シヴァの隠遁 出雲編 その4 | ジャズと密教 傑作選

ジャズと密教 傑作選

空海とサイババとチャーリー・パーカーの出てくるお話です

「なあ、こんな、空虚なること気の抜けたビールの如き空間にいつまでいたって仕方がない。どこか別の・・・」
「あら、ご挨拶ね、そんな言い方ってあるかしら」
うさこは相手の言葉をさえぎり、食って掛かる。それは消費者と対峙して在る酒場世界の常識に疑うことなく帰属する者の態度であった。

「ふん、分からないわけじゃないだろう。こんな・・・」
うさこは斯波を睨みつける。斯波は続ける。
「こんな、建前言語が脈絡なく散らばり飛び交うような場所に一体なんの意味がある」
いささか挑戦的な言い方をしてみた。

離れたテーブルでは、独断的かつ大胆な物言いで得た人気を頼りに大統領の地位まで勝ち取ってしまった男と、その政権の今後について誰かが語り始めた。だが話は展開せず、栗きんとんとか、Dr.スランプとかいう駄洒落が嬌声にかき消されて終わる。

「それはあなたの勝手な論理だわ」
「ほう」論理と来たか。そうかね、と斯波は両手を広げて見せる。この女はどうも話の進め方が性急だ。
「その、君の言うところの、“こちらの勝手な論理”以外の論理が存在していいとは思わんがね」

まずいな。斯波は思う。会話が離陸を始める。
話がどこに飛んでいくか分からない。自分と相手の発する言葉を捉まえて制御するだけの明晰な頭脳を斯波は持たない。

「それはまあその通りだわ」
うさこの発した言葉はまだその場に留まっている。「論理」とやらに追い付かねばならない。
「でもこっちも商売なのよ」
離陸はしない。なるほど、商売の論理によって客の価値観はないがしろにされるというわけだ。

「うむ、君は正直でよろしい」
どちらかといえば丸顔のふっくらした顔立ちの女に斯波は笑いかける。
「商売の論理はこちらにとって意味がない。そうと分かれば話は簡単だ。場所を変えよう」
「そうはいかないわ。もう少しいてくれないと」

どうして、と口に出さず斯波は相手を見る。言わずもがなのことを始めから説明させる気でしょうかお客様。うさこは斯波を見返す。

「同伴してくれたあなたはわたしにとってなじみの客なの。そのふたりの健全なる関係性にあって、席に着いて5分もしないうちに帰るなんてありえない話よ」分かるでしょ、と首を傾げて隣に座る男の顔を凝視する。

「この国の人間てのはどうにも人が良すぎるんじゃないか」斯波はあきれて見せ、コルドン・ブルーの空いたグラスをうさこに差し出す。それを受け、どこかぎこちない手つきでうさこは酒をつくる。

「ところでどこへ行こうというの」
「温泉を巡ってみたい」
「わあ、最高ね。いいわ。着替えてくるから外で待っていて」
「えっ」
「なにしてんのよ、早くして。こんなところで酒食らってる暇なんかないわ」
「“同伴”じゃなかったのか」
「ふん、使用人搾取の論理なんて真っ平御免の願い下げ、ってか」


こうしてオホナモチ(大穴持=大国主)とスクナビコナ(宿奈毗古那)による温泉発掘の旅が始まった。