小笠原の磁場 | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

8月14日(木)歓迎パーティーライブ
080814haka1大根山墓地

ブログをアップしに山の上にある情報センターへむかったのだが、
墓場に迷いこんでしまった。
墓場は二見港を見下ろす絶景の斜面にある。
南国色の造花が飾られ、日本式の墓から英語名の彫られた十字架の墓まである。
こうして死者たちは山の上から生者の営みを見守ってくれている。
大きな空と深い青をたたえた海、風や光、岩山や森、たくさんの精霊たちがこの島を守っている。
それを伝えさせるため、死者がオレを墓場に迷いこませ、精霊がオレをこの島に呼んだのかもしれない。
この島には鍵をかける習慣がない。
犯罪がないのだ。
沖縄では外部から来た者が殺人事件などを起こしているが、小笠原ではそれすらもない。
昨日も山で迷った観光客を消防団が救出したばかりだ。消防署ではなく、村の消防団である。
海難事故はある。水死体を引き上げ、互助会の人たちが棺おけをつくって埋葬する。
080814kiyose清瀬トンネル

夜、清瀬トンネルをとおる。
空襲のとき島民がここで避難生活をした。トンネルの入り口と出口を鉄と木製の2重扉でふさぎ、トンネルの両側にゴザや古い畳を敷き、800人もの人がつめこまれたという。暗闇で隣の人の顔も見えず、マッチをすると兵隊に叱られる。赤ちゃんのオムツを替えることもできず、下痢が蔓延した。煮炊きの途中で空襲がはじまれば固いままの米を食い、頭上に爆弾が落ちるたびトンネルは揺れ、小さな石や土くれが降ってくる。
トンネルの途中には当時の扉が立てかけられ、非常用の横穴も残されている。
戦争の傷跡が日常のなかに残されているのだ。

080814lans小笠原の兄ランス

「ヤンキータウン」に島の人たちが集まり、歓迎パーティーを開いてくれた。
オーナーのランスは小笠原出身で、21歳からアメリカにわたり、軍隊生活も経験し、アメリカ国籍をもったまま40代で小笠原にもどり、「ヤンキータウン」を10年にわたり経営している。
「ランスのピニャコラーダは日本一ですよ。わざわざそれを飲むために東京から来る人もけっこういるんです」カウンターのお客さんが言う。
ランスの人柄に惹かれ、サーファーやミュージシャンが集まってくる。みんなとセッションしながらミニライブをした。
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1、 今日は死ぬのにもってこいの日だ(ギター:トシ)
2、 ぼくの居場所(ギター:トシ)
3、 背中(ギター:カズ)
4、 家族(ギター:カズ)
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町ですれちがった郵便配達! トシさんがアドリブですごいリードギターを弾いてくれた。20歳のカズがまたすごい腕前のギターを披露する。
「ぼくが小笠原の高校に通っていたとき、トシさんがツェッペリンやストーンズやブルースやジャズのレコードを聞かせてくれ、ギターを教えてくれました。小笠原は田舎だと思っていたら、東京よりすごい人たちがわんさかいるんです」
昨日乗ったバスの運転手シンジさんもここで会うと、またちがう顔をしたミュージシャンだった。オレのアパートのルームメイトであるイギリス人ノアがフラメンコギターの達人だったことも今日わかってびっくり。ずっと英語で会話していたが、それからはスペイン語で話した。
アメリカ人言語学者ダニーは小笠原の方言を収集し、研究している。
「小笠原って歴史が何度も断ち切られているし、伝統的な方言があまりないと思っていたんですが」オレが聞く。
「ほかの言語学者もそう思って、小笠原の方言を研究する人はほとんどいないんです。ところがいざ収集してみるとどんどん出てくる。わたしは小笠原の方言だけでもう4冊の本を書きましたよ」
ナスさんがもってきてくれた油揚げがむっちゃうまいので聞いたら、本職は豆腐屋だという。それだけではない。
「今、古代カヌーのドキュメンタリー映画を撮り終えたばっかなんです。これから編集作業に入り、音楽も自分で担当します」
画家のアリヨシさんは子供のような目をした年配の方だ。
「ときどき銀座で個展を開きながら、もう何十年も小笠原の海を描きつづけています」
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ゴミ収集職員のマサルさんはオレの本をぜんぶ読破しているって、ありえねー! マサルさんは言う。
「10年前にCOTTON100%とアジアに落ちるを読んで、人生が変わりました。なんかあれこれ悩んでないで動こうって背中を押してくれたんです。そこで小笠原に移住して、10年になります。小祝スーパーでアキラライブってポスターを見ていて、どうせ別人だと思っていたら、なにっ、作家? おおー、あのアキラさんがくるの! って大喜びしていたんです。ところが内地に住むおふくろが肝臓がんになってあさってのフェリーで帰るので、16日のライブにはいけない。と思っていたら、カズから今日アキラさんがヤンキータウンにくるって電話があったんで飛んできました。いやー、会えてよかったー!」
奥さんのモモさんからオレのことを教わったギョウジさんはパーカッションを叩きながら、じっと目を閉じてオレの歌を聴いてくれた。
「明るいレゲエの人かと思ったら、家族の歌、感動しましたー!(笑)」
なんでこんなおもしろい人たちばっか集まるのというくらい、みんな波乱万丈の人生を抱え、小笠原に流れ着いた。
080814yanky2ヤンキータウンの入り口

ヨウコと同じ建築会社の事務で働くコノミさんの言葉が言う。
「わたしは若いころ1年くらいここに住んで内地にもどったの。それからいろいろあったんだけど、子供たちをどうしても小笠原で育てたいと思ってまたもどってきたの」
フェリーが着いてすぐ寄ったビジターセンターの職員チエさんも昔は横浜でブイブイいわせていたが子供と小笠原へ移ったという。
「ここは子育てには世界一いいところよ。犯罪はないし、村の人が見守ってくれるし、海や山が子供たちをいっしょに育ててくれるの」
「ここの透明な空気を吸って毎日暮らしていると、たまに東京へ行ったとき、空気の色が見えちゃうのよ」コノミさんが言う。
「ええー、空気にも色があるんですか?」オレが聞いた。
「そう東京の空気はだいたい灰色がかったベージュ色で、場所によっても、日によっても、ちがってくるわ」
「たぶん人の感情やストレスも混じっているんでしょうね」オレが言う。
「もうあの色が見えただけで息苦しくなってくるんだけど、しばらく東京で暮らすと色も見えなくなってくるの」
南米の小さな島で暮らす子供たちは、音にも色があると言っていた。鳥の声もそれぞれちがった色だし、怒りや敵対心をもった人の上には黒いもやのようなものが見えるという。
人口や情報が多すぎるとある種の「センシビリティー(繊細さ)」が失われるのだろう。
小笠原は伝統文化が分断されているだけに、ひとりひとりが自分自身で自然との関係を作り上げていかねばならない。
小さな陸地を海が風が毎日洗い、日々が赤ちゃんのように生き直される。
島に暮らすというのはそういうことだ。
なぜ小笠原の磁場がこんなにも人を惹きつけつづけるのか?
島の自然と向きあい、島で暮す人々と出会い、その答えが少しずつ見えてきたような気がする。
080814yanky1小笠原の素敵な仲間たち