老いること#1 | 聖書が読みたくなる学び

聖書が読みたくなる学び

いのちのパンに添えるコーヒーのような
…時に苦く、時に甘く、時にしぶい内容を自由に書き込みます

※9/7(木)婦人会の内容です。雅歌シリーズが全部投稿できていませんが、こちらを先に投稿します。

 

 雅歌シリーズが終わりましたので、今回からしばらく ”老いること” について考えてみたいと思います。今月は敬老感謝礼拝もありますからね。

 

 ”老い” はネガティブに捉えられがちですが、聖書は ”老い” をどう伝えているのか。

 初回は、一般論も含めて考えてみましょう。

 

諸宗教の捉え方 

 

1.仏教

 日本人になじみの深い仏教では、老いは 四苦八苦 のひとつ、つまり「苦しみ」と捉えています。

 …仏陀が出家するきっかけになったのも、老人のみじめな姿に衝撃を受けたことが関係していますからね。

 老いや死に対する避けられないけど避けたいという考えがあるのでしょう。

 

四苦八苦について簡単に紹介します。

 

① 四苦 とは  

 「生老病死」

  生まれ、老いて、病気になり、そして死ぬ、という避けることのできない定めのこと

 

② 八苦 とは 

   怨憎(おんぞう)会苦(えく)(嫌なものに出会う苦しみ)

     五蘊(ごうん)(じょう)()(身体をコントロールできない苦しみ)

   ()不得(ふとく)()(欲しくても手に入らない苦しみ)

   (あい)別離(べつり)()(愛する人ともいつかは別れなければならない苦しみ)

 

下差し他に、こんなことばも仏教由来です

 

③ 寿命

 寿命ということばは普通に使いますが、これは仏教用語です。

 ちなみに「寿」は ”時間” の意味で、”喜ばしい・慶事” という意味ではありません。

 

 

2.神道

 多くの人が意識していないけれど、仏教同様になじみの深い神道では、”老い” は、”人が神に近づく状態” と教えています。これが老人が尊敬される理由としています。

 

① 翁

 日常では使いませんが「翁」ということばがあります。私の記憶では、竹取物語で習うので ”おじいさん” という意味という認識でしたが、これは神道用語で ”神への最短距離にいる人” のことを指します。

 ・・・神道的には、普通のおじいさんと神への最短距離にいる高齢男性が区別されているのです。

 

② 童

 こちらも日常では "児童" や "学童" など "子" の意味で使いますが、これも神道用語です。

 7歳以下の子どもに限定されるのですが、"神の子ども" の意味です。

 

 ・・・神道的には、「童」と「翁」の間の期間が "人間" ということらしいですあせる

 

 

3.儒教

 儒教はあまり馴染みがないと思われがちですが、儒教的思想は意外と浸透しています。

 その一つが敬老思想と長寿を尊ぶ思想 で、ここから影響を受け、現代にも定着しているのが「年祝」です。

  *年長者を敬う思想も儒教の影響です。

 

 

年祝 

 

 …ということで、年祝を簡単に紹介します。

 

1.還暦(かんれき): 60歳

①「元の歴に還る」という意味から「還暦」と呼ぶようになりました。

   ⇒ 十干十二支においての ”元に戻る” と言う意味です。10と12の最小公倍数ですね。

② 還暦の由来は中国

 中国では古くから60歳をお祝いする風習があったそうです。昔は、戦争・病気などの影響で50歳生きれば長生きしたと考えられており、60歳は長寿とされ、盛大に祝ったのです。

③ 赤いちゃんちゃんこの意味

 「元の暦に戻る」を、”赤ちゃんに還る” と捉えて、赤ちゃんに着せる赤い肌着をイメージした ”赤いちゃんちゃんこ” を着るという風習が生まれたそうです。

 …赤ちゃんの肌着は白やパステル系が一般的だと思うのですが、昔は赤ちゃんの死亡率が高く、赤色は魔よけの意味があるとされていた赤い産着を着せて、無事に育つよう祈ったとか。

 

2.古希(こき):70歳

①「人生七十古来稀なり」杜甫(曲江詩)の ”古 来 ” から「古希(稀)」と呼ぶようになった。

  ちなみに、七十歳まで長生きする者は昔からきわめて稀である、という意味です。

② 古希の由来も還暦と同様に中国の風習が由来。

 

3.喜寿(きじゅ):77歳

①「喜」の草書体は「七」を3つ重ねた形になり「七十七」と読めることから。

② 喜寿の由来は、日本の室町時代の風習だとか。

 

