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akyoonの異端の医学と不思議な情報

医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

■日本人が毒と手を切れない理由(抜粋)
 (1)毒の飲み過ぎで効果が薄れ、「もっと飲まないと」と考えてしまう
 (2)毒によって新しい病気が生まれてしまう
 (3)健康保険で安く毒が手に入る
 (4)毒をたくさん出す医師を「いい医者」と思い込んでいる
 (5)医師に「毒をやめたい」と言い出せない

あ、まちがった!


上記の飲用だが

毒→薬
に置き換えて欲しい。

「とりあえず、毒を出しておきましょう」
とか
「新しい毒が出たんで試してみますか?」

なんてね♪

本当のこと異茶ったらダメ嫁

毒=(イコール)薬 

上の方程式が間違っていたらこの小咄はウソ話になるのだが・・・・はたして・・・


岡本裕(著)「薬を飲む人ほど早死にする30の理由」(日本文芸社、1400円+税)

昭和初期に予言していた「現代医学が超えられないバカの壁」

ひさしぶりの岡田茂吉論文より医学関係の論文を。

現代医学が進歩しているというが、まったくそれを信じ切っているのが現代人。
しかし、すでに昭和の初期にそれに反証していた人がいた。

岡田茂吉という。そして、後には医学界でも実験によって同じように証言していた人たちが居た。
千島、松下(←森下の間違い、いちどインプットしたら容易に替えられない人間のサガ←オマエだけだろ!)博士たちである。


しかし、現代医学の強い呪縛はそれらを打ち消し、封印してきた。

いま、再び時がめぐり、その封印が解け始め出した。
それが現代医学が進歩の果てにたどり着く「自壊」の過程で気づくことなのである。

なんちゃって。
ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

医学は非科学的なり
   

    昭和11(1936)年5月29日執筆
   
     西洋医学は科学的だというが、それは間違っている。なる程機械的ではあるが、科学的ではない事である。何となれば、その診断に当って、その病気の測定方針に確乎たるものがないのである。

 その証拠として、五人の医師に診察を受けるとして、五人共診断が区々(まちまち)であるという事の事実を誰もが知るであろう。もし適確なる科学的診断法 があれば、それは何人の医師が見ても、同一の診断でなくてはならないのである。
この一事だけにみても、私のこの説の当否は充分であると思うが、今一歩進ん でその真相を暴露してみよう。


 西洋医学が進歩したというが、実際からいえば、医学としてはいささかも進歩しないどころか、反って退歩否邪道に低迷しているという方が当っているかもし れないのである。


何となれば医学とは、病気を医する学問であるに拘わらず、医する事が出来ない。医するがごとく世人を欺瞞しているのが事実である。

なる 程、医療器械は頗(すこぶ)る巧妙になっている事と療法の複雑多岐に渉った事と、薬剤の種類の増加は僅かにあるが、それらは医学の進歩ではなくて、療法の 巧緻化でしかない。一面から言えば不必要なまでの複雑化である。


 又、その外表に世人は幻惑されて、大いに進歩したかの様に錯覚しているだけなのである。実際を視よ、病理も病原も衛生も、その根本に向っての何ら発見は なく、十年一日のごとしである。

病菌の種類の発見は確かにある。そうして、それの予防による減少の功績も認めるが、一人の伝染病を予防し得て、十人の他の 疾患の増加の事実に盲目である。そうして、風邪の原因も熱の本体も不明である。


人間の病気とは何が故に発生し、何が故に治癒しないかという事も全然不明で ある。

その結果として、国民の健康が日に月に退化しつつある事実に直面して焦慮しつつも、どうする事も出来ないのが現在の状態である。
又、病理といえど も、科学的な確定がない。



 今療病に当ってまず根本としての方法は、病気の診断である。病原の探究である。その際病原としての発熱は、いずくにあるかを診査する方法を知らない。

そ もそも、発熱は身体のある一部に発生した病素を溶解すべく起ったものであるから、その発熱の根拠だけを治療すれば、速かに全身的に治癒するのであるが、現 在医学の診断は、これを発見する事が不可能である。

