数え年の6歳になると子どもは最も甘えんぼうでもあり反抗期でもあることをいう東北の方言。民宿のじじばばから教えてもらいました。その話の元は先日東京からやってきたあるT家族の話から。

 5歳の男の子のやんちゃぶりの話からじっと聴き入っていたばばさんがぼそっと「昔から むつあまされ」というべな、と。なるほど昔の人は日本語の表現が豊かだったんだなあとこの音の響きに納得です。この地域のことばを使った住民制作番組のタイトル「ねんぷにやっぺし」(のんびりやっていきましょうよ)もお気に入りですがいちいち言葉の豊かさに感心します。

 ちょっと書けない話しもありますがじじさんの男んこ教育の話しもユーモアとあっけらかんとした明るさに満ち満ちています。まあ、ねんぷにやっぺし。


 今日から放送のとうほうTV第75回村民ひろばは元テレビ朝日のディレクター古川さんと、とうほうTVの住民ディレクター京子さんがリポート、そしてわたしが同行撮影、編集させていただきました。勿論、現場でも撮影中にバンバン一緒になって喋っています。

 この3者が窯元やその周りの方々とコミュニケーションしながら取材していくというのが今回の村民ひろばの40分です。さらに土方で働く米美さん、大工のときんちゃんの取材テープもこの40分の大事な場面を撮ってもらっています。あの伯夫さんも京子さんと古川さん、わたしの取材のメイキングを担当してくれました。この素材が生きるのはちょっと先ですがこのダイナミズムの背景は即興性、NGなし、普段着の会話であってとうほうTVを全く新しい番組にしています。

 本当は毎回40分の番組がとても濃いのですが村づくりが前提の番組づくりをしているので発信やメディアの有効性は2次的な扱いになります。村民一人一人の明日からの行いに直結するテレビですから慌てて発信する必要は無く、じっくりと村民の利益になるかどうかを判断しながらすすめていきます。


 大変な賑わいだった民陶むら祭、今年は色々な方から「30元中継はしないのですか?」と聞かれました。今年はじっくりと撮影して民陶むら祭の魅力を整理して秋の賑わい演出に活用したいと考えていました。

 そこに東京から元テレビ朝日のディレクターで明治学院大学教員の古川さんが来られたので京子さんとコンビを組んでもらって民陶むら祭を体験してもらいました。京子さんは地元ながらあまり歩いたことがありませんし、古川さんも昨年のとうほうTV合宿で少しは歩いたもののまだほとんどの窯元を知りません。わたしが撮影、メイキングは伯夫さんにお願いしました。昨日はほぼ一日かけて国道筋を歩きました。こういう歩き方をするとまたまた新発見、再発見が次ぎ次ぎとあり秋に向けて情報発信構想が大きく広がりました。

 また今日は一日皿山地区を村民スタッフ米美さんと歩きました。大工のときんちゃんには地元鼓地区を昨日回ってもらいました。今回は窯元や奥さん、手伝っている方々の話しをじっくりと聞けたので収穫は大きいです。民陶の里のドキュメンタリー化に向けて「小石原」がよく見えました。今回残念ながら足をのばせなかった地区もありましたが何とか民陶むら祭の全体像を映像化していきたいとおもってます。



猪瀬直樹さんの欲望のメディア、合間合間に読んでるのでやっと半分。ついに力道山、木村政彦らが登場する段に。正力氏の豪腕によってアメリカ式テレビが日本に入り、いよいよ放送開始へ。テレビ放送の様子をラジオで伝えたり、街頭テレビを見ようと木に登ってる人にテレビで注意を呼びかけたり、何だかとても当時の熱気がそのまま伝わってくる。今、とうほうTVがやってることと同じだなあ、と妙に親しみを感じる。


