映画『星の人』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

わざとらしい

planetarian~星の人~

 

「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」

byマルチン・ルター

 

文明崩壊後を舞台にしたプラネタリウム屋さんのお話。廃墟で遺留品を漁って食つなぐスクラップ屋として死線をくぐって来た男。街のデパートに残された女性型の接客用ロボットとの出会いが彼にプラネタリウム屋への転職を決意させるまでの物語。話は彼の晩年に始まり回想形式で語られます。ロボット女性と人間男性のラブストーリーを思わせる構成。語られるのは愛ではなく希望なのだろうけど。『スターウォーズEP5』でヨーダがルークに修行をつけていた時「お前さんの目は遠い未来ばかり見ておる」と叱られるシーンがある訳だが、あれは自らが強大な力を持った後の事を考えるあまり目の前の課題解決が疎かになっているという意味であり手の届かない遠い未来を夢見る事自体は決して悪い事ではない。いつか子孫が理想的に生きられるように素地となる種を蒔くという長期的投資の動機付けになるから。それこそSDGs(持続可能な開発目標)という極めて建設的なビジネス手法はそのような遠い未来への想像力から生まれます。ただただ先祖の遺産をマネタイズして「今だけ金だけ自分だけ」という浅ましいスタンスで未来を食い潰す強欲老害に溢れる今だからこそ星を見上げる気持ちをリアライズせねばならない。

 

あくまでも夢を見る権利があるのは若者や子供たち。その権利を守る為には命も捨てるのが我々大人の義務です。オッサンと呼ばれる年になっても分不相応な夢を追って若年者を貶めるような大人は単なるクズ。エゴイズムを満たす為に子々孫々から未来を奪う忘八乞食のゴミ老害。『鬼滅の刃』に描かれる鬼って奴です。テーマ的には悪くない訳だが映画としては、あまりに捻りがなさ過ぎです。それこそ女神様のロボットに気付くシーンとか、あまりに予定調和過ぎて、ほとんどギャグです。その癖に彼女の記憶を繋ぐという最も重要な所は曖昧にして個人のドラマに埋没。単に接客用ロボットに一方的に恋した愚かな男の自己完結的な物語として片づけられそうな方向性。接客係に接待され気持ちよくなり恋愛感情を持ってしまったモテないオッサンの話じゃないんだから。もっと希望を繋ぐって所を重視した視点で描いて欲しかった。