We Fight Together, Right? -6ページ目

Bravo!

全国のユーイチファンの方々には悪いが、私は福永祐一を信頼することが出来ない。
福永祐一騎手は悲運の天才騎手福永洋一氏の息子として、デビュー前から注目されてきたスタージョッキーである。が、どうも名前が先走りしすぎている感があって忌避していた。
ユーイチはへたくそ。私の頭にそれが決定的に刷り込まれたのは1998年の日本ダービーだ。
福永が騎乗したのはキングヘイロー。アメリカ最強牝馬と呼ばれたグッバイヘイローと、80年代欧州最強馬と呼び声の高いダンシングブレーヴの子というバブル日本を代表するような超良血馬だ。デビューから3連勝。その後勝ちはしないものの、たえず上位入選し皐月賞でも2着。ダービーでは2番人気に支持されていた。
ゲートが開き、福永鞍上のキングヘイローが飛び出した。そしてそのまま鼻を切って爆走!キングヘイローは後方待機&直線勝負でここまで結果を出してきた差し馬だ。それが逃げてしまった。
結果、これまで経験したことのない逃げに馬が混乱して暴走。14着に沈む。終わった。
以来私は福永祐一が嫌いになった。

その福永祐一ももう28歳。若手から中堅と呼ばれる年齢になっていた。
そして今日、第66回優駿牝馬(オークス)、福永の騎乗馬は圧倒的1番人気シーザリオ。

オークスは素晴らしいレースとなった。
その立役者はもちろん福永祐一だが、もう二人、武幸四郎と武豊の兄弟が加わる。
ゲートが開き、果敢にも武幸四郎のエイシンテンダーが鼻を切った。無謀な逃げにも見えたが、エイシンテンダーはゆったりとしたペースを作り、悠々と逃げる。兄豊のエアメサイアは中団の好位。出負けしたのは1番人気のシーザリオで、向こう正面で後ろから3頭目。ほぼ最後尾。ペースは明らかにスローだったから、直線の瞬発力勝負。果たしてシーザリオはこの位置から届くのか。
府中の長い直線に入ったとき、軽やかに先頭を走るエイシンテンダーと武幸四郎にはまだ余力があった。直線さらに突き放し、残り200mで一つ抜け出る。そこからじわりじわりと兄豊のエアメサイアが迫る。シーザリオはまだ後方。
と思った矢先、シーザリオがケント・デサーモ騎乗のディアデラノビアを引き連れて猛然と追い込んでくる。弟幸四郎のエイシンテンダーが力つき、兄豊のエアメサイアが振り切ってゴール!さすが豊!と思わせた瞬間、ディアデラノビアを振り切った福永のシーザリオが、大外から一気にゴールへ突っ込んだ。
着差はクビ。しかし、道中の位置取りや走ったコースを考えると、敗れたエアメサイアとシーザリオの力の差は歴然。福永は満面の笑みで、力強く握りこぶしを固め、ファンの声援に応えた。
スタートから直線までの位置取りは恐らく想定外だったと思う。しかし、スローペースと後方に置かれた不利に慌てることなく、直線一気でシーザリオのポテンシャルを最大限に発揮させた福永の好騎乗は見事の一言に尽きる。
もっと前に位置取ることが出来れば楽な展開になったかもしれないが、シーザリオが後方にいたことで、ゴール前の壮絶な追い比べを見ることが出来た。見応えのある好勝負だった。
その好勝負を演出したのは、見事な逃げを見せたエイシンテンダーと武幸四郎だ。惜しくも4着に敗れたものの、ペースを考えつくしエイシンテンダーの力を出し切り、ゴール前の混戦を作り出した。そして、逃げるエイシンを虎視眈々と狙い、ゴール前でとらえた兄豊の抜け目ない騎乗も素晴らしい。シーザリオが怪物でなかったら、オークスは豊とエアのものだった。

にしても、シーザリオは強い。直線一気でライバル達をまとめてなぎ倒した。桜花賞こそ不利を受けての2着に終わったが、まともにぶつかって勝負できる3歳牝馬はもういないだろう。無事にいけば、秋戦線もこの馬で決まりそうだ。
福永はよいパートナーに恵まれている。桜花賞ではシーザリオではなくラインクラフトを選び勝利し、NHKマイルカップで再びラインクラフトで勝利。オークスでシーザリオ。ダートではメイショウボーラーとコンビを組む。今日の時点で今年の重賞勝利数は自己ベストの9勝。うちG1レース4勝だ。いよいよ福永の時代が来たかもしれない。

来週の日本ダービーには「21世紀最大の衝撃」が出走するので福永の付け入る隙はなさそうだが、勢いに乗った天才2世がどこまで登り詰めることが出来るか、目が離せなくなってきた。
長年アンチ福永の私も、このオークス勝利には最大の賛辞と祝福を贈りたい。
ブラボー!シーザリオ!
ブラボー!ユーイチ!

The romance of blood

NHKマイルカップでの私の本名馬はペールギュントだった。
なぜか、それは彼のお母さんがツィンクルブライドだったからだ。
ツィンクルブライドは一瞬の切れ味で競馬史に名を残した。桜花賞2着馬として。
その桜花賞を制したのは武豊騎乗のオグリローマン。あのオグリキャップの妹だ。
母の無念を晴らすべく、かつてのライバル武豊を鞍上に、ペールギュントの戴冠へのストーリーは万全だと思っていたのだが、そんなに甘くはなかった。

ナリタブライアンが私の最強馬である。今後どんなに強い馬が出てこようが、それは揺るがない。
初めて見た競馬がナリタブライアンのスプリングステークスだった。1994年のことだ。それが私の競馬へのインプリンティングとなった。競馬を見る基準がナリタブライアンとなった私はスターホースに傾倒するミーハーになった。その次に惚れ込んだのがグラスワンダー。ナリタブライアンが現役だった94年からグラスワンダーが引退した2000年、私が最も散財していた時期だ。

あれから5年以上、グラスワンダーが引退して以降、競馬とは遠ざかっている。が、今年なぜか再び競馬に引き寄せられ、散財はしないものの、中継を見てしまっている。なぜだろうか?
理由は簡単だ。物語が途切れることなく続いているからだ。私が熱中していた時代にターフを駆け抜けた優駿達の子孫が、今また力強く戦っているからだ。
「競馬は血のロマン」など語り尽くされたフレーズがあるが、その言葉の意味を実感させたのがペールギュントだった。