それは医療から転じて来た患者を、常に扱いつつある吾々は、医学の診断がはなはだしき疎漏(そろう)と 杜撰(ずさん)であって、病原不明かあるいは誤診である事が、少くとも半数以上は確かにある事を知るのである。

この事について嘗て聞いた事があ る。ある一人の医科大学生が常に、解剖実験を見る時、その診断と余りに相違するのである。
ほとんど誤りの方が九十%位ある事実に驚いて教授に質問したそう である。すると教授の答にいわく、それは君人間の身体を外部から見るんだもの、違うのは当り前だよ、との事であった。

これによってみるも、いかに出鱈目で あるかが判るのである。事、人命に関するにおいて信じられない位の事実である。


 次に、病理及びその原因においては、何ら進歩の跡を見られないのである。病理とは何が故の発熱であり、何が故の痛苦であり、何が故の腫物であり、又、そ れらはいずれから影響し、何の為にそういう現象が現われたかという、それらの闡明(せんめい)である。

又、原因とはその病理構成以前の否、病理構成状態の その根元の発見である。しかるに、それら根元の発見などは、未だ医学ではその端緒をさえ掴んでいない

もし医学において原因の説明をすれば、それは牽強付 会(けんきょうふかい)でしかあり得ない。何ら科学的根拠があり得ないからである。医学においては、病理も原因もあらゆる病原は、頗(すこぶ)る単純にも 黴菌一点張りである。

しかも、その黴菌の感染のみによって、病気は発生するものと思っているのだから、発狂や癲癇、中風などの伝染病以外の病気に至って は、その説明は絶対困難である。
それらを偶々(たまたま)説明してあるものをみれば、噴飯に価するごとき出鱈目さである。



 以上のごとく、病理も病原も何ら適確なる、科学的根拠がないから、医学の診断なるものは、実にその時における医師の推断が根拠となっている。

故に、診断 が的中するという事は、その医師の推理的頭脳が優秀であるという訳である。たとえていえば優秀なる易者は、比較的的中するようなものであり、相場師が前途 の騰落を推断するそのようなものであるとも言えると思うのである。
それがそれぞれの医師によって、診断が違うという原因であると思うのである。


これにみて も西洋医学なるものは、器械的ではあるが、科学的ではないというのである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー






本来はここを音声読み上げで説明しつつ盛り上げるつもりだったブログですが、ココログの方で一度にアップできる容量を大幅に制限したため、とりあえず文字のみで行きます。


そのうち、どこか音声ブログでも見つけてそちらに移ろうかと考えています。

1936年昭和11年という相当昔に書いた論文ですが、今になってようやくその意味が分かりだしてきたという感がします。

もっともほとんどの一般大衆は未だに医学迷信にかぶれている状態ですので、この様なことを聞いても見ても理解できないでしょう。

しかし、千島、松下(森下)学説と言われていまだに異端視されている医学論と比較してみると、相応に理解しあえる内容でしょう。

残 念なことに千島、松下学説(実験結果によるもので、思案とかの類ではなかったので「説」ではなく「実証」だと言われる)は40年前に国会の特別委員会で実 験検証への道が開けるという寸前まで行ったが、当時の医学界と厚生省、科学技術庁などの幹部が実質的に握りつぶしてしまった。(追試実験をを拒否した)



宗教界では昭和に初期に、少し遅れて日本の医学界でも昭和の初期にこういう現代医学の本質的批判がなされて、その証拠まであったのに黙殺され続けてようやく21世紀、この2009年頃から、世間にも明らかになり始める予感が「強く」するものです。

本来宗教と科学は一致するものですから、どちら側かからも新医学論が出現していたというこの日本国は世界にさきがけての既成医学の革命がおこる宿命が担わされていると確信しています。


しかし、その反面、世界にさきがけて薬害や医療被害もより多く起こるという経過をたどらなければ、世間一般人には気づく機会が無いのかとも感ずるところは悲しい現実を見させられる思いです。

世界に先駆けて原子爆弾の恐ろしさを身をもって体験した日本国民が世界に先駆けて世界平和を実現する権利をもち、実行できる能力があるからです。

医 学においても世界に先駆けて真の医学を確率して日本人がまず健康世界を創り、世界の見本となるべき運命にありながら、現実では世界に先駆けて薬害を受ける という真逆な状況にあり、国民の意識はまったく無理解無能化されてしまって、現代医学信仰はますます強く、たどり着く先が断崖絶壁が待っていることを無意 識に知っているのでしょうか?

