藤田新  -5ページ目

投稿の幻想

先日、美術商さんと話していた時のことです。
作品を預けて、展示会をしてもらうのですが、作品と一緒に8月の名古屋の個展で初めて作った制作の解説パネルを渡しました。
自分がいない場所での作品を説明する時、極端に言えばどのように説明されても構わないので、パネルは使っても使わなくても良いのですが、個展ではブログを書いていることもあって、一貫した立場を持ちたいのでこういう解説を作りました、と話しました。
美術商さんはこのブログを見てはいないのですが、何故、ブログを書くのですか?文章を書くのは大変でしょう・・と言われて直ぐに頭に浮かんだ答えは、


 「世界が変わる幻想を得られるから」 でした。

Wordで作った文章を紙にプリントして校正し、ブログの下書きにコピペして一番下にある「投稿する」をクリックします。

 

               
                 
「投稿する」感覚は多分これしかありません。

文章が波動するエネルギーのように手で触れているパソコンから広がっていくように感じられます。

作品が出来た瞬間は一人でいる時です。作品を作って発表するまでには段階がいくつもあって、作品が並んだ時に感じることはありますが、出来た瞬間の感覚とは違います。

本当に世界が変わるわけではありませんが、そんな幻想を得ることが出来ます。


美術商さんは妙に納得してくれました。


いつも味わえるわけではありませんが、そうありたいと思っています。
 

 

 

 

福本潮子氏の作品

福本潮子氏の作品

『白と黒/光と影』という展覧会があります。


タイトルの二項対立のイメージの原型は宗教的にはゾロアスター教まで遡り、西欧の基底のような感覚を思い起こさせます。
しかし日本では和室の闇の静けさのように二つのものは対立とは言い難い関係を持っています。
西欧と日本の差異がどう表現されるかという期待を持って展覧会に行ってきました。


率直な全体の印象は、白いバージョンの作品と黒いバージョンの作品が並んでいるというものでした。



ただ福本潮子氏のこの作品が心にかかりました。

 

  Sunlight             


作品の右側は黒く染められたように見え、左側は白く染めるというより塗ったように見えます。その間に上から下へ三角に生の布が縫い付けられてあります。



心にかかった理由が気になり、この展覧会の企画に影響したと思われる、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」 を読んでみました。

「試しに電燈を消してみることだ。」

で終わるこの文の少し前にもう書いてあります。

「既に日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、老人などは置き去りにして勇往邁進するより外に仕方がないが、でもわれわれの皮膚の色が変わらない限り、われわれにだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならぬ。」

皮膚の色の差で明るい照明の下では西欧の人より美しくは見えず、和室の闇の中でこそ美しくなると陰翳を礼賛しているものの、日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、電燈を消す人がいないことは作者も分かっています。

 

この文章の底には「諦観」が流れています。


福本潮子氏の作品の三角形の生の布は、か細くもそこに在ります。

心にかかったのは、ここに同じ「諦観」を感じたのだと思いました。
 

 

 

 

遺影の表情

決して幽霊と共にいるという世界像を持っている訳ではありませんが幽霊は存在しないという世界像も持っていません。
 

母が他界して一年が過ぎました。
入院していた病院がかなり離れていたこともあり、亡くなる時には間に合いませんでした。

父の時は連絡を受けて病院に夜付き、家族そろった10分後に逝ったので揃うのを待っていたように感じました。
そんなこともあり、母も待っていてくれるのではないか、と慌てながらも期待のような変な気持ちで病院に着きましたが、横になっている母の顔は本当にただ眠っているようで、顔に残る酸素マスクの跡と、側にいる看護師さんの様子で状況を理解するまで、少しの間、持ち直したとばかり思っていました。


父は二男だったので実家には父が他界した時初めて仏壇が置かれました。
位牌は先祖代々というもの、父のもの、母のもの、と3つになり、仏壇の前の写真も2つになりました。

お線香をあげて手を合わせて顔を上げると、母の写真の顔はいつも同じに見えますが、父の顔はその日によっていつも変わって見えます。


亡くなった後、父と母は別の場所にいるように感じます。


もしかすると男性と女性の違いなのかとも思います。
 

 

 

 

『順徳院』の世界

前のブログで順徳院から今でも感じられる一種の力のようなものを書きました。

それにしても『順徳院』 藤原真由美 著 は興味深い本です。

読んでいると、歴史の説明を読んでいるというより歴史の中に入っているような気がします。
感情がリアルで、過去の出来事というより現在の事のようです。
承久の乱、隠岐に流された後鳥羽上皇、藤原定家、それぞれの関係が息づいています。

