映画『福田村事件』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

えった非人なら殺してもええんか
 

福田村事件


関東大震災直後に流言飛語が飛び交い朝鮮人虐殺に至るのみならず被差別部落民の日本人行商まで虐殺してたというあまりに恥ずかしい事件をモリタツが映画化。初の劇映画作品だけあって芝居の間に拙さを感じます。この企画自体は荒井晴彦氏が企画したもので途中で手を離れたという噂があったが、こうして実際に見てみると女性陣の言動は紛れもなく荒井脚本特有の台詞回しです。どんな社会派でも男女の性愛に持って行ってしまう荒井節。今回のテーマには余計にすら思えます。ハイカラな人妻が若い船頭に抱かれたり戦争で亭主がいぬ間に亭主の父親に抱かれたりスキャンダラスな不倫ドラマで前半の尺は埋まっています。この後ろ指を指される行為をしていた人々が疑われた行商を庇っても信用して貰えないという伏線にはなっています。それ以上に性愛に開かれている人種だからこそ共同幻想に毒されないで事実を口にするってな意味なのだろう。その意味では不倫の件は意義深い訳だが、それ以上に無意味に詰め込み過ぎてるのは反戦要素とエセ社会主義者の主張。今でも日本人に社会主義は理解できていません。

 

この作品の主軸は差別迫害虐殺に至る日本人の劣等性です。その意味で「エッタと鮮人どっちが下か」と行商が駄弁るシーンは本質を突いています。つまり優位性を誇示しようとする傾向が強い。それ故に横暴で卑劣で臆病。脱亜入欧で士道を失った日本人は浅ましいクソ虫。朝鮮人労働者を搾取し虐げ暴利を貪りながら報復に怯える悪党の雑魚。元々被差別階級は幕府によって生み出された訳だが最下級とされたエッタ非人とは云わばパルチザン候補。土の者(忍者)や拳銃職人やバテレン等の宗教者は暗殺技術やカリスマ性で政権転覆が可能な恐ろしい敵だからこそ不浄の者とした。それに対し元々庶民にも畏敬の念があった。つまり強敵に敬意を払う武士道のような倫理があったのだ。それが明治以降のジャップにはない。だから在日や同和の連中に対して平気で見下せるのだ。あくまでも敵として扱う事自体を咎めようとは思わないが敵に敬意を払わないクズは日本人の恥です。そんな腐敗堕落した大衆に比べたらコンプラからはみ出して不倫してても我を通せる連中の方がマシって訳です。あとジャーナリズムに関しても割と比重が置かれてたが右も左もヘイトポルノしか流さない現代の乞食パン助親米利権ジャップに当時のブン屋を叩く資格はありません。