今年のクラシック戦線には「あの馬の子供」が多い。それも、私が傾倒していた時期の子孫が。
明日開催の優駿牝馬(オークス)の出走メンバーも危険だ。つい肩入れしたくなる馬が多い。
3枠5番エアメサイアはエアデジャヴーの子で鞍上は武豊。
4枠8番アスピリンスノーはスキーパラダイスとエルコンドルパサーの子。
5枠10番ライラプスはフサイチエアデールの子。
7枠15番ヤマニンアリエルはヤマニンパラダイスの子。
父親にも視線を向けると、これまたしびれる名前が多い。
サクラローレル、フジキセキ、スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、ビッグサンデー。
出走18頭のうち、12頭がサンデーサイレンスの直系というのも衝撃的だ。アドマイヤメガミとエイシンテンダーの母父もSSだから、14頭がSSの血を引いていることになる。あきれるほどすごい。

私の愛したナリタブライアンは早逝し、わずかの子孫しか残すことが出来なかった。その子孫から親を超える子は残念ながら現れることはなかった。最も大切な物語が途絶えてしまったことが、私の興味を競馬から遠ざけた大きな理由だろう。
次の希望はグラスワンダーだ。現役時代から、エルコンドルパサーよりスペシャルウィークより、グラスワンダーの能力が上だと確信していた。事実、有馬記念ではスペシャルウィークを敗ったのだから。
繁殖成績ではかつてのライバルに水をあけられた感があるが、勝負はまだ終わっていない。エルコンドルパサーも早逝してしまったが、その血は脈々と受け継がれるだろう。
「競馬は血のロマン」である。日本ではギャンブルとしての色合いが濃く、場外馬券売り場にはちょっと危ない雰囲気が漂うが、英国では紳士が楽しむ高貴な競技である。長い年月をかけ受け継がれる血統に思いを馳せ、なにより名誉を尊ぶ壮大な物語なのだ。

そんなロマンに酔いしれながら、私は競馬を楽しむのである。
ちなみに、ロマン主義と回収率は反比例だ。私の実績によると。
競馬は好きだが、馬券は当たらない。だが、競馬の楽しみ方は人ぞれぞれ。私のようにロマンを求めるのならば、金銭的なことは御法度だ。金儲けのギャンブルがしたいのなら、パチンコでもすればいい。(まぁ、パチンコは戦後の三国人犯罪や在日朝鮮人の収入源で北朝鮮への資金ルートなど、様々な問題があるので、やってはならないのだが、そのことはまたいつか書く)
競馬は単なる金のやり取りではなく、競馬でしか味わえない壮大なロマンとドラマを楽しむ、というのが私の持論だ。ようするに、金のやり取りで一喜一憂しない大らかな気持ちを持て、ということで、さらに噛み砕いて言えば、貧乏人は手を出すな、ということになる。
結論から言えば、私には全く向いていない。貧乏人だからだ。
いつか、余裕のある紳士になって、優雅に競馬を楽しみたいものだ。そんな日がくればいいな。

ちなみに、私のオークス馬は「シーザリオ」。ロマン関係なし(笑
だって、こいつ本気で強そうだもん。強いて穴があるとすれば鞍上の福永祐一 か。
対抗はエアメサイア、ライラプス、エリモファイナルあたりで。

Release from suffering

前園真聖は間違いなく日本の希望であり、誇りだった。
アトランタオリンピック代表の中心選手として、特別な存在感と示し、結果を残した。
中田英寿をボケ役として従えて出演したインスタントラーメンのCMが懐かしい。
バイタルエリアで強引なドリブルをしかけ、ゴールを陥れる姿は鮮烈だった。
その前園真聖が、引退を発表した。

先日、前園がセルビア・モンテネグロのOFKベオグラードのトライアウトを受けたが、契約に至らず帰国したというニュースを見て、一言書こうと思い、頭を練っていた矢先、このニュースを目にした。ということで、頭はまだまとまっていない。いつも以上の感情論で突き進むことにする。

スポーツ選手の引退時や、著名人が亡くなった時など、よくワイドショーで「あの人の●●がもう一度見たかった」などとコメントされるが、そういう伝え方は嫌いだ。
前園の場合「またあの華麗なドリブルが見たかった」になろうか。適当で魂の入っていないコメントだ。なら現役時代しっかり見てろ、っていいたい。
前園は「華麗なドリブル」ができなくなったから引退を決意したのだ。彼のイメージするプレーが表現できない、プレーヤーとしての力量が明らかにプロのレベルを下回ったことを実感したからだ。

前園の凋落は今をもって考えてもよく分からない。
日本を28年ぶりのオリンピック出場に導き、オリンピックでブラジルを破った「マイアミの奇跡」の立役者は間違いなく前園だった。その時の前園の存在は今の中田英寿以上だったかもしれない。
前園はその絶頂期から突然消えてなくなった、そういう感じだ。
Jリーグバブルの寵児といってしまえば、簡単なのかもしれない。横浜フリューゲルスからヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)に移籍し、年俸は2億円とも言われた。全日本の注目を集め、有頂天になってサッカーをおろそかにした、なんてもう言い尽くされた感がある。
それにしても、あれだけ輝いた選手が一気にここまで落ち込むものだろうか、とかつて前園に心酔していた(笑)私は深く疑問に思ったし、再び日本代表に帰ってくると信じていたのだが、結局そんな日は来ないままに終わってしまった。

結局前園は技術の低い選手だったのだろう。加えて天才であったとも言える。
他の選手がいくら練習を重ねてもできないことが、前園には簡単に出来たのではないだろうか。
持ち前の天性のセンスがあり、他人を凌駕する若く俊敏な身体能力があった。
そのセンスを技術に寄って研ぎすます努力を怠ってしまったのではないか、というのが私の意見だ。
サッカーは技術のスポーツだ。ボールを蹴る、止める。ドリブルをする。その技術の正確性がなによりも重要となる。技術は反復練習によってしか向上しない。現在トップで活躍する選手は全て幼少時より猛烈な練習量をこなしている。
若い頃の前園は素晴らしい身体能力があったから、さほど技術を磨かなくても通用したが、加齢とともに身体能力が失われると、技術レベルが低く現代サッカーに適用できなくなったのではないだろうか。
三浦知良や中山雅史が30代後半でもトップで活躍しているのは、徹底した身体管理と練習量の為だ。そういう部分が前園には欠けていた、そういう結論しか出ない。
言葉にすると単純な「早熟の天才」で終わるのかもしれない。

ここ数年全く実績を積むことが出来なかった前園の引退が(Kリーグで目覚ましい活躍をしたという話は聞いたことがない)、ここまでニュースになることが彼の存在感の大きさを物語る。多くのファンが彼に期待し、失望し、やがて忘れた。アップダウンの激しいサッカー人生はファンのお笑いぐさにもなった。
当たり前の話だが、最も苦しんだのは前園本人だろう。その苦悩は想像を絶する。
前園はようやくその苦悩から解放されたのだ。

