
The dream was destroyed
「ドラフトなんて止めちまえ」と普通に思ったわけですよ。
なんですか? 高校生ドラフトって。
しかも当たりくじ見間違えてるし。
福岡一の陽仲寿(ヨウ・チョンソ)には泣けた。
これってもっと問題にしてもいいのでは?と思ったのです。
ソフトバンクに行きたいなら行かせてやれよ、と。
台湾人である陽選手にとって王監督の元で野球する事には我々では及びもつかない思いがあるだろう。それが彼の夢ならば叶えてやりたいじゃないか。他チームにいってしまったら数年後FA権を取ったとしても、その時すでに王監督はユニフォームを脱いでるかも知れない。
今この時にしか実現できない彼の思いを何故叶えてやれないのか。
こういう思いを味わった選手は、それこそ星の数ほどいる。
星野も江川も清原も元木も福留も数え上げたらキリが無い。
だから陽も仕方が無い、って話になるんだろうけど、
だったらそんなドラフト制度なんて根本から変えろ、と。
自分が夢見た球団に行けない制度なんてオカシイでしょ。
それこそ「夢を奪ってる」でないの。
入団の瞬間に夢を奪うシステムが「ファンに夢を与える」ことができるのか?
だいたい社会人、大学生にある「逆指名」がなんで高校生にないの?
これ差別ちゃうの?
前途有望な選手達の将来が「くじ引き」で決められるのって激しく人権侵害を感じるんだが。
行きたい球団は選手個人の意思をまず尊重してやれよ、と。
となると、人気球団、お金持ち球団とそうでない球団に明確な格差が現れて戦力不均等などの問題が起こり結果的にプロ野球が衰退するとか言われるんだろうけど、ボクの考えは明確。
それはそれでアリでしょ。
そうなりゃ人気もお金もない球団は淘汰される? なったら仕方が無いよ。
でもね、そうならない為に「努力」すればいいじゃん。今まで「努力」してこなかっただけじゃん。
弱くてもお金がなくても「努力」して「チームのアイデンティティと誇り」を示し続ければファンはつくよ。
ファンがつけば人気も出るよ。
もうみんながみんな巨人に憧れた時代は終わったんだよ。
いくら下位に低迷する弱小球団でも、「そのチームに行きたい」って奇特な若者も出てくるかもしれないじゃん。
むしろ「絶対このチームに行きたい」って夢見てる野球少年の為にプロ野球はあるんだし、そういう少年達を地元のファンは熱烈に支持して行くんだろう。
戦力不均等は確かにおこるかもしれない。
でもね、いくら巨人でも毎年毎年「超高校級」選手を何人もとれないよ。
嫌みで取るかも知れないけど、現実的にチーム編成を考えたら有能な選手を飼い殺しにする可能性も出てくるわけで。
また、いくら高校時代に抜けた力を持ってても、プロに入ってから頭角を現す選手だって大勢いる。
カープの前田選手の高校時代を知ってますか? 元カープの江藤選手は?
彼らはドラフト下位で入団してプロで育成されてここまでの選手に育ったのです。
この育成こそがプロ野球の根幹でしょう。勝負は高校時代に決まるんじゃない。
プロ入りしてからが勝負なんだ。努力と才能が結びついた選手は、高校時代は無名でもプロを代表する名選手に育つ可能性を持っている。
元木みたいに才能だけで努力を怠ったヤツはああなるんですよ。
プロスポーツの世界は競争原理。強いものが勝ちお金を得る。
でも今みたいな巨人一極体制だと、巨人以外の球団はジリ貧で例外は怪物的な資金力をバックに持ったソフトバンクだけ。
この構造を変えて行く為には現在行われているシステムと野球の存在意義を含めた「精神的なもの」まで深く考える必要がある。
カープは弱くて金がない。でも球界の中で確実なアイデンティティを発揮している。「市民球団」という肩書きに象徴されるものだ。だからカープを熱烈に愛するファンもいるし、選手にもそういう連中はいる。12球団が自分たちのチームのアイデンティティを見いだし、そこを最も大切にするシステムが出来上がれば、ドラフト制度なんていらなくなると思うのだ。
郷土意識の塊みたいなヤツらが集まってチームを形成し、お互いの意地と誇りをかけてぶつかり合う事こそフランチャイズの理想型だと思う。そういう姿勢を示し続ければ、たとえ弱くても入団希望者は現れる。
そういう意味でボクは山本浩二が大好きだ。(今は嫌いだがw)
戦力不均等は仕方が無い。人気も仕方がない。
でもそこを逆手に取る、というかそこを出発点に考えれば策は見つかるんじゃないの?
ていうか始めから「全球団平等に」って考え方がまずおかしい。
地理的な問題、経済的な問題、風土(情緒)的な問題で、全ての球団は立脚点が違うんだから。
それぞれの球団が自分たちの持つ強みと弱みを活かして、独自に基盤を作っていかないと。
その基盤とは何か? それを突き詰めていけば、少なくとも今よりはずっと魅力的になるんじゃないの。
少しはJリーグを見習ったらいいのにね。
と言い忘れた。選手獲得も自由競争になるといわゆる「裏金」が問題になるでしょうね。
でも、これはこれでありなのかな、と。いっそ裏でなく表でやれ、とか思うけどね。
入団前の選手にン百万の現金を裏で渡したとかなったら反感も強いし、チームにも選手にもダメージになる。
リスクがでかければ抑止力も生まれるかな。
金で転ばなかった選手は拍手喝采だし、金で入団を決めるような選手はそういう目でファンから見られるだろうし。
親の借金の肩代わりの為に某球団に決めたという噂のある某選手については残念な話だな、と思って暗い気持ちになる。
実力が認められた選手はドラフト会議にかけられて、自分の意志とは無関係に人生が決定される。だったらドラフト名簿に載せないで希望の球団のプロテストを受ける手ってのはないのかな。ダメなんだろうけど。全員は無理でも、ドラフトで上位指名が予想されるほどの有望株選手には、希望する球団に素直に入れるのが一番だな、と。
とりあえずね、将来有望な未来のスターの卵たちが自分の行き先を大人達の思惑三寸で弄ばれてる光景が前時代的で滑稽に見えてしまったのですよ。かわいそいうにな、と。
今こそ野球界を改革するチャンスかも知れないんだよ。
まずはドラフト改革。ウェーバー制度もアリだよ。でもね、ボクは根本的に選手の意思を最大限尊重できるシステムがいいと思う。「自分が好きなチームでプレーする」って単純なことをもっと大切にしてあげたい。
陽選手の沈痛な面持ちはつらくて見ていられなかった。
逆にオリックスを愚弄した辻内の態度は許しがたい。
なんですか? 高校生ドラフトって。
しかも当たりくじ見間違えてるし。
福岡一の陽仲寿(ヨウ・チョンソ)には泣けた。
これってもっと問題にしてもいいのでは?と思ったのです。
ソフトバンクに行きたいなら行かせてやれよ、と。
台湾人である陽選手にとって王監督の元で野球する事には我々では及びもつかない思いがあるだろう。それが彼の夢ならば叶えてやりたいじゃないか。他チームにいってしまったら数年後FA権を取ったとしても、その時すでに王監督はユニフォームを脱いでるかも知れない。
今この時にしか実現できない彼の思いを何故叶えてやれないのか。
こういう思いを味わった選手は、それこそ星の数ほどいる。
星野も江川も清原も元木も福留も数え上げたらキリが無い。
だから陽も仕方が無い、って話になるんだろうけど、
だったらそんなドラフト制度なんて根本から変えろ、と。
自分が夢見た球団に行けない制度なんてオカシイでしょ。
それこそ「夢を奪ってる」でないの。
入団の瞬間に夢を奪うシステムが「ファンに夢を与える」ことができるのか?