――――――――――――――
第11章 定家のこと から
 宇都宮さまの依頼で、小倉百人一首を作っているがこれは楽しい仕事だ。後鳥羽さま
と順徳院さまの歌は最後にいれることにしている。最初は天智天皇と持統天皇。父と娘の
天皇の組み合わせ。最後が後鳥羽院と順徳院。こちらは父と息子の天皇の組み合わせ。中に
平安の歌人たちの歌を盛り込む。
――――――――――――――

001 天智天皇
秋の田のかりほの盧のとまをあらみ 我ころも手は露にぬれつゝ
002 持統天皇
春過て夏来にけらし白妙の 衣ほすてふあまの香来山



099 後鳥羽院
人もおしひともうらめしあちきなく よをおもふゆへに物思ふ身は
100 順徳院
百敷やふるき軒端の忍ふにも なを餘りあるむかし成けり


百人一首というのは、ある強いメッセージを持つ歌集だったことを初めて知りました。




しかし、天皇にとって歌を詠むことはどういうことなのだろう と思います。

――――――――――――
第12章 歌詠みの天皇 から
 天皇は本来歌詠みである。歌を詠み、楽器を奏で、そして舞を披露して、神と繋がる
ことができるのだ。

第10章 佐渡の皇女 から
 神代の時代から、天皇というものは歌を詠む。それが仕事のひとつなのだ。言霊という
ことばもあるが、天皇の詠んだ歌は後世にも伝えられる。
――――――――――――

099 後鳥羽院
人もおしひともうらめしあちきなく よをおもふゆへに物思ふ身は

現代語訳
人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。

ちょっと差がつく『百人一首講座』から



この「物思う身は」は「私」ではないように感じます。
現代の「表現とは自己表出」という命題に当てはめただけのように見えます。




そんな古の世界にワープ出来る本でした。
 

 

 

 

佐渡 草刈神社

 

この画像は佐渡にある草刈神社の拝殿で、ネットで見つけてコピーしました。

 

 

近づけない・・・と思いました。

 

 

10年にはならないかも知れませんが、そのくらい前から高校の同級生が佐渡の能舞台のお手伝いをしています。

私も僅かですが寄付を続けていますが、能舞台は神社にあるそうで、半年前くらいにちょっとどんなところなのか見てみようと検索してみたらこの画像を見つけました。

 

ちなみに能舞台の画像は美しいです。

 

 

ついこの間、同級生は本を出しました。

 

著者名  藤原真由美
出版名  順徳院
価格   880円
取り扱い 株式会社マディオ http://www.madio.jp/
問い合わせ  office@madio.jp
 

送料はサービスだそうです。

 

読んで始めて背景を知りました。

承久の乱、後鳥羽上皇・・・歴史で習った記憶はありますが表面的です。

 

調べようと思えば調べられたのに、何故調べなかったのか分かりません。

 

本とはニュアンスが違いますが Wikipedia から一部引用します。

ー----------------------

父上皇の討幕計画に参画し、それに備えるため、承久3年(1221年)4月に子の懐成親王(仲恭天皇)に譲位して上皇の立場に退いた[2]。父上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的で、5月に承久の乱を
引き起こしたものの倒幕は失敗に終わった[3]。乱後の7月21日、上皇は都を離れて佐渡へ配流となった[2][3]。

在島21年の後、仁治3年(1242年)9月12日に佐渡で崩御した[2]。上皇と近かった平経高の『平戸記』の仁治3年10月10日条に「御帰京事思食絶之故云々」とあることから、同年初めの四条天皇の崩御後に鎌倉幕府が自分の皇子である忠成王を排除して土御門上皇の皇子である邦仁王(後嵯峨天皇)を即位させたことで、自らの帰京と子孫への皇位継承に対する幕府の強い拒絶の意思を知った上皇が絶食による事実上の自殺を図った可能性も指摘されている[5]。

配流後は佐渡院と称されていたが、建長元年(1249年)7月20日順徳院と諡された[2]。

ー-----------------------

 

「上皇が絶食による事実上の自殺を図った可能性も指摘されている」

 

多分そうです。

 

拝殿の画像に手を合わせてしまいます。

 

 

 

 