4.傘寿(さんじゅ):80歳

①「傘」の略字は八と十を重ねた形で「八十」と読めることから。

② 傘寿も日本の風習が由来。

 

5.米寿(べいじゅ):88歳

①「八十八」は「米」を分解した形となるから。

② 米寿も日本の風習が由来。

③ 八は末広がりで「特別めでたい」と、米寿祝いを盛大にお祝いするケースは少なくない。

 

6.卒寿(そつじゅ):90歳

①「卒」の略字「卆」が九十に見えるから。

 

7.白寿(はくじゅ):99歳

①「百」から「一」を引くと「白」になるから。…とんちがきいてますね泣き笑い

② 99歳になると仙人のような存在になると考えられていた時代があり、仙人の白髪や白い髭の姿から白寿と呼ぶ説もあるそう・・・。

 

8.百寿(ひゃくじゅ)紀寿(きじゅ):100歳

①「紀」は一世紀(=100年)を表すことから。

 

9.茶寿(ちゃじゅ):108歳

① 茶の字を分解すると十、十、八十八となり、すべて合わせると108になることに由来。

 

10.皇寿(こうじゅ):111歳

① 皇の字を分解すると、白(=99)、一、十、一となり、すべて合わせると111になることに由来。

 …茶寿も皇寿もすごいこじつけだけど、思いついた人はすごい頭の柔らかい人なんでしょうね

 

11.大還暦(だいかんれき):120歳

 60の二倍で、2回目の還暦。

 

 

 

 

聖書の語る"老い" 

 

 さて、ここからが本題です。では、聖書では ”老い” について何と言っているのでしょう?

 まずはポイント三つ。

 

1."老後" は人間だけに与えられた期間 

 え?でもうちの犬猫は結構長生きしましたよ、と思われるかもしれませんが、それは人間と同じ環境で人間並みの扱いを受けて飼育されたからです。野生の動物よりも動物園の動物のほうがはるかに長生きするのもそのためです。しかし、それは本来の姿(設定)ではないのです。

 詳しいことは次回お話します。

 

2."老い" は進化論を否定する ←次回以降お話します

 アンチエイジングや若見えなどのことばが良く聞かれるようになりました。それは、多くの人が老いることを恐れ、できれば避けたいと思っているからでしょう。

 しかし、はっきり言いますと…若返ることなんてありません。老いて、衰えていく一方なのです。しかし、その姿は大切な真理を表しているのです。

 これについても次回お話します。

 

3."老い" はネガティブな面だけではない

 老いることは、できないことが増え、容姿も変わり、機能が衰えるのでネガティブに捉えられがちですが、それは人間の願望と逆行する姿だから ”苦しみ” や ”避けたいもの” と受け取ってしまうのです。しかし、本当に ”苦しみ” でしかなく、”避けて” 生きることが良いことなのかを考えてみたことがありますか?

 なぜ人は”老いる” のでしょう?…それは、創造主なる神が ”老い” という期間を造られたからです。ならば、老いることにも大切な真理が隠されているのです。

 

 

4.老いの現実

 まずは、老いの現実を語っている聖書箇所をみてみましょう。

 

本 伝道者12:1~8を読みましょう。

 

【1節】「何の喜びもない」という年月が近づく前に

参考*創造主訳聖書・・・「老人になって、希望が無いという日が来ないうちに」

  *新共同訳・・・「『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに」

 

 年を重ねると若い時のように夢や願望を追いかけたり、活発に行動する力がなくなります。ある意味、「これでいいや」(現状維持)と変化を望まなくなるのです。

 しかし、成すべきことがあります。それは「創造者を覚える」ということです。

「若い日に」とは、一日も早くという意味もありますが、「創造主を覚える」ことは簡単なようで簡単ではないので、時間がかかるということも含んでいます。あっという間に年は取ります。だからこそ、一日でも一分でも「若い」うちに「創造主」を知ることが求められているのです。

 

【2節】

①「太陽と光、月と星が暗く」・・・肉体的にも精神的にも暗くなること。

 老年になると、目はかすみ、心は悲観的になりがちです。

②「また雨の後に雨雲がおおう前に」・・・ここでの「雨」とは、人生の試練のこと。

 若い時にも試練はあるが、老年期になるとそれが頻繁に現れるという意味。

 *「おおう」は “戻って来る” の意味なので、心配事や不安が繰り返し繰り返し起こる様子。

 また、若い時は、雨の後に晴天が戻って来るように、気持ちの切り替えができるが、老人になるとそうはいかない、という心情も表しています。

 

