7月14日から始まった4か月研修が、10月31日に無事?終わりました。

途中でバングラデシュ人の研修生が体調不良→ホームシックになり本帰国となったのは始まる前には予想できなかったことですが、致し方ありません・・・。





マレーシアチームとミャンマーチームは昨年すでに義足ワークショップがオープンしているので、帰ったらすぐに働き始めることができる体制です。


今年新たにオープンさせる予定だったバングラデシュについては、スタート時で2人だった研修生が一人になり、残されたその一人がどうも心もとないので、追加で一人のみ新たに研修に来ることに決まったようです。



と聞いたのが研修終了のわずか一週間前。


やれやれ、ひと安心と思ったら、息つく暇もなくまた4か月(たった一人のための)研修が続くことになるようです。



7月14日に始まった国際研修、2か月ほど経ちましたが、いろいろなことがありました。



そのことが起こった当日に書くと怒り沸騰で何をどうしていいものやら分からなくなりますが、(おそらく後で読んで消したくなるような記事に)時間が経つとちょっとは冷静に物事を見ることができるようになるので、振り返りながらぼちぼちと綴っていこうと思います。



7月、ムスリムの人には一年で一番大事なラマダン(断食)の時期です。一か月間、日の出から日没までの間水や食事をとらず、断食明けには大々的なお祭りをするというもの。

バングラデシュから来ていた二人の研修生のうち、一人がムスリムでした(もう一人はインド系でヒンズー教徒)

断食最終日は週末ではなく、普通に研修がある月曜日でした。

「ラマダン最終日は、大切な日だからモスクに行ってお祈りをしたい。午前中抜けていいかなぁ」と言っていたのですが、研修生の義務として8時には研修に来ていなければなりません。

彼の主張を認めたらほかの宗教(たとえばヒンズー教の祝日など)の欠勤も認めなくてはいけなくなるので、

「8時に研修に間に合わないのであれば、行ってはいけません」とハッキリ言いました。


彼は、それを聞いた上で、月曜の午前7時に隣室のマレーシア人に

「アキヨから許可もらってるから、これからモスクにお祈りに行ってくる」と勝手に出かけていったそうです。

それを聞いた時には怒り心頭でした。私はそんな許可をした覚えはありません。。。。。。



結局午前11時ころに戻って来て、ドクターも「まぁ、彼らの宗教では一年で一番大事な行事ってことで。理解してあげましょう」とお咎めなしで終わりましたが、そこに至るまで

「なんで外国人の彼らが勝手に出かけていけるわけ??」(それは、前にモスクに連れて行ったことがあって、そこへの行き方を教えたことがあるから。毎回お世話するのもこちらの負担になるんですけど。)

「なんで研修生が個人的に携帯番号持ってるわけ??」(個人的に家族に連絡とりたいからですよ)


と上の人から責められ続けました。




私としては、土日、どこにも行けないとかわいそうなので、他の人の車に頼ることなく、大通りまで出て行けばソンテウ(乗合バス)で安くしないまで出ていけるよ、ということを教えたかっただけなのですが、それがこんな形になってしまうとは。。。


その日のうちに、「研修生のパスポートは、彼ら自身に持たさないように。事務所に保管しておきなさい」というお達しがでました。





まあ、途中で逃亡する人はいないと思うんですが。








と思っていたら、8月に入ってもう一人のバングラデシュ人が、急に体調が悪くなり緊急入院することになりました。おそらく、心筋症のような症状だと思います。(ドクターによると、心臓の血流が一時期悪くなっていたような旨のことを言っていたので) 

二日入院したのですが、その期間、個室に空はなく20人ほどがまとめて入っている大部屋で、タイ人しかいない中でよほど心細かったのでしょう。毎日「帰りたい」と訴えており、あまりにも気の毒に思ったドクターから「本来であれば5日ほど入院して薬剤を打った方がいいのですが、落ち込みようがひどいので、いったん退院して、薬の服用を続けて様子を見ることにしましょうか」と電話がかかってきました。

なので、2泊したところで退院。



心臓の調子が悪くなり入院して「この国では死にたくない」と思ったのか、しきりに「国に帰りたい」と言うようになりました。

軽いホームシックなのかな、と思ってみていましたが、その思いは日に日に強くなり、私に泣いて「お願いです、帰らせてください」とすがりつくまでに。

研修生仲間たちは、「あと5週間で大腿義足が終わるから、それまで頑張ろうよ」と励ましていたのですが、本人は「大腿義足のコースが終わる前に僕の人生が終わるよ」と笑えないジョークを。。。



