小笠原ドリーミング | New 天の邪鬼日記

New 天の邪鬼日記

小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

8月13日(水)
小笠原すげーよ!
080813minato

25時間フェリーに揺られ、午前11時半父島の二見港にはいる。
小笠原ライブ主催のグシケンヨウコが迎えにきてくれた。ヨウコは世界中を旅し、今小笠原で工事現場の炊飯係をやっている。ヨウコとケニアでいっしょだったカナもディジュリドゥーをかかえ、いっしょのフェリーに乗ってきた。
夏休みのお盆前後がピークであり、シュノーケリング、スキューバダイビング、クジラウオッチング、ドルフィンスイム目当ての観光客が集まってくる。
あふれる太陽と燃え上がる緑、さわやかな潮風、アメリカ風の町並みは、もうポリネシアだあー。
小笠原の玄関二見港は、伊勢にある二見岩からとった名前だという。そういえば1週間ほど前伊勢で本物の二見岩を見たばっかじゃん。
小笠原は日本最後の秘境である。
週に1便のフェリーしかないので、台風などで欠航になると1週間帰れない。東京から1000キロもはなれていて、北海道や九州よりも遠い。高速船を走らせる計画は燃料の高騰で頓挫してしまった。
飛行場がない。
空港をつくるという計画が現在進行中だが、旧島民は賛成、自然を求めて移り住んできた新島民は反対と意見が分かれている。
週に1便のフェリーのフェリーが着くと、1週間分の新聞がビニール袋にまとめて着く。3時くらいから高校生バイトによって食料品がスーパーなどに並べられるのを島民が待ち構えていて、お目当てのパンや食料品などを競って買っていく。
携帯は「au」だけがかろうじて通じるていどでオレのソフトバンクはつかえない。ネットはオレが借りたアパートにないので、山の上の「情報センター」までいかねばならない。
いつか空路ができ、沖縄のような大観光地になってしまうので、今のうち小笠原を見ておいたほうがいいよ。
小笠原には4つの時代がある。
1つは、日本が占領する前、カナカ人などのポリネシア先住民の時代。
2つは、日本領土だった戦前で、今よりも人口は多く、繁栄していた。
3つは、戦中の空襲、集団疎開、アメリカによる統治時代。
4つは、1968年日本へ返還され、現在に至る。
このように完全に分断された歴史というのも特殊だろう。国の勝手な戦争によって住民が丸ごと入れ替わるのだ。だから沖縄のようにおじいやおばあが三線弾いて民謡を歌い踊るなどの伝統がない。
おもしろい風習は、船が出港するとき、ポリネシアから受け継がれた「南洋踊り」が踊られ、10艘くらいのボートが見送りに出る。
最初はクールに感じられた島の人々もじつにオープンであたたかなホスピタリティーをもっていることに気づく。

オレたちが到着するとすぐ、ヨウコの知り合いのトリさんがバーベキューに呼んでくれた。
トリさんはイタリアやスペインにいたこともあり、オレの「神の肉」を3時間で読破したという。
真っ青な海を眺めながら、トリさん特製の「タコ飯(タコと竹の子の炊き込みご飯)」や、ハタハタ、ビーフ、ポークなどを炭火バーベキューでいただく。
080813takomesi

扇浦は沖縄やカリブ海の遠浅とはちがって、天然のプールのように泳ぎやすい。ときどきサメもくるそうだが、「シロワニ」または「グレイナース」というやさしい種類で人に危害は加えない。
おっと、ちいさなエイを見つけた。必死に砂に隠れようとするところがかわいい。オレはひさびさの海が楽しくて、1時間以上も泳ぎつづけた。
080813kinen

フェリー埠頭に近い前浜を歩いているときだった。
「虹だ!」
あまりにも鮮やかな虹が巨大な弧を描いている。
「おおー、オレたちは祝福されてるぞおー」
島の人いわく、「今日は天気も悪かったが、あんたたちの船が着いたとたん、ウソのように晴れた」という。
080813yuuhi

ウェザーステイション(三日月山展望台)に夕日を観にいく。
ここはクジラの展望台でもある。12月から5月にかけてザトウクジラが交尾をするために北氷洋から小笠原にやってくる。ホエールウオッチング協会のメンバーが一日中高性能の望遠鏡でクジラを探し、観光船は教えられた位置を急行する。だからシーズン中にクジラが見られない日はほとんどないという。
この展望台の下には地元民しか知らない秘密の壕がある。ジャングルをくだっていくと、岸壁から海を見渡せる洞穴があるのだ。
三線や太鼓をもって海を眺めながら演奏する。天然のエコーが響き、子供のころの「秘密基地」みたいに楽しい。
080813sansin

夜明山で有名なのは「首なし尊徳」である。
首はなぜなくなったのだろう?
どこにでもある二宮尊徳の像だが、米軍の爆撃でとれたという説や米兵が射撃練習で飛ばしたという説があるが、こんな目撃談がある。
米軍占領時代にスペイン系米兵が母国へのお土産として尊徳の頭を小包につめていたところを見たという目撃談である。
米軍は日本兵の骨でペーパーナイフや灰皿をつくったり、頭蓋骨や金歯をお土産にしていたので、この説もうなづけるかもしれない。(参考文献「父島の今と昔」)
080813yadokari拳くらいある巨大ヤドカリ

日が落ちて、小港海岸で満天の星を眺めていると突然スコールが降りだした。
おかしいな、祝福されているはずなのにと思ったが、実はこの雨が祝福の雨だったのである。
「グリーンペペ(夜光茸)」という発光するキノコがある。
「神の肉 テオナナカトル」という本まで書いたキノコマニアをしては必見の珍種である。湿度が濃くなる5月から11月ごろまで見られるのだが、小さいのでなかなか見つからない。ナイトツアーのガイドが懐中電灯をつけたり消したりしながらグリーンペペを探している。
「あった!」
オレたちはガイドよりさきに発光キノコを見つけた。直径2ミリくらいの小さなものだが、蛍光塗料のように輝いている。ナイトツアーのガイドが言った。
「このスコールで水を含んだせいか、発光しはじめたんでしょうね」
やはりオレたちは祝福されていたのだ。
帰り道で「グリーンペペ」ならぬ「オレンジペペ」を見た。
これは地元民がつけたあだ名で、宇宙開発事業団の巨大なパラボラアンテナのことである。夜オレンジ色のライトに照らし出されたアンテナがキノコのような形をしているからだ。
080813antena

1975年に種子島から打ち上げられたロケットを数十秒間追跡するためにつくられたという。
「神々の指紋」で世界的ベストセラーとなったグラハム・ハンコックの新作はアヤワスカなどの幻覚植物にくわしくふれているが、「人類が爆発的な知能を進化させたきっかけは、マジックマッシュルームがきっかけではないか」というテレンス・マッケナ仮説を提示している。
宇宙という巨大な知にむけられたアンテナと人間の内なる知を目覚めさせたキノコの形が似ているのはユーモラスなシンクロニシティーかもしれない。
ちなみにオレが滞在するアパートのとなりに「宇宙開発事業団」の看板のかかってるアパートがある。その生活感たっぷりのボロアパートと「宇宙開発」のギャップに笑ってしまうが、きっと彼らの押入れのなかには洗ってないパンツで培養した「サルマタケ」(松本零二の初期漫画「男おいどん」)が生えているのだろう。