引退の報告で日本サッカー協会へ訪れた彼に川淵三郎キャプテンは「アトランタオリンピック最大の功労者」と賛辞を贈った。ビーチサッカーW杯の結果報告で同所に訪れていたラモス瑠偉は「やめるな。俺が(Jリーグの)監督なったらお前を獲得するぞ」と発言して周囲を笑わせたらしい。
ラモスは頭が良さそうには見えないが、心の温かい人なのだな、と思った。

前園の引退は日本サッカーに全く影響を与えない。それは日本サッカーのレベルが日進月歩で向上し、激しい新陳代謝が起きている証拠だからだ。立ち止まってはいられないのだ。
時代の寵児だったかつてのスーパースターは、静かにユニフォームを脱いだ。今後は指導者への道を歩み、サッカーの普及に努めるという。この先の彼の人生が恵み大きなものになることを祈りたい。


Field of Dreams

19日、広島市民球場に替わる球場建設へ向けて機運を盛り上げる「たる募金」が、スタートから半年を迎えた。事務局に寄託された累計額は、5767万9121円となり、目標1億円の半分を超えた。
事務局のまとめでは、昨年11月20日の開始以降、募金用のたるや箱を置いてあるのは1264カ所。広島県の1187カ所をはじめ、山口40カ所、島根16カ所、東京12カ所など、十都府県に及ぶ。
額を集計していない設置場所や事務局が把握していない自主的な動きも多く、実際の募金額はさらに膨らむと見られている。
地域や企業のイベントでたる募金を実施するケースも増え、売上金の一部を寄付する企業も多い。他県の広島県人会の動きもあり、カープや新球場建設問題が郷里とのきずなを確かめる機会にもなっているという。

これはギャグではない。他県や外部からどう見られているのか、分からないが、広島人はマジだ。
たる募金は今始まった話ではない。カープの歴史そのものに深く刻まれている。

1950年、広島カープは発足当時から経営難に陥る。翌年大洋との吸収合併の危機にさらされるが、合併実現寸前に、この「たる募金」による資金繰りで球団を存続させた。広島カープが「市民球団」であることを強調する際、欠かせないエピソードである。この美談、詳しく聞けば思わず涙腺が緩む。当時の広島は終戦直後、原爆による崩壊からの復興期である。崩壊した街で、地元野球チームは市民の誇りであり、支えであったのではないだろうか。たとえどんなに弱くとも、給料を払えず、よい選手がいなくても、広島カープは文字通り広島市民の生きる証であったのだ。

※参考サイト http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/tarubokin/
「たる募金」に関する情報は上記中国新聞社のホームページにて詳しく掲載されています。興味のある方もない方も、ぜひ一読ご覧ください。

新球場建設の話はもう10年以上前から立ち上がっているが具体的な進展もなく、進展しかけたかと思えば、スポンサー企業の撤退などで暗礁に乗り上げていた。昨年、「カープ存続」が実はリアルな話だと広島市民は気がついた。日本プロ野球界を震撼させた球界再編問題だ。10球団1リーグなどになれば、真っ先に淘汰されるのは人気もお金もない地方の弱小球団であることは明白だからだ。

プロ野球再編問題で、危機感を持ったのは球団側ではなく、サポーターだった。
「カープがなくなる」
広島に生を受けた瞬間からカープを見続けてきた身としては、想像ができない事態である。ただ、12球団で最も観客動員数が少なく、経営基盤の弱いカープが、大資本企業が牛耳るプロ野球機構の中で、非常に弱い立場であることは、広島市民の誰もが知っている。さらにここ数年、カープは非常に弱い。昨年のカープを支えたのは彗星のように現れた新スター、「アカゴジラ」こと嶋選手だった。嶋選手の存在がなかったら…、想像すると本気で怖い。

2005年の今、終戦直後、原爆廃虚ではない。球界再編の危機とは言え、球団を存続させる、新球場の資金を作るのが市民の寄付金というのも釈然としない感が否めない。すなわち広島の政財界の弱体化を象徴するものなのだろうと思われる。
思えば、2002年の日韓ワールドカップの際、広島は会場候補地にリストアップされていた。が、開催球場となる広島広域公園競技場(通称ビッグアーチ)に屋根をつける資金がないという理由で、開催地から落選した。広島市はお金を持っていないのだ、と市民はみんな知っている。

昨今、観客動員数の伸び悩みに象徴されるように野球と市民の乖離は広がっている。理由は実に簡単でカープが弱いからである。なぜ弱いかといえば、お金がなく、良い選手を雇えないからである。お金がないのは観客が入らないからである。カープは見事に弱小への悪循環にはまり込んでいる。
かつてのカープは、お金をかけずとも、独自の育成法で、無名から数々の名選手を輩出し、球界に独自の存在感を表していた。だが、FA制度導入後、年俸が高騰し、中心選手が他チームへ移籍し、さらに若手の伸び悩みとベテランの引退も重なり、チーム力は目に見えて減退した。
今こそ、知恵の見せ所なのだが、カープの未来は未だもやの中である。希望がないわけではない。10年にして突如開花した嶋選手をはじめ、今シーズン一番打者として定着した尾形佳紀選手や前田智徳選手などのベテランの力が絡み合い、希望の持てるチームが出来つつある。(ただ、昨日までの対ロッテ三連敗により、その勢いも断たれた感がある…。)

広島カープは市民球団ではない。正式名称は「広島東洋カープ」。「東洋」とは「東洋工業」であり、昨今成長を続ける自動車メーカー「マツダ」である。現カープの松田オーナーは、マツダ会長の弟で、カープの株式の大部分を所有する。市民球団という聞き味の良いキャッチコピーは半ば広島市民の自己満足に過ぎない。だが、たとえ自己満足であろうと、「カープは俺達のもの」という意識を誰しもが持っている。そのことが、これが50年かけて育まれた広島カープの最大の強みではないか。

現実問題、日本のプロスポーツたるものは企業の所有物だ。しかし、始まりは企業の宣伝広報部門だったスポーツチームは、地域に受け入れられ愛されることにより、アイデンティティにまで成長した。そして何物にも代え難い「誇り」となった。
広島とはどういうイメージでとらえられているだろう?
世界最初の被爆地であり、国際平和都市。原爆ドームに平和公園。呉はかつての軍港で戦艦大和。宮島の厳島神社は世界遺産、もみじまんじゅう、お好み焼き、怖いイメージのある広島弁(仁義なき戦いのせいだ)、奥田民生に矢沢永吉、サンフレッチェ広島に、そして広島カープだ。
野球を通じて「広島」という地方都市の情報が発信される。カープは広島最大の広告塔である。
「郷土意識」をむきだしにしやがって、この田舎者が!と思われる方もいるだろう。
ならば「郷土意識」のどこが悪い!と逆に言い返してやろうではないか。

