「おてんとさまが見ている」
という気持ちは、けっこうおもしろいことですな。
 
 
 
ルールがないと自分を律することが難しい人
「ルールがあってもバレなきゃいい」という気持ちで ズルいことをやっちゃう人
 
「おてんとさまが見ている」の実感がないんだ。
 
 
 
「おてんとさまが見ている」を常々感じるようになると、ズルいことは 得じゃない、むしろ損だというのが分かる。
 
正義を貫くとか 立派にしようとか そんなたいそうな気持ちじゃなく、自然とやらなくなる。できなくなる。
損だから。
 
 
 
 
「おてんとさまが見ている」という言い方じゃなくてもいいんだ。
 
「司法に裁かれなかったとしても ズルは損」というのが分かるその感覚、その心のセンサーって、けっこうスピリチュアルだよなと思ったのですよ。
 
目に見えない 不思議なことも受け付けるセンサー。
 
 
H24全惑星意識をバッチリ獲得!とまではいかなくても、そのあたりにちょっと入りはじめている感じ。
 
 
 
ルールがないとズルいことをやっちゃう人
ルールがなくても自分を律する人
 
この境界線は おもしろポイントだな。
 
 
 
 
もっと高次になると、
ルールがあっても、司法に裁かれるとしても、それすら承知でやるかもしれない意識というのもあるけどね。
 
 
 
ほかの誰かにバレようが バレまいが
自分がそれをしていることを
自分自身が知っている。
 
その自分自身を通じて 神さまが見ている。
 
 
 
 
私も、数年前から 心がザラッとすることはしないようになってきた。
 
心がザラッとした感じになることをやると あとでロクでもない感じになるからな。
 
この、「ザラッとするか、気持ちいい感じがするか」が、私の中のルールとか法律みたいなものになってきた。
 
シンプルだ。
 
 
 
法則とか 法律とか ルールとか 決まりごととか、そういうのは 高次の階層では数が少ないのだそうだ。
シンプルになっていく。
 
シンプルだけど、とても厳格であるなぁと思う。
 
低次の階層になるほど 決まりごとの数が多くなる。
「あの決まりも この決まりも守らなきゃ!」
と窮屈に感じられるだろう。
 
「大事にするべき法則がたくさんある…!」
と混乱するかもしれない。
 
 
 
 
といった具合で、
「おてんとさまが見ている」って 英才教育みたいだな、すごいなと思ったのでした。