この夏は久しぶりに歩き回ることが多い日々です。たまたま同窓会や身内の不幸もありましたがそれにしても移動が続きます。今日明日は熊本にて違う二つの組織の講演、講座、明後日からは毎月1回は通う東日本です。

 今回はいつもの住田町以外にも住民ディレクターによる地域活性化を求める地域に足を運びます。中山間地で沿岸部の後方支援を考慮しながら自分たちのまちづくりをすすめる住田町ではいよいよ大きな転換点にさしかかります。今年春から町のケーブルテレビ「住田テレビ」にて住民制作番組をスタートし、町民スタッフで5つの集落を回りました。そして月末はこの5つの集落がテレビのブラウン管を越えて一堂に会し交流を深め今後のまちづくりに生かそうという素晴らしい動きがとうとう実現します。

 写真の二人のうちの右はその活動を縁の下で支える町役場の横澤さん、左は陸前高田市から津波被害で住田町の仮設住宅に住んでいる細谷さんです。二人が5番目の集落番組の司会をしているところです。このような出会いから住田町から陸前高田市への住民レベルでのつながりがきっと大きな情報受発信面での復興支援になっていくでしょう。

 住田町では住民制作番組の名前を「ねんぷにやっぺし」、つまり「焦らず着々とじっくりやっていきましょう」とつけました。今日の熊本から東北へ続く講座、講演はわたしにとってもとても大事な場面に来ていると感じます、だからこそ「ねんぷにやっぺし」です。

大河ドラマの軍師官兵衛が来年の一月から始まります。息子の長政が今の福岡県、当時の黒田藩を太閤秀吉から拝領し、藩祖となるのですが東峰村ではこれを機に松尾城や高取焼、小石原焼など地域歴史を見直す機会にします。東峰テレビオリジナル番組を制作し村民みんなで村を見直し、朝倉軍師、いや郡市を見つめ、福岡県を東峰村の視点で学びます。まだ私案ですが生涯教育の場として大きく展開したいと考えています。少しづつやりますがすでに兵庫県での取材も構想中です。


 会いたかった人、秩父山の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。ずっと前から写真では見たことがある像でした。日本武尊の母、播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)の墓とされる日岡山は宮内庁のお墨付きの古墳で(だからといて正しいわけではありませんが)わたしにとっては幼稚園の頃から小中学校まで遠足やデートコースの場所でした。

 しかし、しょっちゅう言っているように住民ディレクター活動をスタートした山江村をはじめとする14の人吉球磨地域で生活する中で熊襲を知るまでは加古川市の日岡山が日本武尊と関係があるなんてこれっぽっちも知りませんでした。奇しくも免田町を舞台に住民手づくりドラマ「熊襲復権ドラマ」を制作することになり調べはじめたのです。が、熊襲を調べるうちに日本武尊という人物が気にかかり、さらに調べるうちに自分の生まれ育った土地、加古川こそ日本武尊の誕生と大きな関係があることを知りました。

 古事記、日本書紀と読み解いて行くうちに征伐されたといわれる熊襲こそ日本武尊の何倍も大きな人物であったとの結論に到ります。記紀では熊襲征伐に続いて出雲猛、蝦夷へと父、景行天皇から命ぜられ蝦夷征伐の後に立ち寄った場所の一つが秩父山の三峯神社と伝えられイザナミ、イザナギを祀る宮を日本武尊が建てたといわれています。だからここにこの像があったのです。

 実は少し前に千葉県の山武市にやはり住民ディレクター講座に行った時、走水から荒海を渡ろうとした日本武尊のために身を投げて助けた妃の弟橘媛の神社に連れて行ってもらっていました。その頃に何とはなしに次はここと感じていた所でもあります。タケルはその後、大和路への帰途で病になり今の三重県で命を落とし白鳥になって大和に帰ったという白鳥伝説があります。

 そしてこれもたまたまではありますが今週末は加古川に戻ることになっています。加古川市の名前になった「加古川」という川は一級河川で日本武尊の産湯を使った川と地元では伝えられていることも随分経って知りましたが、今年の帰郷は少しその歴史を紐解く旅になりそうです。

とうほうTVは何を目的にしているかというと地域活性化です。そのために番組を企画し、取材、編集、放送というプロセスを一般の住民に提供することが総合プロデューサーの仕事です。番組づくりが地域活性化になりますがもっと手前にあるのがこの活動に参加するだけで実に色々な経験ができることです。地域の課題を番組化する過程でまさに様々な現場に遭遇するからです。その具体例をとうほうTVのホームページにアップしています。トップ項目の寛嗣くんのこともそうですが実戦とうほうTVを連載しているのはそういうことを理解してもらうためにはじめました。

ただし、地域活性化やら村づくりを当事者としてやってない人やテレビの番組制作を目的にしている人にはこれは恐らく理解できないとおもいます。目的が違うからであって良い悪いの話ではありません。

