とうほうTV番組体験第2回目は鼓地区でした。今日は朝から真っ白なホワイトクリスマスでしたが、クリスマス会終了後に5分番組を2本収録しました。一応対象は小学生ですが今日はまだ小学生にはちょっと早すぎる子どもたちも多かったです。

 で、準備していたビデオカメラにいつの間にかこの幼い子どもたちが集まりました。頼もしいです、人気はカメラマンです、役割分担を決める際、カメラマンが圧倒的に一番人気でした。番組体験が主旨なのでディレクター、キャスター、タイムキーパー・・・、と役割が分担されていきますが全員カメラマン希望でした。次はタイムキーパーです?メインキャスターやリポーターに今日は手が挙がりません。

 それでもお父さんお母さんのしっかりサポートで全員がそれぞれの役割を持ち、終わってみると素晴らしいテレビ体験になりました。最後の最後に帰り際の雪合戦で大盛り上がりでした。今日も豊かな一日を子どもたちといっぱい経験できました。


 今日からいよいよ子どもたちがとうほうTVの番組づくりを体験する事業が始まりました。最初は東福井地区です。今日は午後からクリスマス会、子ども会がお年寄りを招待して一緒に楽しみます。そしてゲートボールや輪投げの競争をして、自分たちが作ったケーキを賞味してもらいます。

 それらの会の行事が終わってから少し時間をもらって番組体験です。今日は眼鏡橋と水神様がテーマです、メインキャスターとリポーターが話しをすすめ、カメラマン、メイキングカメラマン、そしてタイムキーパーが時間の管理をします。子どもたちと保護者、お年寄りの皆さんの気持ちが合わないとなかなかこういう事業はうまく行きません。が、すごくいい収録になりました。15集落の第1弾となった今日の番組収録は記念すべき番組となりました。


 修験道の郷、東峰村に似つかわしい食を考えていましたがやっとできたのがとうほうTVオリジナル修験者カレー。大きな肉は東峰村を走り回っていたイノシシで肩身肉ですがかなり上等です。かつて人吉、水上村でもよく食べてましたがこの肉は切る時から別格な感じでした。食べて見ると本当に美味い肉でした。

 じゃがいもは大倉のばあ、人参はクニエばあ、タマネギは高倉ばあと100%東峰村ばあ産!^^  勿論、修験者の山の麓から湧いた岩屋湧水100%です。とうほうTV合宿者の活力源として今後磨きをかけていきます。皿は当然、小石原焼です。残念ながら棚田米が切れたので米は熊本産でカレーはインスタントです。

 イノシシの肉が要ですが今後、益々煮込み上げとろりとした東峰村ばあ産修験者カレーにしていきます。あっ、そうそう調理人は100%とうほうTVプロデューサーです。このために新しい鍋まで買いましたから。



 村民スタッフのみなさんの活動がとても充実してきました。2年前の開局スタート時は伯夫さんと京子さんに随分骨を折ってもらいましたが最近はお二人を中心に何人もの方が積極的に動かれています。

 今回は村民スタッフによる年末年始の案内リポートを企画しました。たまたま職業柄もあって伯夫さん、京子さんは忙しいのでどうなるかな?とおもってましたが大工の辻さん、大行司の利光さん、農家の後継者の寛嗣くんらがリポーターを買って出てくれました。しかもとうとう村を飛び出して太宰府まで遠征となりました。

 現在、放送中ですがいよいよ村人が村外の情報を求めて出歩きはじめたということは多くの村民にとっても視野が広がるチャンスですので企画によっては村外情報も続けていきたいものです。まして太宰府は天神さんというだけではなく九州では歴史的にも各地に深いつながりがある神社です。これらを東峰村から紐解いていけば新たな視点で東峰村を含む北部九州が見えるはずです。

