映画『静かなる叫び』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

フェミサイドとゲルニカ

 

 

静かなる叫び

 

いわゆるモントリオール工科大におけるヘイトクライムはフェミニズム運動の論旨として取り上げられる事が多い。それだけに犯人側にフォーカスした論旨で語られる事の多い題材だがドゥニヴィルヌーヴは主に被害者の方に視点を置いたって意味で斬新に感じました。ヴィルヌーヴという名前から察する通りカナダでもフランス語圏界隈の人らしくフランス語で撮っています。フランスと違ってカナダのフランス語圏は流行語に汚される事なく古典的な美しさを保っています。フランス人からすれば日本の武家言葉にも似た母国語の美しさはカナダでしか味わえないそうです。ここに提示されたるはインセルの逆襲。女性に相手にされないミソジニーが抱く被害妄想。確かに救えない。それこそ京アニ放火のような無能の妬み嫉みから生まれるクズの暴挙。非モテのミソジニーには「貴方がモテないのは貴方がクズだからです」とド正論を突き付けてやりたい。つまり女性を搾取するような卑しい性根を持った奴はハブられて当然。同じミソジニーでもモテてる奴は一方的に女性を支援できるだけの甲斐性と尊大さがあり、そこに代償を求めないからこそ男尊女卑は成り立つのだ。ポスト争いの席次を守るために女性を排除したがるミソジニーは単なる無能なクズ男に過ぎない。それだけにこの犯人に対し同情の余地は全くありません。

 

そんな犯行に対し今作の後半では犠牲者たちを助けようとした男性と生き残った女性のPTSDを描き込んでいます。これが結構皮肉な対比になっていて"親との会話"と"ゲロを吐く"という共通した記号で繋げて男の弱さと女の強さを示されたって感じ。なんだかんだで男は殺生しかできないが女は新たな命を生み出す事ができる。それだけに根本的に男性は女性に対する劣等感を抱えざるを得ない存在なのかもしれない。ミソジニーは不完全な者が憧れるべき対象に妬み嫉みで牙を剥く卑劣な振る舞い。コピー機の後ろに飾られたピカソのゲルニカ大虐殺のような惨劇をいくら繰り返した所で、この手の劣等漢の承認欲求が満たされる訳もない。モテて承認欲求を満たしたいのであれば、その卑しく臆病で怠慢な態度を捨てて我が振りを直せ。