だいたい社会人、大学生にある「逆指名」がなんで高校生にないの?
これ差別ちゃうの?
前途有望な選手達の将来が「くじ引き」で決められるのって激しく人権侵害を感じるんだが。
行きたい球団は選手個人の意思をまず尊重してやれよ、と。
となると、人気球団、お金持ち球団とそうでない球団に明確な格差が現れて戦力不均等などの問題が起こり結果的にプロ野球が衰退するとか言われるんだろうけど、ボクの考えは明確。
それはそれでアリでしょ。
そうなりゃ人気もお金もない球団は淘汰される? なったら仕方が無いよ。
でもね、そうならない為に「努力」すればいいじゃん。今まで「努力」してこなかっただけじゃん。
弱くてもお金がなくても「努力」して「チームのアイデンティティと誇り」を示し続ければファンはつくよ。
ファンがつけば人気も出るよ。
もうみんながみんな巨人に憧れた時代は終わったんだよ。
いくら下位に低迷する弱小球団でも、「そのチームに行きたい」って奇特な若者も出てくるかもしれないじゃん。
むしろ「絶対このチームに行きたい」って夢見てる野球少年の為にプロ野球はあるんだし、そういう少年達を地元のファンは熱烈に支持して行くんだろう。
戦力不均等は確かにおこるかもしれない。
でもね、いくら巨人でも毎年毎年「超高校級」選手を何人もとれないよ。
嫌みで取るかも知れないけど、現実的にチーム編成を考えたら有能な選手を飼い殺しにする可能性も出てくるわけで。
また、いくら高校時代に抜けた力を持ってても、プロに入ってから頭角を現す選手だって大勢いる。
カープの前田選手の高校時代を知ってますか? 元カープの江藤選手は?
彼らはドラフト下位で入団してプロで育成されてここまでの選手に育ったのです。
この育成こそがプロ野球の根幹でしょう。勝負は高校時代に決まるんじゃない。
プロ入りしてからが勝負なんだ。努力と才能が結びついた選手は、高校時代は無名でもプロを代表する名選手に育つ可能性を持っている。
元木みたいに才能だけで努力を怠ったヤツはああなるんですよ。
プロスポーツの世界は競争原理。強いものが勝ちお金を得る。
でも今みたいな巨人一極体制だと、巨人以外の球団はジリ貧で例外は怪物的な資金力をバックに持ったソフトバンクだけ。
この構造を変えて行く為には現在行われているシステムと野球の存在意義を含めた「精神的なもの」まで深く考える必要がある。
カープは弱くて金がない。でも球界の中で確実なアイデンティティを発揮している。「市民球団」という肩書きに象徴されるものだ。だからカープを熱烈に愛するファンもいるし、選手にもそういう連中はいる。12球団が自分たちのチームのアイデンティティを見いだし、そこを最も大切にするシステムが出来上がれば、ドラフト制度なんていらなくなると思うのだ。
郷土意識の塊みたいなヤツらが集まってチームを形成し、お互いの意地と誇りをかけてぶつかり合う事こそフランチャイズの理想型だと思う。そういう姿勢を示し続ければ、たとえ弱くても入団希望者は現れる。
そういう意味でボクは山本浩二が大好きだ。(今は嫌いだがw)
戦力不均等は仕方が無い。人気も仕方がない。
でもそこを逆手に取る、というかそこを出発点に考えれば策は見つかるんじゃないの?
ていうか始めから「全球団平等に」って考え方がまずおかしい。
地理的な問題、経済的な問題、風土(情緒)的な問題で、全ての球団は立脚点が違うんだから。
それぞれの球団が自分たちの持つ強みと弱みを活かして、独自に基盤を作っていかないと。
その基盤とは何か? それを突き詰めていけば、少なくとも今よりはずっと魅力的になるんじゃないの。
少しはJリーグを見習ったらいいのにね。
と言い忘れた。選手獲得も自由競争になるといわゆる「裏金」が問題になるでしょうね。
でも、これはこれでありなのかな、と。いっそ裏でなく表でやれ、とか思うけどね。
入団前の選手にン百万の現金を裏で渡したとかなったら反感も強いし、チームにも選手にもダメージになる。
リスクがでかければ抑止力も生まれるかな。
金で転ばなかった選手は拍手喝采だし、金で入団を決めるような選手はそういう目でファンから見られるだろうし。
親の借金の肩代わりの為に某球団に決めたという噂のある某選手については残念な話だな、と思って暗い気持ちになる。
実力が認められた選手はドラフト会議にかけられて、自分の意志とは無関係に人生が決定される。だったらドラフト名簿に載せないで希望の球団のプロテストを受ける手ってのはないのかな。ダメなんだろうけど。全員は無理でも、ドラフトで上位指名が予想されるほどの有望株選手には、希望する球団に素直に入れるのが一番だな、と。
とりあえずね、将来有望な未来のスターの卵たちが自分の行き先を大人達の思惑三寸で弄ばれてる光景が前時代的で滑稽に見えてしまったのですよ。かわいそいうにな、と。
今こそ野球界を改革するチャンスかも知れないんだよ。
まずはドラフト改革。ウェーバー制度もアリだよ。でもね、ボクは根本的に選手の意思を最大限尊重できるシステムがいいと思う。「自分が好きなチームでプレーする」って単純なことをもっと大切にしてあげたい。
陽選手の沈痛な面持ちはつらくて見ていられなかった。
逆にオリックスを愚弄した辻内の態度は許しがたい。
Potential
もう完全にサッカー日本代表ブログ化していますが、当初はこんな予定ではありませんでした。