 伯夫さんがすでに地元鼓地区と太宰府の関係をある方を通して取材しはじめていますが、伯夫さんには似つかわしくないけれどとても深い歴史と文化の香りがしてきます。いよいよ今からは集落ごとの子どもリポートもはじまりますし、村民スタッフの層は益々厚くなっていきます。動いてます、東峰村。


 役場で打ち合わせがあり、たまたまその会議室に干し柿がぶら下がっていました。子どもたちが「Jr.みらい塾」という体験塾で作ったもので日本百選の棚田が美しい竹地区の柿だそうです。面白かったのは一部はネットで買ったそうです。

  渋柿を干していると甘くて美味しい干し柿になるわけですが大きさは半分から3分の1になるそうです。ひとつちぎっていただきましたがもう十分甘かったです。さっそくとうほうTVのスタジオの飾り付けのひとつにお願いできないかを相談したところ即OKをいただきました。次回第56回村民ひろばのスタジオを飾ることになります。

 ちょっとしたことですがこういう村の季節のものが、しかも子どもたちが創ったものが、とうほうTVの背景になることがうれしいですね。「村民みんなで創るテレビ」はこういうひとつひとつの積み重ねでしっかりと村の空間や環境を楽しくさわやかに創っていっています。


 久しぶりに小石原地区に行って来ました。ここに住むまでは合併する前の旧小石原村と旧宝珠山村の二つの旧村の距離はたいした距離ではないのに合併後にあまり行き来がないのが不思議でした。

 しかし住んでから2年、職業柄、常に行き来はしてますが冬になると小石原地区は九州の雪国となり積雪が当たり前、私が住んでいる宝珠山地区とは相当な違いがあります。こちらもかなり冷え込みますが今日も小石原地区の残雪に驚きました。窯元の成美家の玄関には小さな雪だるまがありました。

 雪だるまを見ながら暮らしの距離感や生活空間は住んでみてこそわかるものだなあと当たり前とはわかりつつあらためて感じました。この感覚が都市部ではわかりにくいのと知識産業のみに関わっている方々には伝わらないものです。テレビ局の仕事はまさにそうでした。

 やはり朝日、雲、青空、雨、風、雪、夕日、星と毎日接する暮らしは違います。ここが修験道の郷である意味もよくわかります。


 ちょうど2年ほど前でした。総務省に地域情報化アドバイザー制度というのがあってわたしもその一員ですがその集まりが総務省でありました。その場で提案したことがあります。地域の情報化をすすめることで地域活性化に貢献しようとするお仲間が全国にこれだけ多くいるので皆で情報受発信の実戦型プラットフォームを創りましょう!と。集まったアドバイザ―の皆さんは自分の地域で多くの人脈を持ってらっしゃるはずだからその人脈を一気通貫するネットワークをつなぎ知恵を出し合い、課題解決する場を創りましょう、と。わたしの記憶では当時は今ひとつ反応がありませんでした・・・。
 
 そして少しして総務大臣懇談会でICT利活用による地域活性化策を提案して欲しいとの依頼がありメンバーとして毎月総務省に通いました。そうこうしているうちに東日本に3.11が起こり、この国は大混乱に陥りました。しばらく開催されませんでしたが大臣懇談会が再開するやいなやわたしはとうほうTVで活躍する住民ディレクターのノウハウが被災時に最も有効に生かされることを数回に渡ってプレゼンしました。その代表人物がスクールバスの運転手で相当変わり者の伯夫さんでした。
 
 しつこくプレゼンしたおかげか?!最終的に大臣懇談会の報告書にICT利活用人材として「住民ディレクター」を推奨していただき、文章に銘記されました。その後、各所に提案は続けましたがなかなか動きは見えなかったので「これは自前でやるしかない」と急遽設立したのが(社)八百万人です。そして現在(社)八百万人のお仲間で地域情報化アドバイザ―の集まりの時や、総務大臣懇談会で提案していた一つ一つを実践しています。その大元はとうほうTVのノウハウと東峰村民の人の心を大切にする暮らし方です。
 
