いじめ |   kitchen aki 美味しい毎日

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kitchen akiを始めて早や6年、たくさんの方に出会い、助けられここまできました。ゆっくりマイペースでやらせいただいているのに、こんなに続けられて感謝の毎日
相変わらずいろんなことに好奇心いっぱいのakkoさんですが今はなかなかできません。
 

2006.11.14(TUE)

先日にタムラさんのいじめの告白 を読んで私も昔のこと思い出しました

私は小学校からずっと根暗で友達もほとんどいませんでした。

でも特にいじめられた記憶はありません


中学に入ってからでした。

暴力をふるわれたとか、何かを隠されたとかということもなかったです

でも無視されました。

そのきっかけはほんのささいな事でした。


今から40年も前のこと、在日朝鮮人や今で言う部落の人はすぐにわかりました。

住んでいるところで、みんなにわかってしまう。そしてその人たちは貧しい人が多かったです

(私たちも、もちろん貧しかったですが、それ以上の貧しさだったのでしょう)

食べ物のせいか生活環境のせいか、その人たちは匂いました。制服もテカテカに光って(汚れで)


私たちは一歩距離を置いていました。

でもある日私は机が隣同士になった張さんという朝鮮人の方と話しをしたのです。

私が教科書を忘れて彼女に見せてもらい一緒に下校したのです。


それからでした。私が普通に話しかけていっても、なんとなく避けるのです。

張さん以外の女生徒が・・


もちろん全員じゃありませんよ

私のクラスは数人の優等生(彼女たちは、いじわるもしないかわりに、特別かばいもしません)

私はその優等生たちにギリギリついている成績でした

そして7割以上のあまり成績がよくないグループに分かれていました。


その7割のグループの女生徒たちに完全に無視されたのです

でもその時点では”フン、別にいいもん、あなたたちに話してもらわなくても・・”とたかをくくっていました。

私には本という強い味方がいたから・・


しかし体育祭が近づいてきたある時、あの時代は男子は組み体操、女子は創作ダンスのクラス対抗戦が

あったのです。


そして創作ダンスのまとめ役というかリーダーにさせられてしまったのです

彼女たちの陰謀で、

それから毎日放課後みんなでダンスを考え、練習しなければいけないのに

だれも協力してくれずに、固まってしゃべってばかりなんです


優等生グループの人たちはそれなりに協力はしてくれたのですが

他の人たちがしないので、私のクラスだけ遅れるばかり

私も焦るばかりで、なにもできずにいました。

半分やけくそで”できなくてもいいわ 私一人叱られるわけでもないし・・”と


後3日で体育祭という日、いままでの様子をみていたのでしょう

クラスの男子が怒ったのです。

”おまえら、なにしてんねん。そんなやらしいことすんな! 〇〇(私のこと)がこれだけ

 毎日頑張っているのに。同じクラスの仲間やのにそんないじわるするなや・・・”


終礼の時にこんな話になって、それまでまったく知らなかった先生もビックリしてました。

それからその日は遅くまで女子だけで話合いがされました。


どこまで話したのか、いじめの原因などはもちろんわからずですが、なんとかまとまろう

ということで、2日間他の授業もあけてもらい、夜遅くまで練習し、体育祭当日までには

なんとか形は整いました。


まあ結果はいわずとしれた最下位でした。

そのあとも、特別仲が良くなったというわけではありませんでした。


私絶対公立に行って、彼女たちと別れたいと思っていました。

二度と彼女たちと会いたくなかった。


その後実際一度も彼女たちには会っていない。


こんな昔の小さな出来事さえ忘れていない。



でも、その時に私の選択肢に『死』という選択肢はなかった。

逃げることは考えた。媚びることも考えた。


あれから40年、私はいっぱい楽しいことを経験した。

これからもまだまだ楽しいことをやるつもり


どこかで誰かが(私のときのあの男子のように・・)見ています

だから、だから

死なないで、死なないで!


きっと!きっと!何かいいこと待っているから・・・