国内外に発現する様々な話題に関して自分なりに考察して行く事がメインテーマであったのですが、結局サッカー漬けになってしまいました。これは現時点の自分のコアに触れる物事がサッカーである事の証明なのでしょう。
W杯へ向け加速する日本代表、その姿は何よりも日本の再生と希望を象徴しているのではないでしょうか。
台風14号の影響が懸念されながらも、無事開催された日本代表対ホンジュラス代表戦。
まず、遠方よりはるばる極東の島国までやってきて、力の限り最高のファイトを尽くしてくれたホンジュラス代表チームに心から敬意を表します。そのぶれないサッカースタイルと熱意ある戦いに最高の賛辞を。
ホンジュラス代表はとてもクオリティの高い洗練されたチームだった。
中南米特有の確かなパス回しを基調とし、筋肉質な強いフィジカルとスピードを組み合わせた実にまとまったチームだった。イタリアやスペインといった注目度の高いリーグで活躍する選手がいなくとも、アメリカ最優秀選手がいたし、選手個々のクオリティも平均して高かった。コンフェデレーションズカップで日本はメキシコに敗れたが、そのメキシコとも相通ずる面をもった好チームだった。
ホンジュラス代表から感じた事は、彼らは「自分たちの武器を知っている」ということだ。
恐らくホンジュラスにはブラジルのような圧倒的な個人技も幻想的なテクニックもない。アフリカンのようなバネのような身体能力もドイツ人のような鋼の筋肉もない。しかし、柔らかなボールタッチがあった。マイボールをしっかり足下に止めて、味方に的確にパスをする、という基本がしっかりできていた。
この基本を武器にホンジュラスのサッカーは成り立っていた。選手全員がその「自分たちが出来る事」をしっかり認識し、それに忠実な戦術を組み立てていた。すなわち、ボールを短いテンポでつなぎ、豊富な運動量でマークを混乱させ、一瞬の隙をスピードのあるFWが突く、というスタイルだ。
サーカスや魔法使いのようなパスやシュートが無くとも、十分に戦う事が出来る。それがホンンジュラスの魅力だろう。こういった「自分たちのスタイル」を確立しているチームと対戦できた事は日本代表にとっても非常に有意義であった。ホンジュラスと日本を比較する事で、いろいろな面が見えてくる。日本に足りないもの。優れているもの。これから強化すべき道。それらの前向きな「回答」が昨日の試合にはあった。
この時期にホンジュラス代表とのマッチメイクを実現したサッカー協会の手腕を評価したい。
日本代表を見続けて、このような結果を目の当たりにするのは初めての経験だ。
5対4。両チームあわせて9ゴール。サッカーとは思えないスコアであるが、台風の中宮城スタジアムを埋めた多くのサポーターにすれば満足のいく試合だったのではないだろうか。日本代表の得点などなかなか見る機会がないのに、1日だけで5つも見れたのだから。
皮肉ではない。嫌みでもない。純粋な気持ちだ。
この試合、様々な立場で様々な評価の仕方があるだろうが、私の印象は非常に前向きだ。
「面白い」とか「内容がいい」とか「守備がさんざん」とか、そんな評価はこの試合にはふさわしくない。
このホンジュラス戦を含め、10月の東欧遠征や各種強化試合で必要な事は、W杯本大会でどういうチームを作り上げるのか、というテストだからだ。豊富な人材の中から誰をチョイスし、誰を落とすのか、全てはその取捨選択の為にある。
この試合で日本は6人の海外組選手を起用した。いよいよ絞り込みが始まったのだ。そしてこの試合だけで日本が目指すべき道筋と、その道に必要な選手の枠組みがはっきりと見えてきたのではないだろうか。私には見えた。だからこの試合は非常に有意義であった、と思う。試合内容や結果は大事であるが、その結果から導かれる10ヶ月後の代表を考える事が、最も重要である。
代表を見て、初めて「小笠原を起用するべきだ」と思った。
私は常々小笠原満男選手に関しては否定的な見解を持っていた。クオリティの不安定さや足の速さ、メンタリティに疑問を持っていたからだ。しかし、コンフェデレーションズカップと昨日の試合で一つの結論にたどり着いた。
今の代表のキーパーソンは小笠原である。
私がそう考える理由を順序立てて説明する。
まず、日本代表に最もふさわしいフォーメーションは「4-4-2」であると考える。
従来の「3-5-2」はポジション固定型の組織構造である。各選手のポジションが固定されるため、組織は安定し守備の負担は小さくなる。しかし、組織の固定は攻撃の柔軟性を奪うと言う側面をもつ。2トップ下に中村俊輔と言うファンタジスタを固定しても、このポジションは敵の猛烈なマークにあい自由にプレーできない。守備は安定しても中村の攻撃力を活かしきれないという弱点も抱えることになるのだ。
日本代表の「武器」は言うまでも無く、技術の高い中盤の構成力である。ようするに「黄金の中盤」である。
その要は中田英寿と中村俊輔である。このことに異論を挟む人はいないだろう。さらに稲本、福西、遠藤、中田浩二、小笠原、小野伸二と有能な選手がずらりと並ぶ。
だが、「3-5-2」スタイルでは同時に3人しか起用できず、長所を生かしきれない。トルシエ監督時代、小野伸二や中村俊輔がWBで起用されたが、これは現代表で言う三都主や加地のポジションである。
必然的に、中盤力を活かす為には「3-5-2」よりも「4-4-2」の方がふさわしい、という話になる。
では「4-4-2」システムの長所と問題点とは何か?
