映画『ほかげ』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

痛みを知る者たち

 

 

ほかげ

 

昨年は山崎貴の『ゴジラ-1.0』をはじめとして敗戦直後を舞台にした作品が流行った。きっと日本の国力が当時並に落ち込み大衆の中に生まれた絶望感を代弁するのにこの時代が適切だったのだろう。だが現状は物質的には当時よりマシに見えて未来を生み出す心の面は当時より圧倒的に貧困という意味では当時より致命的な絶望の中にある。この作品は闇市の片隅で体を売る女性と、そこに住み着いた戦災孤児が中心に描かれる。この孤児は生きる為に盗んで食い繋いで来た。そんな子供にマトモに働く口などない。やくざ者の密売に手を染めて娼婦から心配される。その他に元教師の復員兵と復讐を胸に抱いた復員兵という接点のない2人の男が描かれます。どちらも違う形でPTSDに苦しんでいる。その他にも心を病んで座敷牢に入れられた者や空襲で自宅や家族を焼き殺されて帰る場所のない復員兵が道端に転がる。これが戦争の傷跡だと云わんばかりに。そして孤児は喧嘩が強い男に仕事を依頼され地方集落へと旅立つ。その先に待っていたのは『ゆきゆきて神軍』の奥崎健三が起こしたような復讐劇だった。つまり本作では徹底的に戦争の後遺症が描かれています。そこには現代にはない悲惨さがある。だが果たして現代の方がマシだと云えるだろうか?

 

クライマックスで復員兵は「これは××(死んだ戦友の名前)の分だ!」と怒鳴りながら上官を撃つ。そして孤児は娼婦に「復員できなかった人は悪い人になれなかったんだ」と零す。だが果たして彼らの行為は"悪い"とだけ切り捨てられる事だろうか?この報復は殺された仲間の代弁。仲間の為にケジメを付ける気概を持っている人間が現代にどれだけ残っているだろうか?コミュニティが崩壊し利己主義が蔓延った事が何よりも日本を転落させた。ポリコレやコンプラに腐り西洋イデオロギーを振りかざす乞食パン助盗人ジャップには公共を守れない。まだ戦前世代には道徳教育があり仲間への思いやりがあり戦争の記憶として痛みを知っていた。これが公共的な人間と盗人の一番の違いだろう。いかに他人の痛みに想像力が働くか。いかに仲間を守る為に献身できるか。その面を失った現代ジャップにはもはや再生の芽はない。その意味では当時がマシに思えます。まるで『悪夢探偵2』や『バレッドバレエ』のような嘆きの中で『野火』に通じるメッセージを残して本作は幕を閉じる。それにしても最近の塚晋は現代劇が少ない。