映画『ハーティー』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

巨大資本に抗え
 

 

ハーティー 森の神


象を守る系のインド映画といえば『ガネーシャ』が記憶に新しい所だが今作もまさにその路線。先祖代々伝わる森を開発業者から守るヒーローの奮闘が描かれています。その一方で開発業者に雇われた像使いが地元ゲリラ女性に恋をして森を守る側に転じるラブストーリーが印象的に描かれています。ただ森を守ると云っても欧米覇権主義的な途上国の発展を抑制し搾取構造を保つ為の詭弁のエコとは大きく違う。あくまでも庶民が自然と共存する為の持続可能なバランスを考えた古の知恵なのだ。ネオリベ連中や鬼畜米や親米ジャップは「今だけ金だけ自分だけ」だから次世代へ持続可能な社会よりテメーの懐を肥やす事しか考えない。だから平気で売国奴にもなるし信用などの最も大切な無形資産も横領し社会を壊し続けています。

 

シンギュラリティだのメタバースだの空論を並べて目晦ましをしてるが、その虚構を見せ続ける電気は何処から生まれるのか。それを愉しむ大衆の栄養は何処から摂取するのか。スマホが生活必需品なんて馬鹿過ぎる言説が跋扈するが、それ以前に水や食料やエネルギーがなければ人は生きられないし、それらは第一次産業で自然の恵みから与えられている事実を忘れてはいないだろうか?そんな当たり前の前提を忘れて金融だのITだのクソの役にも立たない虚業で既得権に群がるバカな自由主義陣営。欧米や親米ジャップは人類の役に立たず情報公害をまき散らすだけの人類の敵です。

 

そんな腐敗堕落した巨大資本の暴力が森という有益な古の知性を踏みにじる。クズどもがグローバルサウスと見下す世界人口の8割は西側G7の性根が腐った知的退廃に対して当然ながら抵抗します。だから世界第三位の経済大国インドでも古の知恵を持つ庶民文化としての価値観に基いた今作のような作品が量産されています。ここ最近の日本企業のように性根が腐って知性が劣化し無能化した負け犬は頑なに目を背け続けているが、この手の世界からのメッセージを受け取れないなら救いようがないので即餓死して下さい。この主人公は自然を代弁するかのように狂暴化しネオリベ企業や汚職官僚のクズどもに牙を剥く。この野生の獰猛さに畏敬の念を抱けないで"野蛮"などと見下すクズに生きる価値無し。ゲリラが口にした通り土着的に正しく生きようとする人間は卑劣で臆病な自由主義者どもからテロリスト扱いされています。これに抗うのは人間として当然の権利です。