単純に「組織が固定できない」ということになる。トップ下でアタックをしかける選手が2人になる分、敵のマークには隙間が生まれやすく、攻撃力は増すだろう。しかし、自由である為に「組織的な守備」が崩壊する危険性も同時にはらんでいる。
「3-5-2」では何も考えなくても自分のポジションの守備をすればよかったのが、「4-4-2」ではその自分のポジションが流動的に動き回る事になる。選手間の「空間」を守る「ゾーンディフェンス」が非常に難しくなるのだ。
「4-4-2」の最大の問題点は中盤が自由すぎて規律を失う事である。
規律の無い中盤では、いつどこで誰がどのタイミングで守備を行うのか、不明瞭になってしまう。結果的にずるずるとボランチが下がり、あわせて最終ラインも下がり、敵の思うがままにボールキープされてしまう。
そこで必要になるのが、中盤のリーダーシップである。中盤をまとめあげ、チームの柱になるセンターラインが求められる。そのセンターの選手には守備力や判断力は当然、ゲームの展開力も必要になる。文字通りチームの心臓なのだ。
イタリア代表のピルロを想像すると分かりやすい。もしくはイングランドのジェラード、ランパードのような選手だ。
そして、現代表でこのポジションに最もふさわしい選手は中田英寿以外にありえない。
「中田ヒデの本質はセンターミッドフィルダーである」と早くからその資質を見抜いたローマのカペッロ監督(当時)は間違いなく有能な伯楽であったと言えるだろう。
ホンジュラス戦前半、中田浩二と稲本が中盤のダブルボランチを形成し、アタッキングハーフに中田英寿と中村俊輔が並んだ。この布陣を見た事に強烈な違和感を感じた。中田英寿と中村俊輔のベストな関係性は「横」ではなく「縦」であると考えていたからだ。
中村俊輔はその奇妙奇天烈なテクニックでファンタジックな攻撃をリードする事が出来る。しかし、彼の才能はゴールに近い位置で、ゴースに向かってボールを受けないと発揮できない。その為には中村がフリーになる「タメ」が必要だ。中村よりも低い位置でボールをキープし時間を稼ぐ選手、それが中田英寿だ。
ホンジュラス戦で日本は5ゴールを決めた。2点はセットプレーだが、その他の3点は全て中田英寿の「縦への」パスから始まっている。
中田英寿は日本最高のレジスタで、最も適したポジションは前ではなく、後ろである。
事実、前半本来ならば「前」のはずの中田ヒデは幾度も低い位置まで下がりボールを受けていた。そしてパスを出す先はFWではなく中村俊輔だった。これでは2人を「横に並べた」意味が無い。結果、トリプルボランチの1トップ下のような陣形になってしまう。しかもボランチが3人になって混乱を起こし、中盤の守備はズルズルになってしまっていた。
前半40分、中盤右サイドでボールキープした中田ヒデから左サイドの中村俊輔に神業のようなスルーパスが通り大チャンスを作った。これこそがこの2人だからできる攻撃の形である。
「前にいる中村俊輔を、後ろから中田ヒデが操る」
この形が整った時にこそ、日本は最大の攻撃力を発揮する事が出来る。それは世界を相手にまったくひけを取らない、ジャパンオリジナルの真骨頂だ。コンフェデレーションズカップで世界を驚かせたサッカーの骨子はここにある。
となると、ボランチの一人は確定。あとはコンディション次第で中田浩二、福西、遠藤、稲本を組み替えればいい。
では、中村俊輔の「横」にならぶ2人目のアタッキングハーフは誰がいるだろう?
ここで小笠原である。選択肢としては小野伸二がいるが、小野は怪我が多く代表から遠ざかっており、現時点で推す事は出来ない。となるともう小笠原しかいない。東欧遠征で合流する松井大輔が非常に楽しみである。
ホンジュラス戦、前半は散々であった。
規律の無い中盤はプレスに戸惑っていた。いつ、どこで、誰がプレッシャーをかけるのか、明確な指針がなかったからだ。結果ズルズルとラインは下がり、自由にホンジュラスのボールキープを許した。
中盤のプレスは相手のパスコースを限定する効果を持っている。それにより、最終ラインの守備を安定させているのだ。おおざっぱに言えば、ボランチが「ストッパー」で最終ラインが「スイーパー」の役割をこなすのが理想型だ。
だが、中盤がルーズだと、ディフェンスは真っ正面から敵と相対する。敵には複数の選択肢があり、この状態をディフェンス個人で守れというのは酷というものだ。ま、といっても三都主の守備はいただけないが。
つまり前半の2失点は中盤の不安定さが招いた失点である、ということだ。
前半ロスタイムの失点はその象徴だと考える。
中田英寿のありえないミスからの失点であったが、問題は「何故あの位置でボールを受け取ったのが中田ヒデだったのか」という事だと思う。前にいるはずの中田ヒデがボランチにいたことが前半の不調を物語っている。すなわち、適材適所ではなかったと。
私が小笠原をキーパーソンとするのはそういうことだ。
小笠原が中村俊輔の横に入る事により、中田ヒデは後ろに下がる事が出来る。
ボールキープでチームに落ち着きをもたらすことのできる中田ヒデの存在は大きい。攻撃の起点にもなり、守備のリーダーにもなれるからだ。
それはあのコンフェデレーションズカップの陣容である。
ということで、目指すべき日本代表の形が見えてきたのではないか、と思う。
中田英寿はボランチなのだ。それも日本史上最高の、攻撃力を兼ね備えた「真ん中の司令塔」である。
中村俊輔は最高のファンタジスタである。中村の役割はFWのすぐ近くでゴールを奪う形を組み立てる事だ。
この2人がチームの柱であり骨組みだ。あとは必要な選手を肉付けすればいい。
とても単純な事だ。
日本代表は「なにはともあれ」5得点して勝利を収めた。
不安定な中盤で始まり、選手交代によって「適材適所」を再確認し、最後には「3-5-2」への移行も見せた。
先に述べたようにホンジュラスは決して弱いチームではなかった。むしろ強敵といえる。
その相手と打ち合って、「勝つべくして勝った」のだ。
この試合には不思議な感覚があった。何点リードされようと、負ける予感がしなかった。必ず得点は入る、という妙な落ち着きと自信が感じられた。そして、事実逆転を果たした。
これは日本代表のポテンシャルが相当高いと言う証明だと思う。
コンフェデレーションズカップの驚きを、確信に変えるために、このホンジュラス戦は大きな意味があった。
中田英寿は前々から語っていた。
「いつも自分が合流すると一目置かれてしまう。みんなが自分に萎縮して気を使っている。そうはなりたくないのに自分は「王様」であり、アンタッチャブルな存在になる。それではダメだ。もっと自分に向かって意見するヤツが出てこないといけない。中村俊輔や小野伸二がもっと自分を出して、自分がチームを引っ張るんだ、という意識を持たないと、いつまでたってもチームは成長できない」
と、だいたいこんな内容のことを。
試合後のインタビューで中村俊輔は堂々と答えていた。自分はチームの中心である事を自覚した表情だった。