心臓の状態そのものは問題なくなっていたようなのですが、今度は精神的な問題です。




財団の上の人たちは「すぐに送り帰すべき」「いや、国家プロジェクトなのだから、そう簡単に帰すわけにはいかない」と意見がわかれ、その状態が1週間以上続きました。


続行派の先生は、彼を呼び出して「これは国家レベルの重大な任務なんだよ。(実際、彼らの出発の時には首相が激励に出てきたそうです)わかってるのか。もうしばらくの辛抱だ。がんばれ」と鼓舞しますが、彼の心には響いてません。


彼が日に日に萎れて行くのを見るに見かねて、(本当に、自殺してしまうのでは、と心配するほど疲弊してました)

「こうなったら実力行使しかない。もう研修に出るのやめて部屋にこもってなさい」と言ってしまいました。



その、彼が研修を拒否した日に、続行派の先生もようやく折れて「仕方がない。。。」と送り返す派に。





それから、今回のバングラデシュ人研修のスポンサーであるタイ外務省の担当者に連絡をいれ、そこから彼の本帰国の手続きが始まり、8月31日に本帰国となりました。


本帰国が決定してから、喜ぶのかと思いきや、今度は「帰ったら上の人になんと説明すればよいのか」と不安になったようで、それも鬱々とした日々を過ごすように。





そして、本帰国した彼からは「戻ってきてから、勤務先の病院に行ったけど、上司に『なんで途中で帰ってきたんだ』と怒られ、仕事をさせてもらえない」と連絡が入ってきました。



むむむ。。。



体調が悪くなったのをきっかけに、ホームシックが強くなり、というのはちょっと苦しい言い訳か。
実際、初めにもらった医師の診断書には『心臓機能には問題なし。研修を続行して差し支えない』とはっきり書かれているのです。





たしかに彼は途中で帰ってしまったけれど、研修をした内容のみに関していえば、残っているもう一人より格段に腕はいい人なんです。


残っている人が研修を無事終えて、バングラデシュで新しい義足ワークショップがスタートした際には是非助手として一緒に働いてもらいたいと願っております。

昨年12月にミャンマーのヤンゴンにある国立リハビリ病院の中に設立された義足ワークショップ、今年の5月に第1回のフォローアップに行って、今回は9月1日~4日の日程で、2回目のフォローアップに行ってきました。

行きのチェンマイ‐バンコクの飛行機。今回はバンコクエアウェイズで、バンコク乗継で チェンマイーバンコクーヤンゴン の行程でした。


前回のフォローアップ同様、機械類のチェックと義足を受け取った患者さんの自宅を訪問して聞き取り調査、が主な目的です。



初めに病院長に挨拶がてら簡単なミーティング(前回のフォローアップの時とは違う方に代わっていたので、その説明も兼ねて)を行いました。また、今年の国際研修に来ているミャンマー人の3人のうち2人はこちらの病院から派遣されているので、その研修の報告も。

新しい病院長は女性のドクターでした。



ミーティングを終えて、義足ワークショップに向かうと、懐かしい顔ぶれが。



去年研修に来ていたティーさん(男性)と、ミンミンさん(女性)です。
左は財団のダイレクター。





また、今年研修に来ているサンさんの奥さんは同じ病院の義足ワークショップで働いている方で、すてきな砂絵の額をお土産にとプレゼントしてくれました。






別のミャンマー人研修生の奥さんも、今回の私たちのミャンマー訪問に合わせて来てくれました。(私が研修生から、奥さんと娘さんに渡すお土産の運び屋を頼まれていたこともあり)




そして、義足ワークショップに立ち寄り、メカニックのソムキアットさんが機械類のチェック、故障の時のためのスペアパーツを渡したりしていました。


ここまでを午前中に終わらせることができたので、本当は翌日の予定だった患者さん訪問をこの日の午後に早めてもらいました。



一人目の患者さんは、25歳の若者。交通事故によるものですが、2008年に事故で切断したのち、どこでどのようなサービスを受けられるかもわからないまま5年も経っていたようです。今年に入って、近所のおばさんが「国立リハビリ病院に行けば、義足を無料で作ってもらえるよ」と教えてくれたので、行って作ってもらったという話をしていました。