とうほうTVホームページ http://www.tohotv.jp/


 東峰テレビの村民スタッフが情報発信研修福岡・熊本として7月25日から7月27日までの3日間大移動しました。11月で開局丸3周年になるのを機に既存のテレビ局を見学し今後の東峰テレビのビジョンを考えること、東峰村応援団である個人や団体と交流し東峰テレビネットワークを広げようということが目的です。

 大きな目的はそうですが総勢14人が参加したこの研修で起こった数多くの変化や成長は実に目を見張るものでした。その変化、成長の源は「3日間同じ釜の飯を食った」ということです。個人の変化、成長で最も顕著だったのが竹地区の梶原寛嗣くんです。寛嗣くんは子どもの頃、大病をしその後遺症があるため一般的な暮らしはしていますが団体行動や緊張感のある環境の中では心身のバランスが崩れてしまいます。

 1年前わたしがご両親や祖父母に会い、訓練のつもりで東峰テレビに通わせることを提案し、週に1回は毎週通うことにしました。東峰テレビの村民スタッフは伯夫さんのような口の悪いオジさん?もいますが実際は気はやさしくて力持ち?!なので・・・寛嗣くんも少しずつ落ち着いてくるだろうと見ていました。実際、最近では村民スタッフ会議では、寛嗣くんが議長として口火を切り、締めをするという流れが定着しています。しかし今回の研修は家族の誰もいない自分一人で向かう2泊3日です。

 揺れに揺れて行かないと言いましたがスタッフ全員から「寛嗣くんが調子が悪くなったらおれが一緒にホテルで休むから大丈夫」「何かあれば車で寝ていれば良い」などと声がかかり遂に決意しました。その寛嗣くんの3日間の写真はわたしが毎日アップしてましたが一日目の博多での東峰村応援団との交流会ではNHKや県庁、また様々な業種から来てくださった応援団の皆さんの前で堂々と挨拶していました。この日は朝からNHK、RKB、FBSと3つの局をたっぷりと回っていたので疲労はあったはずですが元気でした。

 一丸となって楽しく集まれる村民スタッフのチーム力が寛嗣くんの潜在能力を沸々と沸き出させていると感じます。


 朝倉市に山田堰というのがあって地元では世界農業遺産に出そうという声が上がっています(すでに候補として出したのかもしれません。)。ちょっとピンと来なかったので昨日現地に見に行きましたら納得しました。先人の知恵、まさに暮らしの知恵の凝縮です。

 この山田堰はこちらでは有名な恵蘇神宮の真ん前に当たり風景も素晴らしい場所です。そして山田堰のような農業用水の仕組みは写真や記事だけではわかりずらくやっぱり動画で見るのが早いです。と、おもって周辺をうろうろしていたら恵蘇神宮から見渡す堰の様子や高速道、丘の上にあるホテルなどがとてもいい感じで並んでいてなかなか帰れないほど魅了されました。

 神宮のほうは百人一首の第一番で天智天皇の「秋の田の刈り穂の庵の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ」が詠われた場所としても知られ、大きな歴史ロマンの世界が広がります。こういう場所を歩いていると創作意欲がついつい湧出してきます。今は軍師官兵衛に関する地域の歴史を紐解きはじめていますが、官兵衛の没後30年ほどにできたのがこの山田堰で、官兵衛、山田堰から斉明天皇の古代へ時空超越してつながる朝倉の歴史ロマンを東峰テレビはこれから描いていくことになると予感します。

 地域の歴史を見つめ直す機会としてわたしは軍師官兵衛をとても歓迎しています。


 夜明けにいつも大きな発見をすることが増えました。だから寝てられない??!。

 今朝の発見は地元猿喰(さるばみ)地区の獅子入れです。今日中には第86回村民ひろば40分を完成させないといけないので見ていたら感動しました。遂にやってきたのです。今から17年前の平成8年にはじめた住民ディレクターが・・・。

 猿喰地区には今年東峰テレビに入った愛理(えり)ちゃんがいます。ちょうどわたしが村外出張だったのでここは愛理ちゃんに任せました。時々お父さんの話が出ていました。取材後も愛理ちゃんが編集しながらスタッフと話しているのを垣間みていると、どうもお父さんが活躍している様なのです。さきほどやっと愛理ちゃんの粗編集したものを見ました。そしたらこれでした!!わたしが17年前に求めてはじめた住民ディレクターの姿がありました。

 話せば長いのですが簡単に言うと地元の住民が普段の暮らしのリズムで暮らしの視点で獅子入れという祭をそのまま取材している姿です。村の福井神社から猿喰の地元の神様に詣り、はじまる神事。これです。このプロセスがまずは撮れないのです。撮れてもカットされるのです。でも猿喰にはそのまま映し出されました。しかも祭の前に愛理ちゃんの父上が言ってた言葉が大事です。