ようやく、中田ヒデが「黒子役」に徹する環境が出来上がったきたのだ。
小笠原が決めた決勝点、このゴールは今年のベストゴールだ。何度見返しても美しい。
中田ヒデを起点としたパスがあり、玉田のスルーパスがあり、三都主の見事な突破があり、高原のディフェンダーを引きつける動きがあり、小笠原の飛び込みがあった。これらの連携が一分の隙も無く機能した。ホンジュラスディフェンスを完璧に切り裂いた。
この形がもっと洗練されれば、日本代表は確実にW杯で活躍できる。
欲を言えば、前半から「中田ダブルボランチ」を見たかったが、海外組のテストである以上仕方が無い。
だが、これによってボランチのポジション争いは一層激化することになる。
残り一つのポジションを中田浩二、福西、遠藤、稲本、阿部勇樹、今野で争う事になるのだ。
アタッキングハーフは小笠原がファーストチョイスだろうが、小野伸二や松井大輔の台頭にも期待したい。
FWは柳沢が一歩リード。高原はやはり微妙だが、東欧遠征で真価を発揮してほしい。
DFはちょっと難しい。色んな条件を加味しても4失点は猛省が必要だ。特に左サイドの三都主の守備力は全く当てに出来ない事が確定してしまった。攻撃力が魅力なだけに、本当に評価が難しい。ただ、三都主のファールは看過できない。無駄な警告をもらいすぎる。ジーコはもっと厳しく指導するべきだ。
ホンジュラス戦、私が見たのは「完成」へと着実に向かう日本代表の確かな歩みだ。
この方向は間違っていない。このまま進めば、必ずや日本代表は高みにたどりつく。
その大いなるポテンシャルの輝きを見た。
国内外に発現する様々な話題に関して自分なりに考察して行く事がメインテーマであったのですが、結局サッカー漬けになってしまいました。これは現時点の自分のコアに触れる物事がサッカーである事の証明なのでしょう。
W杯へ向け加速する日本代表、その姿は何よりも日本の再生と希望を象徴しているのではないでしょうか。
台風14号の影響が懸念されながらも、無事開催された日本代表対ホンジュラス代表戦。
まず、遠方よりはるばる極東の島国までやってきて、力の限り最高のファイトを尽くしてくれたホンジュラス代表チームに心から敬意を表します。そのぶれないサッカースタイルと熱意ある戦いに最高の賛辞を。
ホンジュラス代表はとてもクオリティの高い洗練されたチームだった。
中南米特有の確かなパス回しを基調とし、筋肉質な強いフィジカルとスピードを組み合わせた実にまとまったチームだった。イタリアやスペインといった注目度の高いリーグで活躍する選手がいなくとも、アメリカ最優秀選手がいたし、選手個々のクオリティも平均して高かった。コンフェデレーションズカップで日本はメキシコに敗れたが、そのメキシコとも相通ずる面をもった好チームだった。
ホンジュラス代表から感じた事は、彼らは「自分たちの武器を知っている」ということだ。
恐らくホンジュラスにはブラジルのような圧倒的な個人技も幻想的なテクニックもない。アフリカンのようなバネのような身体能力もドイツ人のような鋼の筋肉もない。しかし、柔らかなボールタッチがあった。マイボールをしっかり足下に止めて、味方に的確にパスをする、という基本がしっかりできていた。
この基本を武器にホンジュラスのサッカーは成り立っていた。選手全員がその「自分たちが出来る事」をしっかり認識し、それに忠実な戦術を組み立てていた。すなわち、ボールを短いテンポでつなぎ、豊富な運動量でマークを混乱させ、一瞬の隙をスピードのあるFWが突く、というスタイルだ。
サーカスや魔法使いのようなパスやシュートが無くとも、十分に戦う事が出来る。それがホンンジュラスの魅力だろう。こういった「自分たちのスタイル」を確立しているチームと対戦できた事は日本代表にとっても非常に有意義であった。ホンジュラスと日本を比較する事で、いろいろな面が見えてくる。日本に足りないもの。優れているもの。これから強化すべき道。それらの前向きな「回答」が昨日の試合にはあった。
この時期にホンジュラス代表とのマッチメイクを実現したサッカー協会の手腕を評価したい。
日本代表を見続けて、このような結果を目の当たりにするのは初めての経験だ。
5対4。両チームあわせて9ゴール。サッカーとは思えないスコアであるが、台風の中宮城スタジアムを埋めた多くのサポーターにすれば満足のいく試合だったのではないだろうか。日本代表の得点などなかなか見る機会がないのに、1日だけで5つも見れたのだから。
皮肉ではない。嫌みでもない。純粋な気持ちだ。
この試合、様々な立場で様々な評価の仕方があるだろうが、私の印象は非常に前向きだ。
「面白い」とか「内容がいい」とか「守備がさんざん」とか、そんな評価はこの試合にはふさわしくない。
このホンジュラス戦を含め、10月の東欧遠征や各種強化試合で必要な事は、W杯本大会でどういうチームを作り上げるのか、というテストだからだ。豊富な人材の中から誰をチョイスし、誰を落とすのか、全てはその取捨選択の為にある。
この試合で日本は6人の海外組選手を起用した。いよいよ絞り込みが始まったのだ。そしてこの試合だけで日本が目指すべき道筋と、その道に必要な選手の枠組みがはっきりと見えてきたのではないだろうか。私には見えた。だからこの試合は非常に有意義であった、と思う。試合内容や結果は大事であるが、その結果から導かれる10ヶ月後の代表を考える事が、最も重要である。
代表を見て、初めて「小笠原を起用するべきだ」と思った。
私は常々小笠原満男選手に関しては否定的な見解を持っていた。クオリティの不安定さや足の速さ、メンタリティに疑問を持っていたからだ。しかし、コンフェデレーションズカップと昨日の試合で一つの結論にたどり着いた。
今の代表のキーパーソンは小笠原である。
私がそう考える理由を順序立てて説明する。
まず、日本代表に最もふさわしいフォーメーションは「4-4-2」であると考える。
従来の「3-5-2」はポジション固定型の組織構造である。各選手のポジションが固定されるため、組織は安定し守備の負担は小さくなる。しかし、組織の固定は攻撃の柔軟性を奪うと言う側面をもつ。2トップ下に中村俊輔と言うファンタジスタを固定しても、このポジションは敵の猛烈なマークにあい自由にプレーできない。守備は安定しても中村の攻撃力を活かしきれないという弱点も抱えることになるのだ。
日本代表の「武器」は言うまでも無く、技術の高い中盤の構成力である。ようするに「黄金の中盤」である。
その要は中田英寿と中村俊輔である。このことに異論を挟む人はいないだろう。さらに稲本、福西、遠藤、中田浩二、小笠原、小野伸二と有能な選手がずらりと並ぶ。
だが、「3-5-2」スタイルでは同時に3人しか起用できず、長所を生かしきれない。トルシエ監督時代、小野伸二や中村俊輔がWBで起用されたが、これは現代表で言う三都主や加地のポジションである。
必然的に、中盤力を活かす為には「3-5-2」よりも「4-4-2」の方がふさわしい、という話になる。
では「4-4-2」システムの長所と問題点とは何か?