日本プロ野球の行く末には暗雲が立ちこめる。ほとんど経済構造の問題だと言っていい。それは広島にとって非常に厳しい問題であるのは間違いない。
しかし、恐れることはない。広島カープはフランチャイズの真の意味を体現している市民球団なのだから。カープがなくなるとき、それはプロ野球の崩壊を意味する。

ただし、カープの実力がたらず自力崩壊の場合はその例には含まれません(笑
そっちの方が現実的で怖い。頼むから楽天には負けないで。

The difference in culture

脱線事故が起こっている最中、ボウリングなどに興じていた社員のモラルが問われている。
しかし、同様な事態が起こってもアメリカでは「個人の自由」として尊重される。勤務時間外であれば、プライバシーに属する問題となる。
これは日米両国の「文化の違い」である。
人殺しゲーム(戦争もののシミュレーションゲーム)やハリウッド映画に象徴されるように、アメリカは「最後は力づくで物事を解決させる」文化であり、人命を軽んじている。
日本はアメリカと緊密な関係にあるが、かつて総理大臣が「人の命は地球より重い」と発言した国であり、相当の文化の違いがある。
何でもかんでもアメリカ型にあわせようという風潮を危惧している。
※5/18の「多事争論」の内容を私なりに要約しました。正確な文章はTBSウェブサイトにて。
http://www.tbs.co.jp/news23/onair/taji/s050518.html

TBS「ニュース23」キャスター、筑紫哲也氏はそう語った。

何とも幼稚な反米主張ではないか、と少々唖然としてしまった。
「文化の違い」は日米間に限らず、地球上の至る所で該当するものである。当たり前の話だ。
JR西日本脱線事故の際の一部の社員の言動については様々な意見があるだろう。不謹慎だ、との声が強いようだが、それが日本の文化や国民性であり、否定する気はない。
また、それに対し、非番時の個人の自由と主張する、筑紫氏曰く「アメリカ的」な意見も否定しない。日本には言論の自由があるのだから、そういう意見があってもいい。
しかし、そんなことはどうでもよい。
まず第一に気になったのが、アメリカの文化とは「物事を力づくで解決させ、人命を軽んじている」文化なのだ、と断言したことだ。
アメリカ人が聞いたら怒るのではないか?だってアメリカは武力馬鹿と言い切ったのだから。
その根拠が戦争を舞台にした人殺しゲームやハリウッド映画ときた。
もちろん「戦争ゲーム・ハリウッド映画→人殺しに抵抗のない野蛮人国家」という単純な論を筑紫氏が述べられたとは思っていない。そういったものが受け入れられ、広く定着しマーケットとして成り立っているアメリカの土壌のようなものを「文化」として取り上げたのだと思う。その端的な例が「戦争ゲームやハリウッド映画」なのだろうが、極論過ぎないか、と素直に思った。

確かにアメリカ人は単純で派手好みでタフでガッツなマッチョと爆発が好きだからハリウッド映画が量産されるのではあるが、日本だって負けてはいない。日本のゲームだって相当過激だろう。「三国無双」なんて何百人単位で敵を斬りまくるゲームがあるのだから。
話が脱線した。本題はゲームとか映画ではない。

日米間に文化の違いがある。日米間に限らず、日中間や日韓間にもある。
日本が何でもアメリカ式に合わせる必要がない、そうすべきでない、と発言されるなら、なぜ同じことを中国や韓国に対しても言わないのか。
中国と韓国は何かにつけて「靖国神社」に対し批判する。
「A級戦犯が合祀されている靖国を参拝することは、軍国主義賛美であり、過去の戦争犯罪を反省していないことの証明だ。けしからん。謝罪と賠償を要求する」と。
靖国神社という存在は日本の文化の象徴の一つだ。中国、韓国が靖国を「大日本帝国の悪の象徴」とするのは勝手だが(ものすごく不愉快だが)、これこそ「文化の違い」である。
「文化の違い」を認め、同化を危惧する筑紫氏であれば、アメリカの問題とともに、中国や韓国の姿勢に対してもそれなりの態度で発言すべきであると思う。
中国や韓国の主張(というか言いがかり)は、「文化の違い」を超えて内政干渉である。
日本がアメリカのスミソニアン博物館やアーリントン墓地の存在を否定するようなものだ。
筑紫氏の、そういった眼前の問題については口にせず、アメリカの文化を「暴力」と断言し、批判する姿勢に対し、私は不信感と不快感を覚えるのだ。

靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建された。初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。

靖国神社は、護国のために命を落とした方を祀る尊い場であると考えている。
たとえ靖国に「戦犯」とされる犯罪者が祀られていたとしても、その考えは変わらない。
そもそも極東軍事裁判自体が裁判の体を成していないのだから、「戦犯」など存在しない。
日本は「敗戦国」だから一方的に「悪者」の烙印を押されたにすぎない。

日本人の死生観は他国の理解を得られないのだろうか?
たとえ戦争で罪を犯した人であっても、死後その魂は清められる。「罪を憎んで人を憎まず」という死生観であり、大戦で亡くなられた方は平等に靖国に祀られている。
私の祖父は旧帝国海軍の将校であったそうだ。祖父は生きて帰国したが、祖父の同僚や知人の多くが命を落とされた。
我々の祖父母世代の方々の尊い犠牲の上に、今の日本の平和と繁栄が築かれているのだ。
「日本のために命を落とされた方」を祀ることのどこが軍国主義や戦争の賛美なのか。
このような犠牲を今後出さぬためにも、靖国神社の存在は大きい。
死してなお死者に鞭を打つ文化の国には、理解されがたいことかもしれない。
だが、この日本の死生観は潔く尊いのではいないか、と私は誇りにしている。

私は過去の戦争を賛美するわけではない。
戦争中なのだから虐殺とか略奪とか強姦とか人体実験とか文化の蹂躙とか人権の軽視とか、ひどいことはいっぱいあっただろう。しかし、それは日本軍も連合国軍も同じことだ。
戦争が悪ならば、戦争を導いた国策を非難すべきだし、戦争中に発生した様々な悲劇を非難するならば、犯罪者個人か軍隊、制策にその責任があるだろう。それは日本以外にも向けられてしかるべきだ。
敗戦国が一方的に断罪され、戦勝国が英雄扱いされる構図が気に食わないのだ。

