映画『駒田蒸留所へようこそ』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

初めから望んだ仕事じゃない
 

 

駒田蒸留所へようこそ


今年元旦の大地震は弱り目にとどめを刺したと云うべき事案だった。これまでも幾度となく能登半島は地震で家屋が損壊し大きな悲劇として語られる事はないが保険金が下りない程度の破損の積み重ねはじわじわと高齢化した地域を疲弊させ過疎化に拍車をかけていた。そんな風にさり気なく圧迫された生活が『能登の花ヨメ』という映画には描き込まれていました。この手の現象は東日本大震災でも同じです。あの地震で大勢の人間が津波に呑まれ溺死し原発まで爆発し派手な悲劇が報道される一方で地味に致命的ダメージを受けた産業もある。そのダメージが公助によって補填される事もなく"自己責任論"で切り捨てられ続けた結果、日本はここまで転落した。ウィスキー造酒もその一例。本作はそんな被害に翻弄された若い世代と彼らの記事を書く若い記者の物語。

 

彼は別に最初からジャーナリストになりたくて記者をやっているという訳ではなく高校時代のバンド仲間が大手レコード会社で有名ミュージシャンのプロデュースをやっているのを羨ましがったりして"好きを仕事にする事"を妬んでいます。これは云わば彼の自分探しの物語。個人的には彼の気持ちは全く分かりません。ってのは私は思い返すと作品が喜ばれたから好きになったのか好きだから喜ばれる作品を作れるようになったのか分からないからです。まあ自分は特殊な一例かもしれないが生業となる天職は他人を喜ばせる事と好きになる事の循環のようなもの。だから彼のような逆切れは正直ウザい。まあ才能に恵まれた奴のポジショントークでしかないが、やはり妬む前に喜ばれてみろって正論ぶつけたくなります。

 

この記者が取材する酒造メイカーの若き女社長がヒロインな訳だが彼女は私と同じ絵の才能があったが震災で実家が傾いたので戻って来て実家経営を引き継いだ。その絵の才能は今やBLイラストを描くのに使ってる隠れ腐女子。果たして彼女は絵の仕事を諦めて不幸だっただろうか?それはない。なぜなら好きを決めるのは自分じゃないから。なぜ私が映像クリエイターを続けているのかと云えば喜んで必要としてくれるクライアントやカスタマーがいるから。それが社会や仕事の全てでしょう。もし僅かでもこの日本が蘇る可能性があるとしたらそこにしかない。ここに描かれたような地域、仲間、家族、そして他人に喜ばれる事を採算度外視で続ける意思。細々とした草の根の職業倫理の積み重ねでしか本当の価値は生まれません。