単純に「組織が固定できない」ということになる。トップ下でアタックをしかける選手が2人になる分、敵のマークには隙間が生まれやすく、攻撃力は増すだろう。しかし、自由である為に「組織的な守備」が崩壊する危険性も同時にはらんでいる。
「3-5-2」では何も考えなくても自分のポジションの守備をすればよかったのが、「4-4-2」ではその自分のポジションが流動的に動き回る事になる。選手間の「空間」を守る「ゾーンディフェンス」が非常に難しくなるのだ。
「4-4-2」の最大の問題点は中盤が自由すぎて規律を失う事である。
規律の無い中盤では、いつどこで誰がどのタイミングで守備を行うのか、不明瞭になってしまう。結果的にずるずるとボランチが下がり、あわせて最終ラインも下がり、敵の思うがままにボールキープされてしまう。
そこで必要になるのが、中盤のリーダーシップである。中盤をまとめあげ、チームの柱になるセンターラインが求められる。そのセンターの選手には守備力や判断力は当然、ゲームの展開力も必要になる。文字通りチームの心臓なのだ。
イタリア代表のピルロを想像すると分かりやすい。もしくはイングランドのジェラード、ランパードのような選手だ。
そして、現代表でこのポジションに最もふさわしい選手は中田英寿以外にありえない。
「中田ヒデの本質はセンターミッドフィルダーである」と早くからその資質を見抜いたローマのカペッロ監督(当時)は間違いなく有能な伯楽であったと言えるだろう。
ホンジュラス戦前半、中田浩二と稲本が中盤のダブルボランチを形成し、アタッキングハーフに中田英寿と中村俊輔が並んだ。この布陣を見た事に強烈な違和感を感じた。中田英寿と中村俊輔のベストな関係性は「横」ではなく「縦」であると考えていたからだ。
中村俊輔はその奇妙奇天烈なテクニックでファンタジックな攻撃をリードする事が出来る。しかし、彼の才能はゴールに近い位置で、ゴースに向かってボールを受けないと発揮できない。その為には中村がフリーになる「タメ」が必要だ。中村よりも低い位置でボールをキープし時間を稼ぐ選手、それが中田英寿だ。
ホンジュラス戦で日本は5ゴールを決めた。2点はセットプレーだが、その他の3点は全て中田英寿の「縦への」パスから始まっている。
中田英寿は日本最高のレジスタで、最も適したポジションは前ではなく、後ろである。
事実、前半本来ならば「前」のはずの中田ヒデは幾度も低い位置まで下がりボールを受けていた。そしてパスを出す先はFWではなく中村俊輔だった。これでは2人を「横に並べた」意味が無い。結果、トリプルボランチの1トップ下のような陣形になってしまう。しかもボランチが3人になって混乱を起こし、中盤の守備はズルズルになってしまっていた。
前半40分、中盤右サイドでボールキープした中田ヒデから左サイドの中村俊輔に神業のようなスルーパスが通り大チャンスを作った。これこそがこの2人だからできる攻撃の形である。
「前にいる中村俊輔を、後ろから中田ヒデが操る」
この形が整った時にこそ、日本は最大の攻撃力を発揮する事が出来る。それは世界を相手にまったくひけを取らない、ジャパンオリジナルの真骨頂だ。コンフェデレーションズカップで世界を驚かせたサッカーの骨子はここにある。
となると、ボランチの一人は確定。あとはコンディション次第で中田浩二、福西、遠藤、稲本を組み替えればいい。
では、中村俊輔の「横」にならぶ2人目のアタッキングハーフは誰がいるだろう?
ここで小笠原である。選択肢としては小野伸二がいるが、小野は怪我が多く代表から遠ざかっており、現時点で推す事は出来ない。となるともう小笠原しかいない。東欧遠征で合流する松井大輔が非常に楽しみである。
ホンジュラス戦、前半は散々であった。
規律の無い中盤はプレスに戸惑っていた。いつ、どこで、誰がプレッシャーをかけるのか、明確な指針がなかったからだ。結果ズルズルとラインは下がり、自由にホンジュラスのボールキープを許した。
中盤のプレスは相手のパスコースを限定する効果を持っている。それにより、最終ラインの守備を安定させているのだ。おおざっぱに言えば、ボランチが「ストッパー」で最終ラインが「スイーパー」の役割をこなすのが理想型だ。
だが、中盤がルーズだと、ディフェンスは真っ正面から敵と相対する。敵には複数の選択肢があり、この状態をディフェンス個人で守れというのは酷というものだ。ま、といっても三都主の守備はいただけないが。
つまり前半の2失点は中盤の不安定さが招いた失点である、ということだ。
前半ロスタイムの失点はその象徴だと考える。
中田英寿のありえないミスからの失点であったが、問題は「何故あの位置でボールを受け取ったのが中田ヒデだったのか」という事だと思う。前にいるはずの中田ヒデがボランチにいたことが前半の不調を物語っている。すなわち、適材適所ではなかったと。
私が小笠原をキーパーソンとするのはそういうことだ。
小笠原が中村俊輔の横に入る事により、中田ヒデは後ろに下がる事が出来る。
ボールキープでチームに落ち着きをもたらすことのできる中田ヒデの存在は大きい。攻撃の起点にもなり、守備のリーダーにもなれるからだ。
それはあのコンフェデレーションズカップの陣容である。
ということで、目指すべき日本代表の形が見えてきたのではないか、と思う。
中田英寿はボランチなのだ。それも日本史上最高の、攻撃力を兼ね備えた「真ん中の司令塔」である。
中村俊輔は最高のファンタジスタである。中村の役割はFWのすぐ近くでゴールを奪う形を組み立てる事だ。
この2人がチームの柱であり骨組みだ。あとは必要な選手を肉付けすればいい。
とても単純な事だ。
日本代表は「なにはともあれ」5得点して勝利を収めた。
不安定な中盤で始まり、選手交代によって「適材適所」を再確認し、最後には「3-5-2」への移行も見せた。
先に述べたようにホンジュラスは決して弱いチームではなかった。むしろ強敵といえる。
その相手と打ち合って、「勝つべくして勝った」のだ。
この試合には不思議な感覚があった。何点リードされようと、負ける予感がしなかった。必ず得点は入る、という妙な落ち着きと自信が感じられた。そして、事実逆転を果たした。
これは日本代表のポテンシャルが相当高いと言う証明だと思う。
コンフェデレーションズカップの驚きを、確信に変えるために、このホンジュラス戦は大きな意味があった。
中田英寿は前々から語っていた。
「いつも自分が合流すると一目置かれてしまう。みんなが自分に萎縮して気を使っている。そうはなりたくないのに自分は「王様」であり、アンタッチャブルな存在になる。それではダメだ。もっと自分に向かって意見するヤツが出てこないといけない。中村俊輔や小野伸二がもっと自分を出して、自分がチームを引っ張るんだ、という意識を持たないと、いつまでたってもチームは成長できない」
と、だいたいこんな内容のことを。
試合後のインタビューで中村俊輔は堂々と答えていた。自分はチームの中心である事を自覚した表情だった。
ようやく、中田ヒデが「黒子役」に徹する環境が出来上がったきたのだ。
小笠原が決めた決勝点、このゴールは今年のベストゴールだ。何度見返しても美しい。
中田ヒデを起点としたパスがあり、玉田のスルーパスがあり、三都主の見事な突破があり、高原のディフェンダーを引きつける動きがあり、小笠原の飛び込みがあった。これらの連携が一分の隙も無く機能した。ホンジュラスディフェンスを完璧に切り裂いた。
この形がもっと洗練されれば、日本代表は確実にW杯で活躍できる。
欲を言えば、前半から「中田ダブルボランチ」を見たかったが、海外組のテストである以上仕方が無い。
だが、これによってボランチのポジション争いは一層激化することになる。
残り一つのポジションを中田浩二、福西、遠藤、稲本、阿部勇樹、今野で争う事になるのだ。
アタッキングハーフは小笠原がファーストチョイスだろうが、小野伸二や松井大輔の台頭にも期待したい。
FWは柳沢が一歩リード。高原はやはり微妙だが、東欧遠征で真価を発揮してほしい。
DFはちょっと難しい。色んな条件を加味しても4失点は猛省が必要だ。特に左サイドの三都主の守備力は全く当てに出来ない事が確定してしまった。攻撃力が魅力なだけに、本当に評価が難しい。ただ、三都主のファールは看過できない。無駄な警告をもらいすぎる。ジーコはもっと厳しく指導するべきだ。
ホンジュラス戦、私が見たのは「完成」へと着実に向かう日本代表の確かな歩みだ。
この方向は間違っていない。このまま進めば、必ずや日本代表は高みにたどりつく。
その大いなるポテンシャルの輝きを見た。
Is he a reformer or a pierrot?