現代医学の行き着く先の危険性を知らなければその暴走は止まる所を知らず、そのためにも「早く認識する意 味」があるかの様に、日本の厚生行政と医学界、マスコミが一団となって国民の不健康化を進めているかの様な状況下にあって、個人の発する情報がいかに小さ く世論に影響を与えるには力不足と認識しながら、それでも蟷螂の斧の乾坤一擲。


全然意味不明は事を書いているこのわたくしめの雑文はこのくらいに致しまして、ほんじつのごあいさつとさせていただきます。

ん? なんじゃこりゃ。

(´,_ゝ`)プッ

ちょっと高尚な文章をかけばいいと思いこんでいるバカの壁を越えられないオツムがついつい・・・

題名でつろうなんて思って・・・

いました。

   
健康の為なら死んでもイイ

こんな健康主導の生き方もイイもんだねえ(笑い

これより劣るが
健康の為ならオシッコ飲んでもイイ
(飲尿療法)

しかし、これは自分のオシッコらしい。

これが高じて
健康の為ならshit(糞)喰らう!
という、果たして本当かなと思わず疑ったが・・

しかも他人さまのウンチだという

う~~~ん・・・

もうどう逝ったら善いか?

おまえなんか、クソクラエ!

と言われて

ありがと~~~う♪

という答が返ってくる時代に・・・


健康人の大便で新治療法


貴女のお陰で、だいべんよくなりました・・
なんてね。



自然治癒力というと
不均衡 → 均衡  
不調和 → 調和
病気 → 元気

この 「→」の力を 大調和のなかの蘇生エネルギー(生命に備わっている力)

これを自然治癒力とか自然良能力と言う。

ただし、病気という過程は 元気 → 病気 → 元気 → 病気 →元気
という流れのなかでのひとつの状態であって、常に流れているのでは?

その過程として 現界(肉体) → 霊界(霊体) → 現界 → 霊界
を通しているので
個の一生 → 個の一生 → 個の一生 →

こういう繰り返しのなかだとすれば、病気→死されもこのなかの一過程であって
かならずしも 病気→死 は敗北でも何でも無い。

ただ、肉体として滅びてもエネルギーとしては 
不調和→調和
の過程でしかない。
どんな治療法でも最終的には 死 というものがある。

常に  病気→治癒  とは行かない。
流れのなかの一過程でしかない。

ただし、その流れを逆行する治療(主として毒を用いる薬物療法など)は
この流れを一時停止させ、エネルギーを停滞させるばかりか、むしろマイナスエネルギーを溜め込むの駄郎。

下とは関係ない話でした。



分からない → 不思議 → 非常識だから無い 対 あるかも知れない

ここが分かれ目。
科学とは、不思議を探求すること。

不思議をただ切り捨てると それは非科学となる。

例えば、DNAの解析が3パーセントできた。
残りの9割以上は 「分からない」 →  無い= ジャンクDNA とした。

こんなのがチキュウジンの科学だと威張っている 
ガクシャは 学の濁りをとると  本当のカクシャ=覚者になれる。

覚者とは不思議を探求することで真実を見付ける途上人である。


わたしたちの体は寄生虫を欲している


より
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

  「虫垂は腸の下部からぶらぶらと垂れ下がる肉の塊だ。
  小指ほどの大きさで、他の器官に比べると小さいが、
  その存在は十分、説明に値する。
  しかし、虫垂が何をしているかという問の答えは、
  長年にわたってあいまいなままだった。
  心臓は血液を送り出している。肝臓は血をきれいにし、
  血圧の維持を助けている。肺は血液に酸素を供給し、
  二酸化炭素を除去している。
  そして虫垂は、そう、ただ垂れ下がっている。」