霊感商法の類

最近、昔の統一教会が話題になっていて、やはり少しブログしようと思っています。

そもそもこのブログを始めた切っ掛けは、絵を見る人の手のひらに金粉のようなものが見えたことでした。

それを公表するのにはためらいがあって、当時はそれ以前に比べ収まって来ていたにせよ、所謂霊感商法というものが問題になったことがあり、その類と見られる懸念でした。

最初は自分も単純に現象に驚きブログに書きましたが、今は志向する方向が当時とは変わっているので霊感商法と誤解される可能性とは別に、修正の必要を感じています。


当時は現象そのもので美術が広がるように考えていましたが、今は現象を受け止める時を含めた精神のあり様をどうすれば広げられるか、というようなことを考えています。




龍樹の言葉

「もしもわたくしに何らかの主張があるならばしからば、まさにそれゆえに、わたくしには理論的欠陥が存することになるであろう。しかるにわたくしには主張は存在しない。まさにそれゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない」

言葉は人の心を支配出来ます。 現実から離れて言葉で作った世界を現実のように感じさせることが出来ます。

カルトから知性と呼ばれるものまで、言葉は人の心を支配しています。

龍樹 <中論> -言葉の支配から離れて-


これは昔のブログに書いた引用と感想ですが、そういうことはしなかったのですが「金粉」という言葉をもし主題にしていたら違った方向へいってしまったように感じます。

もっとも、思い返すと龍樹を知る前に、日本の「空気」というものが言葉以前のコミュニケーションとして機能していたと考えていた経緯がありました。そしてそれが残っていたから今の日本があると考えていたので、「金粉」という言葉が主題になることはそもそもなかったのかもしれません。






それよりも

ネットで見たことで多分本当という話しですが、どこかのカルトから脱会させようと親族の人が説得すると、あらかじめ当人にはサタンが親族の口を借りて説得に来る、と話してあるそうで、本当に言われたようにサタンが来た、となるそうです。


ここでベースになっているのは、「神とサタンが抗争している世界」という物語です。



霊感商法とは、所謂スピリチュアルな現象を通して行う商法ではなく、この物語で人を支配して「何か」を買わせる商法です。

 

 

この二項対立の物語の説得力は強烈です。人類の歴史はこの物語のマインドコントロールの中のように見えます。物語を否定出来ないのは、項目を変えた同じ物語の中に殆ど全ての人がその中に入っているからのように見えます。

 

 

 

 

 





 

デザインの物語

新しくなったJR名古屋タカシマヤの画廊の外観です。

 

 

外側の角はカーブしています。   これスゴイです。

 

 

壁の色は漆喰状の壁材そのものの色の違いでグラデーションになっていますが、城郭の土盛りの技術を

模したものだそうです。

 

ここまではストリートピアノは聞こえないし、館内全体に流しているBGMもそのスピーカーが

画廊内には無いので、外から伝わってくる程度です。

普通の売場からある程度離れた雰囲気を作っています。

 

 

ストリートピアノからの流れは透明感のようなものを感じさせるモダンな空間で、それが流行りのような

気がします。

 

 

城壁は反対に重厚で、でもその何かを模したイメージはどこかアニメチックにも感じます。

 

 

 

 

今の芸術は無償の側面と高価な側面を二重に持っています。

 

城壁が高価な面を、それがアニメチックにも見える点に無償の側面を負わせているように見えました。

 

 

 

 

今日で個展は終わります。

 

 

 

ストリートのイメージ

前のブログの載せたマッシュアップは以前のブログにも書きました。

 

マッシュアップの検索

 

その時マッシュアップの元歌の一つの下の動画も載せましたが、その歌詞を検索してみました。

 

 

 

 

Sia - Cheap Thrills (Performance Edit)

 

 

 

オンガクガトマラナイ【Cheap Thrills(チープ・スリル)】の和訳:SIA(シーア)

から一部略

 

Come on, come on, turn the radio on
(さぁ、ラジオのスイッチを早く入れて)

It’s Friday night and I won’t be long ※01
(さぁ金曜の夜よ、すぐに行くわ)

Gotta do my hair, I put my make up on
(髪もセットした、メイクも済ませた)

It’s Friday night and I won’t be long
(さぁ金曜の夜よ、すぐに行くわ)

Till I hit the dance floor (Bada bang)
(わたしがダンスフロアを盛り上げる)

Hit the dance floor (Bada bang)
(ダンスフロアを盛り上げるの)

I got all I need
(必要なモノは全部手にしてきた)

No I ain’t got cash, I ain’t got cash ※02
(お金は手にしてない、お金は手にしてこなかった)