やや言わせている感もあるのですが、「この義足はどこから来たか知っていますか?」と財団のダイレクターが質問すると

「タイからもらったと聞きました。本当にありがとうございます。」お礼の言葉が。


私たち、財団のスタッフと、ヤンゴンタイ大使館の一等秘書の方と、病院スタッフで義足を作ったティーさんと、タイ語とミャンマー語の通訳さん、大人数でおしかけることとなりましたが、飲み物や果物、お菓子など、テーブルいっぱいに準備してくださっており恐縮でした。



インタビューが終わった後に、協力の謝礼とチェンマイからのお菓子のお土産を渡して、ご家族のみなさんと記念撮影。


かえり道、「さっきの男性、どこかで見たような顔だなぁ、、、」と思いながら、デジカメの写真を見てると、なんと前回の5月のフォローアップの時にちょうど歩行訓練をしていた人でした!


5月26日の写真
今年前半にタイ人の研修が終わったところですが、7月から外国人の研修が始まりました。
7月14日から10月31日まで、4か月間です。



今回はバングラデシュ、マレーシア、ミャンマー、タイの4か国合同になります。





バングラデシュとミャンマーはタイの外務省の(日本でいうとJICA,タイでいうとTICA)の援助によるプロジェクトです。ミャンマーチームは昨年研修に来た人たちが働いているところから追加で2人と、また別の軍病院から一人追加で来ました。


2013年にミャンマー、ヤンゴンの国立リハ病院での義足ワークショップ設立の様子はこちら

http://ameblo.jp/akiyo9244/entry-10076639594.html


マレーシアは、去年来ていたクアラルンプールの仏教系慈善団体が無料で義足を提供するプロジェクトを行いたいといって始まった団体から追加で2人来ました。
このマレーシアチームはは一人がインド系(ヒンズー教)、一人が中華系(仏教)、去年来ていた人はマレー系(イスラム教)という、バリエーション豊かなメンバーです。





開会式の様子。





英語で各自自己紹介をしてもらいます。タイ人のこの人は「英語で自己紹介なんて、、、」と名前だけ言った後、何をしゃべってよいかわからず照れ笑いをしています。


この国際チームになぜタイ人が入ってきたかというと、今年前半研修をしていた中に双子がいたのですが、そのうちの一人が化学薬品に著しく弱い体質だったため、樹脂類を扱うことができず(近づくだけでもめまいがして倒れてしまう)泣く泣く途中離脱しました。 その後、残った一人では大変だろうというので、追加で一人探してきたものの来年のタイ人の研修を待つよりは今年後半の国際コースに一緒に組み込んでしまおう、(ただし講義は英語で)という少々乱暴な理由で合流と相成りました。もう一人タイ人の男性がいるのですが、もともと彼はアユタヤの会社で働いていて、その会社は長年にわたり義肢財団に技術的な援助をしてくれていました。もうすぐ定年、となるところで、「ここはひとつ義肢財団の役に立ちたい。つきましては、義足を作る勉強をさせてもらえないか(=そしてゆくゆくはモバイルユニットで義足を作るスタッフとしてお手伝いしてい)」ということのようです。


ながくなりましたが、今年の国際研修は4か国合同で、というまとめでした。





ターチャイ先生の講義




下腿義足製作の練習



マーケットでお買いもの。平日はタイ料理ばかりで多少辟易してる彼ら、週末に自分達の好きなものを自分で料理できるとあって、お買いものの時はウキウキしておりました。

またまたすごく遅くなってしまいましたが、6月上旬に2週間ほど一時帰国してまいりました。

時間が限られているので会いたい人すべてに会うわけにはいかないのがツライところですが、何件か友達とも久し振りに会うことができて充実した時間を過ごしてきました。


実家ではひたすら食べては寝るの繰り返し、、、。相当怠惰な毎日でした。


地元で、同級生と高校時代の恩師と食事をする機会にめぐまれ、その席でいきなり

「あのー、急なんだけど、明日高校一年生の授業に来てもらえないかな?」という同級生(現役教師)の依頼を受け、その高校まで出向くことになりました。


前にもこんな話があったので、USBに写真や動画を持ってきていたのでそれを使いながら授業の1コマ分をなんとか話すことができましたが、話をしたのはおとなしい子達の多いクラスだったようで、皆さん大変静かに話を聞いて下さいました。