昔は、盲腸になると切除する治療が普通でしたが、
最近は破裂するなどの緊急性がなければ、投薬療法が一般的。

虫垂は、長きにわたって「何もしていない」器官と
考えられてきました。

その証拠は、盲腸の手術で切除しても何も起きなかったから。

だから、男性の乳首やクジラの後脚の骨のように、
目立つけれども不要な、進化の遺物だと説明されてきました。

それでは、なぜ、炎症を起こすことで人を死にいたらしめる
何もしない器官が、進化の過程で残ったのでしょうか?

更に、もし虫垂が痕跡器官であるならば、
人間の祖先に近いチンパンジーたちの虫垂は、
サルたちの虫垂より退化しているはずです。

しかし、実際はその逆でチンパンジーの虫垂は、他の霊長類の
虫垂より大きさも構造もはるかに発達しているそうです。

虫垂の役目を初めて発見したのが、デューク大学名誉教授の
ランドル・ボリンガーさんと、同僚のビル・パーカーさん。

  「虫垂は、細菌の家なのだ―ポリンガーとパーカーは、
  それが正解だと信じた。虫垂は細菌が腸内の流れから逃れて
  繁殖するための場所、言うなれば、平和の路地だったのだ。
  その路地があればこそ、何らかの疾患のせいで腸内の細菌が
  一掃されても、そこに逃げ込んでいた細菌によって
  腸内には再び細菌のコロニーが形成されるのだ。」

まだ仮説の段階のようですが、何も役に立たない器官と
考えられていた虫垂も免疫機能に大きな関わりを持っている
可能性があるようです。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

ところが

もっと昔々・・・
岡田茂吉という宗教家が虫垂も扁桃腺も必要な者だから切り取ってはいけない
と書いていました。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
『明日の医術 第二編』昭和18(1943)年10月5日発行

