映画『中学生円山』の感想 | アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

男子的世界

中学生円山

 

いわゆる中二病まっただ中なお話。素性知れない多くの人々が暮らす団地という妄想の宝庫で、自分のチンコを自分で舐めようと奮闘する中学生と、その近所に越して来た謎のシングルファザーを中心に、団地のおかしな面々のドラマが展開するナンセンスコメディ。くだらないギャグ連発の中、人を殺してはいけない理由を問われるシーンなど普遍的な疑問を投げかけてドキッとさせる所もあるが「考えない大人になるくらいなら、死ぬまで中学生でいるべきだ」というキャッチコピーは少々大げさ。それはキメ台詞というよりもっともらしい事を口にする事でギャグのテンポにメリハリをつけているだけって感じ。

 

それでもあえて命の価値を問われたなら、こう答えるだろう。「もし貴方の目の前に『運命のボタン』(押したら自分の知らない所で自分の知らない誰かが死ぬというボタン・新トワイライトゾーンのワンエピソードとして書かれたが後に長編映画化された)が置かれたとして、いくら貰ったら貴方はそれを押しますか?」と問われて答えた値段こそがあなた自身の命の値段です。"ワールドイズマイン"のユリカンが「時価である」という客観論なら、私はこのような弁証法的な主観論で答えます。

 

久しぶりに観たクドカン作品。自分の中では"くだらない"繋がりで最近はケラ監督とごっちゃになってしまっていた。やはり『真夜中の弥次さん喜多さん』の印象が強過ぎて「細部に至るまで突っ込みきれないほどのボケをかますナンセンス」という印象が払拭できない。ただ元々、この脚本家の印象はぶっ飛んだ切り口が冴える青春映画という印象で、その路線で優れた作品は今でも少なくない…ってえか今作もナンセンスだが本質は鋭い青春映画を狙っている気がします。ナンセンスな印象ばかりが目立っているだけ。

 

老いたロックシンガーと、その恋人になった小学生がキスするシーンの会話。少女にとって初めてのキスは老人にとって最期のキス。小学生にとって早過ぎた恋は老人にとって遅過ぎた恋。当たり前の事だけど、実はそんな芯を突いた台詞はなかなか書けない。鋭い脚本は時として過程をブッ飛ばしてしまう。最近では成島さんの『草原の椅子』のクライマックスで「一緒に暮らしましょう」と付き合ってすらいない主人公に対してヒロインが放つ一言。主人公の気持ちを察していたのだろうけど、その唐突さに観客は面食らってしまう。そんな強い脚本によるインパクトって奴は我々の思考を停止させ、あたかもナンセンスであるかのような印象を残す。一見単なるエログロな園子温の脚本の思考の早さにも、そんな所がある。クドカンの脚本はナンセンス(無意味)なのではなく鋭過ぎるのだ。