アラハバキ、海を渡る | New 天の邪鬼日記

New 天の邪鬼日記

小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

 不思議なシンクロがあった。
 デッサンの練習でもしようと、いろいろ物色してるとき、ふと仏壇にある縄文土偶「アラハバキ」が目についた。遮光器土偶と呼ばれる青森の亀が岡古墳で発掘されたもののレプリカである。
 アラハバキはもう10年ほど前から仏壇の隅っこにいたが、とりだしたのは2回目である。1年ほどまえ、プチ・ネアリカのモデルにしたときだ。
 ひさびさに縄文土偶をひっぱりだしデッサンをしていた翌朝、アメリカから一通のメールが届いた。アメリカ・ノース・カロライナ州で美術館の企画に関わるリツコさんという方からだ。

期間限定・・・はまだ期間中でしょうか?
「アラハバキ」のプチネアリカと「眠り猫」是非ご縁をいただけませんか?

 えーっ、マジ!
 アラハバキがアメリカまで想念飛ばしちゃったよ。
 ということで、縄文の神アラハバキは海を越えてアメリカに嫁ぐことになった。「鬼子母神のカムイ」もシカゴの夫婦が買ってくれたので、アメリカに渡ったネアリカはもう2枚目である。

0601アラハバキ土偶
 縄文の神アラハバキは謎に満ちている。
 名前の由来ももさまざまな説がある。近江雅和著「記紀解体・アラハバキ神と古代史の原像」によると、古代アラビアの最高神「アラバキ」が、ヒンズー教で「アーラヴァカ」になり、中国で「アラキ」「ワタバキ」になり、空海によって日本に伝えられたという。川崎真治著「謎の神 アラハバキ」によると、「アラ」はシュメール語で獅子神、「ハバ・キ」は地母神(蛇)という。
 江戸時代に和田長三郎と秋田孝季が記録したという古文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」によると、古代日本には縄文系のアラバキ王国があり、大陸からわたってきた弥生系民族と日本を二分する戦いがつづいた。アラバキ王国の英雄長脛彦(ながすねひこ)は邪馬台国から天皇の座をもぎとり、最初の10人の天皇の何人かはアラバキ系の王であるという。
 803年に坂上田村麻呂率いる大和朝廷軍が、アラバキ王国の首都である東日流(つがる)を占領し、600年続いた争いが終わる。関西を中心とする弥生系民族が日本を支配し、東北や北海道を中心としたアイヌ縄文系民族にとって差別の歴史がはじまる。
 アラバキ王国の神であるアラハバキの土偶は青森の亀が岡古墳や秋田県鹿角市の大湯ストーンサークルをはじめ、北海道と東北を中心として60カ所以上も発見されている。
 エスキモーが雪の反射から目を守る木製のサングラスに似たものをかけているため、遮光器土偶と呼ばれているが、NASAの調査では非常に合理的な宇宙服と判断された。
 土偶自体は3ミリほどの薄さで焼き上げられ、高い硬度を保っている。レプリカがつくられたとき判明したことは、野焼きなどではおよばない高温で焼かれ、現代のセラミック技術にも匹敵するテクノロジーが駆使されたという。
 しかし、しかしですぞお、歴史から抹殺されたかに見えたハイテク民族は東京のど真ん中に王国を再建した。
 その名も……
 アキハバラ!(もーええ)