ともあれ、「文化の違い」を持ち出すならば、その矛先はアメリカだけではないはずだ。
日本には尊い文化がある。いかに他国の理解を得るか、日本の外交能力の真価が問われる。
個人的な立場で言えば、私は自分のじいちゃんを否定しない、ということだ。
かといって「俺には帝国海軍の血が流れている」なんて口にするつもりもないが。
日本人として、日本の文化を誇りに思う。単純だが、大切なことだと思うのだ。

Sky becomes dark again 2

小林泰剛の事件に続いて、大阪でも少女の監禁事件が発生。
かなり憂鬱な気分にさせられるが、この事件は小林泰剛事件とは別の問題を持つ。

出会い系サイトで知り合った大阪府茨木市の定時制高校2年の女子生徒(17)を脅して手錠をかけるなどし、自宅や乗用車内で3週間にわたって監禁したとして、奈良県警奈良署は16日、大阪府堺市三宝町、露天商手伝い鄭隆之容疑者(29)を監禁容疑で逮捕した。
※引用1「YOMIURI ONLINE」より
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050516i302.htm

15日午後7時45分ごろ、奈良市三条本町の奈良署奈良駅前交番に、大阪府茨木市に住む府立高校2年の女子生徒(17)が「助けて」と駆け込んできた。携帯電話の出会い系サイトで知り合った男に約3週間連れ回され、男の自宅や車に監禁されていたといい、同署は交番まで女子生徒を追いかけてきた同府堺市三宝町2丁、露天商手伝い川本隆之容疑者(29)から事情を聴いたうえで、16日未明に監禁の疑いで逮捕した。
※引用2「asahi.com」より
http://www.asahi.com/national/update/0516/OSK200505160014.html

上記の二つの引用はそれぞれ「読売新聞系」「朝日新聞系」のウェブサイトから抜粋したものであるが、容疑者の名前に注目してほしい。
読売では「鄭隆之容疑者(29)」、朝日では「川本隆之容疑者(29)」となっている。当然同一人物である。
もう一つ挙げてみよう。

京都府八幡市の「聖神中央教会」元主管牧師金保容疑者(61)による女性暴行事件で、京都府警捜査1課と八幡署は17日、別の信者の少女2人に対する女性暴行容疑などで金容疑者を再逮捕した。逮捕は3回目。
※引用3「Yahoo NEWS」より「共同通信」の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050517-00000100-kyodo-soci

聖神中央教会(京都府八幡市)の女児性的暴行事件で、京都府警捜査一課と八幡署は17日、元信者の少女2人に対する計7件の女性暴行や準女性暴行の疑いで、主幹牧師永田保被告(61)を再逮捕した。元女児信者への女性暴行容疑での逮捕は3回目。
※引用4「Yahoo NEWS」より「京都新聞」の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050517-00000029-kyt-l26

ここでは共同通信「金保」、京都新聞では「永田保」とある。当然同一人物である。
この2名の共通点は在日韓国人(朝鮮人)である、ということだ。
犯罪に国籍は関係ない、という反論は通用しない。韓国籍以外の外国人犯罪の場合、国籍と本名は公開されるからだ。下記は先日発生したブラジル国籍の男性2人による拳銃強奪脱事件の記事である。

岐阜県多治見市で警察官が2人組の男に拳銃を強奪された事件で、(中略)岐阜県警は、事件直後に多治見市内で発見した軽乗用車などからブラジル国籍の男2人の指紋を検出、15日夜、2人を強盗致傷容疑で指名手配した。指名手配したのは愛知県瀬戸市、職業不詳エグチ・マウロ・デ・ソウザ(22)、同県豊田市、同エグチ・ジョルジ・エドガル・デ・ソウザ(26)の両容疑者。
※引用5「asahi.com」より
http://www.asahi.com/national/update/0515/NGY200505150007.html

日本に住む在日韓国人(朝鮮人)には「通名」という仮の名前を使用する者がいる。
使いたい名字を区役所に届け出るだけでOKで変更も自由。何度でも変更可能。複数の名前で口座を開設でき、今回のような犯罪報道の場合には日本人のふりをすることができる。
「川本隆之容疑者」とか「永田保被告」と報道されたら、違和感なく日本人として受け止めてしまうだろう。日本国内で起こった外国人による犯罪が、「日本人の犯罪」として世界に発信される可能性もある。前述の「金保」の少女暴行事件は日本人の犯行と伝えられたそうだ。冗談ではない、と憤慨する。
韓国籍でありながら、なぜ日本のニュースで「川本」やら「永田」やら日本人名字で報道されるのか?あたかも日本人の犯罪のように扱われるのはなぜか?
在日韓国人が有する「通名」という制度そのものに疑問符が付くが、通名報道で犯罪者の国籍を隠蔽しようとするメディアの姿勢には、強烈な不快感を持つ。
これは逆差別ではないだろうか?なぜ韓国系の犯罪は「通名」を利用して隠され、他国人の犯罪は堂々と報道されるのか?
このような「特権」は否定されてしかるべきだし、メディアも公平に取り扱うべきだと思うが、それを口にすると「差別だ」と言われるのでしょうね。

外国人犯罪は常に国際問題である。同様の事件でも日本人が犯した事件と、外国人が犯したものでは扱いが異なって当然である。日本が独立国家であるからだ。
日本には「独立国」としての意識が薄い。四方を海に囲まれ、他国の侵略を受けることなく、2000年以上独立を保ち続けている世界でも例のない国だからだ。国境を意識できない地形学的な理由もそれに加わる。
そのため、逆に「国家」という意識が薄くなってしまう。「愛国心」などという言葉を口にしただけで「右翼」というレッテルを貼られそうだ。君が代や日の丸を認めない、という意味の分からない勢力もある。
グローバルスタンダードという理解の難しい言葉が頻繁に使われる。「地球基準」とでも訳すのだろうか?しかし、地球上には様々な国家、民族、文化、言語があり、決して一枚岩ではない。グローバルスタンダードは国境を意識することから始まると思う。
国境線を排し世界の人々が同じ地平に立つと言う幻想ではなく、お互いの独立を認め合い、尊重した上で築き上げる共通理解こそが、グローバルスタンダードだろう。
日本人と韓国人をはじめとする他国人は違うのだ。同じ日本に住んでいたとしても、異邦人なのだ。
国籍の違いを認め合うことから、真の国際社会が始まると思う。
今回のような特定の国の国籍を隠すような犯罪報道は、そういう流れに対する逆行であり、逆に敵愾心や差別を招く要因になってしまうのではないだろうか。