But I got you baby (Just you an me)
(でも、あなたを手に入れた(そう君と俺だけ))

Baby I don’t need dollar bills to have fun tonight (I love cheap thrills)
(ベイビー、今夜を楽しむのに札束なんて必要ないの(楽しむのにお金は必要じゃない))

Baby I don’t need dollar bills to have fun tonight (I love cheap thrills)
(ベイビー、今夜を楽しむのに札束なんて必要ないの(楽しむのにお金は必要じゃない))

But I don’t need no money
(わたしにはお金なんて必要ないの)

You worth more dan diamonds, more dan gold
(君はダイアモンドよりも、金よりも素敵なのさ)

As long as I can feel the beat ※03
(このビートを感じ続けている限り)

Mek di beat jus tek control
(ビートを刻め、ただコントロールするだけさ)

I don’t need no money
(わたしにお金なんて必要ない)

You worth more dan diamonds, more dan gold
(君はダイアモンドよりも、金よりも素敵なのさ)

As long as I keep dancing
(踊り続ける限り)

Free up yourself, get outa control
(自分を解き放ちな、我を忘れまで)

Come on, come on, turn the radio on
(さぁ、ラジオのスイッチを早く入れて)

It’s Friday night and I won’t be long
(さぁ金曜の夜よ、すぐに行くわ)

Gotta paint my nails, put my high heels on
(ネイルも塗ったし、ハイヒールも履いた)

It’s Friday night and I won’t be long
(さぁ金曜の夜よ、すぐに行くわ)

Till I hit the dance floor (Bada bang)
(わたしがダンスフロアを盛り上げる)

Hit the dance floor (Bada bang)
(ダンスフロアを盛り上げるの)

I got all I need (Sia)
(必要なモノは全部手にしてきた)

No I ain’t got cash, I ain’t got cash
(お金は手にしてない、お金は手にしてこなかった)

But I got you baby (Just you an me)
(でも、あなたを手に入れた(そう君と俺だけ))

Baby I don’t need dollar bills to have fun tonight (I love cheap thrills)
(ベイビー、今夜を楽しむのに札束なんて必要ないの(楽しむのにお金は必要じゃない))

Baby I don’t need dollar bills to have fun tonight (I love cheap thrills)
(ベイビー、今夜を楽しむのに札束なんて必要ないの(楽しむのにお金は必要じゃない))

But I don’t need no money
(わたしにはお金なんて必要ないの)

You worth more dan diamonds, more dan gold
(君はダイアモンドよりも、金よりも素敵なのさ)

As long as I can feel the beat
(このビートを感じ続けている限り)

Mek di beat jus tek control
(ビートを刻め、ただコントロールするだけさ)

I don’t need no money
(わたしにお金なんて必要ない)

You worth more dan diamonds, more dan gold
(君はダイアモンドよりも、金よりも素敵なのさ)

As long as I keep dancing
(踊り続ける限り)

Free up yourself, get outa control
(自分を解き放ちな、我を忘れまで)

Me an you girl, you an me
(俺と君、君と俺)

Drop it to di floor an mek mi see your energy because
(フロアに下りて、君のエネルギッシュな姿を見せてくれ)

Mi nah play nuh hide an seek ※04
(俺はかくれんぼするつもりはないぜ)

Wah fi see di ting you have weg mek me feel weak girl (Free) ※05
(俺をドキってさせる君を見たいんだ)

Cause anytime you wine an kotch it ※06
(いつも体うねらせセクシーなダンスをするだろ)

Di selector pull it up an put it pon repeat girl
(DJ曲をかけてくれ、何度も繰り返し頼むぜ)

I’m nah touch a dollar ‘na pocket
(ポケットの金にゃ触れないぜ)

Cause notin’ in this world ain’t more dan what you worth
(この世にゃ君以上に価値のあるものなんてないんだぜ)

But I don’t need no money
(わたしにはお金なんて必要ない)

You worth more dan diamonds, more dan gold
(君はダイアモンドよりも、金よりも素敵なのさ)

As long as I can feel the beat
(このビートを感じ続けている限り)

Mek di beat jus tek control
(ビートを刻め、ただコントロールするだけさ)

I don’t need no money
(わたしにお金なんて必要ない)

You worth more dan diamonds, more dan gold
(君はダイアモンドよりも、金よりも素敵なのさ)

As long as I keep dancing
(踊り続ける限り)

Free up yourself, get outa control
(自分を解き放ちな、我を忘れまで)