 とうほうTVが面白い!!今は一般放送(民放、NHK)のニュース以外はほとんど、テレビはとうほうTVを見ている。

 今夜8時から更新された村民ひろばでは鼓地区の水神市の子ども相撲の模様がはじまった。久しぶりに子どもたちが集まった。賑やかな取り組みの一つ一つが手に汗握る名勝負!一つも漏らさず全部放送!!子どもの頃の相撲を思い出す。小学校の頃の身体の力が蘇る!とうほうTVの魅力は恐らく自分自身の経験をダイレクトに蘇らせ、自分自身の暮らしに身体ごと応用できるところ、身の丈の暮らしぶり。

 昨夜から今日の夕方までかかって編集した村民ひろばと東峰にゅーすスペシャル合わせて80分。自分でやっていながらそのテレビに見入ってしまうところが本当に面白い。


 村民スタッフにひろつぐ君がいます。まだ25歳ぐらいで週に1回はとうほうTVの企画会議に参加します。幼少の頃、大病に罹り、少し障害をもってますが普通に暮らせる程度です。しかし一般的な人の集まりで長時間いることや通常の仕事をするのは難しい状態です。

 2年前、棚田百選の棚田で有名な竹地区の獅子入れという祭りで出会って以来仲良くしています。ご両親やじいちゃんばあちゃんは外に出すことは心配だったようですがわたしが村民スタッフなら皆気さくで温かい雰囲気なので、と、ご家族を口説き連れて来てやがて1年になるでしょうか。最近、企画会議の後、二人で過ごすことが増えたので彼のブログ作成を一緒にしています。

 知らない人達の集まりではすぐに疲れるようですがわたしと二人のときは恐るべき能力を発揮することを発見しました。以前から少しブログを書く練習をしていたのですがそのブログの整理の仕方、タイトルのつけ方、構成の仕方を住民ディレクター講座でやるままを伝えたら、あっという間に見事なブログになっていきます。文章力はかなりあります。文章のおかしい所は少しはあっても彼の表現として残すべきものは残さないと一般的な文章になってしまうのでわたしはあまり触りませんがひろつぐ味があります。

 映像の撮影、編集と同じでその人らしさをそのまま残して読めるように整理する。時間はとてもかかりますがこの作業をひろつぐ君とやってると素直な心がそのまま直球で表現されるので何とも気持ちがいいのです。余計な意識であれこれ考えないので純粋です。ひろつぐ君の最近の口癖は「岸本さん、大変な時は電話ください。手伝いますから」なんです。この気持ちの純なところがわたしにはとても響きます。ひろつぐ君といる時はトルストイの「イワンの馬鹿」の世界を一緒に暮らしているようです。

 久しぶりに九州を縦に往復してきました。東峰村、熊本市、人吉市、です。千葉県から(社)八百万人会員で住民ディレクターの星さんを案内してのことです。縦に走って3日間、色々な人と顔を合わせて浮かんだ言葉が「未来老人」。

 今は「高齢者」と言うようになって老人はあまり使わないようですが「未来高齢者」ではピンと来ません。どこに行ってもわたしのお仲間は元気です。60代は当たり前、70代、80代、中には90代までも元気です。今回久しぶりに会ったのは50代から70代がメインです。でもこの人々はまだ老人とは言えないほど元気溌剌としていて青春真っただ中という感じではあります。

 青々とした青春とは行きませんが深緑の味わい深い青春、落ち着いてる、でも溌剌と生きている人々です。で、この人々が後10年20年経ったらそろそろ老人にはなるのですが未来を見つめて未来を創ろうとしている老人であるはずです。わたしが関心ある老人はチャーミングで溌剌とやるべきことをやっている老人です。99歳でこの2月に亡くなられた山北幸さんのような方が未来老人のモデルです。

 50年以上も前にひたすら実戦し公言していたことは今の時代にもそのまま通じる普遍性があります。何事にもあきらめずに自分の責任で生きて来られたからです。一言一言が身に滲みます。若い人の力になっていく未来老人のネットワークはこれからの時代にとても重要なキーワードかも知れません。