彼らがどう感じたのかを是非感想として聞いてみたかったですね~。



そして地元にいる間はひたすら新鮮な海の幸を堪能してまいりました。
とれたての鰹やカンパチ、甘海老をこれでもかというほど食べた結果、体重がおそろしく増加し、


タイに戻った時の同僚の一言目が「アキヨ、、どうしたの(こんなに太って)」でした。



でも充実した日々でした。


お世話になった皆様に、感謝です!







http://www.tenkawa-cm.com/


フェイスブックページもあります
https://www.facebook.com/komloi.chiangmai



直前のお知らせで失礼します。



本来は5月25日(日)に開催予定だったイベントがクーデターや夜間外出禁止令などの影響で6月7日に延期になりました。

ついに明日!です。




タイ戒厳令発令に伴い、開催を延期しておりました天河プレゼンツ「北海道へ行こう!!写真甲子園」の開催日が今週土曜日6月7日に決定いたしました!!
当日は予定通り和食やインターナショナルブース。
そして、ヨーヨー釣りやミニゲームと言った日本の「縁日」ブースの他。
全品、日本から直輸入のリサイクルショップ「モノココ」の出張ブースをご用意しております。

場所:チェンマイ大学美術館(土の家のカフェDinDeeのある敷地です)

15:00 「縁日」食事・ブースオープン
18:00 開会式 日本・タイ国歌斉唱
18:05 来賓者・天河代表ご挨拶
18:20 ターサトイ太鼓演奏
18:40 レジナ高校合唱団合唱
19:00 休憩
19:30 決勝進出者によるプレゼン質疑応答
20:50 Hug Academy ヨサコイ ソーラン
21:10 審査発表
21:40 閉会宣言⇒散会

近頃は雨が降り始め若干過ごしやすくなったチェンマイですが、ブースには雨よけ日よけのテントを張っております。
また、イベント本番会場は室内と成っておりますのでゆっくりとご鑑賞いただけます。

是非、お誘いあわせの上ご来場お待ちしております。





「天河」とは何?なのですが、2011年の3月11日の東日本大震災が起こった時に多くの国から日本への支援、応援をいただきました。タイも例外ではなく、タイ国内で多くの人たちが日本のために寄付をし、祈ってくれました。その気持ちに対する感謝と、亡くなられた方への慰霊祭として2012年、2013年に追悼イベントをタイのチェンマイで開催してきました。3年目となった今年はこれからもずっと続けていくイベントとして、日タイ友好を主な目的し、北海道とチェンマイが姉妹都市として提携されたのをきっかけに、北海道の東川町で⒛年以上行われている高校生の写真甲子園にチェンマイからも参加できれば、と写真コンテストを主催することになりました。

5月に予選が行われており、当日は午前中に決勝進出した5チームがそれぞれ写真の腕を競い、最終審査の会場のまわりでは日本の縁日や各国料理がならびます。写真甲子園に参加する高校生たちを応援する人も、縁日を楽しみたい人、日本の味を堪能したい人、どなたでも大歓迎です。

楽しいイベントになりますように!

久し振りのブログの更新がクーデターとは、、と思いつつですが、

5月22日16時半、クーデターとなりました。


http://www.yomiuri.co.jp/world/20140522-OYT1T50151.html?from=ytop_main1

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【バンコク=石崎伸生】政府側と反政府派が対立するタイで、プラユット陸軍司令官が22日、クーデターで全権を掌握したと発表した。

 これによりタクシン元首相派の政権は崩壊した。タイでのクーデター宣言は、タクシン氏失脚につながった2006年9月以来。軍は憲法を停止し、双方の主要メンバーを拘束する一方、暫定内閣を発足させる方針で、タイ情勢は新たな段階を迎えた。だが、国際社会の批判を浴びるのは必至だ。

 司令官は事実上のタイ軍トップ。22日午後5時(日本時間午後7時)過ぎにテレビ演説を行い、「国を早期に正常な状態に戻すために、午後4時半(同午後6時半)をもって軍が国家の全権を掌握した」と発表した。軍は、全土に午後10時から翌午前5時までの夜間外出禁止令を発令した。

 一方、司令官は演説で、「国民は通常の生活や仕事を続けてほしい」と呼びかけ、公務員に向けても通常業務を継続するよう求めた。

 今後は、司令官をはじめ陸海空軍や警察の首脳で構成する「国家平和秩序維持評議会」が国家運営にあたる。同評議会は22日、王室に関する規定を除いて憲法を停止したと発表。現内閣を停止したほか、全てのテレビ局やラジオ局に通常放送を中止して同評議会の発表を放送するよう命じ、5人以上の政治集会を禁止した。