【3節】

①「家を守る者は震え」

 ・・・高齢になって手足が震えることのたとえ。

②「力のある男たちは身をかがめ」

 ・・・足腰が弱くなって身をかがめるようになること。

 足腰の力が衰えるので体が重く感じるようになり、だんだん支えることができなくなり、腰が曲がってしまう様子を表しています。

③「粉を引き女たちは少なくなって仕事をやめ」

 *「粉をひく」は「臼歯」と同じ語です。

 ・・・「粉を引く女たちは少なくなって」とは、”歯” が抜けて少なくなり、かみ合わせが歩くなった様子を表し、それ故に ”歯” の ”噛む” という「仕事」が無くなったという状態を表現をしています。

④「窓から眺めている女の目は暗くなる」

 ・・・高齢によって視力が低下することを表現しています。

 

【4節】

①「通りの扉は閉ざされ、臼をひく音も低くなり」

 *「低くなり」は “かすかになり” の意味。

 ・・・耳が遠くなるということ。

②「鳥の声に起き上がり」

 ・・・朝の目覚めが早くなるということ。(鳥の鳴き声でも起きてしまう)

③「歌を歌う娘たちはみなうなだれる」

 ・・・聴力が低下するので、音楽や歌を楽しめない様子。

 

【5節】

①「高いところを恐れ」

 ・・・運動神経や反射神経が鈍るので、若いころは何でもなかった場所が怖く感じる。

②「道でおびえる」

 ・・・道を歩くことに困難が生じる様子。

 参考*創造主訳聖書・・・「息切れがして、坂道を上るのが大義になり、足の自由がきかず、立ち往生し」

③「アーモンドの花は咲き」

 ・・・頭が白くなること。(アーモンドは白い花を咲かせる)

④「いなごはのろのろ歩き」

 *「のろのろ」は “足取り重く” の意味。

 ・・・身をかがめてよろよろ歩く様子。

⑤「ふうちょうぼくは花を開く」

 ・・・欲が減退する、意欲が無くなる⇒楽しみがなくなる

 *「ふうちょうぼく」とは、ケイパー(ケッパー)の木のことですが、「欲望」という意味のことばに音が似ているので、おそらくその意味を表す。

 *「開く」は、不思議な事に「しぼむ」という意味もある語なので、ここでは「開く」ではなく「しぼむ」ではないかと考えられています。

参考*口語訳・・・「その欲望は衰え」

  *創造主訳聖書・・・「性欲もなくなり」

⑥「人は永遠の家へと歩いて行き」

 ・・・死を迎えるということ。

⑦「嘆く者たちが通りを歩き回る」

 ・・・人々が葬式の準備をしている様子。あるいは、葬儀に参列した人たちが死を悼み悲しみ、葬送の列に加わっている様子。

 

【6節】

①「銀のひも」

②「金の器」

 ・・・裕福な家では、油を入れた金の器を銀の鎖で天井から吊るして明かりにしていました。その銀の鎖が切れて金の器が地に落ちる様子は、”明かりが消えた” = ”いのちが消えた” という様子を表現していると思われます。

③「水がめが泉のかたわらでくだかれ」

④「滑車が井戸のそばで砕かれ」

 ・・・「水がめ」「滑車」は、水を汲むために必要なものですが、それらが「砕かれ」るとは、必要なくなること、供給が止まることを意味するので、いのちが絶えたこと、特に”流れが止まる”ことから、循環器系が停止した様子を表現していると思われます。

 

【7節】

 ”死”とは、肉体と霊が分離することです。肉体は、土から造られたので土に帰りますが、霊は、与えてくださった創造主なる神のもとに帰るのです。つまり、肉体は死んでも、霊は永遠に存在し続ける、死後の世界はある、ということを語っています。これが、創造者を覚えなければならない理由です。

 

 

 

老人の姿 = “空” の象徴(8節) 

 

1. 老いて味わう“空”

 12章の1~6節で、”老い” の現実が描かれ、7節では、その先に待つ ”死” について語られ、そのすぐ後の8節では「空の空。伝道者は言う。すべては空。」と、伝道者の書のキーとなる一節が記されています。これは、”老い” の姿に伝道者の書のテーマでもある「空」が現わされていることを語っているのです。

 では、”老い” に現わされた「空」とはどんなものなのかを認知症を例に挙げてみてみましょう。

 

