11月にいわきが生んだ偉大な作家、
吉野せいさんに因んだ講演会を催すということで、お招きを受けている、、(あれ?自分で講演する場合は何て言うのだろう?)ので、
しみじみと、じっくりと彼女の小説を読んでいる。
なんということだ。
その感受性、その言葉、その高潔な眼差し、清貧な日々の営み、、
絵画で言えば、ミレーの「落ち穂拾い」を彷彿とさせる。
私も高校生の時は文学少女だったのだが、
その頃に彼女の文章に触れていれば、いまの私はいない?かもしれない。
芥川龍之介も、彼女の文章を読めば、自殺を思いとどまったかも?
いやいや、そんなことはないか、、。
あの頃の私に、「落ち穂拾い」は、ムリな話だ。
私はあの頃、ゾラに心酔しユングに突き動かされていた。
疾風怒濤のような書物の嵐に身を晒して、
その大粒の雨を唇に受け、立髪を烈風にさざめかし、嘶く馬のように人生に飛び出そうとしていた。
ミレーの世界が見えなかった。
私は刺激を求めていた。
幸せの青い鳥はそこにいる。
ヘミング.ウェイに憧れる私が、今、いわき市小名浜出身の吉野せいに、その偉大さを見る。
文章に浸る喜びに溢れた素晴らしい夜だ。
我が故郷が生んだ素晴らしい作家に敬意を表したい。
そして、本を読む静謐な時間に感謝しよう。