病患と医学の誤謬

 西洋医学における誤謬は、事実を基礎として理論的には充分説いたつもりであるが、なお重(おも)なる病気に対し、実証的に検討してみよう。

一、扁桃腺炎、盲腸炎、手術

 現代医学の診断において、誤謬の多い事は、多数の患者を取扱われた経験豊富の医家はよく知っているはずである。何よりも医科大学において、診断と解剖の結果とを照合してみれば、思半(なか)ばに過ぎるであろう。まずそれらについて、事実によって順次解説してみよう。
 近来、最も多い病気として扁桃腺炎なるものがある。この病気は大抵の人は経験しているはずであるから、まずこれから採り上げてみよう。
 元来、この扁桃腺なる機能はいかなる役目をしているものであるか、又扁桃腺炎なるものは、いかなる理由によって発病するものであるか、恐らく医学においては未だ不明であろう。何となれば、手術によって除去するのを最上の方法としている位だからである。そうして手術の理由としては、扁桃腺は不必要であるばかりではなく、反って有害な存在であるとしている。故にもし医学で言うごときものでありとすれば、それは人間を造った程の偉大なる造物主が、無益にして有害なる機能を造ったという訳である。医学が不必要視するものを、造物主は必要とされた訳になろう。――という事はまことに不可解極まる話ではあるまいか。仮にそうだとすれば、造物主の頭脳よりも医学者の頭脳の方が優れているという事になる。造物主即ち神よりも、人間である現代の医学者の方が上位であるとは驚くべき僭越ではあるまいか。しかるに実は、医学者といえども、造物主に造られたのである。医学者がいかに学理を以てするも、一本の睫(まつげ)一ミリの皮膚さえ造り出す事は到底不可能であろう。故に、扁桃腺が不必要というのは、その存在理由が未だ判明しないに関わらず、判明したように錯覚した結果が手術を生んだというべきであろう。
 しからば、扁桃腺なるものは何が故に存在するのであるか、私の発見によれば、非常に重要なる使命を果しているのである。それは人体において、最も毒素が集溜し易いのは頸部淋巴(リンパ)腺付近である。そうしてこの集溜毒素は、浄化作用によって排泄されなければならないので、さきに説いたごとく、第一浄化作用によって一旦扁桃腺に毒素が集溜し、凝結し、それが第二浄化作用の発熱によって溶解し、液体となって排泄せらるるのである。即ち、扁桃腺は、毒素の排泄口である。この理によって、扁桃腺の起った場合、放置しておけば、浄化作用が順調に行われ、普通二、三日で治癒するのである。しかるに医療はこの場合、ルゴールの塗布や氷冷、湿布、下熱剤等よって浄化作用の停止を行うから、浄化作用とその停止との摩擦を起し、治癒までに相当の時日を要するという結果になる。そうして一時治癒したとしても、実は真の治癒ではなく、浄化発生以前に還元させたまでであるから、扁桃腺固結は依然としている。しかしそればかりではない。その後に集溜する毒素が加わって、固結は漸次増大する。再び浄化が起る。また浄化を停止し還元させる。かような事を繰返すにおいて慢性症となり、固結はいよいよ膨大する。これを扁桃腺肥大症というのである。そうして、手術除去をすすめるのであるが、何ぞ知らん、除去しなければならない程に膨大させたのは、誤療の結果である。そうして、この様に膨大した扁桃腺は、発病するや激烈なる浄化作用が起るから、高熱は勿論の事、患部の腫脹はなはだしく、喉頭は閉鎖され、はなはだしきは、水一滴さえも飲下する能(あた)わざる程になるのである。かような悪性扁桃腺炎を恐るるが故、除去を勧むるという事になるのである。しかるに自然治癒によれば、扁桃腺炎は、一回より二回、二回より三回というように、漸次軽症となり、ついに全く扁桃腺炎は発病しない事になるのである。
 ここで、脳貧血について一応説明しておこう。これは扁桃腺炎に関係があるからである。それは仮に、頸部淋巴腺に集溜する毒素が、その排泄口である扁桃腺が失(な)いとしたならどうなるであろう。それはそのまま淋巴腺付近に停溜固結する。その固結が頭脳に送血する血管を圧迫するから、頭脳の血液が不足する。それが脳貧血であり、神経衰弱でもある。頭脳が朦朧(もうろう)として圧迫感や不快感等の患者が、近年非常に多いのは全く右のごときが原因であることもすくなくないであろう。
 そればかりではない。扁桃腺を固結させるか、又は除去した場合、淋巴腺集溜毒素は出口を他に求めるの止むなきに至る。それは、反対の方向に流進して排泄されようとする。即ち耳下腺を通って中耳に到り、鼓膜(こまく)を破って排泄されようとするのである。その際、高熱によって液体化した毒素は耳骨を穿孔(せんこう)しようとする。その痛みと発熱を中耳炎というのである。近来、中耳炎患者の増加したのも全く右の原因による事もあろう。扁桃腺炎なら、軽症で済むべきものを、医療はより重症である中耳炎にまで発展させる訳である。そうして中耳炎の場合必ず氷冷法を行うから、液体毒素は方向を転換するのである。即ち中耳に向って流進していたのが、頭脳に向って転進するのである。これを医師は「中耳炎に因る脳膜炎」というのである。かように扁桃腺炎を中耳炎に発展させ、ついに脳膜炎まで起させるというのは全く驚くべきである。
 次に、盲腸炎について説明してみよう。これも近来非常に多い病気であって、扁桃腺炎と同じく手術除去を奨めるのである。そうして医学では多く食物に原因を置いている。彼(か)の、葡萄の種が原因という学説であるが、私はいつも嗤(わら)うのである。葡萄の種位で盲腸炎が起るとすれば、柿の種や魚の骨など嚥下(えんか)したら即死するであろう――と。
 そうして医療においては、最初氷冷によって浄化を停止し、還元させようとするか又は温めるかないしは直ちに手術を行うのである。そうして速かに手術せざれば化膿し、虫状〔様〕突起が破れて急性腹膜炎を起すというが、これも誤りである。そうして、盲腸手術の結果予後良好で、健康時の状態となったとしても、慢性腹膜炎及腎臓病が起り易くなるのである。それらは、いかなる訳であるか。左に詳説してみよう。

