映画『遺体』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

不謹慎上等

 

 

遺体~明日への十日間~

 

いわゆる東日本大震災のルポを映画化したもの。この悲劇的な出来事の中で特にネガティヴな部分を扱っています。いわゆる臨時の遺体安置所。そこで働いた人たちの絶望的な状況下の苦闘が描かれています。この暗さにふとワイズマンの『臨死』を連想させられました。誰も救えない場。できる事は処理と遺族へのケア位。物資輸送も電気供給も滞り暗く寒い中、繰り返す余震。次々と運び込まれる汚泥にまみれた死体。通信網の遮断で肉親や友人の安否を確認できずに不安を抱えた人々。疲れ切ったスタッフ。「遺体を丁寧に扱え!自分が同じ事をされたらどう思う」なんて怒鳴っているスタッフもいたけど、もし扱っているのが生きている人間でも、疲れ切っていれば転ぶ事もある。むしろ自分が遺体の立場だったらそんなに疲れ切るほどハードに働き運んでくれた事に感謝し、ちょっと落とされた位では悪くは思わないだろう。

 

一般論としてネガティヴな感情は連鎖する。辛く苦しい時、人は誰かを責めたくなる。やり場のない悲しみは時としていけにえを必要とする。東電バッシングも、いわゆる魔女狩りみたいなもの。天災への怒りの矛先を様々な不手際にぶつけようとする。そんな野蛮さを誰もが持っている。むしろ悲しみを怒りに変えるなら「地球いいかげんにしろ」「神様くたばれ」と天に唾を吐く方がいくらかは自然に思えます。誰にでもあるような些細な至らなさで手際が悪くとも被害者と同様に必死で対処している人間にすら、辛い状況下ではネガティヴな感情の矛先は向く。そんな風に逆ギレしかねないほどナーヴァスになっている遺族と遺体に対してどう接するか。混乱した現場が少しずつ改善されてゆく様が描かれています。こんな状況下ではポジティヴな出来事なんて、それ位しか描けない。描かれるのは復興事業ではなく死体安置所なのだから。

 

今作は本広組の君塚氏がメガホンをとった訳だが、これがもし本広さんや三池さんやケラさんや山口さんなど、くだらなさが魅力的なウチの先輩たちがいつものトーンで撮ったら「ふざけるな」とキレられそうな時事。踊るシリーズで唯一シリアストーンだった『容疑者 室井慎次』を撮った彼だからこそ怒られるような作品にはなっていない。だがそれでいいのだろうか?自主規制で未だに本震や津波自体は描かない。だが死体は見せる。当事者にとってはショッキングでたまらなく辛く苦しい出来事を、ありきたりな泣かせにする。傍観者たる観客は泣いて気持ち良くなってあっさり忘れる訳だ。それは正解。あくまで映画は娯楽なのだから。だから極論を云えばコメディでもいい。この作品にはあまりに笑顔が少ない。唯一、救いになったのは死に化粧をするシーン。遺体を前に不謹慎に笑うシーン。不謹慎だから良い。不謹慎で良い。苦しめば苦しんだ分だけ辛い気持ちが連鎖するなら、不謹慎に笑おうじゃないか。