① 認知症

*認知症とは

「認」・・・認識の認 ⇒「わかる」の意味

「知」・・・知識の知 ⇒「知っている」の意味

 ・・・認知症の人は、生活の中で「わかる(認)」と「知っている(知)」に混乱が生じるため、

「誤解」と「曖昧」の中で生活しています。

 

② おもな症状

 1)記憶障害

   物事を覚えること、覚えておくこと、思い出すことが難しくなる

 2)失認 

   目は見えているのに、それが何かわからなくなる

 3)失語

   言葉を理解したり、言葉を発したりすることが難しくなる

 4)実行機能障害

   計画を立てる力が弱まり、手順がわからなくなる

 5)見当障害

   時間、場所、人の見当がつけられなくなる

 6)行動・心理障害

   俳諧、不穏、暴言、暴力、放尿、帰宅願望、異食、介護抵抗、妄想、幻覚、不安、不眠、抑うつ等

 

③ 認知症患者は “空白” と戦っている

 人の脳は「わからないこと(空白)」を嫌う傾向があります。例えば、人の顔は浮かんでいるけど、その人の名前が思い出せずもやもやすることありますよね。でも、思い出せた瞬間にすっきりするものです。しかし、思い出せないままだと … しかもそれが病的な ”思い出せない” 状態になると、人の脳は ”空白” をなんとか埋めようとするのです。

 どういうことかというと…

 認知症患者が何げない会話や説明を ”理解” しようとする時、”黒塗り資料” に似た現象が起きています。認知症でない人は、赤枠の文書のように会話が成り立ち、内容も理解できますが、認知症の型は青枠のような理解になるのです。所々黒塗りになっているように、所々理解ができない部分が発生するのです。これが理解の「空白」です。

 

 また、認知症の方が、時々目の前にいる人が誰かわからなくなったり、人を間違えたりするのは、下図青枠のように人の顔に「空白」ができてしまうからです。通常は赤枠のように見えるはずが、青枠のように見えてしますのです。これは視力や聴力の問題ではなく、「わからない=空白」ができてしまうためです。

 

 この「空白」をなんとか埋めようとしますが、うまく埋めることができないのです。普通は”思い出す”という機能で空白を埋めるのですが、思い出すことができないので、埋めることができません。でも、空白のままではいやなのです。すると、全然違うもので埋めてしまったりするのです。結果、誤認識や誤解、妄想といった事実と異なる埋め合わせが成されるのです。こういった空白との戦いを日々奮闘しているのです。認知症の方が怒りっぽくなったり、疑い深くなったりするのも「空白」が埋めきれないイライラが引き起こしているのです。

 

 「空」を埋めようとしてもがく姿。分からないから間違ったものを埋めて「空」を乗り越えようとする姿は弱く愚かな人間の姿そのものなのです。

 老いとは「空」を徹底的に味わうために与えられた期間です。そしてその目的は「神のもとへ帰る」ための準備をするためであり、ある意味 ”最後の機会” を備えてくださったのが ”老い” なのです。

 

 

2.老いずして “空” を味わう

ヘブル4:15 「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」

 

 上記のみことばは、人となってこの世に来てくださったイエスさまは、人間が体験し得る苦しみや悲しみを味わわれたことを語っていますが、イエスさまは推定33歳で世を去られています。ということは、老いという弱さは体験していないよね…と考える人もおられるかもしれませんが、さて、どうでしょう?

 

 その答えはここにあります。

 

本ピリピ2:6~8を読みましょう。

 

 ここに「ご自分を空しくして・・・死にまで従われました」とあります。これは人の老いの姿に共通するものがあるように見えます。

 

 神である方が、あらゆる制限や限界をもつ人間の弱き姿をまとってこの世に降りて来られた、という状況は、ただ”肉体”という着ぐるみを着て来てくださったということではなく、あらゆる限界や弱さをまとい、死に向かっている老人の姿のようになられたようなものなのです。

 人が老いる以上に、極限に「空しく」なられ、「死」に進まれたのです。それは私たちが「創造主」に出会い、「創造主」に帰る(救いを得る)ためのものでした。

 

おにぎりむすび

 ① ”老い” は、「空」を味わうために与えられた期間。

  ・・・「空」から逃れられないように、例外を除いてすべての人に与えられた期間です。

 ② ”老い” は、「創造主」に帰る備えをするための最後の ”あわれみの招き”。

 ③ ”老い” は、キリストに似た者となることを知る ”恵み” の期間。

 

バイバイ次回へ続く