日本で韓国(朝鮮)のことを扱う際、メディアは非常にナイーブだ。特に犯罪報道において。
日本と韓国(朝鮮)の間の溝は深い。
主に歴史認識について大きな話題になるが、まずは知識を身につけることが必要だ。
学校で使用されている教科書が嘘だとは言わない。ただ、情報量が不足している。
インターネット上に様々なサイトがあり、学校教育だけでは得られない知識が溢れている。
個人で情報を収集し、分析し、自分なりの理論を作り上げること。それが惑わされないための唯一の方法論だと思う。
指を切ったり自分に火をつけたり機動隊に突っ込んだりしても何も変わらない。
情報は溢れているようで、巧妙に捏造されたり隠蔽されたり論点がすり替えられたりする。
だからこそ、自分なりの「視点」が必要だ。

メディアの荒廃は言わずもがなだ。空がまた暗くなるのを感じて憂鬱だ。

Sky becomes dark again

白昼堂々テレビから「ご主人様」と聞こえてきた時には驚いた。
正直この事件には突っ込みどころが満載だ。だから論点をはっきりさせながら分析しないと支離滅裂になりそうだ。

あらかじめ断っておくが、私は容疑者である小林泰剛を擁護する気など全くない。むしろ激しく糾弾する。今回明るみに出た複数の事件に付いては、女性の意思や尊厳を奪う暴力事件であり、弁護の余地は一切ない。

●個人の自由への介入
女性を支配し、服従させたいという欲求は、程度の差こそあれ男性なら持っていても不思議ではない。アダルト系のビデオやゲームでは、そのようなシチュエーションの品は豊富だ。
あくまで私見だが、個人の趣味の範囲内で、誰にも迷惑をかけない(法的に公共の福祉に反しない)状況ならば、それは個人の自由と認めるべきである、と思う。
ご主人様と呼ばせたい人間と服従したい人間、趣味の合う者同士が楽しむ分には、口出しはしないでいい。このシチュエーションに限らず、アニメや漫画のコスプレや同人活動を行う人も同じだ。周りから気味悪がられようと、それは当人達の自己責任。他人が干渉する問題ではない。
要するに、暴力で人を服従させ、傷つけ、尊厳を奪うことが悪なのである。相手の自由意志を奪う監禁などもってのほか。

●表現の自由と規制
こういう事件が発生すると、決まりきってアダルトソフトの表現の規制、という話が出てくる。
これは至極当然な流れなのだが、果たしてどこまで「規制」できるのか、よく分からない。SEX産業は人間の本能に立脚しているのだから、永遠になくなりはしない。しかも、ビデオもゲームもすでに巨大産業として成立している。
下手に規制しようものなら、規制対象になりうる品は裏市場へ流れるのではないか、と危惧する。
アンダーグラウンドを取り仕切るのは暴力団だ。アダルトを規制した結果、市場が裏へと移動し、暴力団などに金が流れるようになると、新たな問題や犯罪の温床になるのではないだろうか。
禁酒法時代のアル・カポネのように。
私自身、アダルトゲームなどの内容を知らないのでどこまで規制するとかガイドラインは分からないのだが、闇雲に取り締まれば、その分裏社会が活気づくということも頭に止めておきたい。

●小林泰剛を止められなかった理由
この事件を初めて耳にしたとき、強い違和感を持った。
小林泰剛は24歳無職でありながら、悠々自適の生活を行っていた。
月に40万円の仕送りを受けて一人暮らし。スポーツカーに乗り、襟を立てるコートを着用し、近所の人いわく「ナポレオン」のような出立ちだったという。
その金はどこからでていたのか?
彼は資産家の息子で、幼い頃から通学もベンツでの送り迎えだった。あだ名は「王子」。
小林泰剛は父親を嫌い、溺愛した母親の旧姓を名乗っているが、元は「木村」姓である。
木村一族は青森の名士で、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。小林泰剛は木村太郎議員のいとこにあたる。

 ※木村一族(本人は前犯罪後に養子縁組で名字を変えているが元は木村)
 両親:保育園2 つ、経理学校1つ経営
 祖父:警察署の署長
 文男(守男の父 元衆議院議員)
 守男(前青森県知事 元衆議院議員)
 太郎(衆議院議員 当選3回 森派 農水政務官)
 他政策秘書に守男の実弟 元青森県議の松森 守男の元秘書など

要するに相当の資産家の一族であり、政財界、警察への人脈も深い。
小林泰剛が起こした事件は1件ではない。北海道に住んでいた2001年8~10月、2人の女性に対する傷害事件などを起こし起訴。札幌地検は「同種再犯に及ぶことは必至」として懲役4年を求刑。札幌地裁は03年8月、「根深い粗暴な性癖、常習性がうかがえる」と指摘しながらも示談が成立していることを考慮し、懲役3年、保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡した。示談金は1,200万円とのことらしい。

問題なのは、この事件の背後に政治的圧力や贈賄があったのではないか、ということだ。
前述の通り、小林の家系には力がある。木村一族の恥を隠すために、その力や人脈や金が動いたのではないだろうか。事件を表沙汰にせぬようにもみ消す動きが、警察や司法になかっただろうか。
資産家であろうが、政治家であろうが、地元の名士だろうが、罪は罪である。
金や権力を持つ者が、持たざる者を好き勝手に扱うという構図が嫌いだ。
小林泰剛という個人にも強い嫌悪感を持つが、このような人間を野放しにし、過保護に扱い、犯罪をもねじ伏せようとする力を許すことが出来ない。

きれいごとかもしれないが、もっと世の中がフェアであってほしい。

 おとなだろ 勇気を出せよ
 おとなだろ 知ってることが
 誰にも言えないことばかりじゃ
 空がまた暗くなる

Slapstick in skymark

演奏者がへたくそな音楽は聞くに堪えない。
同様に、競技者の技量が劣るスポーツの試合は見るに耐えないものとなる。
アマチュアや趣味なら個人の自由で済まされるが、その競技で生活するプロならば、それはいかなる判断を受けるであろう。
昨日、スカイマーク球場でオリックス対広島の試合を観戦された方、お疲れさまでした。

広島     6 1 1 2 5 0 0 0 1 ∥ 16
オリックス  2 0 4 0 8 0 0 0 0 ∥ 14

オリックスには申し訳ないが、この試合は広島カープの勝ちゲームである。1回表に6点入れば、もう試合は終わったも同然。いささかあっけないが、初回の猛攻というのは趣がある。先発投手の立ち上がりを攻める、という王道にそった戦術がずばりはまったという意味合いがあるからだ。
その裏2点取り返せば、それもまた趣がある。試合は9回裏まであるのだから、焦らずに少しずつでも加点していけば、いずれ追いつける可能性がある。失点直後に得点すれば、試合の流れはまだ分からない。
試合はその後、1点、1点、4点、2点、5点、8点、1点と冗談のような流れをスコアボードに刻んでいく。両チーム合わせて42安打。これは1950年の2リーグ制創立以来史上2位の安打数らしい。(1位は両軍合わせて45安打。)
この野球史上に残る大凡戦の主役は広島先発の大竹寛である。