 そもそも、盲腸炎の原因は何であるかというとそれにはまず、盲腸なる機能の役目から説かねばならない。身体不断の浄化作用によって下半身の毒素溜結個所として、盲腸部は上半身の扁桃腺と同じ様な意味である。即ち、第一浄化作用によって盲腸部へ毒素が溜結するのである。その際同部を指頭にて圧診すれば、大小の痛みを感ずるのである。そうして重痛は毒素溜結が強度に達し、盲腸炎即ち第二浄化作用の近づいた徴候であって、軽痛は、毒素の溜結が軽度又は少量なる為である。又その際盲腸部以外の腹部を圧診する時、痛苦があれば腹膜にも毒素溜結があって、急性腹膜炎合併症の前兆である。しかしながらここで面白いのは、全身的に衰弱している時は第二浄化作用は起り得ないもので、第二浄化作用が起り得るのは活力旺盛であるからである。故に過激な運動を行った後など起り易い事と、青壮年時に起り易いという事はそういう意味である。又第二浄化作用が起るまでに毒素が溜結するには、大抵数年ないし十数年の長時日を要するものであるから、幼児又は小児にはほとんどないにみても明かである。
 右のごとき理によるのであるから、盲腸炎発生の際は放任しておけば容易に治癒するのである。即ち高熱によって溜結毒素が液体化し両三日経て下痢となって排泄せられ治癒するのである。右の毒素溶解を医学では化膿といって恐れるのであるが、実は化膿するから治癒するのである。即ち化膿した時は下痢の一歩手前であるから半ば治癒したと見なしてよいのである。故に、盲腸炎発生時の養生法としては、一日断食、二日目三日目は流動物、四日目五日目は粥、六日目から普通食で差しつかえないまでに治癒するのである。そうして自然療法による時には、激痛は半日ないし一日位軽痛二日間位で、四日目からは室内歩行が出来る位になるから、何ら恐るべき病気ではないのである。
 そうして、盲腸炎の根本原因としては、右側腎臓部に硬度の毒素溜結があり、その為の萎縮腎による余剰尿が盲腸部に溜結したのであるから、右の毒結を解消するにおいて決して再発はないのである。
 又、腹膜炎併発は盲腸に直接関係はないのであって、これは、腹膜部の毒素溜結が同時に浄化作用を起す為である。その際医療は手術をすすめる事もあるが、これは予後不良である。故に医師によっては手術を避け、他の療法によって浄化作用を停止し、還元させようとするのであるが、それには非常に長時日を要するので、その結果は漸次腹部の毒素は固結し、板のごとくなり、その圧迫によって胃腸障碍を起し食欲不振となり、衰弱はなはだしく多くは斃(たお)れるのである。
 これは、自然療法によるも、三日間位は激痛を堪え忍ばなければならないし、その間絶食のやむなきに至るのである。しかし、医療によって生命の危険に曝(さら)すよりも、必ず治癒するのであるから、三日や五日位の忍苦は何でもないであろう。そうしてその結果、猛烈なる下痢を起し、完全に治癒するので、普通二、三週間位で治癒し、勿論再発の憂は絶無である。
 ここで、手術について一言を挿(さしはさ)む事とする。今日医学の進歩をいう時、必ず手術の進歩を誇るのである。これは一寸聞くともっとものようであるが、実は大いに間違っている。何となれば患部の機能を除去するという事は、人体における重要機能を消失させるので、他に悪影響を及ぼすのは当然である。なるほど手術後一時的ある期間は安全であるが、浄化作用の機関が失くなるとすれば、毒素は他のあらゆる機能を犯す事になるからである。それは不自然な方法が齎(もたら)す結果としてそうあるべきであろう。最も高級で微妙極まる人体の組織であるから、たとえいささかの毀損(きそん)も全体に悪影響を及ぼさぬはずはないのである。これをたとえていえば、いかなる名画といえども、画面の一部が毀損さるれば、それは全体の毀損であり、価値は大いに低下するであろう。又家屋にしても、一本の柱、一石の土台を除去したとしたら、直に倒れないまでも、その家屋の安全性はそれだけ減殺される訳である。そうして手術は、病気の除去ではない。病気と共に機能を除去するのであるから、いかに理由づけようとしても、医術の進歩とはならないであろう。私は真の医術とは、病気そのものだけを除去して、機能は以前のまま、生れたままの本来の姿でなくてはならないと思うのである。そうして手術は外部即ち指一本を除去するとすれば不具者として恐れられるが、内臓なるがため直接不自由と外観に影響しないので左程恐れられないのであろう。故に私は惟(おも)う、手術が進歩するという事は、医学が進歩しないという事である。即ちメスによって患部を欠損させ治療の目的を達するというまことに原始的方法を以て唯一としているからである。この意味において、今日称(とな)うる手術の進歩とは、医術の進歩ではなく“技術の進歩”であると、私は言いたいのである。
 虫様突起について、私の説と同一の説を主張する現代医家のある事を私は最近発見し、快心に堪えないのである。それはホルモン学界の権威である越智真逸医博である。同博士の著書に左のごとき記事が出ている。
「虫様垂を以て全然無用の長物で、既に退化しつつある機関であると考えるのは果して自然を正しく理解せる賢き考えであろうか、恐らく吾人の知識が未だ浅薄で、神秘の宝庫を開き得ぬ為と信ずる。余は自然は断じて無用有害の機関を吾人に与えないと確信する」