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以上、引用



その後発表された内容によると23日(金)から25日(日)まで学校の休校、など。


今週日曜日に日タイ友好イベントを企画していたのですが、こういう事態のため無期限延長せざるを得ず、、、残念です。






お店などが通常より早く閉まるようですが、とりあえずチェンマイの私の周りは通常通りで過ごしております。


3月6日と7日、スタッフ全員の安全確保のための勉強会がありました。


よそから指導係の人が来られ、職場で使っている材料や機械について危険性の認知の必要性、事故防止法などについて学びました。






初日の午前中は安全確保のためのレクチャー


2日目の午前は具体的な事例を含めたビデオ上映とレクチャー
午後には4グループに分けて現在の職場の問題点とその改善方法について書き出してもらう、というようなことをしました。





そして代表者が発表




普段気付かない職場の安全確保について、皆の意識が高まったいい機会だったと思います。
日本から義肢装具学科の学生さんがチェンマイに来られ、

「象病院って、どうやって行けばいいんでしょう」と聞かれたので


うーん、公共のバスが止まるようなところじゃないしなぁ~、と日曜日にご案内することに。


前から誘ってみたかったお友達親子も一緒に行ってきました。






熊本にある専門学校に通っている坂元さん、そしてチェンマイのお友達のノッケウちゃんと、娘のやっちゃん。




モタラとモーシャは元気かなぁ~、と思ったら、モーシャはお昼寝&ごはん




そして義足は奥に鎮座しておられ。。。


モーシャの象使いの人に聞いてみたら「曲がっちゃっててはけないんですよ」と。
わわわ、申し訳ないです。なんとか早く修理に。






他の一角で、檻の中にいた象さん(おそらく5,6歳)が、外に出されていきました。




象使いさんがバナナを持って連れ出したので、私たちはのんきに「散歩かなぁ~」と思って見ていたら、
いきなりくるりと私たちの方に方向転換し、かけよってきました。



象ってけっこう走るの早いんですよね。

あわてた象使いさんが、私たちに「早く逃げて!」というので私たちも逃げました。




はたから見たら「一緒に遊ぼう~♪」と駆け寄ってくるかわいらしい小象さんではあるのですが、体は私たちよりも大きくて、力の加減ができなかったらふきとばされてしまいそうな勢いです^^;




そののち、売店へ




象さんのレプリカや、今までモーシャとモタラが使っていた義足が展示されていました。
6歳(もうすぐ7歳)のやっちゃんがすっぽり入ってしまいそうなサイズ、ですね。




売店には置物、Tシャツ、キーホルダーなどが販売されてます。売り上げが象病院の寄付に。私も緑のTシャツを一枚購入しました。



別のコーナーには、ブンミーちゃんという12歳の象さん

とてもひとなつっこい象さんでした






手を出すと、鼻を出してきてご挨拶してくれます。 握手♪




何度も握手して遊んでたら、象使いさんが「これ、あげる?」とバナナを持ってきてくれました。
やっちゃんも、ドキドキながら象さんにバナナをあげることができて大満足!



実はこのひとなつっこいブンミーちゃんも、ミャンマー国境で地雷を踏んで足の一部をとばされてしまったようです。(足底のすべてではなく一部が欠損しているので、なんとか体重をかけることはできる状態)


今でも地雷の被害が続いて象さんも傷ついているのは悲しい現実ですね。

1月の頭から研修が始まって1か月半ほど経ちました。

途中、二人が追加で入ってきて、一人が体調不良のため棄権して、現時点では22人の研修生。











今まで見てきた中で、やる気がないわけではないのですが、緊張感がないというか、なんというか、、、、。


今までの研修生はちゃんと朝時間通りに来てたし、作業が夜遅くまで続いても文句を言うこともなかったのですが、今年の研修生(一部)は4時半を過ぎて作業や講義が続くと

「もう5時ですよぉ~、まだやるんすか?」 みたいに聞いてくる。

デモ(見本)の作業をやっている合間や、他の人が作業をしている間にひまになるとタブレットや携帯を開いてLINEやフェイスブックでチャット。

それを隠そうともしないところが、なんとも。。。。


小学生や中学生ならまだしも、(一人の17歳の少年を除いて)みんなきちんとした成人なんですけどね。


こちら側は教えるという義務は果たしますが、研修生側がやる気を見せないと、張り合いがないってもんです。。。