野球の醍醐味は投手対打者の駆け引きだ。縦横に広がるストライクゾーンと幾多の球種。それをいかに使い分け、攻めるか、その積み重ねが勝負だ。1球1球に込められた意味を見て、ファンは興奮する。
そこにはまず「ストライクを取る」という前提がある。つまり狙ったところにボールを投げる制球力。ストレートも変化球も、「ストライク」という前提があって初めて機能する。いつでもストライクを取れる制球力があるから、ボールを投げる駆け引きが可能となる。
そして、その「ストライク」が試合のリズムを作る。よく試合のリズムは投手が作る。といわれるが、ストライクの続く試合は軽快でテンポがよい。ストライクは打者を追いつめ、試合を前に進める。リズムの良い試合は、攻守の切り替えも速く試合時間も短くて済む。無駄な球が少なく、一定のテンポでストライクが入り、打者が打ち、または打ち取られ、アウトカウントが取れるからだ。
見ている側は、そのリズムを信頼し、身をまかせることで、試合に興奮することが出来る。
ピンチを迎えた場面、キャッチャーやコーチ、選手がマウンドに集まり、「あえて」時間を取ることがあるが、それも普段は一定のテンポで投げているからこそ、「間をあける」意味合いが生まれる。

大竹は無様だった。まずストライクが入らない。ただボールが続く。カウントが悪くなる。ストライクを狙った甘い球を痛打される。得点が入る。悪夢のような循環だ。ボールが多いから、足踏みをするようなもどかしいテンポで、投げても投げてもアウトが取れない最悪のリズム。見ている側が退屈を感じるほどだ。
大竹寛は今の広島の先発ローションの一角を担う投手であるが、制球難がひどい。これまで7試合に登板し、2勝3敗だが、内容があまりにもおそまつだ。
33回打者173人に対し、被安打52自責点37。防御率は9.89(!)である。これでは先発投手として信頼には値しないだろう。
今まで首脳陣は我慢を重ねて使い続けてきたが、この試合はとどめに近い。期待やポテンシャルが大きい投手だけに、この成績にはがっかりさせられる。

退屈極まる大凡戦は6回以降1点差の緊張したゲームなった。9回表ラロッカのホームランで2点差になった。もう笑うしかない。
野球の楽しみ方は個人個人違う。いろいろな視点で見るからこそスポーツに限らず何事も面白い。
この試合、両チームの猛打を見て楽しめた人もいるだろう。
しかし、こんな試合を続けていれば間違いなくファンは減る。
グダグダのリズムのドタバタ劇、こんな試合は1年に1度でいい。

It is shameful

一日にスポーツネタを2件書かないと決めていた。
書くなら別ジャンルのものを書くつもりだった。だが、なんとも情けない気持ちを押さえきれず、鬱憤ばらしに書いてしまおう。
まず最初に断っておくが、私は強烈なアンチジャイアンツである。
以下に続くのは今日の西武対巨人の試合についての考察である。

9回裏2アウトランナーなしから清水隆行がライトスタンドにホームランを放ち、西武先発の西口文也のノーヒットノーランを阻んだ。
大記録を目前で逃した西口の最高のピッチングと、最後の最後で巨人の意地を見せた清水のナイスバッティングがスポーツニュースを賑わせそうだが、そんなものは茶番だ。

7回表、1アウトランナーなし。打席には3番ローズ。
カウント1ストライク3ボール。西口の投げた球は内角低めへのスライダー。
これをローズはキャッチャーが捕球する前に勝手にボールと決めつけ、一塁へ動こうとした。
審判がゆっくりストライクをコールし、ローズは不満そうに打席に戻った。
結局フルカウントからの地面すれすれのフォークボールを思いっきり空振りしてローズは三振する。
こいつ馬鹿か?私はローズに対し、猛烈な不快感を持った。
今日の西口は完璧で、ジャイアンツはノーヒットに押さえられていた。点差は6-0。
完全なジャイアンツの負け試合である。勝負に対する熱意を失い、この試合を捨てていたのは理解できる。しかし、プロたるもの試合終了までは真剣なプレーを見せなければならない。それが、お金を払って球場へ見にきてくれているファンへの最低限の礼儀だ。
ローズは最低だ。
あの場面、1-3から西口はストライクを取りにきた。1-3のカウントは打者に有利だ。ストライクの可能性が高いから、バッティングチャンスと言える。同時に四球の可能性も高く、労せずして出塁することができる。
ローズは多くの期待を寄せられる巨人の主砲の一人だ。みなローズの豪快な打撃を待っている。
そのローズがバットを振ることなく、審判のコールも待たず、一塁へ歩こうとしたのだ。
西口のスライダーに手が出せなかったのではなく、初めから打つ気を見せず、四球を得ようとした。
まずその消極的な思考が気に入らない。バッティングカウントでありながら、みすみすストライクを見逃すとは何事であろうか。この1-3のカウントなら、有利なのは西口ではなくローズだ。
打てなくても、「打ちにいく姿勢」が相手ピッチャーにプレッシャーを与えるのだ。初めから打つ気をなくしていたローズのボールの見逃し方は何の恐怖も西口に与えなかった。
そして2-3のフルカウントから、地面すれすれのクソボールを、無理矢理のアッパースイングで空振りして三振に終わるのだ。打つことを無視した投げやりなスイングだった。
2-3になったとき、態勢は西口に傾いた。1-3からのスライダーをローズが見逃した時に勝負はついていたのだ。
ジャイアンツの選手は何を考えてプレーしているのだろう?
6-0で負けている場面、まず出塁してランナーをためることを考えなくてはならない。そのためには、相手の球種や配球を読み、自分の打てる球を呼び込んでヒットを打たなければならない。最悪四球だ。小久保、江藤と強力な打者が続くのだから、ランナーさえ出れば得点のチャンスは広がるのだ。難しい球はファールにして、甘い球を待たなければならない。それが勝負だ。
たとえこの試合を捨てたとしても、大勢のファンのために、プレーで魅せる義務があるはずだ。
しかし、ローズはあまりにも気の抜いたプレーを見せた。三振した空振りは当たればホームラン、という豪快なスイングだったが、おそらくボールを見ずに振っている。しっかりボールが見えていれば振らずに四球を選ぶ、そんなクソボールだった。
1アウトランナーなしからでもホームランを狙うスイング。これが今の巨人の野球だ。
ランナーを出し、塁を埋めて、クリーンナップで大量点、という考え方ではないらしい。
球界の盟主たる巨人のあまりにも情けない姿に愕然とした。
今まではジャイアンツが負ければ負けるほど喜んだものだが、今日は怒りを通り越して悲しい。
これは日本野球界への冒涜だ。なにより真の巨人ファンへの侮辱で恥ずべきことだと思う。
先日「巨人が倒れるとき」という内容で書いたことが、現実のものとなる日は近い。