 1月22日に総務省で1年ぶりにこの地域情報化アドバイザ―が全国から集結します。ここでわたしはこの2年間のとうほうTVと八百万人の実践と実戦、その成果をしっかりと報告してきます。志高き全国のお仲間との再会で何が起こるのか?!非常に楽しみです。
 
@写真は(社)八百万人(やおよろずびと:通称はっぴゃくまんにん)で東日本を支援する全国30元中継のネットワーク図。

 とうほうTVは11/1の開局2周年をもっていよいよ3年目に入り、第1段階の仕上げの時期になりました。「村民みんなで創るテレビ」は何よりも気持ちが通じ合うことが前提です。昔型のピラミッド方式や縦型の組織のような型では村民みんなが繋がっていけません。ちょうど昨日から村の新しい事業の準備に入ってますが、皆さん集落や地域の一人一人のことをよく考えてじっくりと取り組まれますので企画していても本当に楽しいですね。

 発想の基本は「知恵の受発信で豊かな暮らしを創造する」住民ディレクターの理念です。わたしが平成8年春からはじめた住民ディレクター活動は新しいビジネスを起こすことを視野に入れた新しい生き方の提案です。一人一人が本来持っている資質を生かして助け合いながら暮らしていける地域の創造です。究極はまちづくりですのであらゆる分野、業界にも必要な人材として「住民ディレクター」を捉えています。

 番組づくりはそれらを実現するために便利で効率よくしかも楽しい手法ということを発見したのであって、あくまで番組はオマケです。しかしオマケもとっても美味しい時代になったのです。ただ全国を歩いていると特に大都市では「オマケ」に血眼になり、肝心のまちづくりに欠かせない人と人の気持ちの通い合いや誰もがお互いを尊重する姿勢に欠けるケースが多々見られます。そうなると本末転倒です。

 何事も志をもった一人からはじまりますが大きくなるにつれて原点の志を忘れがちです。「初心忘れるべからず」毎日がそこからスタートです。

@写真は一昨日の東峰村です。


 住田町、今朝から雪でした。昨日夕方にあった大きな地震は夜には余震も収まり平穏でした。山間部の住田町でしたから町民の皆さんもそんなには動揺はなかったのでしょうが沿岸部であの程度の地震があったら訪問者のわたし等はちょっと緊張しそうです。実際ニュース等で沿岸部の方々の反応を見ているとそんな感じを受けました。まだまだ被災のトラウマは大きく影を落としていますし地震直後の皆さんの動きはとても早いと感じました。

 NHKがしつこく「あの震災を思い出してください。すぐに逃げてください」と繰り返していましたが東日本の現地だからこそ強く響くアナウンスだったのだろうと感じました。わたしが住田町にいたのもまさにこういう時の対応を迅速に有効にしていくための事業をすすめています。結果的に夜の講座は中止しましたがイザという時にどう動けるか、との実戦だったと感じます。

 やはり地上波のテレビが主要な情報源です。総務大臣懇談会でずっと主張していたことですが地上波との連携をとる施策や事業を創っていくことがとても重要なことをあらためて感じた東日本での地震でした。


 イーハトーブ、宮沢賢治の心象世界が住田町の種が原に表れています。住田町は前回伺った時に金山の集中している所ということを知り中尊寺金堂の金の一部もここから出ていたらしいことが地元では言われています。前回はたたら製鉄の体験授業を小学生たちが行う現場に同行しました。

 製鉄に詳しい中学校長ともう一人陸前高田市の大工さんが指導されていました。校長と大工さんの話を伺っていると住田町周辺に金をはじめとする豊かな鉄鉱石が採れていたことがよくわかりました。話の中でいつしか化学的で農林業を大事にしていた宮沢賢治の現場主義、そして文学的な心象風景と宇宙が見えて来ていました。

 住田に通っているうちに森林、林業日本一を掲げる住田町と賢治の世界が自然とつながって来ました。

@写真は、たたら製鉄体験した元小学校跡