What's the justice? | We Fight Together, Right?

What's the justice?

夕方テレビをつけると、またもやJR西日本関連のニュース。
いい加減うんざりしながら適当に見ていると、今までとは報道の角度がちがう。
今、JR西日本に属する方への嫌がらせ事件が多発しているという。
駅員や車掌、乗務員などJR西日本に所属する従業員が、様々な脅迫、暴力にさらされ、多くの被害が出ているという内容で、さらに線路内に大きな石(岩)や自転車を放置する事件まで連発している、とのことだ。
(自転車投げ入れは広島で起こっている。非常に情けない話だ)
記者会見でJR西日本の方が、「このような嫌がらせ行為は安全な運営の障害となるのでやめていただきたい」との旨を発表し、ニュース報道は「一部の心ない人々の過剰な行為は安全を損ない現状をさらに悪化させる」と憂慮してみせた。
ボクは言葉にできぬ怒りを感じ、そんなテレビをそれ以上直視できずスイッチをオフにした。

これは予想できた出来事だ。小学生でも簡単に。
この上なくショッキングで前代未聞の列車事故。
となれば、線路に置き石をしたり、自転車を投げ込んだり、脱線を誘発しかねない悪戯をする輩が出てくることは当たり前。
それは許されざる事態ではあるが、いつの世もどこにも馬鹿者はいる。
鉄道や警察関係者はそれこそ神経を張りつめていることだろう。
ただ、怒りの原因はそんなことではない。
JR西日本への過剰な抗議行動、すなわち脅迫や暴力は、メディアが誘発したものだ。
事件発生から2週間、連日連夜暴力的な糾弾がメディアから垂れ流され続けている。
鬼の首を取ったように一方的な「正義」を振りかざし、JR西日本が我々の命を奪い脅かした「戦犯」として裁かれている。あたかも魔女狩りのように。
確かにしかと報道し、糾弾されるべきことはある。
企業の古すぎる体質、安全管理に対する意識の低さ、懇親会で4次会まで行ったという職員の認識の甘さ、等。
しかしあの記者会見はなんなのだろう。「もうあんたええわ、社長出して。」とか関西ヤクザ丸出しで罵ってる記者を見たときには、非常に気分が悪くなった。
そういった常軌を逸したJR西日本に対する偏向報道を続けていたら、次にどういった事態を招くのか?
その結果が今、脅迫といった暴力で現れてきている。
ニュースでは「事件に関わりのない一般職員に対するいやがらせはよくない」という内容を街頭インタビューの「市民の声」として報道していた。
火に油を注ぎ、大型扇風機で煽るような真似をした後で、いかにも社会の善意面をして事態を憂慮する。
この姿勢はなんだろう?

脱線事故の非は間違いなくJR西日本にあり、その原因究明、責任追及はされてしかるべきだ。
当然、被害者への補償も誠意をもって負わなければならない。
今後、同様の事故を防ぐために、見直しが必要なところは多々あるだろう。
メディアは冷静に公平にそれを分析し報道しなければならない。
感情的に「皆さんの命を預かっている交通機関はこんなに悪辣非道だ」と騒ぎ立てる意味が分からない。
結果、二次災害的な暴力事件が発生している(しかも人為的に)のは目も当てられない。

要するに、JR西日本にもメディアにも、そして我々にも危機意識がなかったのだろう。
いざ事故が起こった際も、どう対応し、どう報道するのか、事前準備や意識がないから、
「我々は公共交通機関が人命を損なうほどの大事故が起きるなんて想像もしていなかった。それなのにこんな大惨事が起きて非常にショックを受けた。どうしてくれるんだ」
という感情論でしかない報道が繰り返され、冷静な分析はないがしろにされた。
感じたのは「子供じみた狂騒」だ。
この国のメディアが腐っているというのは昔から言われていることだが、
改めてその腐臭を嗅ぎ取り、憂鬱は深まるばかりだ。

もともと「正義」を振りかざす人や言論やメディアが嫌いだった。
堂々と「きれいごと」を口にする人はそれだけで十分いかがわしくうさん臭いと感じる。
「平和団体」や「人権団体」とかそういう組織も例外ではない。
自分の中に、物事を価値判断する「モノサシ」を作らなければならない。
様々な情報を吸収し、対比させ、あらゆる角度から見つめる視点と、
被害者だけでなく、加害者、第三者の目線にたつ想像力。
メデイアの情報を鵜呑みにせず、流されないこと。だまされないこと。
情報があることは成熟した社会の象徴だ。
未成熟な国、例えば中国や韓国や北朝鮮には情報がない。政府から与えられる一方的なプロパガンダのみで、自由に情報を受信し発信することも許されない。
日本には雑多な情報が溢れかえっている。
IT(情報技術)社会と呼ばれる現代を生き抜くために、必要なものがある。