名宰相『政界風見鶏』逝く | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

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中曽根元総理が亡くなった。101歳の大往生だったという。
それを伝える産経新聞(11月30日朝刊 大阪版)の1面トップの見出しが秀逸だ。

まず、『中曽根康弘元首相死去』の大見出し
その横に『101歳 日米強化、国鉄民営化』『戦後政治の総決算』のサブ見出しがつき、熊坂隆光氏(産経新聞前会長)の追悼文には『改憲論議 風起こした政治家』とある。

2面には『行革断行 トップダウン』、3面にも『ロン・ヤス 日米安保の礎』の大見出しがあり、これらの見出しだけで、中曽根康弘という政治家が、どのような考え方で活動し、どんな実績を挙げてきたかが分かるような気がする。

見出しには、意図的に印象操作を図る「見出しサギ」のような弊害もあるが、ぱっと見ただけで多くのことが伝わるというネットにはない良さもある。
さて、本題。

正直、中曽根元総理についてはあまりよく知らなかった。「政界の風見鶏」「田中曽根内閣」「総理の靖国参拝を政治問題にした」といったネガティブなイメージをなんとなく持っていたが、新聞やネットで改めて軌跡をたどると大きな足跡を残してきたことが分かる。

「風見鶏」とのやや不名誉な評価については、産経前会長が追悼文の冒頭に次のように書いている。付き合いの長いベテラン記者ならではの名文だ。

 「俺も八州無宿、国定忠治の流れを汲(く)む上州の生まれよ。時にはいかさま賽(ざい)も使うってことさ」

 「君子豹変(ひょうへん)」とはよくいったもので、中曽根康弘氏を取材していると、ときどき、びっくりするような変わり身の早さに驚かされることがあった。それが「風見鶏」という傍目(はため)には不名誉な評価の原因となったのだが、本人は「風を読めなければ国は動かせない。坂本龍馬も高杉晋作も偉大なる風見鶏だった」といって気にもかけなかった。国のためならいかさま賽もいとわない、というのである。

 佐藤栄作政権時代、党内反佐藤勢力の急先鋒(せんぽう)だったが、突然運輸相として入閣してしまう。当然ごうごうの非難を浴びたが平然と「匕首(あいくち)の切っ先が届く範囲に飛び込んだほうが、敵の首は狙える」と言い放った。

(以下略)
全文はこちら→(中曽根康弘氏を悼む 憲法改正 生涯の夢追い 産経新聞社相談役(前会長)熊坂隆光)
https://www.sankei.com/politics/news/191129/plt1911290083-n1.html

政治の世界では周りを巻き込まなければ何もできない。
「チーム安倍」を中心に動く安倍総理が、考え方の違う石破氏や二階氏を幹事長にするのもそういうことだろう。人との付き合い方や変わり身の早さはかなり違うが。

また、重点政策やこだわってきた分野という面でも安倍総理との共通点は意外に多い
まず、元総理は行革断行などをトップダウンで進めたが、安倍総理も重要な政策はすべて「チーム安倍」を中心に官邸主導で進めている。

そして、『戦後政治の総決算』も『戦後レジームからの脱却』も戦後体制からの脱却を目指という点でまったく同じだ。どちらも日本のあり方を大きく変えてしまった憲法の改正、戦後既得権益を打ち破る行政改革という困難な課題に大きな力を注いでいるのである。

例えば、中曽根元総理は国鉄など「3公社」の民営化を成し遂げたが、安倍総理も戦後長く手を付けられなかった農協・農業改革など多くの行政改革、規制改革を実現してきた。

また、わが国の安全保障の根幹が日米同盟で、それをより強固なものにしてきたことも同様だ。
ロン・ヤスが発展させた日米関係は民主党政権でガタガタにされたが、ドナルド・シンゾーが史上最強にまで強化した。さらに、両者とも活発な首脳外交などによりわが国の国際的な評価を大いに高めた

「風見鶏」と評される中曽根元総理と「ほふく前進」の安倍総理だが、目指すところは同じなのだ。

もっとも、中曽根元総理が公式参拝にこだわったことでマスコミ世論に負けてしまい、いまだに総理大臣が自由に参拝しにくい状況になったという問題はある。
しかし、なかなか思い通りにならないのが政治というものだ。

さて、安倍総理は訃報を受けて次のような談話を発表している。

令和元年11月29日
内閣総理大臣の談話(中曽根元内閣総理大臣の逝去について)

 元内閣総理大臣中曽根康弘氏は、本日逝去されました。

 中曽根康弘氏は、東西の軍事対立や日米貿易摩擦の高まりなど、我が国が厳しい内外情勢におかれた時期に、5年間にわたり内閣総理大臣の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たって舵取り役を果たされました

 中曽根氏は、戦後日本政治の総決算を掲げ、レーガン米国大統領との強い信頼関係の下で強固な日米同盟を確立し、近接するアジア諸国との関係を強化するとともに、国際社会の一員として、世界の平和、経済秩序の維持に重要な役割を果たし、我が国の国際的地位を大きく向上させました。

 また、中曽根氏は、行政改革の断行を最重要課題と位置付け、強いリーダーシップを発揮して、21世紀に向けた諸制度の改革に取り組み、国有鉄道の民営化をはじめとして、大きな実績を上げられました。

 私は、この訃報に接し、深い悲しみを禁じ得ません。
 ここに、国民の皆様とともに、心から哀悼の意を表します。

http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/discourse/20191129comment.html

中曽根総理が『戦後政治の総決算』でやり残した中でもっとも心残りなのは憲法改正だろう。
有名な中曽根語録に「首相と恋人は自分で選ぶ」と言うのがあるが、これは首相公選制を突破口にして憲法改正の機運を高めようとした時のものだ。

この制度の是非はともかく、なんとか国民の政治への参加意欲を高めようとする意図は分かる。
当時は今と違い、政治家が憲法改正を口にするだけでも右翼扱いで、マスコミから大バッシングを受けるような時代だったのだ。

また、元総理はこれよりはるか前、昭和31年にはアメリカに押し付けられた現行憲法を批判する「憲法改正の歌」を自らの作詞で発表している。

産経の記事で読むまでまったく知らなかったが、憲法改正への思いはそれほど強かったのだ。

そして、総理を辞した後も改憲に意欲を燃やし、議員引退後も新憲法制定議員同盟会長として活動を続けた。
しかし、101歳の長寿を全うした令和の時代になっても、その願いは叶っていない

安倍総理の祖父、岸元総理も「自主憲法制定国民会議」を立ち上げるなど、憲法改正に強い思いを持っていた。
中曽根元総理はその意思を継いだ形だったが、結局、憲法は1文字も変わらなかった

そしていま、岸、中曽根両元総理が目指した自主憲法を封印し、現行憲法を最大限尊重した改憲案を示しても特定野党は議論の座にすら着こうとしない。
安倍総理の任期が2年を切ったことで、時間切れに持ち込もうとしているのだ。

だから、安倍総理が憲法改正の議論を前に進めることを争点に、近いうちに解散に踏み切る可能性は高いと思う。「昭和の名宰相 風見鶏」が果たせなかった『戦後政治の総決算』を成し遂げられるのは安倍総理しかいない

(以上)
 

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