Baby I don’t need dollar bills to have fun tonight (I love cheap thrills)
(ベイビー、今夜を楽しむのに札束なんて必要ないの(楽しむのにお金は必要じゃない))

Baby I don’t need dollar bills to have fun tonight (I love cheap thrills)
(ベイビー、今夜を楽しむのに札束なんて必要ないの(楽しむのにお金は必要じゃない))

But I don’t need no money
(わたしにはお金なんて必要ないの)

You worth more dan diamonds, more dan gold
(君はダイアモンドよりも、金よりも素敵なのさ)

As long as I can feel the beat
(このビートを感じ続けている限り)

Mek di beat jus tek control
(ビートを刻め、ただコントロールするだけさ)

I don’t need no money
(わたしにお金なんて必要ない)

You worth more dan diamonds, more dan gold
(君はダイアモンドよりも、金よりも素敵なのさ)

As long as I keep dancing
(踊り続ける限り)

 

Free up yourself, get outa control
(自分を解き放ちな、我を忘れまで)

La, la, la, la, la, la (I love cheap thrills)

 

 

 

 

実は動画がサイトに2つあってこの役はもう一つのようです。でも凡そは同じで

訳のサイトにも書いてある この I don’t need no money (わたしにお金なんて必要ない)

という言葉は耳に残ります。

 

「お金をかけずとも楽しめる」

 

 

 

歌詞とマッシュアップを許容し著作権を否定するイメージは、商業主義の否定のように見えますが

ショービジネスが YouTube の再生回数に変わることだけのようにも聞こえます。

そして YouTube そのものは既存の商業主義には一見当たらないような商業的な会社です。

 

そして、リアルな体験はストリートピアノに。

 

 

と言っても、ショービジネスにまつわる煩わしさから自由になれるのはその通りかも

しれませんが、ショービジネスがストリート的なショーを作るというのも予想される反応です。

 

 

 

芸術は高価であると共に無償のものというイメージを併せ持つものになりました。

 

 

 

 

 

ストリートピアノからこんなことを思いました。

 

 

 

 

 

 

ストリート系

ストリートピアノで連想出来るのは、昔もブログしましたがマッシュアップで

 

 

 

面白いですが、YouTube で勝手に聞けます。

4500万回以上の再生回数で、経済活動になっているのか分かりません。

 

曖昧な記憶ですが元曲を作った Alan Walker  は著作権とか言ってないような、です。

まるでストリートピアノのようです。

 

 

 

 

バンクシーも同じように町中にあってタダで鑑賞できます。

 

 

 

反商業主義は社会的正義というベースの上に

芸術はフリーで所有することから距離があるイメージが出来たように見えます。

 

高価なものであると同時に無償のものになりました。

 

このイメージの影響は信じられない位大きなものです。

 

 

 

将来今の音楽のように現物と遜色ないプリンターが出来るかも知れませんが、

今、絵はダウンロードという訳にもいきません。

 

 

 

今回初めて描いた、13×13cm の小さな絵です。

額もアクリルを設計して自分で組み立てて5万円です(笑)

 

絵は内視現象をモチーフにした羽衣です。

作ってみて始めて分かりましたが、額の回りの白い部分をこれは5mmですが、

8mmにしてもよかったような気がしました。

 

 

 

 

ストリートピアノ

個展の会期中、NAGAYA JR GATE TOWER HOTEL に泊まっています。

 

 

写真の奥がホテルの入口で入って左に曲がるとフロントがあります。

 
 
反対を向いて、毎朝この通路を歩いて突き当りのガラスの手前を右に曲がるとJR東日本の
本社オフィスで、通り過ぎてエスカレーターで降りるとタカシマヤの13階のレストラン街です。
 
 
この突き当りのガラスの壁面の前にピアノがあります。

 

 

ガラスの高い天井の下、ピアノの音は角を曲がってJR本社の前まで聞こえます。

今朝の最初のピアニストが演奏を始めたところです。奥はスタバ。

若い女性で友達が動画撮影中です。

 

何回も前を通ると同じピアニストを見かけます。

一人が終わると次の人に入れ替わり、きっと近くで順番待ちになっているのかも知れません。

 

ピアニストの巧拙は色々で、上手な時は周りに人が集まって終わると拍手が起きますが、

そうではなくミスタッチがあっても何とも言えない感じがします。

 

この「生」の感じはBGMでは感じません。

不思議です。

 

たとえミスタッチがあっても心に沁みるようです。