髪の毛が長いと許されないなら ♪ | ジャズと密教 傑作選

ジャズと密教 傑作選

空海とサイババとチャーリー・パーカーの出てくるお話です





ボブ・ディランにノーベル賞というのはそんなに驚くことではないのかも知れない。

歌詞がただあるだけでなく、それを歌うことで初めて音楽という表現として昇華するという考えがあるならば、与えらるべきはノーベル音楽賞でなくてはならないとか、そんな話も出てきそうだが、その選考については担当者が「彼が偉大な詩人ということに尽きる」と言っているらしいのでなにも問題はない。

ボブ・ディランは詩人としてノーベル文学賞に選ばれたのである。

ロック音楽とノーベル賞との毛色の違いから我々がそこに抱くそぐわない感覚はその説明によって解消されるとして、わたしがむしろ「有りかよ」と思うのは一般紙のトップ記事にボブ・ディランなるロック歌手の名と写真が載る奇妙さの方だ。

世のオピニオン・リーダーとしての権威を自任する(その維持のために捏造体質も持ち合わせている)天下の大朝日新聞がなに故に不良少年たちの非生産的所業に過ぎないロックなどというばか騒ぎを為す人物に大事な一面のスペースを差し出すのだろうか。

優秀な彼らの社会分析頭脳の一体どの部分が下品で稚拙な音楽もどきのがらくたなどに関心を寄せるのだろうか。

なあんてことをひねくれ者のわたしは言ってみたくなる。

受賞者は他にいくらでもいるじゃないか。目障りで意味のないそんな名前はどこか隅っこの、そう、誰かの死亡記事の隣にでも置いといてやれ。というのが朝日なるエリート集団の採るべき振り分け基準なのではなかろうか。

朝日新聞みたいなお偉いエリートの方々はゴジラやロックなどに言及してはいけません。品位が下がり、多くの信奉者を落胆させることになる。

いやはや、わたしはひねくれ過ぎである。今どきの若い世代に理解してもらえるもの言いではない。どうしてこうなのか(同じ若者なのに)。

理由はある。
その昔、グループ・サウンズというのが世を席捲していた。PTAが眉をひそめる不良どものエレキ・ギター・バンド達である。人気絶頂の(SMAPよりも!多分)ザ・タイガースはだがしかし、公序良俗に反するという理由で紅白に出してもらえなかった。

ほお、そうですかそうですかNHKさんはそーゆーお考えですかそうですか。それならそれで結構なのだ。それが方針であり哲学ならばはっきり世に示しそうすべきである。だがそれは年月を越えて貫き通されねばならない。

その後NHKのテレビ番組には髪の毛を紫にして逆立てたり、顔に色を塗ったりしながら、まるで世の中の常識に反抗するかのようなポーズを演出するロック・バンドが平気で出演するようになった。

NHK言うところの公序良俗なる概念に照らして、後の時代のパンク・バンドと長い髪のジュリーと一体どっちがそれに反しているだろうか。

公序良俗の意味が変わったのか。それとも世間の規範が移ろったのか。その辺りについて納得のいく説明がない限りNHKとついでにPTAを絶対に許すわけにはいかない。青少年はそう心に誓ったのである。

朝日となんの関係があるのかって?言論や価値観を牛耳っているつもりの守旧的圧力という点でわたしにとっては同じカテゴリーに双方とも属している。

未確認だが、朝日だってグループ・サウンズなどどうせ多分排斥の対象だったに違いないのである。タイガースを認めないような奴がどうしてディランの方は称賛しちゃうんだよ!といったところである。

まあしかし、ビートルズやサイモンとガーファンクルの歌が音楽の教科書に載るようになって久しい今、わたしのこのような頑なな想念はどこにも居場所を得られず化石と化しつつあるわけです。とほほ...。

ところでディランの詩の価値について述べるべきだろうか。正直に言って、どうしてディランの詩がノーベル賞に値するのかわたしにはさっぱり分からない。だってぼく、英語が読めないんだもん。