おがわとーるは、ボーカル、コーラス、ギター、エレキ、ベース、ドラム、パーカッション、ミキサーまでなんでもできるマルチアーティストである。
「ウエルカムとーる! きみをどれほど待ち焦がれたことか」
オレはギターと重い荷物をしょってきたとーるをハグでむかえた。
「さっそくサバイバル・レコーディングをはじめよう。ミュージシャンはどんな衣装もかっこよく着こなさなければいけない。……まずはこのユニフォームを着てくれ」
とーるは「はあ?」という顔をしながらも、従順に白い紙製の作業着を着た。
「むむむ、怖いくらいに似合っている。かわいいぞ、とーる。エアコンのCMにでてくるぴちょんくんみたいにかわいいぞ」
![0802とーる白服](https://stat.ameba.jp/user_images/a5/9a/10050616020_s.jpg?caw=800)
「では甘栗、じゃない、今日はぴちょんくん。まずはレコーディングのウォーミングアップからはじめよう。……屋根をのぼってくれ」
一歩足をすべらせて落下すれば地獄。とーるはわけもわからないまま屋根にしがみつき、ほふく前進でよじのぼっていく。
![0802とーる屋根](https://stat.ameba.jp/user_images/bf/d8/10050616022_s.jpg?caw=800)
「よし、ぴちょんくん。確実にギターコードを押さえるために指を鍛えるぞ。……さあ、そのシリコンガンで防水シートを貼る部分を塗ってくれ」
飛ばされた屋根部分にシリコンを塗り、シートをかぶせる。まるで阪神大震災の家屋のようだ。
「完璧だよ、ぴちょんくん。ハイ、ポーズ」
さっきまではほふく前進でしがみついていたのに、カメラをむけられるととーるは条件反射で立ち上がってしまう。根っからのエンターティナーである悲しいサガだ。
![0802とーるシリコン](https://stat.ameba.jp/user_images/77/36/10050616023_s.jpg?caw=800)
「せつないくらいにカッコイイぞ、ぴちょんくん。つぎはしっかりとギター弦を張る練習だ。……防水シートのリングにひもを結んで、軒先の裏側に縛ろう」
防水シートはシリコンとひもで固定され、屋根の穴はふさがった。
「やったぞ、ぴちょんくん。これできみは心にぽっかり開いた穴をふさぐ技を身につけたんだ。これからはどんな失恋や不幸にも耐えていけるぞ」
屋根の修復を業者に頼むと30万くらいかかる。それが防水シート6000円、シリコン2000円、ひも2000円の合計1万円で仕上がった。
「ありがとう、ぴちょんくん。これで屋根の修復は完了だ。それもこれもぴちょんくんによる無私の奉仕のおかげだよ」
ぴちょんくんは寒風吹きすさぶ屋根の上で玉の汗をかきながら照れている。
「ぴちょんくん、お礼にとっておきの秘伝を伝授しよう。人生は順風漫歩なときばかりではない。ときには予期せぬ嵐や強風によって打ち倒されるときもある。人と接するのが怖くなり、世界が見えなくなるんだ。それは友人や仲間たちからの励ましも受信できなくなる。たとえて言うなら、心のアンテナが倒れたような状態だな」
北海道の天然水のように純粋なぴちょんくんは、真剣にうなずいている。
「あっ、そんな話をしたら偶然にもあそこにアンテナが倒れている! よーし、ちょうどいいチャンスだ。いっしょに心のアンテナを立て直そう」
戦争で占領した場所に旗を立てる兵士のように、ぴちょんくんはアンテナを抱き起こす。新しくつないだ針金をひっぱって屋根の角に引っ掛け、アンテナは立ち上がった。
「やったぞ、ぴちょんくん。これできみは心のアンテナを立て直す技を身につけたんだ。ハイ、ポーズ」
![0802とーるアンテナ](https://stat.ameba.jp/user_images/8b/d7/10050616027_s.jpg?caw=800)
「ぴちょんくん、本当にごくろうさま。これでウォーミングアップは完了だ。いざ、下界におりよう」
うちの大家さんに電話した。
「となりの屋根は自費で修復しました。そこでご相談があるのですが」
一軒の家屋の半分がうちで、あと半分は何十年も空き家である。天井が落ち、床も抜けているが、絵などの収納スペースにはもってこいだ。6畳が3つ、4畳半がひとつ、うちとまったく同じ大きさである。
![0802となり1](https://stat.ameba.jp/user_images/a6/37/10050616193_s.jpg?caw=800)
![0802となり2](https://stat.ameba.jp/user_images/9d/fb/10050616194_s.jpg?caw=800)
うちの家賃が月1万円なので、いちおう1万円の家賃を覚悟していた。
「自分でリフォームするので、となりをつかわせてもらえませんか?」
「いいですよ。誰も住んでいないと家が傷むので、自由につかってください」
「自由にというと、無料でですか?」
「屋根も直してもらったし、もちろん無料でつかってください」
うおおー、なんと家が倍になった!
水が出ない、屋根が飛ぶ、アンテナが倒れるの三重苦で不運のどん底に落ちていたが、最後にこんなビッグプレゼントが用意されていたとは。
まさに、「災い転じて福となす」である。
それもこれもぴちょんくんのおかげだ。
ゴールドフィンガーを屋根とアンテナに駆使したぴちょんくんは趣味のギターを弾いている。
![0802とーるレコーディング](https://stat.ameba.jp/user_images/95/3e/10050616024_s.jpg?caw=800)
ちがうって、レコーディング風景だってば。