今日の朝のフジテレビの番組で話題の広島6区立候補者 堀江貴文と亀井静香の討論があった模様。
小生残念ながら朝帰りで爆睡中につき見過ごしました…orz
で、内容はそれなりに有意義だったらしい。
堀江 「山の中でもユニバーサルサービス提供できると思う。今まで通りやれると思う」
亀井 「そんなことない! 税金をつぎ込まないとダメなんです」
まぁ、この部分だけを見ても勝敗は明らか。
亀井氏は「古い」んですよ。固定概念の固まり。思考の柔軟性がまるでない。上記の発言だけでいかに自分が「税金を無駄遣い」してきたか、またこれからも続けるつもりか、を露呈したわけです。
堀江氏についてはみんな賛否両論でしょう。ボクも正直引いています。でも、堀江氏が「異端者」であり「異能者」であることは認めているのではないでしょうか。政治は素人でしょうし、今回の出馬の真意には個人的な利益の為(売名その他)というのが見え見えなわけで批判的な事はとても言いやすい。
でも、ボクは堀江氏の発言で一つ感心させられた事があります。
『郵便局はなくなりませんよ。なくならないように工夫すればいいじゃないですか。機能を持たせるのはコンビ ニでも小学校でもいいし。なぜ、なくなると断言できるんですか?第一この問題で一番重要なのはその点ではないでしょ。』
ボクは番組を見ておらず、掲示板で後から見ただけなのでもし上記の発言が誤っていたら申し訳ありません。
郵政民営化反対派はことあるごとに「民営化したら過疎地の郵便局がなくなって不便になる。過疎地に住む老人に対する配慮が無い」と繰り返しますが、これを堀江氏は一蹴してみせました。
郵政機能をコンビニだけでなく「小学校」に委託するというのは新しい発想だと思います。少なくとも誰も口に出していない。
実現するかどうかは別として、こういう「発想」が今求められているのではないでしょうか。
日本は借金漬けで国債発行しまくりで無駄に使える税金などないことは広く知れ渡っているでしょう。今後日本が破綻しないためには何かしらの「対策」が必要です。現状維持ばかりを主張して本質から目をそらしうやむやのまま自分の利権だけは確保すると言う旧来の政治手法では、今回の選挙は太刀打ちできないと思いますし、そういう態度を全面に出してはばからない亀井静香のような議員にはそれなりの評価が下されるべきです。
亀井 「田舎の郵便局がなくなったら困る」
堀江 「大丈夫です!広島6区のみなさん!私がなんとかします!」
要約すればこんな感じでしょうか。ちょっと違うかもしれませんが。
にしても頭が痛いのは広島6区の市民インタビューです。
「広島に縁もゆかりも無い人が突然やってきて騒ぎ立てて迷惑」
「東京から来た人が広島をどのように変えてくれるのか」
みたいな堀江氏に批判的な内容だったそうです。
気持ちは分かります。全然広島と関係ない人物がその地区の代表者になるわけですから面白くはないでしょう。
しかしそれと「広島にどういう利益誘導をもたらすか」は論点が違う。政治家の特定地域への利益誘導や優遇はアウトでしょう。そういうこれまでの自民党の姿勢が様々な利権と癒着を生んできたわけです。
そういった利権癒着体質を改革する為に今回の選挙があるんです。
国会議員は国政に携わるのだから、日本全国どこからでも立候補できます。出身地に関わる必要はないのです。堀江氏に広島や尾道への愛着はないでしょうし、わずか1ヶ月で築けるものではありません。有権者も同様です。「地元への愛着」が投票する決め手になる人は堀江氏以外に投票すればいい、それだけのことです。
夕方のフジテレビのニュースでは朝の「堀江氏 vs 亀井氏」のVTRを流したそうですが、堀江氏の「小学校発言」は編集でカットされていた模様。
これがメディアの現実です。堀江氏の有効な発言はカットして亀井擁護の番組作りに走る。
テレビもそうですが新聞も恐ろしいほど小泉首相に反対的です。ボクは地元の「中国新聞」を購読していますが、社説、日替わりコラム、論評どれを見ても「郵政民営化」には反対しているようです。よほど争点を「郵政民営化の是非」にされると困るのでしょうか。読めば読むほど「何がしたいのか」分からなくなりそうです。まるで民主党のマニュフェストを見ているようです(笑
大切な事は「いかにメディアの操作に流されずに、自分の頭で考えるか」でしょう。その為にもインターネットは有益です。
ボクは堀江氏については若干否定的な立場です。郵政民営化賛成は分かりましたが、その他の事案についての態度や方策がまだ見えていないからです。擁護論じみた事を書いていますが、どうせメディアは堀江叩きに走るだろうから、少し対抗する意味であえて擁護です。
ボクの今のところの予想では堀江氏も亀井氏も落選です。
両者が争った漁父の利を民主党が穫るでしょう。それは仕方がありませんが、自民党の狙いは「亀井潰し」でしょうから、それはそれで目的は果たした事になります。亀井氏は比例での出馬はないと断言しましたから、小選挙区で落選すれば事実上政治生命を断たれた事になるでしょう。
民主党に1議席を献上するのは喜ばしくはないですが、他の地区で取り返せばトントン。
ボクは小泉自民党の信者でもなければ積極的な支持でもありません。消去法で対抗馬を消していけば残るのは自民しか無い。しかも理にかなった発言をするのも自民だけと言う現状では事実上選択肢は限られます。
民主党が政権を取ったらまず「外国人参政権」と「人権擁護法案」に着手するでしょう。それだけでも絶対に民主党には投票できません。
与党と野党が正常に機能する全うな政府を実現する為にも、今回の選挙では、あえて自民党を支持するつもりです。
●自民党マニフェスト
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/2005_seisaku/120yakusoku/index.html
●民主党マニフェスト
http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0062.html
●公明党マニフェスト
http://www.komei.or.jp/news/daily/2005/0817_02.html
●共産党マニフェスト
http://www.jcp.or.jp/seisaku/2005/05syuuin_kaku_bunya.html
●社民党マニフェスト
http://www5.sdp.or.jp/central/topics/44syuin/seisaku/seisaku2005.html
●国民新党マニフェスト
