2024 / 3 / 7(木)
※ 令和6年 の 追記
A子 との トラブル が原因で
私の心身に 異変 が起きたのが
2020年 7月 22日 でした
早朝 5時 50分頃
スガキヤ 本社工場 に
いつものように出勤し
作業服に着替えて 作業場へ向かうと
仕事を終えて帰ろうとする
夜勤 の 従業員 たちに遭遇しました
その中に A子 の姿がありました
私は会社の 命令 で A子 への
接触 や 挨拶 を 禁止 されていたため
すぐに顔を壁側に向けて視線をそらし
A子 が過ぎ去るのを待ちました
無事にA子 が過ぎ去り
私は作業場に入りました
直後 私の身体に 異変 が起きました
鼓動 が大きくなり
体の力が抜けていく 症状が起きました
スガキヤの本社工場( 愛知県豊明市 )
では 300人 ほどの従業員が
働いていましたが A子 への
接触禁止 を命じられていたのは
おそらく私だけです
その命令は
2016年 から続いていました
5 年 近くに及ぶ ストレスの蓄積 が
適応障害 というかたちで
発症したのです
その日は仕事も難しいと判断して
仕事をすることなく帰宅しました
翌日も会社を休み
上司 と電話で話しをしました
この出来事を受けて
2020年 7月 27日 に
工場長 との 面談 が行なわれました
工場長 の 発言 を要約すると
会社は当時 二人を切り離したが
その後
フィードバックをしていなかった
相手にも話しを聞いて
公正に 客観的に 結論をだす
事実を伝える
最終的に 納得できないような
ことになるかもしれないが
そのときは説明する
仕事をせずに帰ることは
雇用契約上このましくないので
反省してほしい
いつものように出勤し
たまたま A子 と遭遇してしまい
直後に 動悸 と 脱力感 におそわれ
仕事に支障があると判断して
早退 した私に
仕事をせずに帰ったのだから
反省してほしい
そう 工場長 は言ったのです
従業員の身体を 心配 するのではなく
反省 をうながしてきました
それから 2 週間後
2020年 8月 12日 に
A子 との面談を終えた 工場長 は
私と二度目の 面談 を行ないました
よい結果が出ると期待していましたが
その思いとは逆方向へ舵は切られました
工場長 は
「 双方の話しの状況が
まったく違う
何が正しいのか
判断できない
理解できない
引き続き
接触をしない状況を続けること
今はそれしかない 」
そう言って
わずか 1分 で説明を終わらせました
同じ職場で働く同僚 A子 に対し
私だけが 接触 も 挨拶 も禁じられ
適応障害 または パニック障害 と
呼ばれる 精神疾患 の症状が
認められるまでになったにもかかわらず
それでも 工場長 は
引き続き 接触は禁止する
と言いました
私の 日記 は その二度目の
面談あたりから始まっていて
約 400日 に及んでいます
当ブログ「 スガキヤ労働紛争記 」は
その 日記 を 抜粋 して綴ったものです
ブログ は 2021年 9月 20日 の
日記 で終わっていますが
これには事情があり
スガキヤ と交わした 合意書 の関係で
結末 を載せることができませんでした
ブログ内においても表明していますが
私の日記の掲載は
スガキヤ との 紛争 の 経緯 を
多くの方々に知ってもらうことで
労働組合 の 委員長 を 務められていた
Kさん を 救済 することが目的です
名古屋ではお馴染みの スガキヤ ですが
その内部は 大手食品会社 とは思えない
モラル の 低さ
コンプライアンス の 欠如 など
封建的 な 体質 と 企業風土 を
ブログでは思い知らされると思います
Kさん の 安否 は
現在も わかっていません。