映画『複製された男』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

でっかい蜘蛛

 

 

複製された男

 

今更ながらにカナダの鬼才ドゥニヴィルヌーヴの初期作品に手を出してみる。これは典型的な不条理ドラマ。とある大学教授が偶然映画で見かけた三流役者が自分ソックリだったのでコンタクトを取ろうと試みる。よくドッペルゲンガーは見ると死ぬなんて云われる訳だが、この主人公のリアクションはそれに似た恐怖を思わせます。ただ似ているだけならリンゴラムの『マキシマムリスク』やツイハークの『ツインドラゴン』みたいに生き別れの兄弟が再開を喜ぶみたいな事になりそうだが、ここではキューブリックの『シャイニング』に登場した双子のようにイむべき存在みたいな描かれ方をしています。その手の観念的なジャンル映画を思わせる手法。

 

冒頭で「カオスとは未解読の秩序」と楽観的なフレーズを提示して背景が明かされないドラマを展開。楽観的というのは不可解な現象に対し諸行無常と思考停止するのではなく見落としてる因果がいくつもあるという考え方だから。それこそ福島で原発が爆発した時に「放射能汚染で人体に何が起こるか分からない」と恐れる学者を見て「そうか核開発分野はまだ科学的フロンティアなんだ」とワクワクするような考え方。自分も好奇心が恐怖に勝ってしまうタイプの人間だけに共感できる考え方です。ただ今作は謎を解くという方向へは進まずに不条理な現象へのリアクションを楽しませるってな方向の内容。映像センスとしては、くすんだ色使いで退廃感のある情景を好んで使っていて、それがシニカルでオフビートな芝居作りにマッチしています。なんでもない背景ショットでビルが歪んでいたり巨大な蜘蛛が歩いていたりしても不思議と違和感がない。ただの断片的な現象として人間が描かれます。だからこそ後に人造人間の記憶をテーマにしたリドリースコットの代表作の続編を任される事になったのだろう。