http://www.kokumin.biz/
小生残念ながら朝帰りで爆睡中につき見過ごしました…orz
で、内容はそれなりに有意義だったらしい。
堀江 「山の中でもユニバーサルサービス提供できると思う。今まで通りやれると思う」
亀井 「そんなことない! 税金をつぎ込まないとダメなんです」
まぁ、この部分だけを見ても勝敗は明らか。
亀井氏は「古い」んですよ。固定概念の固まり。思考の柔軟性がまるでない。上記の発言だけでいかに自分が「税金を無駄遣い」してきたか、またこれからも続けるつもりか、を露呈したわけです。
堀江氏についてはみんな賛否両論でしょう。ボクも正直引いています。でも、堀江氏が「異端者」であり「異能者」であることは認めているのではないでしょうか。政治は素人でしょうし、今回の出馬の真意には個人的な利益の為(売名その他)というのが見え見えなわけで批判的な事はとても言いやすい。
でも、ボクは堀江氏の発言で一つ感心させられた事があります。
『郵便局はなくなりませんよ。なくならないように工夫すればいいじゃないですか。機能を持たせるのはコンビ ニでも小学校でもいいし。なぜ、なくなると断言できるんですか?第一この問題で一番重要なのはその点ではないでしょ。』
ボクは番組を見ておらず、掲示板で後から見ただけなのでもし上記の発言が誤っていたら申し訳ありません。
郵政民営化反対派はことあるごとに「民営化したら過疎地の郵便局がなくなって不便になる。過疎地に住む老人に対する配慮が無い」と繰り返しますが、これを堀江氏は一蹴してみせました。
郵政機能をコンビニだけでなく「小学校」に委託するというのは新しい発想だと思います。少なくとも誰も口に出していない。
実現するかどうかは別として、こういう「発想」が今求められているのではないでしょうか。
日本は借金漬けで国債発行しまくりで無駄に使える税金などないことは広く知れ渡っているでしょう。今後日本が破綻しないためには何かしらの「対策」が必要です。現状維持ばかりを主張して本質から目をそらしうやむやのまま自分の利権だけは確保すると言う旧来の政治手法では、今回の選挙は太刀打ちできないと思いますし、そういう態度を全面に出してはばからない亀井静香のような議員にはそれなりの評価が下されるべきです。
亀井 「田舎の郵便局がなくなったら困る」
堀江 「大丈夫です!広島6区のみなさん!私がなんとかします!」
要約すればこんな感じでしょうか。ちょっと違うかもしれませんが。
にしても頭が痛いのは広島6区の市民インタビューです。
「広島に縁もゆかりも無い人が突然やってきて騒ぎ立てて迷惑」
「東京から来た人が広島をどのように変えてくれるのか」
みたいな堀江氏に批判的な内容だったそうです。
気持ちは分かります。全然広島と関係ない人物がその地区の代表者になるわけですから面白くはないでしょう。
しかしそれと「広島にどういう利益誘導をもたらすか」は論点が違う。政治家の特定地域への利益誘導や優遇はアウトでしょう。そういうこれまでの自民党の姿勢が様々な利権と癒着を生んできたわけです。
そういった利権癒着体質を改革する為に今回の選挙があるんです。
国会議員は国政に携わるのだから、日本全国どこからでも立候補できます。出身地に関わる必要はないのです。堀江氏に広島や尾道への愛着はないでしょうし、わずか1ヶ月で築けるものではありません。有権者も同様です。「地元への愛着」が投票する決め手になる人は堀江氏以外に投票すればいい、それだけのことです。
夕方のフジテレビのニュースでは朝の「堀江氏 vs 亀井氏」のVTRを流したそうですが、堀江氏の「小学校発言」は編集でカットされていた模様。
これがメディアの現実です。堀江氏の有効な発言はカットして亀井擁護の番組作りに走る。
テレビもそうですが新聞も恐ろしいほど小泉首相に反対的です。ボクは地元の「中国新聞」を購読していますが、社説、日替わりコラム、論評どれを見ても「郵政民営化」には反対しているようです。よほど争点を「郵政民営化の是非」にされると困るのでしょうか。読めば読むほど「何がしたいのか」分からなくなりそうです。まるで民主党のマニュフェストを見ているようです(笑
大切な事は「いかにメディアの操作に流されずに、自分の頭で考えるか」でしょう。その為にもインターネットは有益です。
ボクは堀江氏については若干否定的な立場です。郵政民営化賛成は分かりましたが、その他の事案についての態度や方策がまだ見えていないからです。擁護論じみた事を書いていますが、どうせメディアは堀江叩きに走るだろうから、少し対抗する意味であえて擁護です。
ボクの今のところの予想では堀江氏も亀井氏も落選です。
両者が争った漁父の利を民主党が穫るでしょう。それは仕方がありませんが、自民党の狙いは「亀井潰し」でしょうから、それはそれで目的は果たした事になります。亀井氏は比例での出馬はないと断言しましたから、小選挙区で落選すれば事実上政治生命を断たれた事になるでしょう。
民主党に1議席を献上するのは喜ばしくはないですが、他の地区で取り返せばトントン。
ボクは小泉自民党の信者でもなければ積極的な支持でもありません。消去法で対抗馬を消していけば残るのは自民しか無い。しかも理にかなった発言をするのも自民だけと言う現状では事実上選択肢は限られます。
民主党が政権を取ったらまず「外国人参政権」と「人権擁護法案」に着手するでしょう。それだけでも絶対に民主党には投票できません。
与党と野党が正常に機能する全うな政府を実現する為にも、今回の選挙では、あえて自民党を支持するつもりです。
●自民党マニフェスト
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/2005_seisaku/120yakusoku/index.html
●民主党マニフェスト
http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0062.html
●公明党マニフェスト
http://www.komei.or.jp/news/daily/2005/0817_02.html
●共産党マニフェスト
http://www.jcp.or.jp/seisaku/2005/05syuuin_kaku_bunya.html
●社民党マニフェスト
http://www5.sdp.or.jp/central/topics/44syuin/seisaku/seisaku2005.html
●国民新党マニフェスト
http://www.kokumin.biz/