映画『窓ぎわのトットちゃん』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

自由ヶ丘空爆

 

 

窓ぎわのトットちゃん

 

港区と違って大田区と世田谷区には昔からのエスタブリッシュ層が多い。その中でも田園調布は昭和の成金層が多い訳だが世田谷区の方は明治維新前から続く銘家も少なくない。かく云う私の実家も本家は江戸の頃から栄えた関東有数の呉服屋だったが鬼畜米の虐殺により断絶。東京大空襲は焼夷弾で自由ヶ丘までを包囲し片っ端から焼き尽くした。これにより本家は壊滅したが分家である私の親は大井町線で隣の駅に当たる九品仏在住だったので包囲網から逃れられた。これも私が鬼畜米を許せない数多ある理由のひとつです。そんな訳で世田谷の自由ヶ丘は私が幼少時代を過ごした故郷なので今作に描かれるような世田谷特有の人間性は懐かしい。この地域には作家や芸能人も多い。ただ私は玉ねぎババアの伝記には全く興味がありません。ただ原恵一の『Colorful』と同様に世田谷という幼少時代を過ごした地域に惹かれただけ。まあ今住んでる品川も革新的行政だが下町感覚が強くて必ずしも知的で福祉的に充実してる訳じゃない。それに比べてコロナ対策を見ても分る通り世田谷は他の地域よりは独自の合理的処置を実践できる地域性が昔からあります。だから今作のような自由学校も在り得た訳です。

 

この作品の主人公は黒柳徹子の若い頃って事だが、どうもADHDの気があるようで一般学校では手が付けられず自由学校に行く事になる。そこでは子供の自由意思を尊重した教育が行われていて世間からは常識外れと揶揄されるような子供たちが育てられていた。ただ世田谷はエスタブリッシュ層が多い事もあってエリートを育てる為に幼少期から自分で考えさせる教育が行われていて自分もそこでエリートに混ざって幼少時代を過ごしたので現在のような愚かで浅ましい戦争と自滅に向かう大衆世論に惑わされない人格の素地を作れたのです。つまり必ずしも劣ってると限らないし常識外れは世間から嫉妬されるので揶揄されるのです。その学校で主人公は身体障害児と仲良くなる訳だが彼の体は次第に悪くなり同時に戦争により生活も厳しくなってゆく。この障害児は彼女が別の男子と結婚したいと主張すると怒り出す程に彼女に好意を抱いている。だが病魔は残酷に迫る。この悲劇から暗喩するように戦争の悲劇が語られる訳だが脱亜入欧に肯定的な戦後クソパヨク的な視点が鼻につく。むしろ大東亜戦争の過ちは鬼畜米に歯向かった事ではなく中露と手を組めずインド解放も実現できなかった事だろう。