映画『灼熱の魂』の感想 | アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

暴力に捻じ伏せられた信念

 

 

灼熱の魂

 

広大な国土を持つカナダは移民や難民に寛容な国です。だから半世紀以上続くユダヤ人シオニストによる虐殺から逃れたパレスチナ人も大量に受け入れ石井裕也の『バンクーバーの夜明け』に描かれるように日本などのアジアの貧困国からの出稼ぎ労働者も訳アリの欧州人も受け入れてます。だから様々な租界がありアラビア語圏もフランス語圏も英語圏もあります。クローネンバーグやナタリは英語圏からエゴヤンはアラブ圏からヴィルヌーヴはフランス圏から世界的な名声を得た映画監督です。そんなヴィルヌーヴの出世作はアラブ圏難民の事情に寄り添ったポリティカルサスペンス。

 

いわゆるレバノン内戦に翻弄された人々の家族ドラマ。このネタは大友克洋の有名マンガ"気分はもう戦争"で日本人にも知られているが今思うと、かなり不謹慎でした。この内戦の傷跡としては最近では『判決、ふたつの希望』というレバノン映画で移民ヘイト親父が抱えた悲惨な過去として描かれています。レバノンの事情からすればパレスチナ難民にすら閉鎖的になっても仕方ない。そこには報復の連鎖の火種が燻っているのだから。それに比べれば欧米の移民問題は大した話ではないし更にその猿真似で右翼ごっこをしてるだけの日本人なんかには本質的な問題なんて想像が及ばないだろう。

 

この物語はユーゴ内戦を扱ったイザベルコイシュの傑作『あなたになら言える秘密のこと』にも似た切り口で悲惨な過去へと話が進みます。とある家族の母が亡くなった事から遺言を辿って生き別れの兄を探すうちに母親の知られざる過去を知る。そこに更にオイディプス王的な悲劇まで重なる訳だが、それ以上に大学時代に「宗教は関係ない」と語っていた母親の変貌のドラマが秀逸でした。ムスリム系のバスに乗ってたらキリスト系武装組織に攻撃されキリスト教徒である事を武器に生き残ろうとする。その際に幼いムスリムの娘を自分の子供だと偽って助けようとするが拒まれて助けられなかった絶望。体制に憎悪を抱き政治犯罪に手を染めて収監された収容所での執拗な強姦。亡命先では何処にでもいる家政婦の顔をして働いているが母国では内乱の中で壮絶な暴力と闘っていた。それが難民を受け入れる事の意味。平和ボケした元先進国では想像もつかない現実と対峙して来た人間がそこにいるのです。この母親のような体験をすれば欧米インテリが説く道徳なんてガキの屁理屈以下に聞こえます。

 

ヒロインである母はオイディプス的な悲劇に遭遇する以前に神を失ってるって所がギリシア悲劇と大きく違う。これによって"アポロンのオイディプス"のように苦しむのは強姦を犯した息子の方なのだろうけど、その面には本作はほとんど触れない。むしろ描こうとしてるのは、そんな悲劇にも不感症になっていた母親の肌感覚。地獄の業火を意味する原題の通り自分だけ助かろうとキリスト教徒である事を武器にした時点で彼女の心は焼き切れたのです。ムスリムの娘を助けて罪を払拭する事もできない。そこにあったのは圧倒的暴力による信念の敗北。大東亜戦争惨敗で全ての日本人が嚙み締めなければいけなかったはずの感情です。その恥に真摯に向き合っていればテロは起きるが日本人の中から倫理道徳が蒸発した現代の惨状はなかっただろう。この灼熱の炎は本来なら我々が感じなければいけないはず。それを感じていない親米ジャップは生きるに値しない。