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

わかるかなあ~?
わかんないだろうなあ~

それよりも長い文は読まれない(苦笑




後先になりますが

じつは今日この本を読んでいたので検索してみたら
武田鉄矢氏が解説していました。

日本で大流行の抗菌思想に鉄ついを喰らわす(笑い)話です。

私たちの体は寄生虫を欲している
という本を読んでうまく解説してくれていますね。
先回の前の動画音声です。
(動画と言っても音声だけですが)

むやみやたらに抗生物質で体内細菌を殺した結果
現代人は新たな難病を産み出していると。

ぜんぶは聴いて居ませんがよかったら


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一般的に盲腸と言えば無駄飯食いの役立たずと言われて切り取られてしまった。

これが西洋医学の稚拙なやり方だった。

が、岡田茂吉は盲腸(虫垂)は免疫システムだと言った。
つまり、体内の有毒物質(毒素)を集めて排泄する器官だというのだ。
主に下半身側を、上半身側は咽喉部にあるという。

どちらも以前から不要物だとして簡単に切り取ってしまった。
喉の方は

この中に虫垂の話が出てきますね。
人間は体内に細胞の数60兆の10倍も棲んでいるという説もあるけど、この菌が人体を活かしている。
しかし、体内が汚れるとその掃除役が出現する(他の細菌が主役をその菌に譲り渡す)ので、それを病原菌とされる。
が、結果的には体内浄化を手伝ってくれる(どぶ川のなかに毒物を分解してくれる細菌が生息しているように)ので、本当はありがたいのです。

しかし、人間の方は自分は悪くない。
と思い込んで生活(食べ物や生活・運動、精神)を改めないので、いくら細菌をやっつけても病原は無くならないので再発、もしくは別の病気を通して浄化する。
それに反してまた毒で造られた薬剤を使うのでついには人体は保たなくなる。(チ~~ン)

人体内の細菌は巨大なオーケストラのように関連している。普通は人体の活動を助け護っているのだが、ひとたびある線を越えて体内環境が悪化するとその掃除役の菌が表になって働く。

病原菌を殺すために抗生物質を投与すると、腸内の多量の細菌が死滅して、有害菌と言われる菌の方がかえって繁殖してしまう。
それを元通りにするにはかなり時間がかかるので、抗生物質で菌をやっつけるということは自分をやっつけるようなものである。

ドウデショウカ?