 就活自殺というテーマの番組がありました。途中からだったんですが実際に就職活動中に不安を覚える人が随分多いんですね。話を聞いていたら自分がやりたいことがみつからないので不安になるという声が多かったようです。きっと周囲が次々とやりたいことを見つけて就職が決まっていくのを見て不安になっていくんだとおもいます。

 わたしにもその時期の覚えがあります。が、わたしの場合は自分のやりたいことが何もないことに気づいて卒業を1年ずらしてみたものの何も変わらなかったので卒業しました(させてもらいました)。周囲を見ているとちょっと前まではあまりわたしと変わらない話をしていた人が急に大学の3回生になったあたりから「オレは実はマスコミに行きたかったんだ」とか「裁判所の職員が天職」とか「学校の先生が夢」とかいう話が増えてどんどん就職に専念していく人が多かったのです。

 不思議でしたが自分自身は全く変わらずにやりたいことなど何もないので一応就職試験も体験してみて内定はもらいましたが(当時も今もきっと選ばなければあるはずなんです)全部早めに断って卒業し、しばらくぷーたろうを決め込みました。その後、ずっと気になっていた人のところへ裸一貫で行くのですが給料はあるかないかもわからない状態でした。今思えばそういう状況からスタートしたので後々たまたま酒の縁でテレビ局に入ってしまいますが、「やっぱり違う」と辞めてしまって今に至っていると感じます。

 不安な時期も長くひきずっていたこともあるので若い人の気持ちはわかりますが今のわたしなら「まず東峰村へ来てみんね」ということが解決策のひとつになるだろうという気持ちがあります。究極的に仕事は創っていくもので大企業しかないと決め込んでると逆に創る力が育っていかないと感じます。テレビ局を退職してから長い間、零細株式会社を経営して来ましたが創る面白さが仕事の醍醐味ということを若い人に実際に身体で覚えてもらいたいと願っていますし、そういう場を東峰村に創ることもわたしの仕事です。


 岩手県住田町の番組は最終的には町民手づくり番組「ねんぷにやっぺし」というタイトルの20分番組になりました。「あせらずゆっくりやりましょう」という意味の方言で面白いことに町民スタッフの企画会議では侃々諤々とタイトルについて意見が交わされました。皆さんの意見を聞いているとだんだん「ねんぷにやっぺし」の意味合いが掴めてきます、そしてピタッときたらはっきりと身体の奥からOKが出ます。

 初回のように出演者が全員80歳以上で方言バリバリの場合、半分以上の話しが聞き取れません。なのでタイトルも構成も最終的には横澤プロデューサーの判断が重要です。やはり最後は全責任を負うプロデューサーが決めるのがルールです。決めるまではしつこいほどスタッフの意見を聞き出します。こういうことのひとつひとつがまさに地域づくりになっていきます。

 第1回は鉄砲撃ちの昭雄さんと農家の照美さんが企画者で80歳以上の大先輩を訪ねて歩きました。町を支えて来た先輩たちの含蓄のある話しは学ぶべきことと反面教師的なことが交ざってますが番組づくりを通して仲良くなっていけることが大事です。2回目の取材も済ませましたが豊かな文化がいっぱいの住田町です。


 岩手県住田町での住民ディレクター番組づくりは順調です。今回のメンバーはどっぷりの現場人間ばかりが集まっているのでテレビの枠には嵌らないことばかりです。これをテレビで見てもらうには正直言ってかなり工夫が必要です。とは言っても住民ディレクター番組ですから基本は仕事時間の合間に協力いただいて町民の目線でいかにそのままを表現するかです。

 役場の横澤さんがいろんな意味でオールイン・ワン・プロデューサーになるしか今はやり方がありません。わたしの仕事は横澤プロデューサーをサポートしながら個々の現場主義住民ディレクターの皆さんに自分が感じている町の魅力をストレス無く発信してもらえる環境づくりです。その環境は温かい小さなコミュニティをしっかりと紡いでいくことです。そして表現する内容はでっかい住田町です。

 いつも最初はとても難しいことですがやってるうちに誰でもがすぐにできる番組づくり(=地域づくり)になっていきます。