この前メモだけ書いた話をもうちょっと書こう。

この動画を見たのですよ。

 

 
びっくりしたんだよね!
 
「自然を憎悪している人もいる」という話を聞いたことがあったけど、どういうことだろうと私は本当に分からなかったのですよ。
 
「虫がこわいからアウトドアは無理」とか
「家でゲームがしたいです」とか
そういうレベルじゃないからな。
 
自然を憎悪って。
 
 
動画を見て、「ああ、こういうことがあったのか」と やっと分かったよ。
 
 
 
 
災害で残酷な目に遭うこともある。
でも、自然から恩恵を受けていることも分かる。
つらいのに憎悪だけの気持ちにはなれない。
 
自然に生かされもするし 殺されることもある、そのいいとも悪いとも言えない やり場のない複雑な心境が、畏怖の心とか もう一段高いところ・深いところの感情につながっていきそうに思うんだ。
 
それが畏怖になるのは、日本的な心の様子なんだろうな。
 
 
 
でも、そういう複雑さとは違う憎悪を 自然に対して抱くことがある。
その理由や背景や状況が分かってスッキリした。
 
本当に、森に暮らしや命を脅かされていたことがあったんだ。
 
 
 
人々が住んでいる場所から近い森に狼や盗賊が住み、本当に暮らしが脅かされる。
 
隣の集落につながる道も 落葉広葉樹の落ち葉で埋もれ、集落どうしのつながりが断たれる。
 
日本のように山の起伏があるわけではないから、一度森に入って道に迷えば どっちを見ても木ばっかりで もう方角が分からないから帰還は絶望的。
 
そんな森の木々を切り開いて、暮らしを助けた人々がいたんだね。
 
キリスト教 シトー派 という人々だそうだ。
 
彼らのおかげで、その地方で起きていた「森に人間が滅ぼされる」が解消され、人もだんだんと増えていった。
 
 
 
暮らしはよくなるのに、なかなか喜ばれないところもあった。
 
さっきの動画によると、そんなキリスト教とは距離を感じていた農民たちは、森信仰、自然信仰があって、森や自然に女神を感じていたみたい。
農民たちは 森を切りたくなかった。
 
森との戦いは、自然の女神との戦いでもあったわけだ。
 
 
大地の女神や女性性と関係があるという恒星アルゴルが「最凶の恒星」と言われたりするのは、こういうところと関係があったんだろうな。
 
森に限ったことではなくて 地域が違えばほかの自然(砂漠とか)と戦っていた人もいるはずだ。
 
こういう人にとっては自然は征服すべきもの、負けられない相手だったはず。命懸けだ。
 
森砂漠などのや自然と 本気の善意の気持ちで戦っていた人々の魂とつながりが強い人(前世でそうだったとか グループソウルとか)は、
現代でも自然を憎悪する気持ちでいる可能性がある というふうに考えられる。
 
 
 
 
その心に対して「改心すべし」と偉そうなことは言えない。
 
「あのときは、あの状況での こういう経緯で 自然が憎かったんだ」というのが分かれば、感じ方はまた違ってくるかもしれない。双方がね。
 
自然そのものが憎かったんじゃなくて、
「あのときは、あの状況だったから」
「今は状況が変わったんだな」
ということに どこかで気づくかもしれない。
 
その状況では自然や森や砂漠が憎いのはそりゃ当然だけど、状況が違えば感じ方が変わってくるかもしれない。
 
 
 
咎めるとか 変えようとか 癒そうとかじゃなく
ただ 起きていたことを知る
その当時のことを知る
そして今の状況を知る
それで変わることもあるのだろうな
当事者も 当事者じゃない人も。
なんて思ったりして。
 
 

 

 

miraさんより

 

 

 
 
 
 
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