おすすめ度5
難易度3
國分功一郎先生は『中動態の世界』で現在の能動、受動という言語的な枠組みが意志と責任という考えにつながると論じ、この枠組みだけだと世の中で起きていることを充分に説明できないのではと論じた。そこで昔は中動態という文法があり、世の中を別様に説明する枠組みがあったことを紹介し、中動態的な見方の可能性を提示した。
といって、これだけでは言語や哲学の難解な議論になってしまう。
中動態の魅力は障がい者の当事者研究をしている熊谷先生との本書の対談でより鮮明になってくる。
障がい者や依存症の人に自身の行為の問題や不十分さを、あなたの意志でやったことでしょうといって責任を取らせるようにしていっても、状況はあまりよくならない。
能動、受動モデルで説明するには説明しきれない事態があるのだ。
もう少し身近な例を言いましょう。
教育現場で教えていると
生徒がゲームやYoutubeをやりすぎて宿題をしてこなかったというケースは多々あります😅
ここでよく見られるのはあなたはどうして勉強でなくて、ゲームやYoutubeをやったのと怒るのですね。
これは宿題をしないという愚かな行為を選択した意志には責任があるという考えですね。
ですが、ゲームやYoutubeをエンジョイした子どもたちは自分で選んだという意識はあまりないと思います。
むしろ意志が弱くて、怒られることになっているのに、行為の意志が起こられるという矛盾したことが起こっていますね。
うーん。怒ってばかりの親御さん、先生には何とも悩ましい話ですね😅
*Youtubeは子供には害が多いので近づけないのが一番いいと分かるよい動画ですね!
さて、能動、受動モデルでは意志と責任を問題にするばかりで事態がよくならないとしたら、どうしていけばいいのでしょうか?
事態を中動態的に捉えることが一つ紹介されていましたね。
例えば、放火する人に放火を犯人の意志によるものでなく、放火現象として捉えて、事態を観察することが紹介されていました。
なにゆえに、その場で問題が起こったか冷静に自然現象を見る感じで見る感じですね。
子どもがゲームやYoutubeをしまくる場合であれば、なにゆえそういう事態が発生するか見ていく感じですかね。
単純に今日1日疲れただけなのか、他にやることがないのか、いろいろ冷静に見る感じですかね。
例えるとこんな感じでしょうか。
汚い部屋だと虫が沸いてきてしまいますが、そこを何で虫沸かしたのと意志を追求して、責任を取らせるアプローチよりも、汚い部屋という環境なんだから、虫はそりゃわくわなと冷静に見つめて、根本的な事態解決に向かうイメージですかね。
*こういう発想の人なので、意味もなく子どもを叱るアプローチは大反対ですね( ̄^ ̄)
心の内側から原因を探らないとです(´・ω・)
何か自分の関心に引っ張られすぎて、ちゃんとした中動態の紹介になっているのか怪しいですが、能動、受動モデルでは解決できないこともあるんだということが伝えられれば、いいかなと。
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