映画『エンドロールのつづき』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

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エンドロールのつづき


インド版『ニューシネマパラダイス』と思いきや、これがなかなかの悪ガキ。スピルバーグの『フェイブルマンズ』を思わせる監督自伝映画の定番のように少年時代に初めて映画に連れて行って貰ったエピソードから始まる訳だが本作に描かれているのは少年時代のみ。この主人公の場合、映画にハマったは良いがチケットを買う金がなく映画館に忍び込んで見てたら支配人に叩き出され映写技師と仲良くなって映写室で見ていたらこれもバレて支配人に叩き出され仕方がないのでフィルムを盗んで友達と一緒に映写機を作って上映していまう。これによりフィルム紛失の返金騒動で映画館に多大な迷惑をかける。それでも映画に関わりたいという熱意は大人たちに伝わり映画関係の勉強へ進路が開けるという内容な訳だが、その表現自体は割とシネフィル向けの映画愛に満ちてる感じです。クレジットバックで最初と最後に有名な監督名が羅列されてナデリ+青山の怪作『CUT』を連想させます。それのみならず少年の生々しくて即物的な映画愛にはどうしてもナデリ作品を連想してしまいます。

 

どうも作品中で流れてる映画自体は古典だが舞台設定は最近らしくデジタルへの移行も描かれているので原題は"最後のフィルム上映"となっています。この主人公の家系はカーストからすれば割と高いバラモンだが父親は昔財産である大量の牛を騙し取られて、それ以来喫茶店みたいな事をしているので生活は豊かではない。この手の高カーストなのに貧乏ってパターンはヒンズー娯楽映画ではあまり見かけない訳だが本作はクジャラート語圏の作品らしく少し新鮮でした。ベンガル系作品では社会的事情から高カーストでも失業者であったり清貧を貫いていたり色々な貧困事情が描かれる社会派が多いけれど基本的に娯楽作品として最も日本に入って来てるボリウッド系はトレンディドラマのようにオシャレな登場人物が多いので本作のような生々しさは拝めません。ボリウッド以外のインド映画は個人的には久しぶりに見ました。とにかく映画が見たくて手作りの工夫で何とかするという逞しさ。この手の情熱こそが最もアジアに期待できる所です。この行為に対してコスパの悪さを多少なりとも感じてしまった訳だが、そういう計算に陥る私の思考の方が先進国病なのだろう。「ないのなら作れ」の発想が生じない所に成長なし。この少年のような一見無駄に見える情熱こそが最も大切なのです。