メディアはこの試合をどう報道するだろう?
西口の記録にはならなかった力投を称えるだろう。一矢報いた清水のバッティングを大きく取り上げるだろう。しかし、繰り返して言うが、そんなものは茶番だ。どうでもいい。
あまりにも恥ずかしい巨人の醜態。
野球を愛する者の一人として、許すことが出来ない。

The greatest surprise of this year

高校野球ではエースナンバーは、ピッチャーの守備位置を示す「1」。
プロ野球では「18」ないし「20」がエース格として扱われる。
すなわち「20」前後の数字はエース級としての意味を持つのだろう。

広島カープの長谷川昌幸は、かつて背番号「19」を背負っていた。
長谷川は1995年ドラフト1位でカープに入団。150キロの速球を武器とする大型右腕で、大きな期待とともに迎えられた。その証が背番号「19」だ。
その長谷川は10年目の今年「42」を背負ってマウンドへ上がる。これは明らかな降格だ。
エースとして期待された男の立場を、背中が物語っている。

長谷川は2002年、13勝(10敗)をあげ、カープの主力投手としてローテーションに定着する。
しかし、翌2003年、一転して勝ち星に愛想をつかされ、2勝(10敗)止まり。
このころ、長谷川のニックネームは「バッティングピッチャー」。打者に勇気を与える男。
理由は被本塁打数を見れば一目瞭然。13勝した2002年と2勝に終わった2003年、打たれたホームランの数は、同じ23本。2003年の登板試合数は20だから、1試合に1本は確実に打たれていることになる。そして、地味な数字だが与えた四球の数も見逃せない。2002年が42で、2003年が41。
ストライクが入らず、四球でランナーを出す。ストライクが入らず、カウントを取りにいった球を痛打。悪い投球内容の見本のような成績だ。
翌2004年シーズンはわずか4試合の登板にとどまった。

その長谷川がヤフードームで躍動した。
日本一の打力を誇るソフトバンク相手に10回1失点。
長谷川の持ち味は速球だ。140キロ後半のストレートを軸に、フォークとカーブを交える。
そして最大の武器が荒れ球(笑)
彼にはコースをつく制球力はない。キャッチャーが構えた位置にボールが素直に収まることなどない。一度指を離れたらどこへ行くかは神様に聞いてくれ、そういうピッチャーだ。
だから、四球が多く、意識してカウントを取りにいったストライクを痛打される。
しかし、こういう投手がストライクを取れると、恐ろしいピッチングを披露することがある。
もともと荒れ球だから、受けるキャッチャーもどこにくるか分からない。ましてや打者をや。
恐らくソフトバンクの打者は混乱したのではないだろうか?
ただでさえ相手のデータが乏しい交流戦、そこにノーコンの長谷川だ。
配球にはおおよそのセオリーが存在するが、そのセオリー通りに狙いを定めても、もととも狙ったところにボールが行かない長谷川なのだから、的が絞れない。しかも、かなりの速球だ。球は軽いが。
賢いソフトバンク打線はセオリー通りに長谷川を攻略しようと試みたのだろうが、彼のセオリー無視の荒れ球を結局捕まえ損ねたのではないだろうか。
しかも、珍しく長谷川の球はキレていたのだろう。ストレートがキレている時の速球派ピッチャーは手がつけられない好投することがある。この日がまさにそうだったのだろう。
ラジオ中継の解説者が「珍しく調子がいい」と驚いていた(笑)
快刀乱麻。日本最強ソフトバンク打線をバッサバッサとなぎ倒していく長谷川。
これは今年1年で最高の驚きだ。奇跡といっていい。
惜しむらくは、結局この試合、1-1の引き分けに終わってしまったことだ。最高のピッチングをした長谷川に勝ちも負けも付いていない。
だが、広島カープファンは分かっている。長谷川の気合は確実にファンに伝わった。
だがしかし、広島ファンは長谷川に過去何度も何度も何度も何度も痛い目に合わされたことも痛烈に覚えている。
まだだ。長谷川が真にファンに認められるにはこれから先、同じような投球を続けなければならない。1試合の好投程度では「バッティングピッチャー」の汚名は晴れない。今シーズン、来シーズン以降も、先発ローテーションとして安定した結果を残さなければならない。そうすることによって、一度失ったエースの称号と背番号を取り戻すことが出来るのだ。
この好投は再起への第一歩だ。期待はできないが、生暖かく見守りたい。

長谷川はスリリングなピッチャーだ。ストレートは確かに速いが、球が高めに浮く。球質は軽い。つまり、ホームランボールだ。加えて前述の通りコントロールが悪い。そのくせ真っ向勝負。
うまくリズムがはまれば、昨日のような好投もするし、リズムが悪い時は、無駄な四球を与え、ストライクを取りにいった球をスタンドへ運ばれてノックアウト。
5点のリードがあっても全く安心させない。
加えて言えば、彼は広島カープの選手としては異例で、整った顔立ちをしている。細面で目鼻立ちが整った、イケメンである。頭を茶髪にして、モミ上げを伸ばしたスタイルはカープ選手の中でもひときわ浮いていた。今風のビジュアルの選手(笑)なのである。
そのビジュアルについて、実績がないのに姿だけは飾る姿勢を首脳陣に叱責された過去もある。
要するにピッチング同様、頭も軽いのであるが、こういう選手だから馬鹿にされながらも固定ファンがなぜかついている。

広島カープの弱点は投手力であり、特に先発ピッチャーが足りない。
5月12日現在、広島カープは15勝16敗2分で5位。5位だが借金は1。連敗をなるべくさけ、勝ちを重ねれば、十分Aクラス入りが狙える位置につけている。
長谷川の出来が今年のカープの順位に直結するといって過言ではないのだ。
といっても、たった1回の好投しただけでは簡単に信頼することはできないのだが。
もし、神様の悪戯か、悪魔の気まぐれか、この先も長谷川が好投を続けるようだと、広島に大きな希望が生まれるかもしれない、気がする。
広島カープが誇る軟椀ピッチャー、長谷川昌幸「42」をどうぞよろしく。