映画『アダン』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

腐って死ね

 

 

アダン


美って奴は暴力だ。追求し過ぎなければコミュニケーションツールにもなるが、追求し過ぎればその先に待つのは孤独な死のみだ。絵画に関して云えば、ある程度の才能と実力を持ち合わせた人間でなければ優劣さえ読み取れないが、不幸にも才能を背負って生まれた人間にはその違いや力量差の大きさが分ってしまうし美によって傷つけられもする。私は田中一村タイプより荒木泰雲タイプだ。本当の天才に魅せられても決してそこへは至れない。作家の世界で飯を食う事は純粋な表現とは別物だ。ちっぽけな自分の生活を守るために浅い考えで指示を出すクライアントに黙って従う。つまり凡人だ。だから荒木には共感した。表現はコミュニケーションである事を彼に悟って欲しい友情に嫉妬が混じる。頑なになる彼を「腐って死ね」と罵りながら腐ったのは自分だと後悔を見せるが、一村の様に追求しようと試みた所で自信も実力すらも伴わないのだろう。画壇や顧客とのコミュニケーションで妥協を生む男と、コミュニケーションできずに名画を押入れで腐らす男。一体どちらが腐っているだろうか。私にとってはリアルな問題だ。それは表現に対する価値観次第で意見が分かれるだろう。

 

久々に見た五十嵐+堀田作品。確か『地雷を踏んだらサヨウナラ』以来だった。舞台挨拶で監督がこの作品は準撮りである事を強調していた。演技を超える何かを捉えようとしていたようだ。実在の人物になり切る事。役者の肉体を一村に近付けてその変貌を捉える試み。だが全生涯を捉えるにはその方法では時間が足りない。安っぽい老けメイクは使って欲しくなかった。ちなみにハンセン病患者を伝染病じゃないと云い続けて医師会からはみ出した男に世話になる訳だが、今思うと小泉首相が唯一やった偉業ってハンセン病訴訟を控訴しなかった事だけだった気がする。