 「上福井の後じゃから用意するところが映されん」。つまり獅子入れに使う獅子や鬼の装束は地区でリレーして共有しているので猿喰の前は上福井地区でわたしたちもいつも上福井が終ってから猿喰に入ります、すると榊に使う枝の伐採などの作業が当然撮られないので放送されません。父上はいつもそこを不満に感じてたらしいのです。^^ しかし、今年は娘の愛理ちゃんが取材します。カメラも父上に貸してあげてと伝えていました。そして起こったのです。本当に映し出したい地元の姿を地元に住む住民自らが自主的に取材した映像です。大事なのは頼まれたから撮ったり責任感から撮ったものではなく父上が自主的に撮った映像ということです。しかも娘の愛理ちゃんが編集するので父上の指示は遠慮なく行ってるはずです!!^^

 映像を見ていると伝わってきます。地元の神社に参る側と取材する側の境はありません。いつもの会話がそのままです。これが猿喰の日常でしょう。テレビは60年間に渡り「非日常」を映し続けてきました。「参観日」のような非日常にはそこの暮らしが見えません。取材する側がよそ者で取材者だからです。地元の人でも「取材」を「仕事としてしまう」と取材者です。地元の生活人がビデオカメラを手にするとき日常が生き生きと映し出されます。「暮らしの知恵の受発信で暮らしを豊かにする人」が「住民ディレクター」です。この感動!!書ききれないこの気持ちは色々な場で語っていきます。


 竹地区の自称百姓の清煕さんがテレビ朝日の新番組に近日登場します。番組は「美味しい百景」、まだ関東、近畿など都市部だけだそうですがBS朝日では東峰村でも見えるそうです。ただし衛星放送の契約が無いととうほうTVだけの契約なら見れません。

 美しい風景の近くに住む人の美味しい食を紹介する番組のようです。ディレクターは制作会社のまだ若手でわたしが数人取材候補者を紹介しましたが了解を取れなかったということで御大の出番となりました。日田彦山線の眼鏡橋が美しい風景で美味しいものは柚子胡椒にになりそうです。

 眼鏡橋の話をうかがっていると清煕さんの幼少の頃からの苦労の連続がこちらに伝わり、いつか清煕ドキュメンタリーを、と考え昨年も田んぼの水涸れ、稲刈り、珍しい初盆踊りなど色々と取材してますが一本の糸で清煕さんの人生に線がひかれた様な感じがしました。時々一緒に吞んでますが話はバラバラに聞いてるのであらためて突っ込んで聞いていると子どもの頃から苦労の多かった人生が垣間見えました。

 実はテレビ朝日の番組にはそんなに詳しい話はいらないはずですが、ついついわたしの取材が深くなりすぎましたので途中で引き上げて熊本に向かいました。開局以来2年8ヶ月、最近こうやって色々な方の話を伺っているとお一人お一人のドキュメンタリーになるように色々な場面で取材が行き届いているのがよくわかります。

 仕方ないことですが取材の多い人、少ない人がありますから集落で住民ディレクターを育成し、自分たちで取材をしておく態勢ができれば本当に一人一人のドキュメンタリーが完成します。今の小学生たちはきっと成人式を迎える頃は20年の映像成長記録が作られるようになっています。

 久しぶりに大変多くの方と交流する日々です。主に電話ですが九州総合通信局の局長表彰がきっかけです。受賞のお祝いをしてくれるお仲間がいて熊本で17年ぶりに集まる場ができました。その件で17年、人によっては20年以上会ってないのですが2、3分話していると昨日のように一緒に活動していたことが蘇ります。

 皆さん懐かしいという感じもあるのでしょうがわたしには本当に昨日のようです。ずっと続いているからです。また不思議と「つい最近どうしてるかと噂をしていたばかり」と言う方が多いです。一人一人の顔がしっかりと浮かびますが中には若くして他界された方もいて驚きました。自分で言うのも何ですが熊本では実にたくさんのことをやってきました。98市町村(当時)を5年程かけて2周半歩いてきたところです。

 その後も多くの方々とずっとまちづくりをやり続けていました。出会った方々と常にとことんお付き合いしてきましたから20年ぶりの電話でも話が深いところまでいきます。皆さん気持ちが通じるからです。その時その時に精一杯やってきた仲間だからだと感じます。わたしにとっては「その時」も「今この時」もずっと連続なので何も変わりません。もし「あの時」が「今この時」に繋がってない人がいたとしたら26日をきっかけにもう一度一緒にやって行こうとわたしは考えています。


 東峰村に住んでいると草花や木々、山や岩などのどこそこに神が宿るという自然神の捉え方がよくわかります。村民は山の神や庚申さま、お大師さん達とも本当に仲良しでいつも神々の前でお祝いをしています。直会(なおらい)という神事も今は打ち上げのようにいわれますが基本は神前で行う行事です。神のお供えをいただきお神酒をいただくのです。東峰村はちょっとその回数が多い気がしますが・・・^^。

 東峰テレビ局があるところがそういう神々の庭のような場所なのでちょっと散策するともうすぐに神々とお会いする日々です。